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1941マダパン岬沖海戦2

 しばらく通信室に陣取る通信長と電話で会話していた航空参謀は、眉をしかめながら、手にしていた何か書き込みをしていた紙の束と艦内電話を近くにいた法務参謀に押し付けた。

 すぐに、航空参謀は、ヴィットリオ・ヴェネト艦橋の右舷側に据え付けられた艦隊司令官用席に座る中将の元へと、足早に近づいていった。

 どたどたと歩く航空参謀が立てる足音に気がついたのか、中将が振り返った。


 中将は、形のよい眉と口髭を歪ませて、暗鬱な表情をしていたが、近づいてきた航空参謀に対しては、ひきつりながらもかろうじて笑みを浮かべた。

「損害報告はまとまりましたか」

 珍しく、中将の前で直立不動の姿勢を取ると、航空参謀はいった。

「はい、閣下。詳細は法務参謀に任せましたが、おおよそは判明しました。

 ボルツァーノは右舷に魚雷一発、艦中央部に爆弾…おそらく900㎏弾一発を被弾しました。ボルツァーノ艦長の報告によれば、魚雷命中箇所は右舷後部。舵とスクリューが破損したらしく、航行に支障が出ています。

 まぁそれ以前にあの調子では走れそうもありませんがね」

 そう言うと航空参謀も、先ほどまで中将が艦橋の窓の彼方に見ていた方向へと視線を向けた。

 そこには、必死の消火活動にもかかわらず、未だに煙突より後を真っ赤に燃えさからせているボルツァーノの姿が見えた。


 半ば無理矢理に視線を逸らしながら、航空参謀が続けた。

「幸い、といっては何ですが、他の艦には殆ど損害は出ていません。艦隊の一番前を走っていたボルツァーノが被害を引き受けてくれたようなもんですな」

「前衛を任せたボルツァーノには悪いことをしたな…それで、ボルツァーノは助かりそうかな」

「隊内電話で話してみましたが、艦長は消火に自信を持っているようです。煙突は無事だから、艦内の各機関は今でもほぼ通常通り動かせるようなので、動力が絶える心配はないのだとか…ただし」

 中将は大きくため息を付いて、航空参謀の台詞のあとを続けた。

「艦隊への随伴は不可能、か…」

 航空参謀は大きく頷いた。

「消火に成功しても元の速力は出せんでしょう。かといって消火に成功すれば自航も可能な艦を安々と沈めるわけにもイカンですな…どうされますか」


 しばらくの間、中将は背もたれに寄りかかって考え込んでいた。

 航空参謀は、さしたる考えもなく周囲を見渡していた。

 本来であれば、参謀長や作戦参謀が意見を述べるべき場所だったが、今の艦隊司令部にはそのような人員はいなかった。



 結局、食あたりで全滅した本来の艦隊司令部は出撃できなかった。

 その代理として艦隊の指揮を撮ることとなったタラント軍港司令官である中将だったが、彼のスタッフは、航空参謀以外は、タラント軍港司令部から引きぬいた何人かの将兵しかいなかった。

