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1943アレクサンドリアーベルリン8

 ゲーリング国家元帥の見舞いの来意を病床の上で看護婦から聞かされたロンメル元帥は、戸惑った顔を彼女に返していた。

 すでにゲーリング国家元帥はこの病院に到着しているらしい。そういえば窓の外でなにか慌ただしい動きがあったようだが、それが護衛を引き連れたゲーリング国家元帥が到着した時のものだったのかもしれない。

 ロンメル元帥は戸惑いつつも看護婦にゲーリング国家元帥を通すように返していた。


 病室のベッドから身を起こしつつも、ロンメル元帥の顔から戸惑いの色が消える気配はなかった。これまでゲーリング国家元帥とは親しくしていた記憶が全く無かったからだ。

 もちろん総統護衛部隊の隊長職を務めていた時には当時から空軍総司令官の座にあったゲーリング国家元帥との面識くらいはあったが、その時もあまり長時間話したこともなかったはずだ。

 元々、高位外交官の息子として生まれ、裕福な貴族を代父としてナチス党幹部には珍しく上層社会で育ったゲーリング国家元帥と、貴族出身ではない中産階級の教師の息子として生まれたロンメル元帥との間に接点など殆ど無かったのだ。


 これがナチス党の宣伝などで最年少で元帥杖を手にしたロンメル元帥をゲーリング国家元帥が見舞う写真を撮りに来たとでも言うのであれば納得できるのだが、流石にそのような場合は当日ではなく事前にロンメル元帥に通告でもあるはずだ。

 それ以上にそういったことを思いつきそうな宣伝相のゲッペルスは、ロンメル元帥はともかくゲーリング国家元帥には隔意を抱いているという噂があった。となればわざわざ国家的な有名人となりつつあるロンメル元帥との面談を政敵のために演出するとは思えなかった。

 いずれにせよ、仮に非公式の訪問であったとしてもロンメル元帥が特に理由もなしに国家の要人であるゲーリング国家元帥の見舞いを断れるはずもなかった。



 看護婦に案内されて病室に入ってきたゲーリング国家元帥を見て、思わずロンメル元帥は目を疑っていた。幾人かの護衛の将兵を引き連れたゲーリング国家元帥は、西方戦役開戦直前に総統護衛隊から第7装甲師団長に転属した時に最後に見た姿と随分と変わっていたからだ。

 ゲーリング国家元帥は以前の堂々とした、ともすれば傲慢とも言える態度は消え失せてかなり憔悴しているようだった。目の下には隈が出来ており、顔色も良くはなかった。その巨躯も心なしか小さく見えるような気がしていた。もしかすると本当に体重も落ちているのかもしれない。


 ゲーリング国家元帥は、言葉少なに通り一遍の見舞いの言葉を無理やり作ったかのような笑みを見せながら言った。残念ながらカエルか豚が無理に表情を作ったかのようにしか見えなかったが、ロンメル元帥も最低限の儀礼を込めて返していた。

 ただし、やはりロンメル元帥の考え通りに宣伝省の姿はなく、元帥同士の空虚なやり取りに立ち会ったのは軍の高官どうしの会話に緊張している様子の看護婦と生真面目な様子で警戒するゲーリング元帥の護衛部隊の指揮官らしき将校だけだった。


 一通りのやり取りが終わった後、ゲーリング国家元帥は素早く手を上げると護衛の将校を廊下で待たせている部下の兵の元へと追いやった。それから護衛の将兵に対するものとは打って変わってひどく丁寧な口調で看護婦に廊下に出るようにお願いしていた。

 看護婦はどちらが病人かわからないような様子のゲーリング国家元帥とロンメル元帥を交互に不安そうな目で見つめていたが、ロンメル元帥が一度頷くと、護衛将校に促されて廊下に出て行った。

 やはりゲーリング国家元帥はただ見舞いに来たというわけではなく、何か内密の話があってきたようだった。



 病人一人には広すぎる個室病室に二人きりになると、ゲーリング国家元帥は外向きの無理矢理に作った笑みを消すと力無く椅子に座り込んだ。ロンメル元帥は華奢な病室備え付けの椅子が悲鳴を上げるのを聞きながら、意外とゲーリング国家元帥の体重は変わっていないのかもしれないとひどく場違いな感想を抱いていた。


