1943アレクサンドリアーベルリン17
池部中尉は目の前のティーガー戦車を眉をしかめながら見つめていた。自由フランス軍に続行する英国軍が撮影したという資料写真は何度か見たことがあったが、実物のティーガー戦車を見るのは初めてだった。
ティーガー戦車はまるで小山のように大きな戦車だった。中尉の後ろでティーガー戦車を牽引する準備を進めている自分たちの三式中戦車も決して小さな戦車ではないはずだが、ティーガー戦車はそれよりも一回りは大きいように思えていた。
避弾経始を考慮しているとは到底思えない垂直に組み上げられた車体や砲塔の形状は、どことなく従来からドイツ軍が使用している三号戦車や四号戦車を思わせるものがあったが、全体から受ける力強さはこれまでのドイツ戦車とは段違いだった。
アルジェリアの最前線で鹵獲されて輸送されてきたのであろうティーガー戦車は傷だらけだった。その様子からしても戦場で放棄されたものを回収されてきたのは歴然としていた。
ただし、無数の被弾痕にも関わらず、ティーガー戦車の力強さは失われていなかった。一部の装甲は大きくえぐれていたが、ささくれ立った亀裂形状からして相当に大口径の砲を打ち込まれた痕のように見えた。
おそらく対戦車砲や師団砲兵隊が装備する野砲などではなく、軍団砲兵が装備するような100ミリを超える重野砲か加農砲の着弾によるものではないのか。
逆に言えば、通常の師団が保有する装備では、ティーガー戦車を撃破するのは極めて難しいのかもしれなかった。
池部中尉はおそらく英国製の6ポンド砲のものと思われる無数の被弾痕を見つめながら、思わず唸り声を上げてしまっていた。西方戦役の敗北ですべての重装備を喪失していたところから編成を始めた自由フランス軍は、戦車や野砲などの装備を英国から供与されていた。
供与されたバレンタイン歩兵戦車も対戦車砲も6ポンド砲が主力だったが、その被弾痕はティーガー戦車の分厚い装甲板にくぼみとして残されていただけだった。
大口径砲で破壊された箇所の断面からすると、貫通するどころか被弾痕の深さは装甲厚の半分にも達していないのではないのか。
被弾痕の中には、さらに一回り小さなものもあった。おそらくこちらは6ポンド砲ではなく2ポンド砲のものだろう。2ポンド砲と同クラスとなる40ミリ級の対戦車砲は、日本軍でも37ミリ速射砲として制式化されていた。
流石に最近では威力が過小だとして対戦車砲部隊からは引き上げられ、代って57ミリ速射砲が対戦車砲の主力に据えられていたが、現在でもほぼ同様の仕様を持つ戦車砲型が九五式軽戦車の主砲として使用され続けていた。
英国の2ポンド砲も戦車砲型が自由フランス軍にも供与されているクルセイダー巡航戦車の初期型などに使用されているはずだから、この被弾痕も英国製戦車から打ち込まれたものかもしれなかった。
池部中尉は半ば愕然となりながらくぼみを残しただけに終わった膨大な数の被弾痕を数えていた。
被弾痕は車体上面や砲塔前部に集中していた。おそらくこのティーガー戦車は戦車用掩体に篭って比較的脆弱な車体下部を隠蔽しながら戦っていたのではないのか。
ティーガー戦車の主砲は高初速の88ミリ高射砲を原型としたものであるという話だった。
戦車砲の威力に劣る自由フランス軍の戦車兵たちは、長距離から正確で大威力の射撃を行うティーガー戦車に対して無我夢中で射撃を行いながら必死で突撃していったのではないのか。
だが、ティーガー戦車の焼け焦げた砲口を見るまでもなく、自由フランス軍の戦車兵達が自らの射程内にこの戦車をおさめるまでには何度も反撃を食らったはずだ。
このたった一両のティーガー戦車を撃破するために戦死した戦車兵の数は少なくないのではないのか。自車の必殺の主砲弾が虚しく装甲に阻まれて跳ね返る光景を見た戦車兵たちはどのような気持ちになったのだろうか、池部中尉はそう考えながらささくれた被弾痕をそっとなでてみた。
最近の両軍が装備する戦車装甲の強化に対して、以前から40ミリ級どころか60ミリ級の砲でさえ威力不足になりつつあるという認識が広まり始めていたが、ティーガー戦車の被弾痕を見る限りその認識は正しいようだった。
日本軍でも57ミリ砲を装備した一式中戦車から75ミリ砲を装備する三式中戦車へと主力戦車が切り替わりつつあったが、装備面で優遇された第7師団は比較的早期に三式中戦車を受領できたが、遣欧軍の中でさえ一般師団の中には一式中戦車を使用し続けている部隊も少なくなかった。