 艦隊不在時の指揮統制の為にタラント軍港司令部から多くの人員を引き抜ことは出来なかったし、本来の艦隊司令部は航空参謀以外全滅していたからだ。

 だから、本来は別に司令部艦橋が用意されているリットリオ級だったが、人員が少なすぎるために、そちらを使用せずに、一層下の本艦用の艦橋に司令官も同居していた。


 航空参謀も今では、臨時の参謀長を兼ねていた。

 もっとも彼以外の参謀は、食当たりの原因となった壮行会に出席しなかった補給参謀とタラント軍港司令部から引きぬかれて雑用を押し付けられた法務参謀しかいなかったが。



 考え込んでいた間、閉じられていた中将の目が開けられた。

 その様子に、航空参謀も視線を忙しげに将兵が行き交うヴィットリオ・ヴェネトの艦橋から、中将に向け直した。

「ボルツァーノ以外にほとんど被害は出ていないと言ったが、何らかの損害を受けた駆逐艦がいるだろうか」

 航空参謀は、首をかしげながら、脳内でうろ覚えのリストをいじくりまわしてからしばらくして、かろうじて思い出しながらいった。

「確か…アスカリが対空戦闘中に機銃弾を受けていたはずですな。損害はほとんどなし、運が悪い水兵が一人軽傷…だったかな」

 大きく一度頷くと、中将はまっすぐに航空参謀を見ながらいった。

「よろしい、ではボルツァーノは艦隊より切り離す。ボルツァーノには駆逐艦アスカリを護衛としてつける。両艦はボルツァーノ消火が終わり次第、タラントへ帰還せよ」

 航空参謀は、中将の命令をメモに書き留めると、伝令に命じて通信長に渡すようにいったが、伝令が去るよりも早く、中将が呼び止めた。


「君、その内容に付け加えてくれたまえ、ボルツァーノ艦長は艦の保全よりも乗員の生存を優先すること。なお乗員には艦長他幹部も含まれる…書き留めたな、よろしいでは行きたまえ」

 直接中将から声をかけられたまだ歳若そうな伝令の兵は、緊張と興奮で硬直した顔で、敬礼を行うと慌てて艦橋を飛び出していった。


 後退を許可されたボルツァーノだったが、彼らが本隊よりも安全かどうかは、まだわからなかった。

 戦闘の行われる海域から逃れられたのは事実だが、単独行は、対空射撃による相互支援や、水上戦闘機による防空の傘からも切り離されるのを意味している。

 後方への退避中に再び敵艦載機から空襲されたり、一旦接触を絶たれた敵巡洋艦艦隊から襲撃を受ける可能性は少なくなかった。

 ボルツァーノ艦長の判断次第だが、場合によっては、足手まといになる損傷したボルツァーノを放棄して、アスカリのみでの退避を強いられる可能性もあった。


 戦闘の詳細をまとめ終わったらしい法務参謀が、紙束を手に近づいてきた。

 航空参謀は、中将に一礼すると再び艦内電話に向かっていた。

 そろそろ空母ファルコに艦載機が収容される頃だった。

 先ほどの戦闘に関して、搭乗員から直に話を聞く必要があった。




 ヴィットリオ・ヴェネトの艦橋から、航空参謀と中将は、痛ましそうな目で、ボルツァーノとその周囲を所在なげに回頭を続けるアスカリの姿を見つめた。

 敵艦隊の逃走方向に、進撃を再開したヴィットリオ・ヴェネトを始めとする艦隊主力は、次第にボルツァーノから離れつつあった。

 さらに、残存の重巡洋艦から索敵のための水上機も射出されていた。

 すでに生き残った水上戦闘機アストーレも回収されて、新たな機体が空母ファルコのカタパルトに据え付けられて、いつでも出撃できるように緊急発進位置についていた。


 そのような空母ファルコの様子は一見すると頼もしげだったが、そこから発進した艦載機は、さきほどの戦闘で大きな損害を受けていた。

「航空参謀、先ほどの空戦だが…航空隊の、アストーレの損害はどれくらいだろうか」

 中将は、航空隊の戦力に懸念を抱いているようだった。

 無理もなかった。当初の予想とは、敵機が全く異なっていたからだ。


 航空参謀は、間髪をいれずに回答した。

 その質問も回答も予め予想済みだったからだ。

「まず、空母ファルコのレーダーによる発見後に緊急発進機が発進、これはカタパルト三機分で一個小隊三機、次に緊急発進した小隊の接敵前にボルツァーノからの敵機発見の報をうけて二個小隊六機が出撃、追加でさらに一個小隊三機、計十二機が出撃してます」

