1941マダパン岬沖海戦4
戦闘の開始を告げたのは、敵艦隊の先頭を行く英国艦から放たれた主砲弾だった。
ビスレーリ中尉は、一瞬、目を見張って大きく盛り上がった水柱を見つめていた。
今さらながらに、大口径艦砲の発射に立ちあわせたのはこれが初めてだということに気がついていた。
予算の限られたイタリア海軍では、実際に戦艦主砲の発砲を行うことは稀だったし、ビスレーリ中尉たちが任官したころは、戦前から就役していた戦艦は長期の改装期間に入っていて行動自体していなかった。
それに、戦艦の改装があいつで終了して主砲発砲を含む各種の公試を行なっていた頃は、独立戦闘飛行隊群の立ち上げや新機種の導入で多忙を極めていたビスレーリ中尉たちにはとても他隊の訓練を見学するような余裕もなかったのだ。
だから、戦艦主砲による射撃を実際に目撃するのは初めてとなったわけだが、その迫力はビスレーリ中尉の予想を遥かに超えていた。
海軍士官教育の一環で、駆逐艦に座乗しての洋上訓練中に実包発射は経験してたのだが、駆逐艦主砲と戦艦主砲とではまさに段違いだった。
実際に英国戦艦から主砲が発射されるまでは、そのかつて目撃した駆逐艦主砲の発砲に毛の生えたようなものだろうと考えていたのだが、それは大きな間違いだった。
友軍の艦隊に向けて、ほとんど一直線に突撃を続ける英国戦艦の主砲塔にいきなり発生した砲煙が、砲撃戦の始まりを告げていた。
白とも黒ともつかない灰色の砲煙の中心には、赤黒い発射炎が一瞬見えていた。
戦艦主砲は巨大なものだった。
高速で突撃を続ける戦艦によって、急速に広がりながらすぐに置き去りにされたが、ビスレーリ中尉には、一瞬とはいえ英国戦艦が砲煙によって隠されたように見えていた。
数十秒後に発生した着弾による水柱も巨大なものだった。
少なくとも数十メートルはあるのではないのか。
その砲弾によってまき上げられて黒く濁った水柱に向けて、ヴィットリオ・ヴェネトの優美な船体が突入していった。
偶然にも着弾点と進路がかち合ったらしかった。
上空から見ていたビスレーリ中尉は、ヴィットリオ・ヴェネトが被弾したのかと勘違いしてしまった。
だが、次の瞬間には、船体を黒くまだらに染め上げながらも、何事もなかったかのようにヴィットリオ・ヴェネトは水柱を突き抜けていた。
思わず安堵しながらも、ビスレーリ中尉は、水柱の数を数えて眉をしかめていた。
水柱の数は、三本しかなかった。
勿論、初弾から友軍艦隊に着弾した砲弾はなかったから、敵戦艦が実際に発砲した数は三発しか無いということになる。
敵艦の砲塔は連装砲塔が三つのようだから、セオリー通りに半数の方を用いて試射を行ったのだろうが、この凄まじい迫力でも実際には全力射撃の半分でしか無いのだ。
当たり前といえあば当たり前の事実に、ビスレーリ中尉は、呆れたように、今度はヴィットリオ・ヴェネトも試射を始めた海上の動きを見つめていた。
聞いた話では、ヴィットリオ・ヴェネトのような15インチから16インチ砲を搭載した戦艦の主砲弾は、1トン弱程度の重量があるらしい。
爆弾と砲弾だから単純な比較はできないが、搭載量で言えば、これは重爆撃機一機分に相当する重量となる。
つまり、戦艦の一斉射撃は、重爆撃機の一個中隊が一斉に投弾したのと同じ重量の砲弾を放つことが出来るということになる。
勿論、戦艦の一斉射撃は一度で終わるわけではない。
少なくとも戦艦は百発以上の砲弾を搭載するというから、全てを撃ち尽くせば着弾点は一個飛行師団の全力攻撃よりも恐ろしい損害を受けるのではないのか。
ビスレーリ中尉は、呆然として戦艦の砲撃でクレーターだらけとなった大地を想像して身震いした。
今さらながらに、海軍が戦艦を手放さそうとしない理由が分かったような気がした。
こんな大きな打撃力を有しながら、それに対抗する装甲をも持ち合わせた海の怪物を屠るのには、同じ怪物、つまりはより強い戦艦を当てるしか方法はないのではないのか、そう思ったからだった。
