1943シチリア上陸戦5
咄嗟に急横転を掛けて敵弾を回避したデム軍曹は、そのまま操縦桿を引き付けると変則的なバレルロールに移行した。元々慣れない夜間飛行を行うために戦闘中にしては飛行速度は抑えてあったから、それで敵機を追い越させて自機の前に出すことが出来るはずだった。
だが、デム軍曹は敵機の後ろにつけたとしても積極的に射撃を行うつもりはなかった。相手がどう思っているのかは分からないが、少なくともこちら側は本格的な戦闘など行う必要はないからだ。
すでに敵重爆撃機編隊の拘束という初期の目的は完結したと考えても過言ではないはずだ。後はこの戦闘空域を離脱しても文句は言われないはずだ。
それに、単発単座の軽快な戦闘機に十分な支援もなしに夜間戦闘を実施させるのがそもそも誤っているのだから、最初から戦果など期待されていない戦闘で不必要な危険を侵す気にはにはなれなかったのだ。
デム軍曹はそう考えると、大回りのバレルロール中のGに耐えながら離脱のタイミングを計ろうとしていた。
奇妙なことに気がついたのはその時だった。
これまでデム軍曹はエンジン出力をそれ程上げずに飛行していた。だからBf109のエンジン排気炎は殆ど外部から確認することは出来なかったはずだ。今から思い起こしても、エンジンの両脇に伸びる排気管からは極近距離にある自機のコクピットからでも排気炎は見えなかったはずだ。
それに加えて最後の銃撃から何度か転進もしていたし、不用意に戦闘空域に向かって月明かりを背にして飛行して目撃されるのも慎重に避けていたはずだ。
要するに積極的な交戦を避けていたというだけなのだが、それだけに敵機から射撃対象となることがないようにしていたはずだった。よほど夜目が効くパイロットでもない限りデム軍曹のBf109を捉えることすら難しかったはずだ。
しかし、先ほどの銃撃はやけに正確な照準だった。咄嗟に殺気を感じ取ったデム軍曹が急横転を掛けなければ、大口径機銃弾の集中射撃でBf109は一撃で構造材を破壊されていたはずだ。
デム軍曹は背筋が凍り付きそうな予感がしていた。敵機の搭乗員が目視によること無くこちらを発見し、しかも正確な射撃を行ったとするならば、敵機には高精度のレーダーが搭載されているということを意味しているのではないのか。
しかもあれだけ濃密な大口径機銃弾を短時間に狭い散布界に集中できるということは、機首に機銃を集中配置した双発機なのではないのか。
勿論それは鈍重な重爆撃機を改造した応急戦闘機などではありえなかった。単発単座戦闘機程ではないにせよ当初から戦闘機として開発された、機動性と速度に優れる双発他座戦闘機であるはずだった。
Bf109が不意に揺られたことに気がついて、デム軍曹は咄嗟に操縦桿を強く握りしめていた。機体の振動はそれほど大きくはなかったし、短時間で終わっていた。おそらく至近距離を高速で通過した敵機の後方乱流域に入ってしまったのだろう。
しかし、それほど近距離を通過したにも関わらずデム軍曹がその敵機を確認できたのはほんの一瞬だった。しかも僅かな月明かりによる照り返しがなければ目視することさえ困難だったはずだ。
―――日本陸軍の二式複座戦闘機、か
一瞬の間にデム軍曹は敵機の機種を読み取っていた。あるいは僅かに確認できた機体の特徴を、予め想定していたそれと照合する作業を無意識のうちに行っていたという方が正確かもしれなかった。
この時期、ドイツ空軍が把握していた日本軍の双発夜間戦闘機は二機種あったが、いずれも長距離戦闘機として開発されていたらしい双発戦闘機を原型とした派生型であるようだった。
他に九七式重爆撃機を改造した夜間戦闘機型も確認されていたが、これは日本軍で運用されている形跡がないことから、どうやら英国空軍が輸入した機体に対して独自に改造を施したものであるようだった。
同じような双発夜間戦闘機を2機種、それもドイツ空軍のBf110とJu88の様に原型機の機種が戦闘機と爆撃機というふうに異なるわけでもないものがほぼ同時期に投入されたのは、どうやらそれぞれの夜間戦闘機を開発したのが陸軍と海軍で異なっていたかららしい。
