1943北大西洋海戦20
マッケンゼンの機関室から這い出すように艦内通路に出たヴェルナー技術大尉は眩しさに目がくらむ思いをしていた。ディーゼルエンジンに発生していた損害の修復はかろうじて終了していた。
予備部品と艦内工場で応急に製作した部品とのすり合わせも行われていないから、長時間最大出力を発揮するのは危険だが、とりあえず動かす分にはそれほど問題は生じないはずだ。
短時間で行われた割には損害復旧作業の出来栄えは悪くなかった。
正規の部材は絶え間なく続いた大口径砲の着弾による損害で破壊されていた。さらに魚雷の炸裂によって大きく揺さぶられた機関室内の被害は少なくなかった。
重要区画への浸水などは発生しなかったものの、破壊された非装甲区画は多かったようだ。
ヴェルナー技術大尉は戦闘が始まってしばらくしてから機関室内にこもってしまったから、それ以外の艦内の様子はよくわからなかったが、通路のあちらこちらには応急員達が慌ただしい作業を行った痕跡が残されていた。
それ以上に力尽きたのか通路の壁面に背中を預けるようにして呆然とした表情を浮かべたまま座り込んでいる将兵を見れば、何が起こっていたのかは一目瞭然だった。
倒れこむように腰を下ろした将兵の多くはヴェルナー技術大尉が目の前を通っても無反応だった。大きないびきを立てながら眠りこけているものも少なくなかった。
何人かの将兵は慌てて起き上がってヴェルナー技術大尉に敬礼をしようとしていたが、大尉はそれを手で制しながら艦橋へと向かっていた。
フリッケ中将に呼び出されたのはヴェルナー技術大尉一人だけだった。損害復旧作業の終了は艦橋に報告していたから、その詳細を聞きたいのだろうが、何故か正規の乗員である機関長は呼ばれていなかった。
奇妙に思いながらもヴェルナー技術大尉は目をしょぼつかせながら艦橋入り口で申告した。
しかし、艦橋内から帰ってきたのはフリッケ中将があげるいつもの不機嫌そうな声ではなかった。数が減った気がする艦橋要員からの戸惑ったような視線だけだった。
艦橋内には艦長も不在のようだった。この場では最上位者であるらしい航海長が無遠慮な目でじろじろとヴェルナー技術大尉を見ていた。大尉も長時間の作業を終えたばかりのものだから、不機嫌そうな声でフリッケ中将に用と再び申告した。
ヴェルナー技術大尉の硬い声音に気がついたのか、航海長はやや表情を和らげると、フリッケ中将は司令官公室だと告げた。
戸惑ったままヴェルナー技術大尉は司令官公室に向かっていた。マッケンゼンのどこに司令官公室があるのかは知っていたが、そこに入るのは初めてだった。
司令官公室の扉を叩いてから緊張した声でヴェルナー技術大尉が申告すると、今度は間違いなくフリッケ中将の声が聞こえた。
初めて入る司令官公室内は思ったよりも質素だった。置かれているのは最低限の書類棚や執務机位で飾り気は全くなかった。今回の作戦は慌ただしく決定されたものだったから、戦隊司令の私物等を持ち込む事はできなかったのだろう。
ある意味でフリッケ中将の雰囲気とはあっている気がしたが、何かの書類仕事をしていたとうの中将は珍しく笑みを浮かべていた。
しかし、部屋に入ったヴェルナー技術大尉が最初に驚いたのはフリッケ中将の顔に浮かぶ笑みではなかった。司令官公室の比較的大きな窓の外には見慣れない戦艦と空母があった。
戦艦を見たヴェルナー技術大尉が最初に考えたのは、彼らが機関室内で作業している間にマッケンゼンは洋上で降伏していたのではないのかというものだった。
その戦艦の主砲配置が三連装砲塔を艦橋構造物前に配置した前方集中方式だったからだ。
この前方集中配置方式の主砲配置は英国海軍のネルソン級戦艦が嚆矢となっており、防御区画を短縮できるという利点があるらしい。他にフランス海軍のダンケルク級戦艦などの採用例はあったが、ダンケルク級はフランス海軍特有の四連装砲塔を採用していたから、ヴェルナー技術大尉は目の前の戦艦をネルソン級戦艦のどちらかと判断していたのだ。
