表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
234/818

1943謀略、大連―ベルリン5

 大連港の桟橋から出て市街地へと向かう草臥れた乗用車の中は、奇妙な雰囲気で包まれていた。乗り込んだ三人がばらばらな思惑で動いているかのようだった。


 運転席に座った村山は、慣れた様子で手足のように乗用車を運転しながら、愛想よく車に乗り込んだ残りの二人に話しかけてきていた。

 しかし、助手席に座って外ばかりに目を向けている孔飛上尉は、元々寡黙な質なのか低い声で最低限の返答しか返さなかった。


 後部座席に座る帆崎も緊張を隠せない様子で言葉少なになっていた。二人乗りの後部座席には帆崎一人が乗り込んでいたが、何泊かの取材に見せかけていたので荷物も少なくなかったから、一人で座ってもあまり広くは感じなかった。

 それに、帆崎もこんなに早く第10独立混成師団のモンゴル人に出会うことになるとは思わなかったものだから、覚悟ができていなかったのだ。

 そのせいで懐に隠し持った拳銃を過剰に意識したのか、不自然な態度になってしまっていた。



 最初の印象通り、最低限の整備で済まされた古臭い乗用車はあまりいい状態ではなかった。もっとも元の状態がどうだったのかわからないから、製造時から乗り心地はあまり良くなかったのかもしれない。

 関東州、特に一大貿易港として整備された大連港周辺は、満州共和国内の鉄道網との連結を考慮して、重貨物を積載した大型牽引車の連続交通が可能な重舗装を地盤を改良してまで行っていたから、この年代物の乗用車でもそれなりに快適に走行出来ていた。

 しかし、渋滞している大連駅近くを通過して、中心街も通り抜けてしまった頃から乗用車は時たま不快な振動を立てるようになっていた。


 直線道路を多用するように計画的に整備されていたはずの市街地は、いつの間にか曲がりくねった道路が増えてきていた。周囲の建屋も新しいものが少なくなかったが、中心街や大連駅周辺と比べると普通の宅地が多かったし、日本本土同様に見える和式の建屋に混じってちらほらと大陸風の家屋が見えていた。

 おそらく、このあたりは旧市街地にあたるのだろう。ただし、旧市街といっても今世紀初頭までの関東州の人口は少なかったはずだから、それほど大規模なものではなかったはずだ。


 実際には中心街や大連港周辺のように大規模な都市計画の元に宅地も建設が進められていたものの、予想以上の規模で人口が流入するものだから無秩序に市街地が拡大していった部分があったのではないのか。

 それに、地形上どうしても新たに整備された宅地群が直線形にならずに、尾根や曲がりくねった川に沿うようになってしまった場所もあったのではないのか。



 三人を乗せた古びた乗用車は、そのように混沌に片足を踏み入れたような市街地を貫く曲がりくねった道を通過していた。

 帆崎は関東州の地理にはそれほど詳しくないが、旅順港の方に向かっているのだけはなんとなくわかっていた。大連港周辺は貿易港らしく船舶の修理施設や貨物を一時保管する倉庫群などは充実していたが、師団規模の部隊が短時間とは言え駐屯できる広さの施設はあまりないはずだ。

 だが、日本海軍の要港部などの軍事施設が集中した旅順地区は民間人の居住施設も少ないし、関東州に駐留する日本陸軍第19師団の駐屯地もあったはずだから、乗船までの待機場所として間借りしているのではないのか。


 先に宿か大連日報に寄ってから第10独立混成師団の取材に行くと思っていたのだが、最初から満州軍の士官と待ち合わせているということはそのまま直行するつもりだったのだろう。

 おそらく何らかの予定が取材先にあったのではないのか。そこに丁度帆崎の乗船した貨客船の入港時間がかち合ったのだろう。



 しかし、報道を担当する士官としては孔飛上尉の視線はあまりに鋭く、愛想もなく寡黙すぎた。それにある程度の機動性を要求されるために人員の限られる師団程度の司令部に報道関係を専門に担当する士官が置けるとは思えなかった。

 日本陸軍の大尉に相当する上尉という階級からすると、おそらく孔飛上尉は師団司令部勤務の参謀か副官といったところではないのか。

 帆崎はあまり軍の編制には詳しくないが、報道関係の仕事を押し付けられるか兼任しているということは、庶務担当の師団長次席副官か参謀であれば情報担当といったところなのだろう。


 ただし、師団司令部付の士官としては孔飛上尉は若いように見えた。剣呑な雰囲気のせいで幼さは感じないが、年齢はまだ20代の半ばといったところではないのか。正規の士官学校を出ていたとしても進級速度は早すぎる気がする。

 もっとも、それは日本陸軍にとっての常識だった。日本でも海軍では尉官の進級速度は陸軍よりも速いらしいし、大陸の国家では有力者との縁故関係によって取り立ててもらう例も少なくなかった。