欧州圏では、大規模な艦隊航空隊を持ち合わせていないドイツやイタリア、さらには多くの正規空母を保有する英国海軍でも海軍の航空行政は空軍の強い影響下にあったが、広大な太平洋を仮想戦場として想定せざるを得ない日本海軍は空母部隊だけではなく、大型の哨戒機、爆撃機などに加えて独自に開発された戦闘機すら保有する陸上航空部隊を有しているらしい。
その日本海軍が投入した夜間戦闘機月光は、マルタ島をめぐる戦闘で勇名を馳せていた。マルタ島沖会戦に前後して幾度も勃発した夜間戦闘でドイツ空軍が強行した夜間空中降下作戦に対する阻止作戦などを行っていたからだ。
月光は後部銃座が独立した銃塔となる英国空軍のデファイアントなどと似た機構を有していたが、双発機故の大出力を有していたためか速力はそれほど低くはなかった。少なくとも軽快な単座戦闘機はともかく夜間に侵入を図る爆撃機などを迎撃するには十分な機動性を持ち合わせていたようだ。
兵装も特徴的な銃塔に装備された連装20ミリ機銃に加えて左右主翼内にも各一門で計四門の20ミリ機銃を備えていた。
しかも機首に備えられた捜索、射撃管制を兼ねるらしいレーダーに加えて銃塔にも小型のレーダーが確認されており、並進状態で正確な銃撃にあったという爆撃機搭乗員の証言もあったらしい。
だが、デム軍曹の見たところでは、日本海軍の月光よりも同陸軍の二式複座戦闘機の夜間戦闘機仕様のほうが単発単座戦闘機にすればより剣呑な存在だった。
月光の原型となっているのは、二式複座戦闘機よりも早くから日本海軍の陸上部隊での運用が確認されていた双発戦闘機だったが、この原型機は専ら対地攻撃機として運用されているらしかった。
おそらくBf110等と同様に純粋な戦闘機として運用するには機動性が低すぎたのだろう。あるいは日本海軍独自の長距離雷撃機を支援するための長距離援護戦闘機として開発された原型機の要求からして無理があったのかもしれない。
これに対して二式複座戦闘機はおそらく当初から対戦闘機戦闘をも考慮してある程度の機動性を確保していたのではないのか。勿論単発単座の軽快な機体とは比べようもないが、その分は双発機故の高速度と機首に集中させた重武装を活かして一撃離脱に徹すればある程度は補えると考えていたのだろう。
月光と比べて一回り小さな機体寸法も、二式複座戦闘機の俊敏さを反映させているような気がしていた。
実際には日本陸軍も双発機でまともな対戦闘機戦闘は難しいと判断していたのか、主に対地攻撃機として運用されているのは月光と同様だったが、純粋な対地攻撃機というよりも、ドイツ空軍のFw190の様に戦闘爆撃機としての性格が強いようだった。
それに最近では原型機の空冷エンジンをおそらく英国のマーリンエンジンと思われる水冷エンジンに換装した派生型も確認されていた。この派生型は後部席周辺もより空気抵抗の少ない洗練された形状に整形されており、飛行速力が上昇しているらしい。
これまでに何度か確認されていた二式複座戦闘機の夜間戦闘機型もこの派生型を改造したものであるらしい。機首にはレーダーが装備されているために一部の銃兵装は撤去されているというが、先ほどの銃撃を見る限りでは大型の爆撃機などはともかく、単発の戦闘機に対しては十分な威力は残しているようだった。
後部銃座は撤去されているか、レーダー手に専念しているのか、これまでの戦闘では夜間戦闘機型が機体後部から銃撃したケースはないようだったが、錯綜しがちで単機行動の多くなる夜間戦闘に徹する限りでは編隊を組んで防御火力を集中させるのがセオリーの後部銃座の有用性はさほど高くはないから、そこを付け入ることはできなさそうだった。
第一、鈍重な重爆撃機ならばともかく、軽快な戦闘機が相手ではいくら夜間戦闘とはいえ月光のように機銃座自体の機動性を高めたところで限界が有るはずだった。
二式複座戦闘機の夜間戦闘機仕様は応急的なものに過ぎないとの噂もあったが、それが本当だとは思えなかった。先ほどデム軍曹のBf109を追い抜かした二式複座戦闘機からは至近距離を高速で通過されたにも関わらず排気炎は全く見えなかった。
詳細は確認できなかったが、おそらく排気管には出力上昇時などに発生する未燃焼ガスによって発生する排気炎を外部に漏らさないように、エンジン排気口から長く伸びるシュラウドが取り付けられているはずだ。
機銃も、銃口炎によるパイロットへの眩惑対策としてフラッシュハイダーなどが取り付けられているのかもしれない。
