1943シチリア上陸戦10
二式飛行艇からの報告によれば、西地中海を東進し続けているヴィシーフランス艦隊はそれぞれ2隻の戦艦を主力とする2群に分かれていた。二式飛行艇からの観測では、計4隻の戦艦はいずれも四連装砲塔2基を艦橋前方に集中した特異な配置をとっていた。
主砲の前方集中配置は英国海軍のネルソン級戦艦など他国でも例があったが、この配置で四連装砲塔を採用したのはフランス海軍だけだった。しかし、4隻の戦艦は2隻ずつで寸法が違うらしく、同型艦2隻で戦隊を組んでいるらしい。
2隻の戦艦には巡洋艦らしき戦闘艦3隻ずつが続航しており、さらに周囲を固めるように駆逐艦が随伴していた。艦型や艦隊航行速度からして戦艦に続く巡洋艦は、それぞれシュフラン級重巡洋艦2隻と重巡洋艦アルジェリー、もう一群がラガリソニエール級軽巡洋艦なのではないのか。
シュフラン級重巡洋艦2隻はいずれも1920年代の建造だが、それ以外はいずれもここ10年ほどの間に建造された新型艦と言っても良い存在だった。
それまでのフランス海軍の巡洋艦が艦種に対して比較的弱装甲であったのに対して、シュフラン級重巡洋艦は同世代の他国海軍巡洋艦に匹敵する装甲を施された艦だった。
同型艦のないアルジェリーはこの重装甲路線を更に推し進めて、列強の重巡洋艦の中でも随一の重装甲を持つことから、イタリア海軍のザラ級などと同様に準戦艦ともいうべき存在だった。
もう一群を構成するラガリソニエール級軽巡洋艦も、自艦が装備する軽巡洋艦級用の備砲に耐久しうる装甲を、フランス海軍の軽巡洋艦としては初めて備えた重装甲の艦だった。
ただし、高速のダンケルク級戦艦に随伴出来ることが求められていたことからわかるように、ラガリソニエール級軽巡洋艦は重装甲でありながら30ノットを超える高速艦でもあった。
これはシュフラン級重巡洋艦、重巡洋艦アルジェリーも同様だから、この艦隊が速力を重視して編成されているのは明白だった。
あるいは、この艦隊は少数精鋭を目指した艦隊であるといっても良かったかもしれなかった。随伴する駆逐艦がいずれも大型駆逐艦であったからだ。ロンドン軍縮条約に批准しなかったフランス海軍は、軍縮条約の規定を超える外洋型大型駆逐艦の建造を行っていた。
建造費用が高いことから、基準排水量で千五百トン程度の従来型駆逐艦の建造も平行して行われていたが、今回確認されたのは基準排水量で二千トンを超える大型駆逐艦ばかりだった。
その数はそれぞれの群に対して1個駆逐隊3乃至4隻と少数ではあったが、フランス海軍の最新型大型駆逐艦であるモガドル級では13.8センチ連装砲塔4基計8門に55センチ魚雷が計10射線という重装備と40ノット弱という高速性能を併せ持っていた。
おそらくフランス海軍大型駆逐艦の実戦力は、マルタ島沖で撃沈された日本海軍の小型軽巡洋艦である夕張をも上回っているはずだから、数は少なくともその戦闘能力は軽視できなかった。
そして、これらの戦闘艦の先頭に立つ2隻ずつ、計4隻の戦艦は、おそらくダンケルク級戦艦ダンケルクとストラトブールの2隻、そしてそのダンケルク級と基本的な配置が同一ということはその発展型とも言えるリシュリュー級戦艦であると思われた。
ドイツ海軍の装甲艦建造に対抗して建造が開始されたダンケルク級戦艦は、主砲口径は33センチ砲と1930年代に建造された新型戦艦にしては小口径であり、排水量も軍縮条約の規定を下回る三万トン弱という中型戦艦ともいえる艦だったが、30ノット以上の速力をほこる高速性能と有力な防御力を有していた。
主砲口径や4連装砲塔という特異な艦型からその戦闘能力には疑問が抱かれていたが、先のマルタ島沖海戦では2隻が揃って参戦し、英海軍の巡洋戦艦レパルスを撃沈する戦果をあげていた。
確かに主砲口径は小さいものの初速はかなり高く、また従来よりも弾体の比重が大きく細長い砲弾を使用しているのか、口径と比べるとその威力は大きいらしいから、実際には13インチ級ではなく、従来の14インチ級戦艦に匹敵する砲力を有していると最近では分析されていた。
ダンケルクとストラトブールの2隻はマルタ島沖海戦で大損害を被った後、母港であるトゥーロンで修理工事を受けていたらしいが、今回の出動を見る限り先の海戦で被った損害は英国海軍が海戦当時に報道したほど大規模なものではなかったのかもしれない。
