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1943シチリア海峡航空戦2

 ヴィシー・フランスに統治権を返還されたコルシカ島を経由して、イタリア領であるサルディーニャ島に展開したのは、プレー曹長達第3戦闘機大隊だけではなかった。

 使用機材もばらばらな戦闘機部隊に加えて、最新鋭のアミオ359装備部隊を含む爆撃機大隊もこの島に投入されており、総数では現地イタリア空軍の部隊を凌駕していた。


 だが、派遣されたヴィシー・フランス空軍部隊の任務は、サルディーニャ島の防衛だけにあるのではなかった。最終的な目的は北アフリカ戦線に取り残された枢軸軍の兵員を救出することにあったのだ。



 北アフリカ戦線が枢軸軍の敗北で終わりを告げようとしているなかで、北アフリカのフランス領アルジェリアに取り残された将兵たちの存在が独仏両国で大きな問題となっていた。


 結果的にこの方面の帰趨を決することになったエル・アラメインを巡る攻防戦で敗退した枢軸軍は、追撃する国際連盟軍に捕捉殲滅されることを恐れて、わずか2ヶ月ほどで一気にイタリア領リビア内を西進して、チェニジアまで撤退していた。

 その後は、新たにアルジェリアに派遣された部隊を含むヴィシー・フランス軍によって、チェニジアからアルジェリアまでの間に構築されていた陣地に収容されたこともあって一息をついていたが、アレクサンドリアからの海上補給路を確立するなど態勢を整えなおした国際連盟軍が自由フランス軍を先頭にした攻勢を再開したことで、アルジェリア全土を縦深とした持久防御に移行していた。


 自動車化の遅れに伴う機動力の低さから結果的に殿を務めることとなったイタリア軍は、その大半が機械化の進んだ国際連盟軍に捕捉されて捕虜となっていたが、それを除いても本国に帰還したロンメル元帥の後任としてアフリカ軍集団の司令官に就任したフォン・アルニム上級大将が無益な損耗を避けて持久防御に徹したこともあって捕虜にとられることもなくアルジェリア領内で生存している将兵の数は少なくなかった。

 戦闘の連続で各隊の正確な兵員数は分からなかったし、定数を大きく割り込んでいるのは確実だったが、師団数で9個、実兵員数でも独仏併せて20万名以上が生存していたのではないのか。


 この全てが正規の訓練を受けて、さらに実戦をくぐり抜けた将兵だとすると、この数は各戦線で熟練兵の損耗が激しくなっていたこの時期の枢軸軍にとって決して無視できないものだった。

 特に宣戦布告後初となる本格的な本土外への部隊派遣のために特に選抜された精鋭集団を送り込んだヴィシー・フランスにとってこの将兵が純減するのは許容できない事態だった。

 敗戦後も休戦軍として残されていた部隊が再生産されたフランス製兵器や一部ドイツ軍から供与された最新兵器で武装した北アフリカ派遣部隊は、現在のヴィシー・フランス軍にとって最精鋭の基幹戦力だった。

 ドイツ軍と違って、この精鋭集団を喪失した場合、ヴィシー・フランス軍は部隊の再編成に必要不可欠な実戦を経験した古参の下士官層を数多く失ってしまうから、軍の再建そのものが道半ばで頓挫してしまうかも知れなかったのだ。



 当然のことながらヴィシー・フランス軍総司令部を中心とした上級司令部では北アフリカからの将兵救出を幾度か計画していたが、これまでは最低限の弾薬や医薬品などを輸送する高速輸送艦隊の復路に負傷兵を連れ帰ることぐらいしか出来なかった。

 北アフリカ戦線からの撤退作戦が大々的に実施出来なかったのにはいくつかの理由があった。


 チェニジアでの戦闘が継続していた頃は、枢軸軍の最高指揮官といってもよいヒトラー総統が撤退を許可せずに死守命令を出していたのが主な理由だった。

 戦線がチェニジア内に留まっている間であれば、イタリア半島に最も近いボン岬半島からであればシチリア島まで二百キロにも満たない距離しか無かったから、海空路によってシチリア島を経由すれば最短時間で多くの将兵を撤退させることが出来るはずだったが、実際には大規模な人員の撤退が行われることなく戦線がチェニジアからアルジェリアまで西進してしまったために、空路を使用しての撤退は難しくなっていた。


 単純に戦線が西進したことでシチリア島、あるいはサルディーニャ島との距離が長くなったことで連絡が取りづらくなったのに加えて、陸上部隊と共に基地ごと前進してきた国際連盟軍の航空部隊によって制空権が握られたのが空路による撤退を難しくさせていた。


