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第9話「タロン」

 ルゥラは夢を見ていた。


 どこまでも高く澄んだ天上、一点より降りそそぐ光は様々な命あるものを輝かせ、彩られた潤いに満ちた大地は瑞々しい恵みをその懐に抱いている。翔けば眼下には雲を映す広大な蒼のさざなみ、側を通り過ぎる海鳥の群れ、風に揺れる可憐な花々、草原の水場に集う無垢な獣たち……けれど、そこにはヒュピィアやソラウィの姿はない。孤独なレネリィは仲間を捜して大海原を渡り、また地峡を隔てて聳える山岳の頂を何度も越えた。しかし身を撫でてゆくのはたおやかに流れてゆく風の無言のささやきだけ、ルゥラは思わず声を上げた。

「ダレカ……ダレカイナイノーーーーーーッ」


「……ワタシタチガソバニイル!」


 比類なき大きなる力の目覚めは、整然と再配置されたヴェルクトゥの妖精機関は一基も欠ける事なく惶波の供給を始めた。新たに設けられた統合中枢……302羽のレネリィを束ねるシリンダーの中のルゥラは、すぐ身近に語りかけて来るレネリィたちのコトネをとても心強く感じていた。ここには大勢の気持ちの通う同胞がいる……けれど、微睡みに垣間見た曇りなき空の世界、どこか懐かしく感じるその情景の中にもうひととき、留まっていたかったとも思うのであった。

「実効出力65200KP!浮上に必要な31500KPを遥かに上回ってます。飛行状態でも惶波輻射帯の展張は機体周囲5カルに及ぶものと推測されます」

「君将、ご覧頂いた通りヴェルクトゥは何時でも出撃可能な状態に仕上がっております。ご下命を」

 技師からの数字を計算書で確認したハースは、強力なネーロによって飛躍的に安定した高出力を得た改良型巡惶艦の完成をネュピアスに報告した。

「大儀であった。ハース技師長、ラーマ進駐は我らソラウィの悲願、ルシエナ回帰への大きな前進となるだろう。カロン、第6から第40までの親衛戦闘団を完全装備で召集せよ。我々はこれより朧の森への遠征の途に就く」

「はッ……第5は……我が親衛第5戦闘団は如何いたしましょうか?」

「聞こえないのか?召集だ。急げ!ハース、ヴェルクトゥをエプロンへ移動させろ!」

 自らの部隊へ下命がない事に訝しげな表情を見せるカロンにネュピアスは強い口調で言い放った。操舵主の入力を受け、繊細な出力制御でヴェルクトゥの巨体をハンガーから移動させるルゥラ。耳を裂くような高周波を発しゆるゆると動き出す力の塊を一瞥したカロンは、足早に営舎へと戻ると配下の翼士隊にラーマ進駐の激を飛ばした。

「聞け!同志よ!これより我が親衛翼士隊第6から第40はネュピアス君将の貴下に配される。各員特時1級戦闘装備にてエプロンで待機中のヴェルクトゥへ集合せよ!これは訓練ではない。各員命を賭して君将をお護りするのだ。詳細は追って通達がある。開始ッ!」

「おお!」

 出陣に俄に緊張を高める宮内、周囲は階段を往来する軍靴の響きや甲冑の乾いた擦過音で騒然となった。総勢2万を数えるソラウィのほぼ半数が何らかの形で軍組織に関係しているリエラにおいて、今回の進駐の規模はまさに国を挙げた総力戦の様相を呈していた。



「……足音……」

 天井を支える磨かれた石柱を、滑らかに間を隔てる壁面を伝って遥か地中に伝わってゆく硬質な振幅、ビルケウの湖面より更に低い地下にあるため潤んだ空気に満たされた、錆びくれた工作機械の並ぶ区画……このリエラ王宮最下層の、今や忘れ去らようとしている旧い地下工房の岩壁に無造作に設けられた無数の檻、犯罪者や思想家、危険分子といった人々を人目につかず収監しているその一角に、ひときわ荒廃のすすんだフェレロの房があった。血気にはやり、王宮を揺るがす勝鬨の叫びは遠く離れたこの監獄にまで伝播し、粗末な冷たい床面に横たわるフェレロの無気力な耳を叩いた。