しかし、驚愕した表情のヴェルナー技術大尉をみたフリッケ中将は怪訝そうな顔をしただけだった。不思議に思って大尉はもう一度戦艦を観察してみた。よく見るとおおまかな配置はともかく、各部の艤装は英国海軍風ではないような気がしてきていた。
それに、随伴する空母も最初は英国海軍の多段式飛行甲板を持つフューリアスかと思ったのだが、シルエットはもっと重厚だった。特に大型の煙突と艦橋の前後に配置された大口径砲の砲塔はまるで別物だった。
ヴェルナー技術大尉が首を傾げていると、窓の外をちらりと見たフリッケ中将がいった。
「あれはノースカロライナ級戦艦とコロラド級空母だ。北米大陸近くまで本艦が侵入しないように米海軍が送り込んだ見張り役、というわけだ」
呆気にとられてヴェルナー技術大尉はフリッケ中将の言葉を聞いていた。大尉がディーゼルエンジンの修理工事に入ってからも蒸気タービンのついさっきまで運転が継続していたのはなんとなく周囲の騒音などからわかっていたが、行き先がアメリカだとは思わなかったからだ。
「米国に……中立国に入港するつもりだったのですか」
ヴェルナー技術大尉がおそるおそる言うと、フリッケ中将は首をすくめながらいった。これまでとは違って今日のフリッケ中将はやけに表情が豊かだった。
「すでに本国との間には複数の空母を含む国際連盟軍が艦隊が展開しているようだから交戦なしの帰国は考えられんからな。機関の修理も完全に行いたかったし、出来ることなら正規の部品とまでは言わないが、代替となる部品ぐらいは入手したかったのだがな。
それに燃料の補充も出来ないかと思ったのだが……」
ヴェルナー技術大尉は怪訝そうな顔になっていた。
「ですが、中立国の港で機関の修理ぐらいならばともかく、給油など可能なのですか。中立国の立場で許可するとは思えませんし、第一燃料を供給する相手も見つからないのではありませんか」
フリッケ中将は面白そうな顔になっていた。
「可能性はあったはずだ。米国は交戦国ではないからドイツの外交官も駐留しているから、非合法でもこっそりと交戦国でも給油を行う後ろ暗い港湾業者を見つけることは不可能ではないはずだ。
それに中立とはいっても伝統的に米国は日英と敵対的な関係にあるから、敵の敵は味方として我々に有利な判断を下すかもしれないと思ったのだが……」
ヴェルナー技術大尉は嘆息していった。
「米国は我々を日英と敵対する敵の敵ではなく、彼らの友好国であるソ連と敵対する味方の敵、と判断したということですか」
自棄になったのか笑みを浮かべながらフリッケ中将は頷いていた。
「そんなところだろう。もっとも政府はともかく、ソ連海軍とあまり仲が良くないのか、米海軍の方では我々に同情的なようだが……」
ヴェルナー技術大尉は視線を窓の外に向けた。たしかにそう言われてみると戦艦は米海軍が最近になって就役させたノースカロライナ級戦艦に間違いなかった。確か同級は改正軍縮条約による旧式艦代替艦枠で建造されたはずだった。
英国海軍の多段空母フューリアスよりも重厚なシルエットを持つ空母も建造中だった戦艦を改造したコロラド級空母に間違いなかった。その特徴的な重巡洋艦並みの連装20.3センチ砲は特にこちらに向けられることはなく、格納位置のまま宙を睨んでいた。
どちらもたしかにこちらを監視してはいるものの、緊張した様子は伺えなかった。
周囲に駆逐艦何隻かを従えた2隻を眺めていると、ふとヴェルナー技術大尉は、マッケンゼンの近くにさらに1隻の潜水艦が浮上しているのを見つめていた。確度が悪く艦形の詳細は分からないが、艦体上の司令塔の前方に巨大な連装砲塔が配置されているのは分かった。砲の大きさはコロラド級空母の主砲である20.3センチ、つまり8インチ砲と同等に見えていた。
もちろんドイツ海軍の潜水艦ではありえなかった。潜水艦にそのような大口径砲を搭載した例はヴェルナー技術大尉はひとつしか知らなかった。
「あれが噂の世界最大の潜水艦バラクーダ級潜水艦ですか。米海軍もよくわからないものを作りますね」