 枢軸軍に大型の爆撃機や輸送機、あるいは海軍の飛行艇などの北アフリカの枢軸軍戦線後方からイタリア領内まで飛行可能な機体が無いわけではなかった。

 しかし、長大な航続距離をもつそれらの機体は速度が遅い上に防御火力も貧弱な機体が多かったから、国際連盟軍の戦闘機、戦闘爆撃機の脅威に加えて長距離哨戒機による哨戒網が構築されていた空域を突破して友軍まで合流するのは難しかったのだ。

 第一、ドイツ空軍が本格的に機材の整備を開始したのは1935年の再軍備宣言以降になるから、取得価格が高い上に多くの乗員を必要とする大型機の配備数は少なかったから、空路で輸送できる人員はそれほど多くはなかったはずだ。



 ヒトラー総統の死守命令は、結局フォン・アルニム上級大将や地中海方面の総指揮を執るケッセルリンク元帥が、戦線がチェニジアで留まっている間に宥めすかして何とか説得して、より時間を稼ぐ為の持久防御に切り替えたことで最終的には撤回されていた。


 この死守命令は、ヒトラー総統の感情的な性格によるものと非難するものも少なくなかったが、実際には根拠の無い命令ではなかったようだった。

 どうやらヒトラー総統が恐れたのは、北アフリカの失陥後の状況のようだった。


 つまり、北アフリカ戦線が枢軸軍の敗退で終わることで、未だ十分な防衛体制の構築が進んでいないイタリア本土に国際連盟軍が大挙襲来する事態を招き、最終的にムッソリーニ政権の崩壊、すなわちイタリアの枢軸軍からの脱落に繋がるのではないということを恐れていたのではないのかというのだ。

 最終的にヒトラー総統がチェニジア内での死守命令を撤回したのも、フォン・アルニム上級大将やケッセルリンク元帥からの進言を聞き入れたためではなかったのかも知れなかった。

 同じ頃、チェニジア領内で一時的に停滞していた戦線内で、国際連盟軍の主力が日英両軍から旧仏領インドシナなどから徴集した兵で構成された自由フランス軍に交代していたのが主な理由だったのではないのか。


 おそらくは、自由フランスの首脳陣が戦後の発言権などを考慮して、旧フランス領であるアルジェリア領内に友軍とはいえ他国軍が進攻するのを良しとしなかったのだろうが、裏を返せばこれまで北アフリカ戦線の枢軸軍が拘束していた有力な日英両軍に自由な行動の余地を与えたと言っても良かった。


 急遽徴集した兵で構成された自由フランス軍自体は比較的弱体ではあったものの、日英から供与されたらしい多くの最新兵器を装備していた上に後から確認された後詰の英国軍だけで10個師団相当はあったから、これまでの戦闘で損耗していた枢軸軍が自由フランス軍の戦線を突破するのは不可能に近かった。

 つまり、日英両軍を再度拘束することは無理だったのだ。


 それでヒトラー総統の関心は北アフリカ戦線の国際連盟軍の拘束から、イタリア本土の防衛体制の強化に移っていったのだろう。あるいは、地中海戦線以上に悪化を続ける東部戦線の方が気になっていたのかもしれないが。



 チェニジアからアルジェリアに戦線が移動した後も撤退がうまく行かなかったのはまた別の理由もあった。


 空路による撤退は時間がかかりすぎるし、貴重な大型機の損失が多すぎて割に合わなかったはずだ。アルジェリア内を戦線が西進したことで、サルディーニャ島を中継地として使用することが現実的ではなくなっていたから、そもそも一部の大型飛行艇以外は往復飛行そのものが困難だったのではないのか。


 現実的な方法は可能なかぎり高速で大型の輸送船を多数投入して海路で脱出させるしか無かったが、これにも問題があった。

 北アフリカ戦線における地上戦闘の趨勢が国際連盟軍側に優位に傾き始めた頃から、地中海全域における制海権もまた国際連盟軍に奪取されようとしていた。


 むしろ、エル・アラメインを巡る攻防戦で枢軸軍が敗北したのも、マルタ島沖海戦において投入された独伊仏連合艦隊が大損害を受けて制海権が国際連盟軍側に大きく傾いたのが一因とも考えられた。

 先に攻勢を仕掛けたドイツアフリカ軍団が息切れして衝撃力を失うことで当初の目標であるアレクサンドリアまで辿りつけなかったのも、国際連盟軍地上部隊による反撃に加えて、有力な日本海軍艦隊による艦砲射撃によって前進を遮られたのも原因の一つだったからだ。



 そして、ドイツ海軍が地中海から撤退した後、イタリア海軍とヴィシー・フランス海軍はそれぞれ母港で戦力の回復に努めざるを得なかったが、そのような状況でも北アフリカ戦線へ補給を行うために輸送船団の護衛戦力は派遣せざるを得なかった。

 だが、常時輸送船団に満足な護衛を随伴させることは難しかった。


 マルタ島沖海戦では国際連盟軍もまた枢軸軍に匹敵するほど大きな損害を被ったものの、独仏伊三国の海軍と比べると海洋国家である日英両海軍は、元々の規模も戦時における造修能力も隔絶していたから、アレクサンドリアを拠点とする国際連盟軍艦隊は短時間で戦力を回復させていたのだ。