 ゲーリング国家元帥はそんなロンメル元帥の不振な様子に気が付きもせずに重苦しい口調で口を開いていた。

「実は今日は貴官に頼みがあってきたのだ……ああ、もちろん見舞いを兼ねてのことだが」

 ロンメル元帥は一応は頷きながらも、元帥杖を頂いた身とはいえ陸軍の一指揮官でしか無い自分に対して、最近は表舞台に立つことが少なくなってきていたとはいえ、空軍総司令官であり三軍の総司令官の中でも抜きん出た地位にあるゲーリング国家元帥が一体何を頼もうというのか、疑問を抱いていた。

 かつての空軍撃墜王とはいえ、ゲーリング国家元帥が現在の地位にあるのは、軍人としての才ではなくナチス党の躍進に功のあった古参の党幹部であったからだ。

 それだけに軍に対する影響力は強く、たとえ国民に人気のあるロンメル元帥といえども陸軍中央の貴族出身の将帥から疎まれていることも考えればその立場には雲泥の差があった。


 ゲーリング国家元帥は疲れた様子で続けた。

「後数日の内に貴官は総統閣下の見舞いを受けることになっている」

 ロンメル元帥は流石に目を見開いていた。驚いた様子にゲーリング国家元帥は僅かな笑みを浮かべていた。

「宣伝省の差金で総統閣下と貴官との面談が行われるのだ。おそらくそこでアフリカ方面の指揮官職を解かれた貴官は新たな任地を命じられるはずだ。調査局の調べでは、貴官はケッセルリンク元帥の下でイタリアに展開する地上部隊の指揮を取る可能性が高いと思われる。あるいはギリシャ方面かもしれないが。

 まぁそれは良い。最終的には全て総統閣下のお考え次第だからな」


 そこで一旦ゲーリング国家元帥は口を閉じてしばらく考え込んでいた。ロンメル元帥が先を促そうかどうか迷っていると、再び重々しい口調で、しかし固い決意を込めた声でゲーリング国家元帥はロンメル元帥をまっすぐに強い視線で見つめながら言った。

「貴官への頼みとは他でもない。その場でどうか総統閣下に日英、いや国際連盟との講和を進言してはくれないか」

 ロンメル元帥は呆気にとられていた。

「講和……ですか。一体何故、いや何故私にそれを頼むのですか。国家元帥閣下ならば総統にお会いする機会も私よりもずっと多いのではないですかな」


 ゲーリング国家元帥は苦渋の表情を浮かべていた。

「最近ではもはや総統閣下は私の言うことを聞いてくださらなくなってきてな。貴官の前で言うのも何だが、儂の率いる空軍は不振が続いていたからな。それにあまり言いたくはないが、我軍の進撃が止まった頃からか総統閣下はゲッペルスやボルマンが選別した心地良い報告しか望まんようになってしまった。それをいいことにあの二人やヒムラーが自分達に都合のいいことばかりを総統閣下に申し上げているらしいのだ」

 そう言いながら、ゲーリング国家元帥は頭に手を当てて心底困り切った表情を浮かべていた。

「国際連盟との講和といっても難題なのは承知しているつもりだ。特に外務を司るリッベントロップは対英強硬派だった。英国との講和交渉には彼ではなく、別の人間を充てなければならぬだろう。だが何よりも最初に総統閣下を説得できなければ講和など思いもつかぬことだ。

 だから、ゲッペルスやボルマンの息の届かない生の戦地の状況を総統閣下に実直に訴えて、貴官から国際連盟との講和をお願いしてもらいたいのだ」

 ロンメル元帥は、困惑したままだった。ゲーリング国家元帥が対外的には協調派であったとは聞いたことがあったような気がしていたが、ここまで講和に傾いているとは思わなかったのだ。