 さすがに、専門である空戦のことであるだけに、状況を把握している航空参謀の報告は詳しかった。中将も一々頷きながら聞いていた。

「これはファルコの搭載機数の半数を超え、実質上の全開出撃でした。

 で、出撃数十二機の内、未帰還機は四機、残りの八機も半分は使い物になりません」

「そんなに損害を受けたのか…」

「いやぁ、帰還機の半数が敵機との交戦中に機動性を高めるためにフロートを投棄してしまったようです。それで着水できずに搭乗員だけ回収しました。

 フロートをつけたままの機体の内、一機は被弾箇所が多すぎて使用不可、一機はフロートを投下しようとしたが、外れなかったようで、どのみち再整備に時間がかかりそうです。

 まぁそんな訳で、すぐにまた使えるのは、ビスレーリとロンギの二人の機体だけです」

「ずいぶん損害を受けてしまったな…やはり敵機はアレなのか」

「先刻ビスレーリとロンギに直接確認して見ましたが、十中八九、日本軍の新型戦闘機、ゼロファイターとかいうやつです」

 ゼロファイターの名前を聞くと、中将は静かに唸り声をあげていた。



 日本軍の新型戦闘機零式戦闘機が、枢軸国軍の前に姿を表したのは、前年度の英国本土航空戦での事だった。

 英国本土上空に侵攻するドイツ空軍機を迎え撃つ英国空軍機の中に、見慣れない空冷単発戦闘機が存在しているという報告が始まりだった。

 発見された機数は少なく、遭遇した搭乗員達の報告をまとめると、一個飛行隊程度でしか無かったようだった。

 ただし、激戦区である英国空軍第11集団戦区に配備されていたことからもわかるように、搭乗員達はかなり高練度であったらしく、零式戦闘機が配備された飛行隊による損害はかなり大きかった。

 質が優れていたのは搭乗員たちばかりではなかった。

 その装備である戦闘機の性能も侮れなかった。

 ドイツ空軍の主力戦闘機であるBf109Eが垂直面の機動性に優れた重戦闘機であるのに対して、スピットファイヤ同様に新型戦闘機は水平面の旋回性能に優れた軽戦闘機よりの機体だった。

 しかし、機体は脆弱であったが、その機動性はスピットファイヤをも上回るものがあったらしい。

 そのうえ、7.7ミリ機銃を装備したスピットファイヤよりも火力は大きいらしく、He111などの爆撃機には危険極まりない相手だった。


 実は、中立国経由の情報で、その新型戦闘機が、日本製の零式戦闘機であるということが判明するのよりも前に、枢軸国軍の搭乗員達の間では、新型は日本海軍のものであるらしいという噂が出回っていた。

 確かに新型戦闘機も、日本軍の標識である単純な赤い丸のラウンデルではなく、他の機体同様に英国空軍のラウンデルや迷彩色で塗装されていたが、周囲に展開する部隊が日本海軍の九六式であったり、時たま日本陸軍の九七式戦闘機を使用していたことや、日本軍が開発した戦闘機に特有の艤装が多かったからだ。


 この時期、日本帝国は正式に独伊に対して宣戦布告こそなされていなかったが、日本陸海軍はかなりの規模の戦闘機部隊を英国本土に展開していた。

 書類上の扱いは除隊した退役軍人が、義勇兵として参加しており、その機材は日本政府から英国政府に輸出したものとされていた。

 しかし、最新鋭戦闘機を装備した義勇兵部隊が、実質的には日本軍そのものであることは明白だった。



 だが、奇妙なことに英国本土決戦当時に多少の抗議文が送られた程度で、ドイツ側が義勇飛行隊に対して示した政治的な反応は薄かった。

 実質的には義勇兵部隊が日本軍そのものであっても、英国本土より外に出ない限り、その存在は黙殺されていた。

 それどころか、ヒトラー総統らドイツ政府首脳部は、日本帝国の仲介による英国との講話すら検討しているらしかった。

 宣戦布告が為されていないとはいえ、準交戦国ともいえる日本に対して過大な期待をしているようにも見えたが、そこにはナチス党と日本の政財界とのつながりがあった故だった。


 実は、ヒトラー総統率いるナチス党が、1930年代にドイツ政界で第一党を占めていく過程の中で、最も積極的に支援を行なっていた外国勢力はシベリアーロシア帝国と他ならぬ日本帝国だった。

 当時、技術提携によるつながりのあったドイツ企業を通じて流れ込んだ金額は、かなりのものであったらしく、それらの政治資金を背景としてナチス党はその勢力を拡大していった。

 日本帝国やシベリアーロシア帝国が表立たない迂遠なやり方でナチス党を支援していたのは、両国にとって主敵であるソビエトと実質的に国境を接するドイツ国内において、欧州大戦の配線以後にソビエト政府と親和的と思われるスパルタクス団の様な左翼政党が勢力を拡大していたからだ。

