1943シチリア海峡航空戦16
最初の敵機を撃墜した後は、混戦が続いた。
アミオ359が撃墜された直後に行われた、太陽を背にしたドヴォアチヌD.525小隊による奇襲が成功したのかは半々といったところだった。
銃撃直前になって当初の標的だった単機で飛行する機体にはひらりと避けられてしまったからだ。その代わり、銃撃開始直前だったにも関わらず、グローン中尉は強引に目標を残りの2機編隊に切り替えていた。
単機で飛行する機体を最初の標的としたのは、その機体が最終的に哨戒機仕様のアミオ359を撃墜した犯人だったからだ。
しかし、何らかの理由でその機体は僚機を失ったらしく単機で行動していたから、無理をしてその1機を追いかけるよりも、僚機を随伴する機体を撃破した方が総合的な敵戦力は減少する。
グローン中尉は咄嗟にそう判断していたのではないのか。
常識的に考えればその判断は正しいはずだった。少なくともその瞬間はプレー曹長を含む小隊全員がそう考えていたのではないのか。
そしてそれが誤っていたことに気がついた時には既に遅すぎたのだった。
最初の敵機は、初撃であっさりと撃墜されていた。先行するグローン中尉達の編隊が仕留め損なった時に備えていたプレー曹長達の編隊は標的を見失ってしまったほどだった。
2機編隊で行動していた方の敵機群の動きは予想よりもひどく鈍かったのだ。
回避機動を開始したのは、単機で行動していた敵機とほとんど同じだったから、直前で奇襲に気がついたその機体からの無線連絡があったのではないのかと思われるのだが、当初の標的となった機体が上空から急速に降下するグローン中尉の目の前で、素早く鋭角の旋回を行うことで視界から飛び去ってしまったのに対して、2機編隊の方は判断も遅く、そして割り切りも悪かった。
回避行動にしてはやけに緩慢で浅い旋回半径だった。だから銃撃を行う頃には、相手が日本軍の三式戦闘機であることがプレー曹長達にも確認できていた。
D.525にとって、三式戦闘機は通常だったら厄介な敵だった。この日本軍の単発戦闘機が前線で確認されるようになったのは今年に入ってしばらくしてからだった。
従来日本軍の主力戦闘機であった一式戦闘機と平行して配備が開始されたらしく、シチリア島での戦闘では一式と共にかなりの数が確認されているらしい。
ヴィシー・フランス軍と自由フランス軍が対峙した北アフリカ戦線の終盤にも少数だが目撃されていたようだから、ある程度は日本軍以外の国際連盟軍にも供与されているらしかった。
同じ単座戦闘機ではあっても、空冷エンジンを搭載した軽快な一式戦闘機とは異なり、大出力の水冷エンジンを搭載した高速戦闘機であるらしく、全体的な性能は概ね最新型の英スピットファイアにも匹敵するのではないのかという推測がされていた。
プレー曹長はこれまで三式戦闘機との交戦経験は無かったが、去年のレバノンでの戦闘でその原型となった機体と交戦したことがあった。
日本軍の事情はよくわからなかったが、高速戦闘機の実用化に自信が持てなかった日本陸軍が、三式戦闘機の実用化前に増加試作機として製造された機体の実戦試験を名目に原型機を前線に送り込んだという噂があったが、簡単にはプレー曹長は信じられなかった。
その増加試作機を相手にしたプレー曹長たちは、速度性能を重視した特別改造機に乗っていたのにもかかわらず、軽々と追いついてきた同数の機体に一蹴されていたからだ。
レバノンでの戦闘でプレー曹長達が乗り込んでいたのは、今次大戦の開戦直前に制式化されていたドヴォアチヌD.520の改修型だった。
飛行隊長のリシャール大尉が調達してきたエンジン出力を増強する水メタノール噴射装置の搭載や、防弾装備の撤去などによる強引な軽量化によって、速度面では原型機よりも優れていたものの、純粋な戦闘機としてみれば危うい状態の機体だった。
それに比べれば、現在の自分たちの愛機であるD.525では、単純に大出力のエンジンに換装したものだから、原型機の性能やバランスを損なわずに高速化に成功していたから、完成度では当時とは比べ物にならない筈だった。
だが、完成度の向上という意味では、三式戦闘機も同様のはずだった。あの時、レバノン上空で遭遇した敵機と比べると、現在の三式戦闘機では細かな艤装に違いがあるようだった。
一見しただけでは違和感を感じる程度だが、エンジンを収納した機首部分も大型化しているような気がするから、エンジンそのものも換装されているのかもしれなかった。
再軍備を急いだヴィシー・フランス空軍は、主力戦闘機となるD.525は早期に量産体制を構築するため、ドヴォアチヌ社の既存の生産施設を可能なかぎり流用していたから、エンジン周り以外は出力が1.5倍も向上しているにもかかわらず原型機であるD.520とほぼ同様の機体構造となっていた。
それに対して、D.520からD525への再設計作業とほぼ同時期に、三式戦闘機も原型機となる増加試作機からの改設計がなされていたはずだが、原型機の実戦で受けた戦訓を受けて確実に機体を改良していたのではないのか。
