1943アレクサンドリアーベルリン14
最初に、隼鷹型に新たに設けられた飛行甲板の張り出し部分を使用して、艦首尾線から見て斜め方向に着艦することを思いついたのが誰だったのかはよくわからなかった。それどころかそれが隼鷹か飛鷹のどちらから出てきた話だったのかさえ未だに不明だった。
その時点でこの新たな着艦方法が公式な検討の結果誕生したものでないことは明白だった。つまり下手をすれば士官ですらない何処の誰かもわからない将兵の思いつきが、いつの間にか話が大きくなっていって、非公式ながら実機を用いた実験が行われることになってしまっていたということだった。
この着艦試験は非公式とはいっても複数の航空戦隊による合同訓練の後に輪形陣を保ったたまの状態で行われるのだから、将官級指揮官の承認があったのは間違いなかった。
現在の遣欧艦隊は隷下の水上艦隊を第1航空艦隊として束ねており、その艦隊司令長官には南雲中将があてられていた。
南雲中将は地中海に在住していたからジブラルタル沖の大西洋に留まっている各航空戦隊の細かいところまで把握していたとは思えないが、遣欧艦隊、第1航空艦隊の規模が大きくなりすぎたために、マルタ島沖海戦における指揮権移譲がうまく行かなかった戦訓もあって、艦隊司令長官の下には新たに中少将級を司令官とする複数の戦隊からなる分艦隊がほぼ常設の形で設けられていた。
第4,5航空戦隊も地中海進入後は航空戦隊と護衛の防空巡洋艦を一元的に管理する航空分艦隊に配属されることになっていたから、分艦隊司令官位にはこの実験のことも話が行っているかもしれなかった。
何にせよ実験を行う石井一飛曹には気の重い話だった。実験の重要性や新進性ばかりは寄ってたかって説明されたというのに、肝心の支援体制は不十分なものだったからだ。
この実験はまとめてしまえば、隼鷹型に設けられた飛行甲板の張り出し部分を使って斜めに着艦できるかどうかを試すものだった。誰が思いついたのかは分からないが、確かに艦尾から張り出し部分の前端付近を狙って斜めに降着すれば現在の着艦滑走距離位は十分に確保できそうではあった。
実験がうまくいくかは分からないが、この斜め着艦の利点は構想の時点で明らかになっていた。
現在の空母の運用法では、再改装後の隼鷹型であっても着艦機は当然真っ直ぐに艦尾から艦首尾線をなぞるようにして着艦するが、着艦訓練などのよほどのことがない限り、露天繋止機の増えている現在では着艦作業中に完全に飛行甲板を空けておくことは難しかった。
つまり計算された着艦滑走距離の先には他の母艦機が繋止されていることが多かったのだ。
これで着艦がうまく行けばいいのだが、着艦機が制動索を機体側のフックに捉え残った際には、飛行甲板前半に待機する機体の群れに着艦機が速度を保ったまま突入することになる。
勿論そのままでは大惨事が起こるから、いざというときの事態に備えて飛行甲板の中間ほどには着艦機が突入するのを防ぐために頑丈な制止柵が設けられていた。
だが、次々と制式化される新鋭機になればなるほど着艦の難易度は上昇していた。強化される一方の敵艦、敵機に対抗するために兵装は強力になり、最近では艦載機でも小口径の機銃弾程度では撃墜されないように防弾装備も充実されるようになっていた。
当然のことながら兵装や防御機能の重量が増大した機体に満足する性能を与えるためにエンジン出力は向上していたが、大重量の機体の着艦速度は従来機よりも武装や防御の増強と比例するかのように増大しており、着艦関係機器の更新をも要求していた。
実際に、再改装によって隼鷹型は制動索や着艦制止柵をより強力なものに換装していたが、それ以前のわずか2,3年前のことにすぎない最初の空母への改装工事の際に据え付けられていたもののも当時としては最新鋭の機体に対応したものであったはずなのだ。
しかも計算上では換装された着艦制止柵は二式艦上攻撃機の着艦事故にも対応できるはずだったが、設置箇所が変更されたわけでも無いのだから、構造が強化されているにしても限度があり、安全率はこれまでよりも低下しているという話だった。