 欧州大戦で敗れたりとはいえ、ドイツの軍事力、技術力には侮りがたいものがあった。

 もしもそのドイツ政権が共産主義化して、ソビエト政府の同盟国となれば、日本帝国などにとって大きな脅威となるのは間違いなかっただろう。

 逆に、ドイツを手懐けておければ、強大なソビエトを東のシベリアーロシア帝国と、西のドイツとで挟撃することが可能だった。


 これはドイツを挟撃の同胞ではなく、共産主義国家ソビエトに対する防波堤と考えれば英国もほぼ同様の方針だった。

 さらに英国にとってすれば、ドイツが程よい勢力を保つことは、仏に対する牽制ともなった。

 実際、英国も、日本帝国ほど積極的ではないにせよ、ナチス党に支援を行なっていた。



 しかし、そういった三大立憲主義国家による支援が、ナチス党の指導者層にとって一種の甘えを生じさせたきっかけだったのかもしれなかった。

 日本帝国とナチスドイツとの蜜月関係は、1939年の独ソ不可侵条約によって崩壊していたからだ。

 ヒトラー総統らにすれば、独ソ不可侵条約は単なる時間稼ぎに過ぎず、ドイツが反共国家であることに変わりはないのだから、日本帝国などもそれを理解してくれるだろうという判断だったのかもしれないが、これまで反共という観点から支援してきた日本などはこれを裏切りと判断して支援を絶っていた。

 最も、実のところはそれ以前からナチス党の過激な思想から、日本帝国などは支援の手を引きたがっており、独ソ不可侵条約は格好の切っ掛けとなったのではないのかと判断するものも多かった。


 いずれにせよ日独間の政治的な断絶と同時に、両国企業の技術交流も途絶えていた。

 だから、それ以後に制式採用されたと思われる零式戦闘機は、独伊軍にとっては未知の戦闘機だったのだ。



 イタリア海軍にとって未知であったのは零式戦闘機だけではなかった。

 それを運用する日本軍が、英国側で参戦する可能性はないのか、ドイツ首脳陣の期待に反して日本帝国が宣戦布告を行なってくるとすればいつのタイミングとなるのか。

 彼らにとってみれば、タイミングがいつであろうと日本軍の参戦は、戦線の崩壊を招きかねない要素となるはずだった。

 ムッソリーニ総帥らがどう考えているのかはわからないが、義勇兵部隊まで派遣した日本軍が適当な所でお茶を濁して終わるとは思えなかった。

 そして、日本軍の戦力は彼らからすれば強大だった。


 彼らの不安には、根拠が無いわけではなかった。

 実はつい最近まで、日本海軍の有力な艦隊が地中海に存在していたのだ。

 それは、ドイツ及びその支配領域から追放されたユダヤ人達をマダガスカル島まで輸送する護衛部隊だった。


 ナチスドイツによって計画されていたユダヤ人のマダガスカル移送計画は、フランスの降伏とヴィシー政権の樹立によって本格化したが、実際には戦時中のマダガスカルまでの移送手段の欠如によって頓挫しようとしていた。

 そこに国際連盟と中立国を経由して輸送計画の実行に名乗りでたのが日本帝国だった。

 だが、人道的見解からという理由でハンブルク港にかき集められたユダヤ人達の前に現れたのは、日本国籍の客船や貨客船ばかりではなかった。

 それまで日本軍の秘匿兵器であったはずの揚陸艦や空母、更には戦艦まで所属する大規模な護衛部隊が随伴していたのだ。

 表向きは、独英双方の交戦国からユダヤ人ら民間人を保護するためと説明されていたが、実際には独伊枢軸国側に対する牽制ではなかったのか。


 護衛部隊は、日本海軍全体からすればさほどでもない戦力だったが、独伊海軍からすれば強大極まりない戦力だった。

 あの護衛部隊だけでも、英地中海艦隊に匹敵したのではないのか。

 数カ月前に地中海を悠々と通過していった日本海軍の艨艟からは、そのような剣呑さが感じられていた。

 それは決して間違いではないはずだった。

 広大な太平洋を挟んで米国海軍と大事する日本海軍は、今次大戦に今まで関わって来なかったこともあって、今現在ではライバルである米海軍と並んて最も強力な戦力を保持していた。



