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1943シチリア上陸戦3

 エンナへの降下作戦、すなわちシチリア島への上陸作戦が決行されるまでの間に特務遊撃隊が高々度降下法の訓練を北アフリカで実施できるのは一回だけだった。

 だが、それではすでにこの独特の降下法を訓練済みだった特務遊撃隊の隊員たちに勘を取り戻させるのには十分ではあっても、落下傘降下そのものの未経験者に特殊な装備を必要とする高々度降下法に必要な技術を取得させるのは不可能だった。


 このままでは二人のイタリア兵を目的地まで輸送することが出来なかった。この事実が判明した当初は二人を北アフリカの駐屯地に残置して特務遊撃隊の隊員のみで進出することも考えられたが、隊員たちの誰もがイタリア語の読み書きが満足に出来ない為に断念されていた。

 エンナ周辺での遊撃戦には現地の情勢や言語を理解するものが必要不可欠だった。効率よく襲撃作戦を実施するには事前の情報収集が必要不可欠だったが、それは航空偵察だけでは不可能なものもあったから、最終的には現地で判断せざるを得ない。

 この時土地の人間から情報を得られば確実だし、捕虜からの情報も期待できるが、それには現地の人間に怪しまれない程度にはイタリア語を話せる人材が必要だったのだ。



 この問題に対して指揮官である尚少佐の下した判断は意外なものだった。アルフォンソ伍長とヴィオーラ一等兵にそれぞれ一人づつの隊員を同行させて一緒に降下させてしまうというのだ。


 高々度降下とはいっても落下傘本体などの降下そのものに使用する機材は通常のものに改良を加えただけのものだった。この機材が最適解というわけではない。未だに高々度降下法には研究の余地があったが、現状採用されているのがこの型だということだ。そして、それぞれの隊員が使用する落下傘は規格化された同一のものだったから製造時の誤差を除いて寸法は同じはずだった。


 落下傘自体には開傘の開始から着地までの500メートルほどの短距離で装具を含めた兵員の重量を安全な速度まで急減速できるだけの能力があった。だからできるだけ体重の軽い隊員を選んで、装具を別の隊員に預けて身軽な状態になればもう一人を抱えて降下を行うのは不可能ではない。はずだった。

 イタリア兵二人は完全に荷物扱いになるが、それが一番安全で確実な方法だった。



 実際にはこれまで誰も試したことがないから、それしか方法がないにしても慎重に準備を整えておく必要があった。

 イタリア兵二人は、基本的に衣類以外の装備の一切を外させていた。高々度からの降下に必要な防寒衣と酸素吸入器以外はほとんど身に着けていないと言っても良かった。

 元々捕虜の身分であったから、急にイタリア解放軍と言われても信用しきれないこともあって、戦地でも護身用の拳銃以外の武器は支給しない予定だったが、その分だけ余計に食料などを担がせるつもりだった。その分も降下の間だけは別の人間が持っていくことになる。


 後はできるだけ体重つまりは自重が軽い人間を選ぶだけだったのだが、ここにも新たな問題が発生していた。少なくとも通常の落下傘降下の経験があるアルフォンソ伍長には部隊で二番目に体重の軽い申がつくことになった。


 この二人に関してはさほど心配することはないはずだった。申は隊内で最年少のまだ少年の面影を残す兵だったが、親の代から美雨の兄の手下だったというから馬賊時代からの仲間の一人であることに違いはなく、隊員たちとも気心が知れていた。

 まだ年若く判断が未熟に感じられるところもあるが、若いせいか高々度降下法などの特務遊撃隊として再編成されてから新たに取り入れられた装備や手法には馴染んでいた。

 それにわずか数日の間の付き合いだったが、アルフォンソ伍長も若いながら下士官に昇進していただけのことはあって、優秀な兵のようだった。この二人であれば、仮に降下中に部隊とはぐれて単独で敵領内に徒手空拳で放り出されたとしても軽挙妄動を避けて慎重に動くことが出来るのではないのか。

 厨川大尉はそう考えたのだが、もう一つの組み合わせには頭痛を覚えるしかなかった。



 特務遊撃隊の隊員の中で一番軽いのは、副長の美雨だった。アルフォンソ伍長とヴィオーラ一等兵の体重は同じくらいのようだから、安全性という意味では美雨とヴィオーラ一等兵の組み合わせの方が一見すれば高いように思えた。

 ただし、性格面では全く向いているとは思えなかった。見てくれは整った女性である美雨と二人での降下になることにヴィオーラ一等兵は最初はにやけた顔をして、彼女を信奉する周囲の隊員達から凄まれて慌てていたほどだ。


