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1943ローマ降下戦16

 ナポリから首都ローマへの距離はさほどないはずだが、情報的には断絶していると言っても良いようだった。詳細は不明だったが、何らかの手段で通信が阻害されているようだった。


 当初はそのように考えられていたのだが、実際はそれほど単純な話ではなかったようだった。次第に周辺の部隊や政府機関などからの情報が入るに連れて詳細が判明するようになっていたのだ。

 得られた情報を分析すると、一部で通信に用いられる波長帯での電波妨害が実施された形跡があったものの、情報の断絶が発生した理由はそれだけではなさそうだった。

 実際にはローマの市街地全域に渡って混乱が生じていたものだから、正確な情報が入ってこなかったということらしい。


 時間が経つに連れて段々と流入してきた情報は量、確度ともに向上されつつあった。

 だが、得られた情報は少々信じがたいものだった。首都ローマにおいて現地軍とドイツ軍が交戦を開始したというのだ。どちらから戦端を開いたのかは分からなかったが、既に市民を含む多数の死傷者が出ているとの未確認情報もあった。


 情報を分析すると少なくとも三箇所で戦闘が開始されている形跡があった。ローマの北部と南部、それに中心街の一部でも戦闘があったようだった。この内、北部と南部での戦闘は相手も推測することが出来た。その方面には再編成中などの理由で駐留するドイツ軍の部隊があったからだ。

 戦闘の経緯は不明だが、何らかの理由でイタリアの単独講和を察知した現地のドイツ軍が行動を開始したのではないのか。



 問題は中心街の一角で行われたという戦闘のことだった。郊外の広大な土地を選択して設定されたドイツ軍の駐屯地から、ローマの官僚街にも程近いそのような街区は距離がありすぎたのだ。

 その為に当初は誤報かと考えられていた。ドイツ軍との交戦で混乱したローマの市街地で発生した暴動か何かが戦闘と誤認されたのではないのかと思われたのだ。


 しかし、不確定な目撃証言に過ぎなかった中心街での戦闘は確かに行われていたものであるようだった。市街地の警ら中に駆けつけたカラビニエリ部隊からの情報が入ってきたからだ。

 逐次投入されていたカラビニエリ部隊の規模からすると、少なくとも交戦中の敵部隊は1個中隊規模は超えるらしい。

 だが、問題は部隊の規模ではなかった。確かに僅か1個中隊であっても重厚な建造物の多いローマの市街地に立て籠もってしまえば、完全に制圧するまでかなりの戦力と時間が必要となるはずだったが、市内を警備するカラビニエリを再編成すれば必要な戦力は用意できるのではないのか。


 問題があるとすれば、交戦のあった箇所のようだった。艦隊勤務の長いボンディーノ大佐は、ローマの地理にはそれほど詳しくなかったから市街地の街区名を言われてもぴんと来なかったのだが、司令官公室に集まった人間の中には思わず不安そうな声を上げたものもいた。

「動きが早すぎる……ドイツはどこまでこちらの動きを掴んでいるんだ」

 ボンディーノ大佐が怪訝そうな顔で振り返ると、チアーノ伯が眉をしかめているのが目に入っていた。



 イタリア海軍で最新鋭の戦艦であるヴィットリオ・ヴェネト級は艦隊旗艦として運用されることも考慮されていたから、通信室などの旗艦設備は充実していた。勿論、司令部要員の居住区などと共に大容量の司令官公室も設けられていた。

 だが、開戦以後に所属艦の後方への退避が相次いでいたタラントを母港としていた為に、ヴィットリオ・ヴェネトが有する司令部施設の大半はほとんど使用されていなかった。

 それに、高級将官が使用するために就役時はそれなりに瀟洒な内装だったこの司令官公室は、昨年度のマルタ島沖海戦での損害復旧工事の際に不要な可燃物の撤去を徹底して行っていた影響を受けて随分と殺風景なものになっていた。


 しかも司令官公室には制服姿の海軍軍人ばかりが詰めており、マリーア皇太子の随員として乗艦していた外相チアーノ伯はただ一人高級仕立ての背広姿だったものだから、殺風景な周囲の様子から浮き上がってしまっていた。

 本人もそのことを意識しているのか、ボンディーノ大佐と目があったチアーノ伯は、居心地悪そうに身じろぎしながら聞き取りづらい陰鬱な声で言った。

「戦闘が……ローマ市街地で戦闘があったという箇所は、今日国王陛下が停戦合意を発表するはずだった放送局の近くなのだ」


 ボンディーノ大佐は呆気に取られた顔になっていた。記憶にある限りでは、この場所にはそんな重大放送が行われるような立派な放送局など無かったはずだ。

 だが、そのことを質すと、チアーノ伯はなんでもないかのように言った。

「逆だよ艦長。例えば、立派な施設を持つ国営放送局などから放送を行おうとでもしてみろ。放送前、陛下がスタジオに入る前に察知した報道陣に囲まれているさ。

 その報道陣の中にはきっとドイツのスパイもいるはずだ。先日の統領の死以降、ドイツは我が国の王族方や政府中枢の動きに目を光らせているんだぞ。

 だから逆に中小の独立系資本の放送局の方が目立たなくて良いんだ。それで皇太子妃殿下に密かに事前に連絡を取っていただいていたのだが……まさか、あんな中小局までが察知されているとは……」


 ボンディーノ大佐は眉をしかめていた。

「それでは、このローマ市街地での戦闘を開始したのは、国王陛下の停戦受諾放送を阻止するためにドイツ軍が送り込んだ部隊だということですか……ですが、そうなると講和の件は完全にドイツ軍に察知されていると判断せざるをえないのではないですか」