 中将がゼロファイターの単語に反応したのはこのためだった。

 ゼロファイターの出現が日本軍の本格的な参戦を意味するのであれば、イタリア海軍はその強大な戦力に圧倒されて破局へと向かうのではないのか、そのように予想していたからだ。


「ゼロファイターは日本軍の中でも最新鋭の戦闘機であるはず…それが確認されたということは、本格的な日本軍の参戦を意味するのだろうか」

 真剣な顔で中将は言ったが、問われた方の航空参謀は、さほど緊張感の見えない表情で僅かに首をかしげただけだった。

「どうですかねぇ…俺は、さっき飛んできたのは日本がイギリスに売り渡したか、くれてやった機体じゃないかと思いますよ」

 中将は首をかしげた。

「輸出された機体…ですか。それはなにか根拠はあるのですか?」

「さっきビスレーリに聞いた話ですがね、敵機の機動が奇妙だったそうです」

 要領を得ないという顔で、中将は航空参謀を見つめた。

「旋回するときに、遠慮しているように大回りになった機体もあれば、逆に急すぎる機動で失速しそうになっていた機体もあったそうです。もしかすると搭乗員の方が機体に未だ慣れていないのか、純粋に半人前の新人なのかもしれませんな」

 中将は半ば唖然とした表情になっていった。

「ちょっと待ってくれ。つまりあなたはそんな未熟な搭乗員が乗る機体に、アストーレを駆る我が精鋭が手もなくやられてしまったと言うのか」

 航空参謀は、憮然とした表情になりながら答えた。

「こっちの出撃機と相手の戦闘機の数はフルマーを加えればほぼ互角、後は機体性能、特に速度差がモノを言ったんでしょう。

 俺がこんなことを言うのも何ですがね。相手をフルマーと誤認して油断していた奴がいたかもしれませんな。あれはアストーレと大して変わらない速度ですからな。

 実際ビスレーリとロンギは一機ずつ撃墜確実、他の奴らも何機か撃墜しているようですから、被害はたしかに多いが、必ずしも一方的な戦いではなかったようです」


 中将は、気落ちした様子だった。

「そうは言っても、そんな相手にいきなりこちらは航空戦力を半減させられたんだぞ。それに攻撃機を阻止することも出来なかった。相手の数も減っているとはいえ、次の空襲に耐えられるのだろうか…」

 その時、中将は悄然と顔を下げていた。

 だから、それを聞いた航空参謀の顔に、何かいたずらを思いついた悪童のような表情が浮かび始めていた事に気がつかなかった。

「確かに出撃数の減少した今、英国海軍による次の空襲に対して不利なのは事実でしょう…ところで出撃数を増やす方法ならあるのですが」

 訝しげな表情で中将は顔を挙げたが、航空参謀の後で、必死になって首を横に振っているボンディーノ大佐を見てから苦笑を浮かべた。

 航空参謀が何を言いたいのかわかってしまったからだ。

「ええ、本艦には予備機として一機アストーレを載せてあります。もちろん今まで戦闘には参加していませんから無傷ですし、燃料も搭載済み、本艦の優秀な飛行科の手にかかればすぐにカタパルトに設置することもできましょう、さらにパイロットに…」

「あなたが乗るというのでしょう。航空参謀」

 呆れたような顔で中将は言ったが、航空参謀は当然とばかりに胸を張っていた。

「当然です。俺のフォルゴーレ号には誰であれ指一本触れさせやしません」


 航空参謀自ら出撃するという宣言に、頭を抱えているボンディーノ大佐を横目で見ながら、呆れたような顔で中将は言った。

「あなたには私のそばで常に適切な助言を期待していたのですがね…」

「参謀長代理はもう厭きましたよ。これから先は閣下は敵艦隊との砲撃戦にもつれ込むつもりなのでしょう」

「…私はそれしかないと思います。確かにアストーレ隊はよくやってくれています。だが戦闘機では敵艦を沈めることはできない。ギリシャとアレキサンドリア間の交通を遮断するためには、敵艦隊を砲雷撃戦で殲滅する以外にないでしょう」