そのように考えてプレー曹長は初めて相対する三式戦闘機を警戒していたのだが、あっさりとグローン中尉の銃撃で火を吹いていた姿に安堵するよりも先に憤りを感じてしまっていた。
自分たちが守れなかったアミオ359を撃墜したのが、こんな技量に劣るものだとは信じたくなかったのだ。
戦闘機乗りとしてお互いに技巧の限りを尽くして戦った上で武運拙く敗れるのであれば納得もできるが、こんな機体の動かし方もわからないような搭乗員に数に頼って撃墜されたのだとしたらやりきれなかったのだ。
その三式戦闘機を警戒して奇襲をかけるために慎重に太陽を背にした方向に時間をかけて移動していたのだが、実際にはそのような小細工が必要な相手ではなかったのだ。
しかし、そのようなプレー曹長の判断は結果から見れば誤りだった。というよりもあまりにもあっさりと1機目を撃墜できたものだから、自分たちも知らず知らずのうちに驕ってしまったのかもしれなかった。
長機を撃墜された2番機は、今までの緩慢な動きが嘘だったかのように必死になって逃げ出していた。奇襲で1機を撃墜した小隊は、空中に一本筆で線を描くように緻密な編隊を組みながら、一度低空に降下して稼いだ速度を使って逃げ出した2番機を追撃にかかっていた。
だが、編隊を組んでいた長機を撃墜されたことで逆に自由な機動の余地を得たのか、2番機の動きは激しく、小隊長のグローン中尉も中々射界に収められない様子だった。
あるいは、2番機に乗り込む操縦士が素人だからこれまでのセオリーが通用しないのか、あるいは緻密な4機編隊が仇となってこちらの機動が遮られるのが問題だったのかもしれない。
こんな相手に4機も掛ける必要はなかった。他にも敵機はいるのだ。この2番機などよりも最初から単機で飛行していた方はまだ手練なようだったし、周囲にはおそらくこの編隊が護衛していたのであろう双発爆撃機も在空していたが、そちらの手当もされていなかった。
とりあえず早々と離脱した機体はしばらくは放っておいても良いのではないのか。それよりもアミオ359の敵討ちとばかりに敵双発爆撃機を撃破してしまうか、そう考えてプレー曹長は周囲を見渡してから、急に目に飛び込んできた光景に愕然としていた。
グローン中尉からの攻撃を避けて真っ先に離脱したはずの敵機が、恐ろしく急な角度で上昇しながら死角となる下方から忍び寄ってきていた。
おそらく、その敵機は急角度で旋回して銃撃を避けると同時に海面近くまで一気に降下していたのではないのか、そして降下時に得た速度を維持したままこちらの機動を読んで、こんどはその優速を利して海面から急上昇するように突き上げてきたのだろう。
敵機を操るのは、機体の性能だけではなく高度と速度の交換関係に熟知した重戦闘機向けの戦闘に習熟した手練れの搭乗員のようだった。
小隊3番機の位置についていたプレー曹長が直前のタイミングでようやく発見できたくらいだから、おそらくグローン中尉に続く2番機からでは最後まで見えなかったのではないのか。
プレー曹長も、D.525になって換装されたDB605を収めるために、原型よりも長大になった機首に邪魔されてこれまで死角に入られていたのだ。
原型機であるD.520の時点で、操縦席が同様の配置の戦闘機と比べてやや後方に配置されたせいで前方下の視界は良くなかったのだが、D.525ではその問題が更に悪化していたのだ。
敵機はその死角を正確に把握して奇襲できる位置につけていたのだ。その時になってようやくプレー曹長は相手が自由フランス軍であることに気がついていた。
それまでは英国や日本軍に準ずる塗装のせいで気が付かなかったのだが、確かに垣間見えた敵機の側面には自由フランス軍所属を意味するロレーヌ十字が描かれていた。
だが、プレー曹長が本当に愕然とした理由は、離脱したはずの三式戦闘機が攻撃をかけようとしていることでもなく、死角に入られたことでもなく、それどころか自由フランス軍の機体であることですらなかった。
一瞬だったが、白縁のロレーヌ十字の脇にはプレー曹長が乗り込むD.525に描かれているのと同じ麦穂が描かれているのが見えたのだ。
実際には、咄嗟に警告の声が上げられなかった理由が何だったのか、プレー曹長は最後までわからなかった。あれほどあの地味な麦穂の絵に再び相見えることを切願していたというのに、いざとなると声にならない悲鳴の様な唸り声しかでなかったのだ。
だが、プレー曹長が呆然としていられたのはそれほど長い時間ではなかった。
すぐ前を飛行していたはずのグローン中尉が乗り込んでいたD.525の下方から銃撃による閃光が向かっていたのだ。閃光は眩しいほど強く、太く見えていた。
小隊3番機を飛行するプレー曹長の位置からでは、射撃されたグローン中尉の機体がどうなっているのかは分からなかった。