 その時、ふとロンメル元帥はあることに気がついていた。

「国際連盟との講和とおっしゃいましたが、それは国際連盟の加盟国との間だけということですかな。つまり東部戦線のソビエトとはこのまま戦い続けると……」

 そう言われると、ゲーリング国家元帥はむしろ不思議そうな顔になっていた。

「当然ではないかね。元々我が国の国是は反共主義ではなかったのか。今次大戦も突き詰めて言えばエッカート老の言うとおりにドイツ民族の生存圏を東方へと押しやるためではなかったのか。ハウスホーファー教授のようにソビエトとの同盟を結ぶなど我がドイツには全く不要の事だったのだ。

 考えてもみたまえ、独ソの不可侵条約が明らかになったことで日英の国際連盟理事国が一斉に我が国から離れていったのだぞ。それ以前に日本が共産主義との砦たる我が国に対してどれだけ気を使っていたか貴官にはわからんかね。

 だが、我が国とソ連とが結びつきを強めていったのは総統閣下のお考えではなかったのだ。我党が政権を握る前からドイツ政府はソ連と密かに結んでいたのだからな。

 それで我が国は日英それに仏と全く無益で、必要のない戦争をしてしまったのだ」


 ロンメル元帥は、僅かに眉をしかめながらゲーリング国家元帥の長演説に口を挟んでいた。

「国家元帥は、西方戦役も、北アフリカ戦線も無駄な戦争だったとお考えなのですか」

 そう言いながら、ロンメル元帥の声は僅かに震えていた。これまでロンメル元帥は東部戦線に従軍してソ連軍と戦ったことは一度もなかった。これまで彼に栄光をもたらしてきた戦争の相手は、英仏の二カ国だけだったのだ。

 だから、ゲーリング国家元帥の考えは、ロンメル元帥のこれまでの戦争をまるごと否定するのに等しいとさえ言えるものだった。


 ロンメル元帥の脳裏にはそれらの戦争で勝利して凱旋した自分の姿、そしてフランスの農村のあぜ道で敵弾に倒れ、あるいは北アフリカの無限に続くかのような暑い砂漠で水を求めて死んでいった部下たちの姿が浮かんでは消えていった。

 ゲーリング国家元帥の考えではそれらすべてが無価値なものとされてしまうのではないのか、そう考えていたからだ。


 しかし、華奢な椅子の上で頭を抱えながら喋っていたゲーリング国家元帥は、そんなロンメル元帥の苦悩に気がつくことはなかった。

「そのとおりだと儂は思うよ。西方戦役はともかく、英国本土や地中海で一体我軍は何機撃墜された。戦車は何両だ。それだけの戦力を最初から東部に回せていれば今頃儂も貴官もこんな病室ではなく、モスクワのクレムリンで祝賀会を開いていただろうさ。それもこれもボルマンやゲッペルスの馬鹿共が総統閣下にたわ言を吹き込んだせいに違いないのだ。

 だが、今ならまだ間に合うはずだ。儂の権限で空軍の精鋭をシチリア島に送っておいた。ヒムラー達はクレタ島への侵攻が近いとほざいているそうだが、きっと彼らはシチリア島に来る。

 シチリア島はアフリカではない。もうイタリア本土の入り口、すなわちヨーロッパなのだ。ヨーロッパへ国際連盟軍が足を踏み入れてしまえば我が国もイタリアもフランスも国民は大いに動揺してしまうだろう。

 だから、何とかシチリア島を守り通して彼らをヨーロッパに立ち入らせずにしておくのだ。シチリア島で苦戦すれば、彼らもそれ以上の進撃には躊躇するはずだ。

 その状態であれば、まだ有利な条件で講和を行うことが出来るのではないのか……」


 ゲーリング国家元帥は椅子の上で身動ぎしながら長々と話し込んでいた。喋っている間に興奮してきたのか、その動きは次第に激しくなり、顔にも生気が戻ってきていた。その代償に椅子の脚部から上がる悲鳴も次第に大きなものになってきていた。

 しかし、ロンメル元帥はそれを冷ややかな目で見ていた。自分や部下たちの栄光を無駄と言い切ったこの男の言うことに耳を貸す必要などない。そう考えていたのだが、興奮していたゲーリング国家元帥がそれに気がつくことはなかった。

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