 眉をしかめながら中将が言った。

 実際のところ英地中海艦隊に対して、ギリシャ支援を断念させるほどの損害を与えることが可能なのかどうか、中将にはよく分からなかった。


「現役パイロットとしてそれを認めるのは癪ですがね、確かに今の飛行機にゃ戦艦を撃沈する力はありませんや。それにパイロットである自分が砲撃戦指揮に何かの役に立てるとも思えません。それくらいなら、自分ができる手段で王国のために奉公しますよ」

「それが一戦闘機パイロットとして出撃するという事だというのですか。あなたには参謀としてもっと広い視野で活躍して欲しいと考えていたのですが」

 航空参謀は苦笑して首を振った。

「閣下には申し訳ありませんが、自分では話し相手になることぐらいしか出来そうにありません。話し相手なら補給参謀でも十分務まりますよ。あいつは若いが、自分の仕事はできる男です」

 中将は大きくため息を付いた。

 まだボンディーノ大佐が恨めしそうな顔で首を振っているのは見えたが、航空参謀の決意は高そうだった。

「良いでしょう、出撃を許可します。ですが必ず無茶はしないことと、本艦に絶対に帰還することだけは守ってください。教官、あなたももう歳でしょう」

 中将は、そういってかつて自分に操縦技術を叩きこんでくれた男を見上げた。


 航空参謀は、にやりと笑うとおどけた敬礼をしかけた。

 彼の手が上がり切る前に、通信室からの報告を受け取った伝令の声が艦橋に響いた。

「ファルコより通信、レーダーに反応あり、方位…」

 航空参謀は、最期まで聞いていなかった。

 中将に強い目線を向けると一気に言った。

「直ちに迎撃機を上げるべきですな。早速俺も出撃させてもらいますよ。

 ボンディーノ、カタパルトに俺のフォルゴーレ号を準備させておいてくれ」

 後半はヴィットリオ・ヴェネト艦長のボンディーノ大佐に向けていたが、彼が反応するよりも早く、航空参謀はその短躯に見合わない素早さで艦橋から駆け出していった。

 こちらを伺うような、あるいは咎めるような目で見ているボンディーノ大佐に苦笑しながら、中将は言った。

「艦長、航空参謀の言うとおりに、彼の愛機を準備させておいてください。まぁ航空戦はこれで心配することもないでしょう…」

 ボンディーノ大佐は、ため息をつきながら艦橋に控えていた飛行長にカタパルトに紅いアストーレを準備させるように命じた。


 命令が終わってからボンディーノ大佐は、忌々しそうな声でいった。

「自分で出撃する参謀なんて聞いたこともありませんよ。悪い前例にならなければいいのですが…」

「心配することはないだろう艦長。自分で出撃する航空参謀が彼以外にいるとは思えないし、それを許可する艦隊司令官も私だけだろうよ」

 苦笑しながら中将が答えた。

「そうだといいのですが…まぁ確かに閣下の言われる通り、空中のことだけは彼に任せておけば十分でしょう」


 だが、彼らをあざ笑うかのように、アストーレを射出させた直後に、再び伝令の声が艦橋に響いた。

「ポーラ二番機より入電、敵艦隊見ゆ。敵艦隊は戦艦1,巡洋艦3,他多数」

 ボンディーノ大佐は思わず中将と顔を見合わせていた。

 水上偵察機が射出されてからさほど時間は経っていなかった。

 思ったよりも敵艦隊は至近距離にいたらしかった。


 中将は力強く頷くと立ち上がった。

「艦長、さっきも言ったとおり、空のことは航空参謀とファルコの諸君らに任せるとしよう。

 ファルコと第一航空戦隊を分離する。のこる艦隊は空中に警戒しつつ水上砲雷撃戦用意、一気に距離を詰めよう」

 堂々とした声に頷きながらボンディーノ大佐もヴィットリオ・ヴェネト各部署に命令を出していった。

 そのなかで、ふと気がついて、敵艦隊のいるであろう方向を見つめる中将の後ろ姿に目を向けた。

 ―――そういえばこの人が艦隊を指揮するのは初めてだったんじゃなかったのか。

 一見そうとは思えない中将の姿にボンディーノ大佐は安心感を覚えていた。

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