重巡洋艦並みの一万トン弱の排水量に連装8インチ砲塔を2基も備えたバラクーダ級潜水艦は、他国では巡洋艦に割り当てているような長期間の哨戒や主力艦隊前方の偵察を行う艦艇として建造された艦だった。
その性格から言えば、性能からではなく任務からしても潜水艦というよりも可潜艦というのにふさわしかった。
しかし、フリッケ中将はにやりと笑みを浮かべるといった。
「いや、あれは米海軍のバラクーダ級ではない。友軍ヴィシーフランス海軍のシェルクーフだよ」
そう言われてみると、確かにバラクーダ級であれば司令塔前後に配置されているはずの連装砲塔は、目の前の潜水艦には前部にしか見えなかった。それに一回りは小さいようだった。
だが、なぜヴィシーフランス海軍の大型潜水艦が1隻だけここにいるのかはよくわからなかった。
「わが海軍潜水艦隊の補給潜水艦は大尉も知っていると思うが、あのシェルクーフも水上機格納庫などを転用して今は補給潜水艦として運用されているのだよ。今回はそれで本艦への燃料補給に来てくれたというわけだ。
幸いなことに米海軍は洋上補給は見逃してくれるようだし、彼らの近くにいる限り現状での米国との開戦を恐れる日英海軍が妨害してくることもない、というわけだ」
それを聞いてヴェルナー技術大尉はうろ覚えのシェルクーフの諸元を何とか思い出しながら手早く計算した。結論はすぐに出た。というよりも常識的に考えれば当然のことだった。
ヴェルナー技術大尉は恐る恐るフリッケ中将にいった。
「しかし、ヴィシーフランス海軍の潜水艦はよくわかりませんが、補給潜水艦が積み込める程度の補給物資では本艦の需要量に全く足りないのではありませんか」
だがフリッケ中将は何も言わずに窓の外のシェルクーフを見つめていた。しばらくしてから振り返っていったが、それはヴェルナー技術大尉の問への答えではなかった。
「シェルクーフだが、運んできたのは燃料油だけではないんだ」
それからフリッケ中将は視線を机の上に落とした。
「用意のいいことにあの艦には真新しい階級章と勲章が積み込まれているんだ。シェルクーフとの邂逅は当初から計画されていたものだが、タイミングを考えると階級章も勲章も本艦が出港する前から準備されていたのだろう」
ヴェルナー技術大尉は意味がわからずに首を傾げていた。するとフリッケ中将は何が面白いのか声を上げながら笑った。
「新しい階級章というのはつまり2階級特進、戦死者に対する特例の前貸しということだ。すでに海軍は本艦が沈んだものと考えているということだ」
ヴェルナー技術大尉は唖然とした顔になっていた。
「本艦に与えられた義務はすでに果たしたというわけだな。機関室にこもっていた大尉は知らんだろうが、本艦は世界の人気者になっているぞ。この辺りだけじゃない、大西洋に展開していた戦艦、空母に巡洋艦まで総ざらいしたような大艦隊がマッケンゼンを十重二十重に包囲しつつあるらしい。
おそらく今頃は護衛を引きぬかれて手薄になった船団を我が潜水艦が集中攻撃しているのではないかな。それとも護衛艦の手当がつかずに出港さえできていないかもしれないが」
「つまり……最初から本艦は他の艦のための囮で戦果など期待されていなかったということですか……ならば一体我々は何のために……」
フリッケ中将は表情を改めると真剣な顔で言った。
「貴官も軍人ならそれ以上は言わないことだ。大尉もわかっていただろう。本艦の装甲は巡洋艦なみだ。最初から他の戦艦と伍して戦うことなど求められてはいなかったのだ。
さて、本艦の残る任務は後一つだけだ。そこで聞きたいのだが、ディーゼルエンジンの修理は完了したと考えても良いのだな」
ヴェルナー技術大尉は慌てていった。
「修理は完了しました。最大出力でどれだけ回せるかは保証できませんが、定格出力ならばある程度は安定して運転できるはずです」
「それで結構だ。シェルクーフが運んできてくれた程度の燃料でも、燃費の良いディーゼルエンジンならば戦う相手を選ぶぐらいの行動は可能だろう。幸い米海軍が発見した接近する艦隊はこちらが傍受しやすいように平文で通信してくれているから独自の索敵の必要はない。
