1943北大西洋海戦18
艦橋直前に配置されていた投射機から一斉に発射された散布爆雷は、楓の針路前方の海面に適度な散布界を保ったまま着水した。極端に弾頭部の重量が増されている散布爆雷の砲弾は、海面落着後は着発信管が取り付けられた弾頭部を真下にして急速に沈下していった。
早くも次弾の装填にとりかかっている操作員を一瞥してから、浅田少佐は祈るような気持ちで散布爆雷が投射された海面を見つめていた。
先頃の改装工事で松型駆逐艦楓に新たに搭載された散布爆雷は、元は英国で開発された新兵器だった。構造そのものは歩兵部隊でかつて使用されていたような古臭い先込め式の迫撃砲と変わりないが、それが列を作って並べられている様子は浅田少佐には最初は奇妙に思えていた。
散布爆雷はその名の通り、迫撃砲から一斉に発射された対潜弾頭が一定の散布界で海面に落着するが、その衝撃で弾頭の安全装置が解除されて急速に沈下が始まる。
通常のドラム缶型の爆雷などと比べて水中抵抗が小さいために沈下率が高く、真っ直ぐに沈下する弾頭には対潜爆雷としては珍しく着発信管が設けられていた。
敵潜にこの着発信管が当たった時だけ炸裂するのだから、浅田少佐も最初はその威力を疑問視していたのだが、実際には一発が炸裂すればその圧力で周囲の弾頭全てが誘爆するため、敵潜を破壊するだけの爆圧を発生させることができるらしい。
しかも散布爆雷は迫撃砲によって前方に投射されるために、水中探針儀などで探知した目標位置に向けて迅速に攻撃できるという利点があった。
これまでの爆雷は艦に与える被害や原理上の問題から艦尾に装備するしかなかった。
当初は艦尾に備えた軌条から自由落下させるものしかなかったが、後に舷側に向けて爆雷を射出させる爆雷投射機も開発されていた。
しかし、爆雷投射機も艦の前方に向けて爆雷を放つことはできないから、攻撃可能な距離は横に広がっただけなのだ。
だからこれまでの攻撃方法では艦前方で敵潜を発見したとしても、その場で攻撃するのは不可能だから危険を犯して一度は敵潜の真上を通過しなければならなかったのだ。
さらに従来型爆雷攻撃の際には、敵潜の存在にかかわらず予め設定された一定の深度で必ず爆雷が起爆していたから、その騒音で聴音が不可能になるために爆雷攻撃後に敵潜を失探することも少なくなかった。
散布爆雷の場合は命中しなければ起爆はしないから、仮に攻撃が失敗したとしても敵潜が急激な機動で回避した場合はその騒音を探知することは難しくなかった。
それどころか、この命中しなければ起爆しないという散布爆雷の原理を積極的に利用して単純な攻撃兵器ではなくセンサとして使用することも可能だった。
敵潜が予想される範囲に投網のように散布爆雷を射出して敵潜の有無を確認するのだ。それで敵潜が高速で爆雷の散布界から逃げ出してくれれば騒音が発生するからその機動が追えるし、本当に敵潜がいれば起爆によってその存在が明らかになる。
そして、いつまでも弾頭が起爆しないとすればその場に敵潜が存在しない可能性が高いという証明になるのだ。
だが、そのようなセンサとしての贅沢な使い方ができるのは残弾に余裕のあるときだけだった。そして、現在の楓は連続した対潜戦闘の実施によって散布爆雷も通常の爆雷も残弾が乏しくなっていた。
残り少ない散布爆雷の再装填を終えた操作員達が待避所に駆けこんだ時も、先に発射した散布爆雷が起爆した様子はなかった。攻撃が徒労に終ったにもかかわらず、散布爆雷の操作員達の表情に変化は表れていなかった。
明け方に行われた対艦戦闘からこれまでの対潜戦闘に至る激しい戦闘の連続に楓の将兵の多くの顔から感情が抜け落ちていた。
駆逐艦長である浅田少佐もそれは同じだった。
疲労は隠しようもないが、乗員たちに休息を取らせるのは難しかった。それほど船団に対する危険は大きかったのだ。
昨夜の対艦戦闘が集結した後、楓は共に戦った僚艦を半ば放置して船団への復帰が求められていた。しかし艦そのものへの損害は少なかったが、高射砲弾の残弾は乏しく、魚雷は撃ち尽くしており、燃料も乏しくなっていたから楓の喫水は危険なほど上昇していた。
だから船団に復帰後は燃料や弾薬の補給が必要だったのだが、実際には楓には補給を行う余裕は与えられなかった。直ちに対潜戦闘を行わなければならなかったからだ。