だが、排気管を延長させるシュラウドは設計が不確かだと排気圧が異常となり燃焼効率を悪化させてしまうらしい。しかし今の二式複座戦闘機は排気炎を全く見せない程だったのに、速度性能が低下している様子はまるでなかった。
実験機などではなく大規模に戦線に投入される実戦用の機に相当な試験や検討を経たのだろうそれが搭載されているということは、実用化に労力と資源を費やしたということではないのか。
何度も同一仕様の機体が目撃されていたことからも、少なくとも前線部隊が改造した機体などではあり得なかった。
デム軍曹は自分の迂闊さを呪っていた。少し考えれば予想できたことだった。
黎明後の戦闘のために単発単座の三式戦闘機まで随伴しているほど目の前に展開している日本陸軍の編隊は大規模で本格的なものだった。
逆に言えば彼らにそのような入念な準備を要求するほどパレルモに集結したドイツ空軍の戦力が強大であるということでもあるのだが、そうであればやはりパレルモに在地が確認、あるいは予想されていた夜間戦闘機から退避のきかない大規模編隊を防護するために日本軍が夜間戦闘機まで随伴させていても不可思議ではなかった。
あるいはこの二式複座戦闘機は、単発の三式戦闘機などと同じように純粋な護衛機ではなく、より積極的に出撃したドイツ空軍の夜間戦闘機をも駆逐することを目的としているのかも知れなかった。
Ju88のような高速とはいえ双発爆撃機を原形とした機体とは異なり、当初から対戦闘機戦闘をも想定して開発されたはずの複座戦闘機だから、対爆撃機戦闘よりも夜間戦闘機狩りには向いているのではないのか。
それにこれだけ多数の四発の大型機の編隊なのだから、使用する電磁波波長が短いために精度は高いが探知距離は短くなる小型の射撃管制用レーダーではなく、大型で探知距離の長い捜索用レーダーまで装備した電子戦機まで随伴していてもおかしくはなかった。
目の前を航過した夜間戦闘機仕様の二式複座戦闘機も、まるで捜索レーダーを装備した地上基地と同じように、そのような電子戦機の支援を受けているのではないのか。
冗談では無かった。デム軍曹は眉を大きくしかめていた。相手は唯でさえBf109よりも重武装の双発戦闘機なのだ。縦横無尽にBf109が機動出来る明るい昼間ならばともかく、視界の効かない夜間の戦闘でレーダーを有する夜間戦闘機と交戦するのは極めて不利だった。
三式戦闘機とBf109でお互いに目隠しをした人間同士が殴りあっていた時に、脇から急に目の見える人間が飛び込んできたようなものだ。やりようによっては相手はこちらの手の届かないところから一方的な攻撃を行うことが出来るのだ。
デム軍曹は勢い良く操縦桿を操作すると、二式複座戦闘機とは角度をつけた針路にBf109をのせていた。だが二式複座戦闘機から逆行する針路は取らなかった。
おそらく夜間戦闘機とは言え、双発戦闘機の限られるスペースに搭載されたレーダーは前方しか捜索できない探知距離や探知角度の狭い射撃管制用のものだから、予想外の角度に変針すれば針路を欺瞞できる可能性は高かった。
しかし長距離かつ広範囲の捜索用レーダーを装備する電子戦機が夜間戦闘機を支援していると考えれば、そのような付け入る隙すらないはずだった。
自機の不利を察知したデム軍曹は、続いてスロットルレバーを押し倒していた。ほんの僅かに遅れて、Bf109の機首に据え付けられたDB605水冷エンジンが一気に出力を上げていた。
プロペラ回転数とピッチがエンジンの回転数増大に追われるように急速に変化して、Bf109はこれまでのどこかのんびりとした飛行速度が嘘であったかのように急加速を開始していた。
デム軍曹の乗り込むコクピットからは、DB605が出力を一気に上昇させるとともに、純粋な昼間戦闘機であるために燃焼効率を再優先に追い求めて設計された短い排気管から勢い良く排気炎が吐き出されているのが見えていた。
おそらく周囲からもこの排気炎はよく見えるのだろうが、どうせ相手は視界がなくともこちらの位置を捉えられるレーダーを装備しているのだから、排気炎の増大に気を使っても無駄だった。
エンジン出力で言えばBf109と二式複座戦闘機はほとんど同じで双発の分相手のほうが有利だが、速度性能に直結する空気抵抗の少なさで言えば単発のBf109の方に分があるはずだ。