 しかも、マルタ島沖海戦後は仏伊の艦隊戦力が大きく低下したことから、大規模な戦闘が生起する可能性が低下したと判断していたのか、小規模ながら機動力の高い小艦隊や潜水艦隊といった通商破壊戦に対応した戦力が充実していたから、輸送船団の護衛部隊が護衛対象ごと大きな損害を受ける例が少なくなかったのだ。



 再編成中の艦隊から抽出された少数の護衛戦力が損害を受け、その結果帰還した艦を投入する予定だった次の護衛部隊の戦力が不足するという悪循環に陥った結果、ヴィシー・フランス海軍はマルタ島沖海戦から約一年が経って戦艦などの主力艦が次第に稼動状態に修復されていく一方で、軽快艦艇戦力は不足しがちになっていた。


 更に間の悪いことに、少数の偵察機による北アフリカへの偵察や諜報活動などから、国際連盟軍が揚陸艦艇やその支援艦艇などからなる有力な両用艦隊をアレクサンドリアに集結させているのが確認されていた。

 状況からして大規模な上陸作戦を国際連盟軍が企図しているのは間違いなかった。しかも両用艦隊の護衛か艦砲射撃用と思われる戦艦部隊までもが確認されていた。



 ヴィシー・フランス軍にとって最大の問題は、予想される国際連盟軍の上陸地点が複数存在するどれか特定出来ないことだった。

 もしもこの艦隊が北アフリカ戦線の枢軸軍にとどめを刺すために、自由フランス軍との挟撃を可能とするモロッコ周辺への上陸を意図しているのであれば、将兵の救出など不可能だった。

 残存するヴィシー・フランス海軍の艦隊戦力全てを投入したところで、地中海をモロッコに向けて横断する国際連盟軍艦隊を突破して北アフリカ戦線の枢軸側に最後に残された要港であるオランまでたどり着ける可能性は殆ど無かった。


 自由フランス軍のアルジェリアへの単独進攻などの経緯からすると、おそらくは国際連盟軍の目標はクレタ島を含むギリシャ方面か、シチリア島の可能性が高いと思われたが、その場合も鈍足の輸送船団を北アフリカまで送り込んだ場合、艦砲射撃用の戦艦群や揚陸艦護衛部隊から高速艦を抽出された場合、ヴィシー・フランス海軍に残された護衛艦では一蹴されるのが目に見えていた。



 この状況でヴィシー・フランス軍参謀本部が確実に大規模な輸送船団を北アフリカまで送るこむために立てた作戦は投機的なものだった。


 国際連盟軍の予想襲来目標をシチリア島に絞ったうえで、揚陸作戦がある程度進行して敵艦隊がシチリア島に釘付けになった瞬間に、まずヴィシー・フランスに残された最後の戦力と言っても過言ではない有力な戦闘艦ばかりで構成された2つの高速艦隊を送り込んで国際連盟軍の高速艦隊を拘束する。

 そのうえで最低でも敵艦隊に再編成が必要な損害を与えることで、シチリア島への上陸かヴィシー・フランス艦隊の追撃の2択を強要させている間に、輸送船団を北アフリカに送り込もうとしていたのだ。


 サルディーニャ島に送り込まれたプレー曹長達の部隊群に与えられた本来の目的は、この高速艦隊の上空援護を行うこととと、その後に国際連盟軍艦隊がフランス本土と北アフリカ間に広がるバレアレス海に向けて部隊を分離した際には、これを阻止することまで求められていた。



 そしてプレー曹長が聞いた限りでは、ヴィシー・フランス軍上層部のそのような思惑は概ね成功したと言っても良さそうだった。

 プレー曹長達が上空援護を行った高速艦隊は、ほとんど部隊が半壊するほどの艦艇の喪失と引き換えに、国際連盟軍艦隊に無視できない損害を与えていた。

 そしてその間に北アフリカに到達した輸送船団は、最高指揮官であるフォン・アルニム上級大将が自ら率いた一部の殿部隊による奮戦で自由フランス軍に大損害を与えたこともあって、多くの将兵を救出することに成功していた。

 救出された将兵の中には、フォン・アルニム上級大将は含まれていなかったらしいが、撤退作戦は概ね成功したと言っても間違いは無かっただろう。



 だが、その一方でプレー曹長達第3戦闘機大隊は、それまで無視されていたに等しいサルディーニャ島を国際連盟軍航空部隊が執拗に狙いだしたために、防空任務を継続せざるを得なかった。

 その激しい戦闘の中で、プレー曹長はヴィシー・フランス上層部にとって、この作戦は本当に救出を目的としたものだったのか、ふと疑問を抱いていた。

アミオ359の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/amiot359.html

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