楓などが敵戦艦と交戦している間に退避行動を行っていた護送船団だったが、敵潜は船団の針路を読みきって行動していた。あるいは予め敵戦艦と綿密な連絡を取り合っていた可能性も少なくなかった。
そうでなければ退避進路をとった護送船団の前方などという格好の位置から襲撃をかけることなど不可能ではないのか。
おそらくその潜水艦は昨日に護送船団に張り付いて無線連絡を行ったあのしつこい潜水艦なのではないのか、浅田少佐はそう考えていた。
だが、敵潜水艦は単艦ではなかった。合計で何隻いるのかは分からないが、1隻だけということはありえなかった。ほぼ同時に多方向から船団が襲撃を受けていたからだ。
楓が補給を受ける間もなく対潜戦闘に駆り出されたのも当然だった。楓や第22戦隊が対艦戦闘を繰り広げている頃から、護送船団の直援に残されていた海防艦などは対潜戦闘を開始していたからだ。
新たな探知目標に対して散布爆雷の射界に収めるべく操艦を行いながら、浅田少佐はぼんやりとこの戦闘はいつになったら終わるのか、それだけを考えていた。
それからふと敵潜の艦長はこの状況をどう考えているのだろうか、船団への攻撃に成功して満足しているのか、それともこちらに追い詰められて焦っているのか、そんなことを考えたのだが、聴音室からの敵潜概算位置を告げる報告を聞いた瞬間にすべてを忘れていた。
散布爆雷の発射点まであと僅かだった。
この戦闘はいつになったら終わるのか、混濁した意識の中でグレーナー中佐はそう考えていた。
長時間の連続潜航を行っていたU-169の艦内の空気は淀み始めていた。ドイツ海軍潜水艦隊に所属する攻撃型潜水艦の中では大型艦であるⅨ型潜水艦であるU-169だったが、このように長時間の潜航行動は設計時には想定されていなかったのではないのか。
あるいは想定したとしてもあとは乗員の努力で解決すべき問題と思われていたのかもしれない。
すくなくとも戦前に艦の大型化や長時間の潜水行動が乗員に及ぼす影響の調査などが大規模に試みられた形跡はなかった。
そもそもが開戦前は潜水艦隊にかけられた期待そのものが大したものではなかったのだ。先の大戦後、ドイツ海軍に科せられた制限によって潜水艦隊は解散せざるを得なかった。
条約の網をすり抜けるように、潜水艦の建造に携わっていた設計技師を外国で設立させたダミーの設計会社に移籍させて、最新鋭の潜水艦の建造技術の維持に努めたり、潜水艦隊の拡張を行っていた日本海軍への技術者や艦長経験者の派遣などによって何とか潜水艦関連技術の断絶を防ごうとはしていたが、そのような行為にも限度があったはずだ。
それらはあくまでも技術の維持でしかなく、しかも運用技術の維持に努めていたのは少数の指揮官クラスでしかなかったから、潜水艦を用いた戦術などはともかく、細かな使い勝手にまでは行き届かなかったのではないのか。
第一、ナチス党が政権を奪取した後、再軍備制限によって陸海空軍の戦備増強がおおっぴらに開始されたものの、海軍の増強の中心は戦艦や巡洋艦などの大型艦の建造に重点が置かれていた。
別に問題はナチス党やヒトラー総統にだけあるのではなかった。海軍の首脳部も政府の方針に異を唱えなかったも同然だったし、そもそも再軍備の準備や戦間期の条約に違反した軍事関連技術の維持はナチス党が躍進するよりも以前のワイマール共和国時代からの規定の方針だったからだ。
だが、先の大戦の敗戦後にドイツに科せられたヴェルサイユ条約によって海軍に残されていた旧式のド級戦艦の代替であったはずのドイッチュラント級装甲艦はあっという間に巨大化してシャルンホルスト級戦艦となり、次世代のビスマルク戦艦に至っては世界最大の戦艦となってしまっていた。
海軍の拡張計画であるZ計画に基づくこのような大型艦の建造の影で、潜水艦の建造は等閑に付されていたと言ってもよかった。
Z計画の目的が誰の目にも見える形の大艦隊を揃えることで英国などとの衝突を回避する抑止力であるとともに、仮に戦争となっても英国本国艦隊と渡り合う事ができる正規戦闘艦の艦隊を揃えることにあったからだ。
そのなかで通商破壊戦にしか投入できない潜水艦の出番はなく、戦時量産型の原型となる艦の建造こそ認められたものの、潜水艦隊司令部が戦時の喪失をも想定した必要数には到底達することはなかった。