つまり、艦載機の更新によって空母の打撃力が上昇するのに連れて、その打撃力が事故で自艦に向かう可能性も向上しているというわけだった。
斜め着艦はこの新鋭機ほど難しくなる着艦作業の安全を抜本的に向上させる、はずだった。
飛行甲板の張り出し部分を利用して斜め方向に着艦するというだけだったが、この場合は着艦フックが制動索を捉え残って速度を殺しきれなかったとしても、着艦位置の前方は張り出し部分になり飛行甲板前方の着艦機収容区画には直進しないから、着艦訓練時で飛行甲板を完全に空けていた時のように着艦に失敗したことを察知した時点で再びエンジン出力を上昇させれば飛行甲板から離れて上昇することが出来る。
つまり、斜め着艦の利点とは連続着艦作業や露天繋止機があって飛行甲板に障害物があったとしても、まるで訓練時のように着艦作業をやり直すことが出来るという点にあった。
着艦に失敗しても大事故となる可能性そのものを著しく低減できるし、それを前提とした搭乗員の精神的な負担の低減も効果は大きいのではないのか。
これから先も新型機ほど着艦の難易度は上昇するだろうし、搭乗員の大量育成によって本土で行われる練習空母での定着訓練も不十分な新兵が母艦搭乗員に配属される可能性も高くなってくるはずだ。
しかも隼鷹型空母が再改装の際に追加した飛行甲板の張り出し部分は、元々着艦機の連続移送や発艦待機場所と想定されていたために頑丈ではあったが、構造的にはさほど複雑なものではなかったから、対空火器の設置箇所や射界の問題さえ解決すれば従来型の正規空母や建造中と言われる次期主力空母に設置することは難しくなかった。
それに隼鷹型や蒼龍型のような中型空母では飛行甲板幅に余裕が無いために難しいが、大型空母であれば角度が浅くなるから着艦機収容区画などに充てる空間は減少するものの、現在の飛行甲板に斜めに走る滑走路帯の標識線を書き込むだけで当座の使用には耐えうるのではないかというものもいた。
むしろ斜め着艦の角度が浅いほうが現存の着艦関係の航空兵装をそのまま転用できる分有利かもしれない。石井一飛曹はそう考えていた。現在のように飛行甲板の張り出し部分を使用するほど深い角度の場合、従来の着艦を支援する機材がほとんど使用できないからだった。
艦隊航空関係者の多くが注目しているにも関わらず、斜め着艦を初めて試みる石井一飛曹への支援体制は貧弱なものだった。実質上飛行甲板で観測を続ける飛行科士官から状況を知らせる無線通信のみであったと言ってもよかった。
しかも、その飛行科士官は熟練した母艦搭乗員ではあるものの、当然の事ながら斜め着艦を行ったことがあるわけではないから、最後に信じられるのは自分の判断だけだとまるで責任を逃れるかのように念を押されていた。
実際にはその士官の方は発破を掛けただけのつもりかもしれなかったが、石井一飛曹はうんざりとしただけだった。結局自分で道を切り開くしか無いと認識しただけで終わった。
これが通常どおりの艦首尾線方向への着艦であれば、支援する機材が充実しているから飛行科士官からの絶え間ない無線連絡など不要だった。むしろ今のようにひっきりなしに無線が入るものだから嫌気が差して無線機を切るような羽目にはなり得なかった。
米海軍では着艦作業のために飛行甲板で着艦機に連絡を行う専用の指示要員を育成しているらしいが、日本海軍ではその代わりに着艦誘導灯を用いて着艦する機体の搭乗員への支援を行っていた。
これは視認性を高めた上に赤と緑となる発色の異なるランプを飛行甲板脇に距離を置いて配置したもので、銃の後方に設けられた照門と前方の照星の位置を合わせて照準を行うように赤灯と緑灯の見え具合を確認することで搭乗員に適切な母艦への進入角度を指示するものだった。
ただし、あたりまえだが着艦誘導灯が使えるのは予め想定されていた適切な角度で着艦を行うときだけだった。斜め着艦では当然着艦角が異なってくるから着艦誘導灯による指示は全く期待できなかった。