ビスレーリ中尉の感想などお構いなしに、海上の砲撃戦は、大きな動きをみせていた。
最初の動きは、イタリア海軍の艦隊が大きく二分しながら転舵を始めたことだった。
先頭を行くヴィットリオ・ヴェネトとボルツアーノを欠いた第3戦隊のトレント、トリエステ、ポーラの三隻の重巡洋艦が、英国艦隊の突撃を遮るかのように大きく左舷に転舵しながら主砲を敵艦に合わせて小刻みに旋回させていた。
四隻の駆逐艦からなる一個駆逐隊は、そのままの針路を保ったまま英国艦隊に向けて突撃を開始していた。
戦艦や重巡洋艦の主砲射程では、駆逐艦の攻撃力は生かされない。だから英国艦隊を友軍艦艇の有効射程範囲内に留めるために突出したのだろう。
これに対して英国艦隊の方もイタリア海軍の動きに呼応したように艦隊運動を開始していた。
どうやら英国海軍の指揮官も同航戦を選択したようだった。
あるいは突撃する駆逐艦に対応しただけもしれないが、やはり先頭を行く戦艦が一旦砲撃を中断すると、大きく右舷に転舵してイタリア海軍の艦隊と距離を保ったまま同航を開始していた。
ただし、その後ろに続く巡洋艦の数は少なかった。
大型の重巡洋艦らしき艦が一隻だけだった。
だが、ビスレーリ中尉は、周囲の索敵の合間にその間の主砲が、三連装であることに気がついていた。
英国海軍では確か三連装の砲を装備した重巡洋艦はいなかったはずだ。
つまり、戦艦に続行してはいるものの、その巡洋艦は6インチ主砲を装備した軽巡洋艦ということになる。
大型の条約型巡洋艦らしいから、防護力は軽巡洋艦としてはあるのかもしれないが、戦艦や重巡洋艦の主砲戦距離に付き合わせては、主砲の威力や射程の面からかなり苦労するのではないのか。
そのかわり、駆逐艦と共に二隻の軽巡洋艦が突撃を開始していた。
こちらは連装砲塔を装備しているから、リアンダー級あたりだろう。
リアンダー級は門数が少ないから打撃力も小さいし、排水量も少ないために耐久力にも大きな期待はもてない。
だから駆逐艦の突撃支援に回したのかもしれない。
しかし、その攻撃力は巡洋艦以上には大したことがないように見えても、イタリア海軍の一個駆逐隊には大きな脅威となるのではないのか。
ビスレーリ中尉の懸念を吹き飛ばすように、回頭後に先手を打ってヴィットリオ・ヴェネトの主砲がうなりを上げた。
わずかに遅れて続行する第3戦隊もそれぞれ射撃を開始していた。
英国艦隊の突撃によって先手を取られたにも関わらず、ヴィットリオ・ヴェネト艦長ボンディーノ大佐は冷静なようだった。
ヴィットリオ・ヴェネトの第1斉射は、セオリー通りに砲塔あたり一門づつを発砲する交互射撃だった。
30秒以上たってから、敵戦艦の近くに三本の水柱が高々と沸き上がっていた。
すかさずに観測機から上空から観測された水柱と敵艦との相対位置や移動方向、速度などの情報がヴィットリオ・ヴェネトに向けて送信されていった。
観測機からのそれらの情報に合わせて、自艦の測距儀からの情報をもすりあわせて修正を行うのは時間がかかるようだった。
ヴィットリオ・ヴェネト主砲弾の着弾から次弾が発射されるよりも早く、敵戦艦が発砲を再開していた。
しかし、ビスレーリ中尉がのんびりと上空から戦艦同士の壮絶な砲撃戦を見学していられたのは、その瞬間までだった。
いつの間にか空戦域から抜けだしたフルマー艦戦がこちらに向かってきているのが見えたからだ。
ビスレーリ中尉は、アストーレを一度味方の観測機の前まで移動させると、翼を振って警戒を促しながら、フルマーの方向へと旋回していた。
戦艦の主砲が強力であることはビスレーリ中尉にもわかっていた。
だから、その主砲弾を敵艦に導くことの出来る観測機には、決して敵機の手を付けさせることは出来なかった。
戦艦同士の砲撃戦を目撃したことで決意を新たにしたビスレーリ中尉は、アストーレをフルマーへと向かわせていた。