リシュリュー級戦艦は基本的な配置は前級ダンケルク級と同様に4連装砲塔2基を艦橋前方に備えていたが、その主砲はドイツ海軍のビスマルク級戦艦やイタリア海軍のヴィットリオ・ヴェネトに対抗するためか38センチ砲に拡大されていた。
45口径と砲身長はさほどではないが、ダンケルク級と同じく高炸薬量での発砲が前提であるとすれば、その威力は軍縮条約の戦艦規定一杯の16インチ級砲にも匹敵するのではないのか。
だが、国際連盟軍ではリシュリュー級戦艦の正確な戦力を把握していなかった。4隻が計画されていたリシュリュー級戦艦は対独戦の敗戦でフランスが降伏した時点でも未完成状態で、当時の友軍であった英国海軍にも正確な情報は伝えられていなかったらしいのだ。
フランス降伏時には1番艦リシュリューと2番艦ジャン・バールの2隻が進水を終えて艤装工事中で、3番艦クレマンソーは船渠工事中の状態だった。4番艦以降も建造予算まで承認されていたらしいが、今次大戦勃発の影響で未起工状態で計画中止となったらしい。
ただし、正確な情報があったのは曲がりなりにも英国と同盟関係にあった時点で戦力化間近であった1番艦リシュリューと2番艦ジャン・バールまでで、3番艦クレマンソーはどの程度まで工事が進捗していたのかは不明なままだった。
リシュリューとジャン・バールはヴィシーフランス政権樹立後に他の艦隊と合流するためにトゥーロンに向かった後、艤装工事を進めているか、工事を断念して係留状態となっているとされていた。
ヴィシーフランスの乏しい生産力からするとジャン・バールからリシュリューに部品を融通して1隻だけでも戦力化しているとの分析もあった。
マルタ島沖海戦でもリシュリュー級戦艦の姿は見えなかったことから最近では戦局の悪化から艤装工事を断念して放棄されたのではないのかという見方が強かったのだが、実際には密かに2隻揃って戦力化を果たしていたようだった。
リシュリュー級戦艦には不明点が多かった。詳細な性能はもちろんだが、3番艦クレマンソーはドイツ占領下のブレスト造船所で鹵獲された際にはすでに放棄状態であったというのが最後の詳細情報で、そののちはフランス国内の数少ない情報源であるレジスタンスや国内向けの報道による推測情報しかなかった。
造船所の船渠を空けるためにドイツ軍の監督下で最低限の浮揚能力を得る目的で船体工事のみが進められたというのが有力な説だった。だが実際には船渠内で工事が進められているのは確認されたものの、その目的までは分からなかった。
クレマンソーは1番艦リシュリューの工事開始後に起工されたために設計段階での改良点も少なくないらしく、その詳細な艦型は不明だった。
それに4番艦以降も実際には何隻かは起工されたか一部機材の事前発注段階にあり、その物資がドイツ軍が興味を示したというクレマンソーの再開された建造工事に流用されているのではないのかとの憶測もあった。
自由フランスでもリシュリュー級戦艦の詳細情報は掴んでいなかった。彼らの多くは代表であるド・ゴール准将の様にフランス降伏時に英国本土に亡命さながらに逃れてきたものだったから、軍政に通じた軍官僚などは殆どいなかった。
数少ない海軍からの参加者もさほど規模の大きくない植民地防衛部隊ばかりだったから、やはり中央の事情に明るいものはいなかった。
今回確認された2群のフランス艦隊が計4隻の戦艦を投入したのに対して、日本海軍は第1航空艦隊に6隻の戦艦を配属させていた。つまり常陸型常陸、駿河、磐城型磐城、播磨、そして金剛型金剛、比叡の3型計6隻だった。
さらに隣接する海域では、日本陸軍遣欧第1、第2軍と同時に上陸を行う英国陸軍第8軍の支援を行うために英国海軍地中海艦隊主力が展開していた。
サイフレット中将率いるこの艦隊にはネルソン級ネルソン、ロドニーが艦砲射撃任務のために配属されており、さらに遊撃部隊として主力から分離されたK部隊と呼ばれる独立部隊があり、こちらにもキング・ジョージ5世級戦艦のキング・ジョージ5世、プリンス・オブ・ウェールズの2隻があった。
日英合計で10隻の戦艦に加えて、当然の事ながら巡洋艦の数も多く、駆逐艦に至っては駆逐隊どころか複数の水雷戦隊まで展開しているのだから、一見すれば国際連盟軍は戦艦4隻を基幹戦力とする今回出動したフランス艦隊を圧倒しているはずだった。