それならばここでその速度性能に掛けてみるのも悪くはないはずだ。それに二式複座戦闘機は爆撃機編隊に随伴して長駆進行する立場なのだから、貴重な燃料を大量消費してまで脱出を図るBf109を執拗に追跡する可能性はそれほど高くはない、はずだった。
だが、デム軍曹の予想に反して、その後も二式複座戦闘機の追撃は継続していた。速度性能で振り払おうにしてもさほどの差があるわけではないから、Bf109の操作を誤ってわずかでも速度を落とせばたちまち高精度の射撃を食らう可能性が高かった。
薄氷の上を歩くような緊張した飛行の中で、デム軍曹はふと前方に奇妙な機動を取る何機かの一式重爆撃機を見つけていた。
その機は、編隊を構成する他の多くの爆撃機から離れるように機動していたが、被弾による損傷から引返したり、脱落しようとしている機体ではなさそうだった。
単機で行動しているわけではない上に緩やかながら編隊から上昇していたからだ。おそらく飛行姿勢が他の編隊機から変化したために星明かりの反射光も変化してデム軍曹の目に止まったのだろう。
それらの機体は少なくとも2機いるようだった。しかも偶然なのだろうが、デム軍曹のBf109の針路とその一式重爆撃機の飛行針路は交差していた。
だが、すぐ後ろから二式複座戦闘機が追跡しているはずだから、飛行速度の低下を意味する旋回しての回避は難しかった。
たちまちの内に一式重爆撃機とBf109は急接近していた。感覚的には、視野いっぱいに迫り来るような気配すらある一式重爆撃機に恐怖したデム軍曹は、ほとんど無意識の内に機銃の引き金を引いていた。
ほぼ同時に相手も機銃を放っていたが、デム軍曹には不思議な事に防御機銃からの脅威は感じ取れなかった。その精度が低く、放たれた機銃弾はあさっての方向を薙いでいただけだったからだ。
おそらくBf109の後方を追尾する二式複座戦闘機に対する誤射を恐れたのだろう。そして誤射を恐れているのはぴたりと銃撃を停止した二式複座戦闘機も同じようだった。
それに対してデム軍曹のBf109から放たれた射弾は面白いほど一式重爆撃機に命中していた。本当にBf109と一式重爆撃機が交差軌道にあるものだから、機首前方に固定された機銃が命中したのかもしれない。
だが、その一撃で一式重爆撃機とBf109が衝突する可能性は消えていた。片翼に集中した命中弾がエンジンに何らかの損傷を与えたらしい。暗闇の中に真っ赤な明かりが唐突に生まれていた。
それに遅れて炎に照らしだされた一式重爆撃機ががくりと飛行姿勢を崩していた。
しかし、デム軍曹はその一式重爆撃機を撃墜できたとは思えなかった。命中弾があったとしてもそれ程多数であったとは思えない。
おそらくエンジン本体か燃料系統に命中した弾丸によって火災が発生しただけだ。しかも火災そのものは見た目は派手だが、最近の軍用機は消火装置も充実しているから一度や二度火災が起きたくらいでは撃墜には至らない場合も少なくなかった。
防御火力に加えて機体構造も頑丈な一式重爆撃機を確実に撃墜するつもりならば、構造材を一から破壊するつもりで掛からなければいけないとデム軍曹は考えていた。
ただし、この高度で飛行姿勢を急速に変えた時点でその機体の脱落は明らかだった。消火にさえ成功すれば飛行自体は可能かもしれないが、もう脅威とはならないはずだ。
デム軍曹は意を決すると、一式重爆撃機の脱落で生じた穴に飛び込むように一直線に飛行を続けていた。この二機編隊を飛び越してしまえば、今度は誤射の心配なく発砲が始まってしまうはずだ。
それまでに出来るだけ速度をつけて一目散に逃げ出すのだ。
デム軍曹が、飛行高度と速度を落としながらも、案の定エンジン近くから上がっている炎を急速に消し去ろうとしている一式重爆撃機のあちらこちらにアンテナカバーらしきものが増設されているのに気がついたのは、その機体の真上を飛び越すように通過した時だった。
もしかするとこの二機が電子戦機だったのかもしれない。再開した銃撃に後方から追われながら、ふとデム軍曹はそう考えていた。
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