 元々満州共和国陸軍は正式に誕生したばかりで、士官学校の整備も始まったばかりだから、士官階級のものはほとんど軍閥や悪くすると馬賊上がりのものばかりだった。

 そういった前近代的な軍事組織の中には、単に親分の覚えがめでたかったり、親戚筋だからというだけで出世するものが少なくなかった。敵対組織との戦闘に役に立つよりも、組織内での派閥争いにおいて味方になるものを求めたからだろう。


 だが、孔飛上尉がそのような媚びへつらいでその立場を手に入れたとは思えなかった。そのような陰険さを感じさせないほど剣呑で近寄りがたい雰囲気を発していたのだ。

 縁故関係の方はあるかもしれなかった。おそらくは孔飛上尉も第10独立混成師団の師団長ら指揮官層と同じく共産主義勢力が支配する南モンゴル西部から亡命してきたモンゴル人なのだろう。

 年齢からすると可能性は低いが、もしかすると赤軍の機関で正規の軍事教育を受けたソ連帰りかもしれなかった。

 ただし、全く逆に亡命者を監視するために満州共和国を支配する旧奉天軍閥から送り込まれた士官である可能性も否定できなかった。



 ソ連帰りの元共産主義者の亡命士官が指揮するにも関わらず、第10独立混成師団は軍政部長馬占山将軍の信任厚い精鋭部隊と見なされていた。保有する装備や部隊の定数の面でもかなり優遇されていた。

 部隊の原型となっていたのは、南モンゴル西部の共産主義勢力の間で編成されようとしていたモンゴル人騎兵部隊だったが、亡命後もその部隊の指揮系統を残したまま、南モンゴル東部から徴募された同胞モンゴル人の補充などを受けて師団規模の満州共和国陸軍部隊に再編制されていた。


 そのあたりの詳しい事情は分からなかったが、馬仙山将軍と部隊の指揮官が旧知の仲であったとか、南モンゴル東部に居住する将軍の知己と指揮官が親戚であったらしいという噂はあった。

 要するに馬仙山将軍からは身内扱いされているということになるのだろうが、第10独立混成師団が重宝されているのは単にそのような信頼性だけではないはずだった。

 というよりもその程度で亡命者の集団を高度に信用するほど馬占山将軍や軍政部の参謀たちはお人好しではないはずだった。


 おそらく、師団司令部には参謀長か主席参謀級の高級将校が軍政部から送り込まれているはずだった。勿論その任務は正規の参謀職だけではなく、政治的な信頼性の確保という意味もあったはずだ。

 それに、その任務を明らかとしない監視者も送り込まれているのではないのか。

 部隊の原型が1個旅団程度の騎兵部隊であったのに対して、現在の第10独立混成師団は大規模な機械化歩兵師団だったから、亡命者以外にも補充された将兵も多く、仮に亡命者が全員で今度は満州共和国を裏切ったとしても師団全体が反乱を起こすことはありえなかった。



 政治上の信頼性を除いても、モンゴル人の亡命者、特に師団長以下の高級将校たちが教育課程で脳裏に焼き付けていた最新のソ連赤軍の軍事理論や赤軍野外教令など教範類に関する生きた知識は満州共和国だけではなく、日本やシベリア―ロシア帝国など国際連盟諸国の軍事関係者にとって興味深いものだった。

 実際、亡命モンゴル人の携えた資料や知識によって、両国の仮想敵であるソ連赤軍の研究は飛躍的に進み、対処方法となる戦術理論の構築や赤軍の先進的な理論の応用などが実施されているらしい。


 もしかすると、第10独立混成師団に対する優遇はそのような軍事知識の提供と引き換えであったのかもしれなかった。

 ただし、この師団は馬占山将軍子飼いのお飾り部隊というわけではなかった。その最新の軍事技術を証明するかのように、何度も満州共和国に浸透を図る共産匪の討伐などに出動する機会があったのだ。

 その出動の頻度は他の軍政部直轄の部隊よりもだいぶ多いらしかった。

 独ソ戦が開始されてソ連の戦力の多くが東部戦線に抽出されるようになるまでは、満州共和国国境に出現する共産主義勢力もソ連の支援を受けて戦車等を投入することもあったから、国境付近では日本製の戦車を装備したモンゴル人部隊と、ソ連製戦車装備の漢人部隊との間で戦車戦が起こったこともあったらしい。



 第10独立混成師団は原型となる騎兵部隊とは異なり、日本軍の機動歩兵化師団に準ずる重装備の師団編制をとっていた。主力である歩兵連隊には日本製九九式自動小銃が行き渡っていたし、対戦車隊は最新の噴進砲まで備えていた。