「それは……そう考えるのが妥当ではないのか。それ以外の目的でドイツ軍が部隊を送り込むとは思えないが」

 物騒な顔つきのボンディーノ大佐に顔を向けられたチアーノ伯は、気圧された様子になりながらも言った。



 しかし、落ち着いた様子の声が二人にかけられていた。

「そのように断定するのは早いのではないでしょうか」

 二人が振り返ると、司令官公室の卓上の隅に乗せられていたローマの市街地図を見つめていたラザリ中佐が顔を上げたところだった。


 ラザリ中佐は二人に視線を交互に向けながら言った。

「ドイツ軍が我が方の行動を完全に把握していたと仮定すると、彼らの行動には矛盾が生じると思います。状況を判断すると、最初に戦闘が開始されたのは市街地に出現したこの小規模な部隊となりますが、それに対して市街周辺に駐留していた師団の行動開始が遅すぎます。

 両者が当初からの手筈通りに行動を開始したのであれば、もっと早くドイツ軍のこの師団群は戦闘を開始していたはずです」


 チアーノ伯は狐につままれたような顔になっていた。

「それは……時間差を設けることで我が軍の行動に何らかの制約を儲けようとしていたのではないのか。或いはこの市街地の部隊はこちらの戦力を引きつけるための陽動とか……」

 ラザリ中佐は何事かを考えるかのように僅かに首を傾げたが、すぐにその首を振っていた。

「それはないでしょう。首都を防衛する我が方の部隊は現状においてドイツ軍に対して劣勢の様子です。その状況下で態々陽動部隊を展開させるとは思えません。現に我が軍はローマ外周に部隊を展開する一方で、この部隊には市街警備のカラビニエリのみで対処しようとしています。

 むしろ、この小規模な部隊を救出するために市街周辺の部隊が急遽動員されたと解釈するほうが自然ではないでしょうか」



 納得した様子のないチアーノ伯は、何事かを反論しようとしていたが、それよりも早くマリーア皇太子の脇に控えていたサンソネッティ中将が不機嫌そうな声で言った。

「今はドイツ軍の真意について推測しても意味が無いだろう。現時点では判断材料に欠けるから結論は出せないからだ。それよりも我が方の対応を決断すべきではないのか」

 その一声で司令官公室に満ちていたざわめきが途絶えていた。おずおずと言った様子でチアーノ伯が口を開いた。

「対応と中将はおっしゃるが、国際連盟軍との事前の取り決めではこの艦隊はシチリア島で投降する事になっていたはずだが」

「ちょっと待ってください。投降といっても、それは国王陛下による停戦受諾放送後のことになっていたのではないですか。現時点では国際連盟軍との講和は成立していないのでは……」

 ラザリ中佐が慌ててそう言うと、チアーノ伯も眉をしかめて押し黙ってしまっていた。



「ボンディーノ大佐、本艦の通信設備で接近中の国際連盟軍に対して通信を行うことは可能ですか」

 皆が沈黙する中で、意外なほど落ち着いた声が上座から掛けられた。ボンディーノ大佐は、一瞬副長のラザリ中佐を目線を合わせてから、覚悟を決めたかのような顔をマリーア皇太子に向けて頷いていた。

「よろしい。父上……国王陛下が何らかの理由で意志を表明できない以上、皇太子たる私が代理として本艦より停戦受諾放送を行います。艦長は直ちに準備を……」

 マリーア皇太子が言い終わる前に、短躯からは想像がつかないほど素早い動きでボンディーノ大佐は電話に取り付いて通信指揮所を呼び出していた。


「ここから停戦受諾放送を行うとして、艦隊はどうされますか……再度ベルガミーニ中将と協議をいたしませんと」

 サンソネッティ中将がそう言ったが、マリーア皇太子は手でそれを制しながら言った。

「状況は変わりました。放送によって国際連盟軍の空挺部隊が予定通りローマに向かうでしょうが、当初の予想よりもドイツ軍の動きは早く、国際連盟軍上陸部隊の展開が間に合わない可能性もあります。それに、ナポリでは正確な情報も得られません」

 強い意志を秘めた表情でマリーア皇太子は続けた。

「ですが、ここには戦力が有ります。また、ナポリからであれば、高速艦であれば半日経たずに到着できるはずです。この際、鈍足艦に合わせる必要はありません。出港できる順から即座に出しましょう。

 また出撃を拒否する艦も放っておいて構いません。ついてくるものだけ付いてくれば結構」


 強硬論を主張するマリーア皇太子をサンソネッティ中将やチアーノ伯が慌てて押しとどめようとしたが、それよりも早く電話を終えたボンディーノ大佐が低くよく通る声で言った。

「本艦の皇太子旗はすぐに掲揚出来ます。本艦は現状で通信、機関全て順調。最大戦速で航行しながらでも放送可能です」

 マリーア皇太子を危険から遠ざけようとするサンソネッティ中将は、鋭い目でボンディーノ大佐を睨みつけたが、大佐は素知らぬ顔でとぼけていた。マリーア皇太子はしっかりとした様子で頷いていた。

「では直ちに放送を行います。それと全艦に伝達してください……敵はローマに有りと」


 ―――どうやらアレクサンドリア辺りでつまらない思いをする必要はなくなりそうだな。

 ボンディーノ大佐は、マリーア皇太子の言葉に一つ一つうなずきながらも密かにそう考えていた。

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