しかも三式中戦車自体も仕様が定まっているとは言えないらしく、池部中尉達の第71戦車連隊に配備された三式中戦車は当初から戦車砲、対戦車砲として開発された長砲身の75ミリ砲を備えていたが、三式中戦車の生産車の少なくない数が一式砲戦車などでも使用していた38口径の75ミリ砲を装備していた。
この砲は元をたどれば野砲として開発が進められていたものだから、対戦車能力は格段に低くなるのではないのか。
6ポンド砲に比べれば三式中戦車が装備する長75ミリ砲は格段に大威力のはずだが、この強力なティーガー戦車に本当に三式中戦車は対抗できるのか、ふと不安に思って池部中尉は振り返ろうとした。
だが、それよりも早く気楽そうな由良軍曹の声が聞こえた。さっきまでは牽引準備作業を監督していたはずだが、他の乗員に押し付けてティーガー戦車を見物しに来たらしい。
「まるで小山のような戦車ですなぁ。しかし、撃ち込んでも抜けない距離でこれだけ当てるということは、味方のほうのフランス軍も案外腕は悪くないのかもしれませんなぁ」
池部中尉は、一瞬唖然としたがすぐに苦笑すると由良軍曹に振り返っていた。
「斬新な意見で興味深いが、実際の戦闘距離がわからんとなんとも言えんな。案外自由フランス軍は手の届く距離まで接近したのかもしれんぞ。確かなのはこのティーガー戦車が戦車同士の戦闘距離で敵弾を弾くだけの防護力を持つということだ……」
由良軍曹は首をすくめた。
「ティーガぁ……どうもドイツ語は言いづらくて困りますな。大学さんがいるんだから、外人と話すのはあいつに任せて俺たちは日本語にしましょうや。それでティーなんとかってのはどう言う意味なんです」
「英語だとタイガーと呼ぶらしい。日本語だと虎の意味だそうだ。だからコイツは六号虎戦車といったところかな……」
にやりと由良軍曹は笑みを見せた。ただし、珍しく目は笑っていないような気がした。
「それじゃ虎戦車と呼ぶことにしましょうか。結局、この虎戦車と戦った自由フランス軍の戦車、クルセーダー巡航戦車にバレンタイン歩兵戦車でしたか、どれだけの距離で撃ち込んだのかは分かりませんが、虎戦車の装甲に通用しなかったのは確かなんでしょうな。
我々にとっての問題は、三式の75ミリではどれぐらいの距離からこいつを抜けるかどうか、ですか……」
「交戦距離は一千メートルといったところだったそうだ。それと……正確なところはこれから機材を用いて計測を行わなければならんが、2ポンド砲、6ポンド砲、それに九五式軽戦車の37ミリでも虎戦車の装甲は抜けないが、おそらく我が長75ミリ砲であればその距離からでも正面から貫通できるはずだ」
いきなり後ろから聞こえてきた声にあわてて二人が振り返ると、面白くもなさそうな顔になった服部技術大尉がいた。
服部技術大尉は随分と確信の有りそうな声をしていた。由良軍曹が怪訝そうな顔でいった。
「以前にこの虎戦車に75ミリ砲を撃ち込んだ戦闘でもあったのですかな。たしかチェニジアでの戦闘の最後の頃が三式中戦車の初陣だったそうですが、戦闘に参加していた時期は短かったし、その頃にこの虎戦車が戦場に姿を見せていたとは聞いていませんが」
今度は服部技術大尉が首をすくめていた。
「いつ頃この戦車がアフリカに送られて来たかは詳しくはわかっていないが、これまで戦闘に投入されてはいなかったようだ。
虎戦車は重量がありすぎるのか、これまでのドイツ戦車とは用法が異なるらしく、独立した大隊か連隊に配属されているらしい。もしかすると、噂のロンメル率いるドイツアフリカ軍団とは指揮命令系統が最初から異なっていたのかもしれんな。
だから、これまで三式中戦車と虎戦車が戦闘したことはないはずだ。第一、チェニジアへ越境した頃に最初に送られた三式は短75ミリ砲装備型だったしな。
それに我が軍が虎戦車の実物を手にしたのはこれが最初だから、長75ミリ砲の実射試験をしたわけではないが、根拠が無いというわけではない」
やけに自信の有りそうな服部技術大尉の様子に、池部中尉と由良軍曹はお互いに怪訝そうな表情を浮かべた顔を見合わせていた。
服部技術大尉は、やや表情をかげらせるとティーガー戦車の車体前面に開けられた巨大な開口を指し示した。その開口は、池部中尉が軍団砲兵隊が装備する大口径砲を撃ち込まれたのではないかと判断した箇所だった。
「フランス人がのべつ幕なしに無駄球を撃ったおかげでわかりづらくなっているのだが、実質上この虎戦車にとどめを刺したのはこの箇所に命中した17ポンド砲のようだ。自由フランス軍に17ポンド砲は供与されていなかったはずだから、対戦車戦闘に備えて一部の英国軍の対戦車部隊が自由フランス軍部隊に随伴して前進していたのだろう」