英国を屈服させるには三百隻の潜水艦が必要と見込まれた中で、開戦時にドイツ海軍が有していた潜水艦は百隻にも満たなかったのだ。
だが、Z計画は当初の目論見通り抑止力として働くことはなかった。結局はポーランド侵攻の開始とともに英国はドイツに宣戦を布告し、今ではそこに日露などの国際連盟加盟諸国まで加わった国際連盟軍がドイツと対峙してしまったからだ。
ここに至って建造に時間のかかるZ計画の主力であったはずの戦艦などの大型艦建造は中断か、建造速度の極端な低下が行われ、その代わりに弱者の戦略とも言える通商破壊戦を実施するために潜水艦の建造が重視されることになった。
しかし、戦間期も含めて長い間潜水艦に携わっていたグレーナー中佐は、その判断はあまりに遅すぎたと思っていた。
結局はドイツ海軍が大型艦に注ぎ込んでいた技術開発や建造に関するリソースはほとんど無駄になっていた。その代わりに本来行われるべきだった高効率な潜水システムや乗員の基礎的な訓練法などの開発が遅れたのは否めなかった。
潜水艦の急速建造技術の研究は進んでいたから、最近では特に中型のⅦ型潜水艦などの建造速度は上がっていたが、開戦直後の必要な時期に潜水艦の数を揃えられなかったつけは大きくついていた。
開戦直後から対潜技術の向上を図っていた日英海軍の対潜能力は今では大きくなっていた。先の大戦とは比べ物にならないほど進化した高性能の各種センサから、所詮は水上行動を前提として潜水行動が取れないわけではないという可潜艦に過ぎない潜水艦が逃れるのは難しくなっていたのだ。
最近では日英海軍は護送船団にまで航空機を運用する最低限の機能を付加した護衛空母まで随伴させるようになっていたから、少なくとも日中に潜水艦が船団に襲撃をかけるのは自殺行為となりつつあった。
このような状況でドイツ海軍の潜水艦が戦局に寄与することなどできるのだろうか。
そこまで考えたところで、グレーナー中佐は大きく頭を振った。長時間の潜水で淀んだ空気のせいでいつの間にか悪い方にばかり考えが及んでいたようだった。
確かに護送船団の護衛艦艇によって執拗な対潜攻撃を受けてはいるが、客観的に見てU-169を取り巻く戦況は決して一方的に不利なものではなかった。すでにU-169は敵護衛艦の隙をついて護送船団に所属する輸送船の撃沈に成功していたからだ。
黎明時に理由はよくわからないが警戒する様子も見せずに一直線に航行する船団に向けて、U-169の全魚雷発射管から放たれた狙いすました雷撃は少なくとも二隻の輸送船を屠っていた。
距離があったし、直後に急接近してきた護衛艦艇の接触を受けて潜航を開始していたから、撃沈した輸送船の詳細はわからなかったが、護衛艦艇の爆雷攻撃が開始されるまでの聴音結果からすれば沈んだのが1隻だけということはありえないようだった。
それに、今この戦域に展開しているのはU-169だけではなかった。おそらく先日来のU-169の無線通信を受けてこの海域まで航行してきた僚艦があったのだろう。
U-169が潜航を開始してから、敵護衛艦艇の爆雷攻撃の合間に彼方から爆発音が聞こえてきていたのだ。
攻撃を開始した僚艦がどれなのかはわからなかった。同じ潜水隊群であるのかどうかもよくわからない。ただし、U-169に対する対潜攻撃に敵護衛艦艇が掛り切り担っている間に無防備な船団を攻撃したところからその艦長には一定の能力があることは間違いないようだった。
絶え間ない爆雷攻撃のせいで海上の様子はよくわからないが、その正体不明の僚艦にも敵護衛艦艇が向かえば敵艦隊の戦力は二分されるから、U-169がこの包囲網から逃れる機会も訪れるはずだ。
そうなれば高速を出しているとはいえ、鈍足の輸送船ばかりの護送船団を燃料の続く限り追尾して再攻撃をこなうこともできるはずだ。
グレーナー中佐は決意を込めて顔をあげていた。確かにドイツ海軍潜水艦隊を取り囲む状況は決して容易なものではない。
だが大事なのは諦めないことだ。粘り強く戦い続ければ、いずれ機会は訪れる。グレーナー中佐はそう信じると、力強い声で新たな命令を下していた。
彼らの戦いはまだこれからだった。
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