 肝心の美雨は、面倒くさそうな顔をしながらヴィオーラ一等兵とアルフォンソ伍長、それから申を代わる代わる見つめてから尚少佐に顔を向けながら言った。

「尚兄貴、僕の方が申よりも大分軽いと思うし、そっちの二人は似たようなものだろう。申と伍長さんは無手で降下してもいいけど、僕はあと小銃くらいは持って降下して良いと思うんだよね」


 尚少佐と厨川大尉は顔を見合わせてから、お互い譲りあうようなしぐさをした。しばらく二人で押し付けあってから、厨川大尉が嫌そうな顔でいった。

「小銃はやめておけ。中尉の小銃は狙撃仕様だから、縦列降下では嵩張るしお互いの体にあたって照準が狂うかもしれんぞ。おとなしく他の奴に専用筐体に入れて預けておけ。まぁ拳銃か短機関銃位は持ったまま降下しても構わんが……」

 厨川大尉がそう言うと、美雨は機嫌の悪そうな顔を一変させてへらへらとした軽薄そうな笑みを浮かべると、愛用のブローニングをホルスターから抜き出すと弄ぶようにくるくると指で回した。

「それを聞いて安心したよ。空中で暴れ出したら困ると思ってたんだけど、拳で殴って黙らせるのは面倒くさそうだったからね。拳銃なら音も小さくで済むだろ」


 ヴィオーラ一等兵は満州訛りの激しい北京語が全くわからなかったようだが、美雨の剣呑な雰囲気は伝わったのかおどおどと視線を厨川大尉と美雨、それに尚少佐に彷徨わせてから隣のアルフォンソ伍長に何事か話しかけていたが、伍長は達観したような声で彼らに任せるしか無いと短く言っただけだった。

 促成教育のイタリア語で何とかそれだけを理解した厨川大尉はため息を付きながら諦めたような声で続けた。

「何でもいいが、殺すなよ。彼らはこれでも必要な人材だし、後が面倒だからな」

 そう言ってから、厨川大尉はやはり彼ら特務遊撃隊の面々に馴染んできているような気がして嫌そうな顔になったが、美雨はそれに反して満面の笑みを浮かべながら頷いていた。


 その後の只一回の高々度降下訓練で何があったのかは二人しか知らなかった。アルフォンソ伍長と申の二人はお互いに片言ながらも何とかうまくやりとりができていたようだが、降下が終わってから暫くの間、ヴィオーラ一等兵は青白い顔でぼんやりとしていた。

 美雨は素知らぬ顔をしていたが、その後はそんな彼女のことをヴィオーラ一等兵まで特務遊撃隊の面々にならったのか、姐さん呼ばわりしていた。もっともそのたびに恐々とした表情を浮かべてはいたのだが。



 一式重爆撃機から実際に高々度降下を行おうとしている今も、ヴィオーラ一等兵は再び青白い顔になっていた。厨川大尉は、一瞬彼が降下中に恐慌状態に陥ってしまうのではないのかと恐れたが、すぐにそうなれば喜々として美雨が気絶させるだろうという考えが浮かんでげんなりとしていた。

 荘口大佐は怪訝そうな表情を浮かべて、ヴィオーラ一等兵と厨川大尉の顔を見比べていたが、興味を失ったのか立ち上がろうとした。


 だが、その背中に厨川大尉はこれまで気になっていたことをおずおずとした口調で言った。

「今更言ってもどうしようもありませんが、本当に飛行団長機と予備機を我々の輸送機として投入してよろしかったのですか。一時的とはいえ飛行団長がエンナ周辺では指揮をとれないということになってしまいますが」


 荘口大佐は振り返りはしたが、再び席に座ろうとはしなかった。急造シートの背もたれに手を当てて姿勢を安定させると、僅かな笑みを見せながらいった。

「貴官が気にすることはない。最近では飛行団長機自体が爆装するよりも電波警戒機や長距離無線機を増設して電子戦に特化する場合のほうが多いんだ。この機もそうだが、爆弾倉そのものは残されているからこうして急造輸送機に転用するのは容易だ。

 それに電子戦機は派手に電波妨害を行いながら最初に侵入して最後に離脱するから敵基地上空で待機する分の燃料も余計に積んでいる。つまり、多少は針路変更の自由も効くことになる。

 現実的に言って、飛行団の中の一般機に貴官らの輸送を任せるのは不利な点が多いんだ。電子戦用の機体なら最初から爆弾倉は空だが、一般の機体では爆装できなくなるからその分だけ隊としての攻撃力は低下してしまうからな。

 エンナ周辺で隊から離脱する時間は短いし、先任戦隊長は信頼できる指揮官だから、貴官らを降下させる間くらい指揮を執れなくてもなんとかなるさ」

 そこで言葉を一旦切ると、荘口大佐は表情を引き締めて厨川大尉の目をまっすぐに見つめながら続けた。


「そんなことよりも、貴官は降下してからのことを考えるべきではないのか。我々の航空撃滅戦もそうだが、貴官らも敵司令部を突いて混乱を増大するのが任務と聞いている。

 これは一見揚陸部隊主力とは関係無い任務に思えるが、成功すれば友軍の損害をかなり押しとどめることが出来るのではないかな。それだけ重要な任務だといえるし、これを遂行できるのは特別な訓練を受けた部隊だけなのだ。