米海軍にしてみれば敵同士がお互いに損耗してくれると考えているのかもしれないが、おかげで我々は英国の旧式戦艦、リヴェンジ級を狙って行動を起こせるというわけだ」
そう言い切るフリッケ中将にヴェルナー技術大尉は唖然とした顔を向けた。
「まだ戦うつもりなのですか」
「言ったはずだ。残るたった一つの任務だと。本艦は空母や巡洋艦ではなく、敵の強力な戦艦と最後まで射ち合って沈まなければならない。それで我が戦艦、ビスマルクやシャルンホルストの脅威を必要以上に高く見積もってくれれば、国際連盟軍も潜水艦ではなく戦艦に備えた艦隊編成で船団護衛にあたるのではないのかな。
そうなれば我が潜水艦も暫くの間は今以上に暴れられるだろう」
ヴェルナー技術大尉は未だ難得できないといった顔でフリッケ中将を見つめていた。その視線に笑みを返すとフリッケ中将はいった。
「そんな顔をするな大尉。まだ死ぬと決まったわけではない。それに新しい階級章が用意されているのは本艦固有の乗員だけだ。貴官らの分は積み込まれておらん」
そう聞いてもなんの慰めにもならなかった。ヴェルナー技術大尉たちは元々員数外の乗り込みなのだから、そんなものが用意されているはずはないからだ。
だが、フリッケ中将の答えはさらに予想外のものだった。
「シェルクーフが輸送してきた燃料油はドラム缶と増設された外装式の燃料タンクに積み込まれているから、補給後は艦内の空間に余裕ができるはずだ。まだ時間はあるはずだから、貴官は臨時乗組の工廠工員を引率してシェルクーフに移乗してくれたまえ」
ヴェルナー技術大尉は唖然とした顔でフリッケ中将の顔を見つめていた。
「貴官にしか言わんが、この戦争は先が見えている。世界中を相手にしてしまった時点でドイツが勝利する未来はありえんし、講和も今の政権が続く限り不可能だろう。だが、我々軍人は総統に忠誠を誓った身だ。裏切ることは出来ん。
本艦、いやドイツ海軍のハードウェアがどこまで残存できるかは私にもわからない。最悪の場合は先の大戦のように全てが失われてしまうかもしれない。だがそれも仕方がなかろう。最後まで戦い抜いた結果ならば受け入れるしか無い。
しかし、貴官ら技術者が我々軍人に付き合う必要はない。ハードウェアの損失も本当は恐れる必要はないのだ。優れたソフトウェア、つまり貴官ら経験を蓄積した技術者さえ生き残れれば、どのような形になるかは分からないがいずれドイツ海軍は復活するはずだ。
だから今は何があってもこの戦争に生き残るのだ。いずれ貴官らが本当に必要になる日もくるだろう……
もう行きたまえ。本艦乗員への引き継ぎだけは済ませておいてくれ。戦闘中に機関が止まらなければそれでいい」
そう言うとフリッケ中将はヴェルナー技術大尉から視線を外して書類仕事に戻っていた。もう大尉に話すことはなにもないらしい。
ヴェルナー技術大尉の脳裏を整理しきれない思いが渦巻いていた。しばらく司令官公室の中で立ち尽くしていたが、そっと敬礼すると部屋を後にした。
もうこの部屋に来ることはないだろう。ヴェルナー技術大尉はそう考えていた。
マッケンゼン級巡洋戦艦の設定は下記アドレスで公開中です
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ノースカロライナ級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です
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コロラド級空母の設定は下記アドレスで公開中です
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バラクーダ級巡洋潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です
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