だが、実際には複数の原因からそれほど単純には行かないはずだった。
確かに日英合わせて10隻の戦艦が配属されてはいるものの、実際にこの全てをフランス艦隊の迎撃に投入することはできなかった。今でも海岸近くを確保したばかりの上陸第一波部隊が艦砲射撃による援護を求めていたからだ。
今回の作戦で上陸第一波として投入された部隊は揚陸戦のための機材を集中配備されていた陸軍第5師団と海軍第2陸戦師団を中核としていたが、本来は遣欧第1軍の軍直轄部隊である砲兵情報連隊の一部も分派されて両師団に配属されていた。
砲兵情報連隊は、同じく軍直轄部隊の重砲兵連隊が保有する大口径カノン砲、榴弾砲といった大威力長射程の射撃を支援するための着弾観測などを行う部隊で、北アフリカ戦線に派遣された部隊は特に観測用の気球中隊を制式採用されたばかりのオートジャイロ部隊に転換したばかりだった。
だが、上陸第一波に配属された砲兵情報連隊分遣隊が着弾観測を行うのは、大威力長射程と引き換えに砲列重量が大きいため、迅速な揚陸や砲列姿勢への移行までにも時間がかかる重砲兵連隊が保有する大口径砲ではなく、海軍の戦艦部隊による艦砲射撃だった。
上陸第一波が実際に上陸する前にも戦艦や一部の巡洋艦による沿岸陣地への艦砲射撃が実施されていたが、これは艦艇自身による観測か、事前に密かに侵入していた海軍特務陸戦隊による着弾観測支援を受けたものだったが、上陸第一波の揚陸直後は大威力の戦艦の艦砲射撃は一時的に中断していた。
そして上陸第一波に随伴する砲兵情報連隊分遣隊による要請によって再び艦砲射撃が行われるが、今度は内陸部の目標を射撃するために射程を伸ばして行うから、射撃艦艇からの直接観測は不可能となるし、それが可能なのも長射程の戦艦や一部の重巡洋艦に限られていた。
砲兵情報連隊分遣隊は、この艦砲射撃の着弾観測のために挺身観測車仕様の一式装甲兵車に海軍仕様の無線機を増設していた。
陸軍の砲兵情報連隊が、海軍の戦艦主砲の着弾観測を行うのは異例で変則的なことだが、上陸直後の揚陸部隊自前の砲兵部隊が砲列を敷くまでは艦艇がその代替りをするほかなかった。
そうでなければ上陸直後で戦闘態勢が十分に整っていない軽装備の上陸第一波が、重装備の敵逆襲部隊によって海に追い落とされてしまうかもしれないからだ。
だから、上陸海岸近くには上陸部隊の支援射撃を行うために常に戦艦や重巡洋艦を配置し続けなければならなかった。
仮に上陸部隊からの支援要請が全くなかったとしても海岸から大型戦闘艦をすべて引き抜くわけには行かなかった。この場合問題となるのは、今回出撃したフランス艦隊がいずれも最高速度30ノット程度の高速艦隊であることだった。
こちらの迎撃部隊も速度は同程度か、それよりもすこしばかり劣る程度だから、もしも高速の敵艦隊の捕捉に失敗した場合は無防備な上陸部隊に大火力の火砲を持つ戦艦群が襲いかかる危険があったのだ。
あるいは、案外フランス艦隊の出撃目的は、こちらにこのような疑心暗鬼をいだかせることそのものにあるのかもしれない。村松少佐はそう考え始めていた。
そうでなければ、この時期にヴィシー・フランス海軍が単独で積極的な行動に出る必要性は薄いのではないのか。彼らが本気で微妙な関係にあるイタリア防衛のために日英の艦隊に交戦を挑むとは思えなかったのだ。
周囲の第1航空艦隊の参謀達はさほど広いとはいえない鳥海の指揮所の中で隣り合うもの同士で議論を戦わせていた。
村松少佐を呼ぶ低い声がしたのはその時だった。慌てて少佐が振り返ると、指揮所の奥で南雲中将が海図を前に難しい顔をしていたのが見えた。実際に少佐に声をかけたのは参謀長の加来少将だったが、こちらは鋭い目をこちらに向けていた。
漠然とした予感を感じていた村松少佐は、加来少将の険しい目線や意味ありげな表情を見せる周囲の参謀にも構わずに、一直線に何事か考え込んでいる南雲中将のもとに向かっていた。
何を聞かれるのかは予想はしていたが、どう答えればいいのかはあまり良くわからなかった。
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