 だから輸送のことは我々に任せて、貴官は部隊をまとめることに集中しておけ」

 そう言うと、荘口大佐は操縦席に向かって今度こそ背を向けていた。厨川大尉は、無意識のうちに背筋を伸ばして大佐に向かって無言のまま礼をしていた。飛行団長にここまで言われたのでは奮起するしか無かったからだ。



 ふと気が付くと、周囲の兵たちが次々と目覚めて体を起こしていた。何も言わずとも装具の点検をしながら防寒具を着こみ始めていた。その様子に厨川大尉が唖然としている間に、いつの間にか上部銃座にいたはずの美雨も自分の席に戻って分厚い防寒具に袖を通していた。

 確かに見た目は愚連隊でしか無いが、特務遊撃隊は特別な訓練を受けた精鋭のはずだった。その様子に安堵の溜息をついてから、厨川大尉自身も素早く装具の点検を始めようとしていた。


 その時になって厨川大尉は妙なことに気がついていた。荘口大佐の最後の言葉だった。

 ―――部隊をまとめることに集中しろ、だと……だが、俺はこの部隊の指揮官ではないぞ。

 しかめっ面になって厨川大尉は本来この支隊を率いるはずの美雨の方に顔を向けたが、彼女は何が楽しいのか笑みを浮かべていた。拳銃を点検しながら浮かべる笑みは物騒なものだったが、厨川大尉にはなぜか遠足前の国民学校の学童のような笑みのような気がしていた。

 厨川大尉はしかめっ面のままだったが、すぐに考えなおしていた。どうせ地上に降下すれば尚少佐と合流するのだから、指揮権がどうこうという話にはならないはずだ。

 思考停止とも言えるが、厨川大尉自身はそれに気がついていなかった。それが誤りであることに気がついたのは、実際に地上に降り立ってからの事だった。



 異変が生じたのは飛行団がマルタ島から出動した護衛の戦闘機隊と合流して高度を上げてからの事だった。その頃にはすでに特務遊撃隊の隊員たちは、ヴィオーラ一等兵を含めて完全装備で、一式重爆撃機の機体内に設けられた酸素瓶から供給される酸素吸入器を身に着けていた。

 それで降下に備えていたのだが、機内から合図がある前に何事か動きがあった。機内通話装置を通じて慌ただしい動きがあったようだが、特務遊撃隊の隊員たちには伺い知れなかった。

 特務遊撃隊が乗せられていたのは爆弾倉を転用した空間だったから、外部を視認できる窓などはなかったからだ。


 厨川大尉も機体の隔壁を通して伝わってくる慌ただしい気配に不安を感じたが、指揮官層がそのような顔をしては部隊員に動揺をもたらすと思って、敢えて平然とした表情をしていた。

 それで勝手の違う空中機動に不安そうに周囲を見渡していた隊員たちも席に身を預けようとしていた。


 だが、そのような厨川大尉の様子を嘲笑うかのように唐突に銃撃が開始されていた。20ミリ連装機銃が連続発砲する衝撃は凄まじく、実際に機体を震わせていた。

 それで再び特務遊撃隊の隊員達の表情に不安が浮かんだが、厨川大尉はそれでも平然とした表情を崩さなかった。おそらく敵の夜間戦闘機の襲撃が行われているのだろうが、自分たちは地上に降りるまで出来ることは何も無いのだ。

 あとは輸送を任せろと言った荘口大佐を信じるしかなかった。


 最初は不安にかられた様子の隊員たちだったが、泰然とした様子の厨川大尉につられたのか、それとも最初から気にした様子も見せない美雨の顔を見たせいかは分からないが、ヴィオーラ一等兵を除いて自然と落ち着きを取り戻していた。

 そして始まった時と同じように唐突に対空射撃も収まっていった。



 だが、彼らは根本的なところで誤っていた。降下地点に達した一式重爆撃機から特務遊撃隊は一斉に降下を開始していた。降下作業自体にはさほど問題は生じ無かった。

 訓練を受けた兵員たちは、概ね予想通りの半径に降り立つことができていた。ヴィオーラ一等兵が案の定降下開始に怖気ついてためらっている間に美雨に蹴り落とされるよう機外に放り出されたが、それでも目的地に到着することは出来ていたのだ。


 しかし、合流地点に集合したのは、荘口大佐の飛行団長機に乗り込んでいた兵達だけだった。もう一機の予備機に乗り込んでいたはずのアルフォンソ伍長や尚少佐はいつまでたっても姿を見せなかった。

一式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1hbb.html

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