 元騎兵部隊らしく、歩兵部隊も満州共和国でライセンス生産されている一式半装軌装甲兵車や機関銃装備の6輪自動貨車を装備して機動力を高めていた。


 これを支援する増強大隊規模の師団戦車隊も一式中戦車や砲戦車、それも改良が施された乙型等の最新型を装備していたし、今回の派兵にあたって1個中隊は日本軍でも全軍に行き渡っているわけではない最新鋭の三式戦車まで他の満州共和国陸軍部隊に先駆けて配備されていた。

 赤軍で重要視されている砲兵隊も、自走砲化された固有の砲兵連隊に加えて、牽引式の重榴弾砲を装備する独立編制の重砲大隊が配属されていた。


 この独立重砲大隊が装備する重榴弾砲は元々中華民国が輸入したものが建国期のどさくさに紛れて満州共和国陸軍の軍政部直轄部隊の装備とされたもので、皮肉なことに開戦前にドイツから輸入されたものだった。

 それを今度はドイツ軍に向かって撃ち込むために遠路遥々彼らは欧州まで向かおうとしていたのだ。


 満州国軍の軍事を一手に担う軍政部長馬占山将軍が、このような満州共和国陸軍にとって最新鋭の重装備を優先して配備された精鋭部隊となった形の第10独立混成師団を欧州に派遣した理由は明らかだった。

 独ソ戦の開始後に支援の途絶えた国境の向こう側に屯する共産主義勢力が、戦力を国府軍に集中して満州地方への圧力が途絶えがちになっていたこともあるが、国際社会における満州共和国の政治的な発言力の向上の他に、欧州で行われている最新の戦闘に自軍の最精鋭集団を参加させることで貴重な戦訓を調査させるためでもあったはずだ。

 そして、さらなる戦訓を得て強化された師団は馬仙山将軍の子飼いとして更に重宝されるようになるはずだった。



 しかし、そのように亡命モンゴル人を活躍させる事は、彼らに手ひどく裏切られたコミンテルンにとって許容できる範囲を遥かに超えていた。彼らが携えた資料や知識の流出だけでも万死に値すると考えていたようだ。

 満州共和国だけではなく、シベリア―ロシア帝国や英国なども盛んに亡命モンゴル人を優遇し、賞賛して政治宣伝に利用していたからだ。


 特に、第10独立混成師団を率いる師団長には何度か物騒な諜報機関による暗殺の手が伸ばされていた。彼こそがソ連で最新理論の軍人教育を受けたにも関わらず、南モンゴルへの帰国後に仲間たちを先導して集団亡命を図った主犯とされていたからだ。

 しかも、その男は亡命後にそれまでの名前を捨てて、モンゴル語で赤い息子を意味するウランフと名乗るようになっていた。それが共産主義者を挑発するものであることは明白だった。

 赤とは革命を象徴する共産主義の神聖な色であったから、赤い息子とは共産主義が自分のような裏切り者を生み出したと言っているようなものだったからだ。



 そのウランフ中将は繰り返された暗殺を持ち前の悪運や、彼を個人崇拝する唾棄すべき仲間たちの手で逃れていた。

 しかし、それは暗殺者が主に満州人に偽装した中国共産党の人間であったからではないのか。それが今まで情報細胞として活動していた帆崎が急遽暗殺者に仕立て上げられた理由だったはずだ。

 正真正銘の日本人記者が自らへの暗殺者であるとは彼らも考えないはずだった。


 それに、独ソ戦の勃発以後はコミンテルンもそちらに注視していたから、一時的にウランフ中将らへの工作は止められていた。だが、今はそれも相手に油断を抱かせることになっているのではないのか。


 それまで荒事とは縁のなかった帆崎だったが、緊張はあっても後悔や躊躇は無かった。遠い地で共産主義に染まっていった帆崎のような人間にとっても、ウランフは裏切り者という印象が強かった。

 自分には到底望めない共産主義の総本山たるモスクワで教育を受けたにも関わらず共産主義を捨て去っていたからだ。

 懐の拳銃を意識しながらも、帆崎はゆっくりと覚悟を決めていった。



 唐突に帆崎は乗用車が乱暴に停車したことで我に返っていた。帆崎は慌てて周囲を見渡していた。いつの間にか目的地についたのかと思ったからだ。

 だが、乗用車が止まっていたのは、古臭い車に相応しいような大連本港とは比べ物にならないほどちっぽけな港だった。


 しかも、ついさっきまで運転席にいたはずの村山はいつの間にか車外に出ていて、唖然とする帆崎を冷ややかな目で見つめながら手にして拳銃を向けていた。

 その拳銃が自分が懐に隠したものと同型のものであることに、帆崎はなぜかすぐに気がついていた。

九九式自動小銃の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/99ar.html

三式噴進砲の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/3atr.html

一式半装軌装甲兵車の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01ht.html

一式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01tkm.html

一式中戦車改(乙型)の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01tkmb.html

一式砲戦車の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01td.html

一式砲戦車改(乙型)の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01tdb.html

三式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/03tkm.html

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