しかし、機体下方に着弾していることだけは確実だった。銃弾によって空中に描かれた線がグローン中尉のD.525によって断ち切られているように見えていたからだ。
水冷エンジンを搭載したD.525の胴体下部には巨大なラジエーターが突出していた。内部は冷却水と取り入れた空気間で熱交換させるために何本ものチューブが走る頑丈な構造になっていたはずだった。
ラジエーターに被弾すれば冷却が出来ずに直ぐにオーバーヒートでエンジンが停止してしまうはずだが、少なくともそこや更に頑丈なエンジン本体に着弾すればその上部直後の操縦席には直ちに被害が及ぶことはないのではないのか。
祈るような気持ちでプレー曹長は一瞬そう考えたのだが、その思いも虚しく、次の瞬間操縦席天蓋のガラスが上部に向かって勢い良く砕け散る様子が見えてしまっていた。
何故かひどく緩慢な速度で飛び散ったガラスと共に、赤い糸が伸びていくのを見た瞬間、プレー曹長の脳裏には懐かしい風景が思い描かれていた。
それは、グローン中尉がケルグリコミューンで初めてのパイロットとなり、故郷に凱旋飛行を行ったその日に、麦畑の中からまだ幼かったクロード・リュノと二人で見上げたぴかぴかに見えた戦闘機だった。
―――だが、今から思えばあれは型落ちの戦闘機を転用した練習機だったな。
そんなことがプレー曹長は脳裡に思い浮かんでいた。急速にあの懐かしい風景が色あせて見えてきていたのだ。
あの日、麦畑の中で共にパイロットとなることを誓い合った二人は今や敵対していた。そして上空を飛び去っていたグローン中尉は機上で最後を迎えていたからだ。
無意識のうちにプレー曹長は叫び声を上げながら、グローン中尉が飛行していたはずの場所をほとんど垂直に上昇しながら飛び去ろうとしていた機体に向けてがむしゃらに銃撃をかけていた。
それから先のことはよく覚えていなかった。確かだったのはグローン中尉の墜落と同時に混乱が始まったことだけだった。
敵三式戦闘機2機との格闘戦の最中に、いきなり機首に備えた幾つもの銃口を真っ赤に染めてそれまで無視していた敵双発爆撃機が突入してきたのはおぼろげながら覚えていた。
見慣れない機種だったが、どうやら実際にはアミオ359のような純粋な爆撃機ではなく、双発戦闘機か爆撃機改造の戦闘機か何かだったらしい。機動性は単発戦闘機に比べれば格段に劣っていたが、その火力は無視できなかった。
その後はプレー曹長も僚機であるコルコンブ軍曹とはぐれて単機で戦闘を継続したために戦況を把握できていなかったし、それ以前に逆上して正確な記憶がなかった。
他にも墜落した機体があったようだが、それが敵なのか味方なのかは分からなかった。
ふと我に返ると、漫然と直線飛行するD.525に乗り込んだプレー曹長の目の前に、ぼんやりと広がるサルディーニャ島の姿があった。
そういえば、機体が被弾した上に、残燃料が不安になってきたから、無線で帰投を告げたような気がしていた。しかも、何故か額がぬるぬると滑っている感触があった。
眉をしかめて手を当ててみると、頑丈な飛行帽が縦に割かれているのがわかった。操縦席前方の防弾ガラスにも傷が入っていたから、被弾時に発生した破片で頭部に傷を得たのだろう。
傷を確認したことで急激に寒気を感じたが、単座のD.525では他に操縦を変わってくれるものもいないし、操縦服の上から装着する各種の装備品で雁字搦めになっているからそもそも自分で手当をすることも難しそうだった。
もうサルディーニャ島の輪郭がぼやけているのが負傷のせいなのか、それとも思ったよりも戦闘時間が長くて日が暮れようとしているのかもよく分からなくなっていた。
悪化する視界の中でなんとか計器と風景を見比べたプレー曹長は暗い表情になっていた。
―――基地まで帰還するのは無理……だな
基地周辺の地理はよくわからなかったが、飛行中に何度か確認した限りでは、基地の近くを流れる川が地中海に流れこむ河口のあたりは湿地帯のようになっているようだった。
基地まで辿りつけなかったとしても、そこまで何とかたどり着ければ不時着もやりやすいし、救援もすぐに来るのではないのか。そうプレー曹長は当座の方針を決めていた。
妙な気配に気がついたのはその時だった。視線を感じて機体の側面に目を向けると、そこには1機の戦闘機があった。
何故かかつて二人で麦畑で見たグローン中尉の機体よりも、麦穂を描いたその三式戦闘機はひどく流麗に飛翔しているような気がしてプレー曹長は思わず絶句していた。
D.525 ヴィシー・フランス空軍 ジャン・ル・プレー曹長搭乗機 サルディーニャ島上空
三式戦闘機一型乙 自由フランス軍 クロード・リュノ中尉搭乗機 サルディーニャ島上空
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ドヴォアチヌD.525の設定は下記アドレスで公開中です。
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