池部中尉と由良軍曹は驚いて服部技術大尉が指差した箇所をまじまじと見つめた。そう言われてよく見てみるとその箇所は奇妙だった。大口径砲の被弾による装甲の剥離と一体化しているものだからこれまで気が付かなかったのだが、まるで子供が玩具を破壊したかのように無造作にえぐられた他の箇所とは違って、綺麗な半月状の貫通痕が残されていた。
しかも、半月状に欠けているとはいえ、逆に半分ほどが剥離した装甲のおかげでむき出しとなっているために、一度見つけてしまえば貫通痕の形状を確認するのは容易だった。
17ポンド砲によるものという貫通痕はほぼ真円状をしていたようだった。その上76.2ミリという砲弾の口径からすると貫通痕の孔径は小さく、他の弾かれた砲弾のようにクレーター状にはなっていなかった。
その貫通痕の形状を見る限りでは、高初速で着弾したはずなのに、良質な硬質の素材で構成された17ポンド砲の貫通弾は虎戦車の分厚い装甲を浸透しながらも潰れること無く貫通していったのだろう。
そして前面装甲を貫通後も十分な存速を持ったままで無防備な車内に飛び込んでいったのではないのか。
おそらく最初に17ポンド砲が撃ち込まれて貫通した後に、ほぼ同じ箇所に大口径砲が撃ち込まれたのだろう。そして大威力の榴弾か徹甲榴弾の炸裂によって装甲が脱落して貫通痕をも半ば取り払ってしまったのだ。
あるいは、17ポンド砲の貫通痕によって装甲材の連続性が失われて強度が著しく低下したために大口径砲の炸裂によってこのように大きな損害が生じたのかもしれなかった。
そう言う意味では服部技術大尉の言うとおりにとどめを刺したのは17ポンド砲の命中によるものであったのかもしれなかった。
ただし、それを証明するのは難しいのではないのか、確かなのは17ポンド砲が分厚い装甲板を貫通したということだけだ。17ポンド砲の威力は証明されたことになるかもしれないが、貫通した砲弾が車内でどれだけの損害を与えたのかはわからなかった。
貫通した箇所によっては弾薬の誘爆や燃料の発火をもたらす可能性もあるが、見たところティガー戦車は前面装甲が大きくえぐられていた他は大きな部品の脱落や炎上の跡は見えなかった。
それに、17ポンド砲の威力が証明されたことと、長75ミリ砲との関係もよく分からなかった。
だから、池部中尉も由良軍曹も17ポンド砲が開けたという貫通痕に驚きはしたものの、その後も要領を得ない顔のままだった。
だが、服部技術大尉は何でもなさそうな顔で更に続けた。
「何だ、まだ気がついていなかったのか、ふたりとも被弾箇所の後方に何が位置するのか考えてみろ」
そう言われたものの、装甲を大きくえぐられたティーガー戦車の完全な姿を想像するのは難しかった。しばらくしてから、池部中尉が我に返ったかのような顔で言った。
「これは外部視認装置、その残骸ですか。ということはここは操縦手席だったのではないのですか」
服部技術大尉は満足そうな笑みを見せながらうなずいてみせた。
「そのとおりだ。内部の状況からしておそらく貫通した17ポンド砲弾は操縦手を殺傷するだけではなく、操縦装置も幾らかは破壊したはずだ。その後ろは砲手席と僅かにずれて車長席が配置されているから、一撃で操縦手だけではなく、砲手と車長も戦死したのかもしれない。
エンジン自体にはさして大きな損傷は見られないようだから、そうでなければこの戦車も撤退出来たのではないかな。ここから先は想像にすぎないが、指揮官を失ったか、戦車が機動不能になったために残りの乗員は脱出したのだろう。
だが、自由フランス軍は英国軍の対戦車部隊が仕留めたのに気が付かなかったか、確信が持てなかったので更に軍団砲を撃ち込んだ、というところだ」
池部中尉は服部技術大尉の話を聞きながら、ティーガー戦車をもう一度眺めていた。大尉の話を聞いた後だと、どこか得体のしれない怪物のようだったティーガー戦車の姿が何か違って見えるような気がしていた。
あとは三式中戦車の長75ミリ砲が17ポンド砲と同様にティーガー戦車を撃ち抜けるかどうかだった。
三式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です
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九五式軽戦車の設定は下記アドレスで公開中です
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一式砲戦車の設定は下記アドレスで公開中です
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