この実験が成功して斜め着艦が正式に取り入れられれば、誘導灯自体の設置角度を切り替える機能を追加して斜め着艦でも適切な進入角度を指示できるように着艦誘導灯にも改造を施すかもしれないと聞かされていたが、裏を返せばこの実験だけは自力で着艦角度を掴めということだった。
しかも斜め着艦で使用できないのは着艦誘導灯だけではなかった。現在の航空母艦への着艦に必要不可欠な制動索の内、使用できるのは一本だけで他の制動索は事故を防ぐために通常は飛行甲板との高さを確保するために使用される駒を取り外して降ろされていたから着艦フックが捕まえることは出来なかった。
これも斜め着艦では飛行甲板に対して水平に張られた横索を斜めに進入する機体の着艦フックがとらえた瞬間に妙な力がかかって機体が振られるのではないかと想定されていたからだった。
それでこの実験のために一本の制動索が飛行甲板の繰出部の先に滑車を追加して斜め着艦に対して水平となるように改造されたのだが、今回の実験のために改造されたのはそれだけだったのだ。
最も石井一飛曹はあまりその理由を信じていなかった。どのみち飛行甲板には実験のために他の機体は繋止されていないのだから、別に着艦直後の機体が多少振られたくらいで大して問題にはならないはずだ。
まさかとは思うが、今回の実験では着艦の失敗も織り込まれているのではないのか、石井一飛曹はぼんやりとそう考えていた。斜め着艦の最大の利点は着艦に失敗してもやり直しが容易という点にある。
だから一度や二度くらい失敗してくれたほうが斜め着艦の利点を証明することになるのではないのか。
機体そのものの操作に慣れてはいても、着艦作業はさほど得意ではない石井一飛曹がこの実験に選出されたのも、予め着艦に失敗することを前提としていたとすれば納得できるのではないのか。
それでも2,3回と試みれば最終的には着艦に成功するだろうと思われていたのかもしれない。
半ば被害妄想的な考え方に取り付かれていた石井一飛曹は、僅かに零式艦戦44型の機体が揺れたことで我に返っていた。今のは従来型の日本海軍の空母と違って斜め上方に伸びている飛鷹の煙突から吐き出された排煙による乱気流だろう。
就役当初はこれまでこの乱気流を嫌って斜め下方の海面に伸ばされるという日本海軍独自の排気管形状からの変更による悪影響を心配する声もあったようだが、実運用上ではさほどの問題は置きておらずに、次期主力空母でも煙突を含む艦橋構造物はこの形状で建造されるらしい。
従来の艦首尾線にそった着艦と比べて、この斜め着艦方式の方が斜め上方に排気されているはずの主ボイラーからの排煙の影響を強く受けるはずだったが、それでも着艦態勢に入った零式艦戦44型に与えた衝撃は、着艦に備えて主ボイラーも最大出力を発揮しているはずにもかかわらずそれほど大きくはなかった。
―――この影響の観測も実験の一つのうちということかな……
石井一飛曹はそう考えると思いを新たにして降着予定の一本だけ立てられているはずの制動索の位置を睨みつけた。
実際に実験関係者がどう考えていたかは今はさほど重要ではなかった。ただこの新たな着艦方法が大々的に取り入れられることになれば今後の日本海軍の航空母艦運用で犠牲となる将兵の数は激減するはずだった。
それに母艦搭乗員としての経験は浅いにしても、飛行兵から叩き上げてきた石井一飛曹には航空機そのものの操縦の技量には自負するところがあった。飛鷹乗組の下士官搭乗員の中でも古手の方だから、これが世界初の着艦方式であったとしても実験を見守る多くの若い搭乗員達の前で無様な姿は見せられなかった。
きっと一度でうまく着艦を決めてみせる。そう決意しながら石井一飛曹は愛機である零式艦戦44型の操縦桿を慣れた手つきで操作していた。定着位置まで、もうあと僅かだった。
隼鷹型空母の設定は下記アドレスで公開中です
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