「ルゥラ……あいつと行っちまうのか……」

 名誉翼士の拝受式以来、フェレロはこの地下深くの独房に監禁されていた。ネュピアスの誘惑によって手元より引き離れてしまったルゥラ、奪われた愛機F/F、なにより全ての自由を失ってしまったフェレロは今更ながらにリエラの支配の強大さを思い知らされたのだった。いくら抗ってもどうする事も出来ない現実、自らの軽率さと無力さ、また周囲に収監されている異臭を放つ、全く動かない囚人達……絶望に囲まれた冷たい石の洞の中で、フェレロは自分の運命が閉じてゆくのを否応なく覚悟させられるのだった。昼夜さえ覚えぬ冥き獄で徒に過ぎてゆく無為な時間、ハナやガナッシ、そしてオーデルの人達とは違う刻の流れへと迷い込んでしまったフェレロの、しかしそんな彼の心に去来するのはなぜかラーマで出会ったソラウィの少女、アイエルの姿ばかりであった。

「ふっ……アイエルって……ずいぶんな名前だよなぁ……まるで天使みたいだ」

 ハナから受けた額の傷の具合はどうなんだろう……でも、あれだけの惶波を持っているソラウィだし、僕らには見えない壁でも使って相殺しただろうな……でも彼女の言ってた「フェルビナク」って何の事だ……そういえばハナも……少女達より語られる数々の過去の出来事、フェレロは覚えのない、けれどなぜか心が締め付けられるその意味を知りたいと強く思った。

「アイエル……あの子は……僕の知らない僕を知っているんだ……本当の僕を……」

「……兄ちゃん、どっかで見た顔だね」

 暗い石室の中、下を向き小声で誰にともなく呟いているフェレロに、どこからか子供のような幼い声が聞こえてきた。

「!……誰?」

 驚いて半身を起こし周囲を見回すフェレロ、しかし湿った暗い石室の囚人の目には、冷たく反射する壁面に荒々しく穿たれた掘削の痕しか映らなかった。揺れる正面の格子からの薄明かり、フェレロはしばしの傍観の後、再びため息をついて筵の上に伏臥した。

「……何の声が聞こえてるんだ……死神にでも呼ばれてるのかな……ふふっ……」

「間違いない!兄ちゃん、ジャントゥユでソラウィとやりあってたマッキナ乗りでしょう?」

「うん?」

 今度ははっきりした声、びっくりして飛び起き目を凝らしたフェレロは薄暗がりを浮遊する弱々しい光球を見つけた。警戒してるのか遠巻きに様子を窺う軌跡……生気を取り戻したフェレロの瞳は、その光の中に浮かぶ人型のシルエットをはっきりと捉えた。

「君は……レネリィ?」

「え?この暗がりで私が見えるの?」

 光球は驚いたのか思わずフェレロとの距離を取ったが、しばらくじっと彼の顔を見つめたのち、おそるおそる目の前へと近づいてきた。

「へえ、君……僕らと言葉が通じるんだ?」

「バカにしないでよ!私たちにだって口はあるのよッ」

「そりゃそうだけど……くす」

 何やら憤慨気味な「暗い」レネリィ、でもそれとは裏腹にあっけらかんとしたその喋りはフェレロの心を明るく照らした。

「なにがおかしいのよッ」

「ごめんごめん……いや、僕の知ってるレネリィは"アイ"しか話せなかったから……びっくりしたよ。君みたいなレネリィは初めてだ」

「そりゃどうも。高位のレネリィはコトネで全て伝えられるから話せなくても大丈夫なんでしょッ」

「いや、そんな意味じゃ……はは……えっと、誰ちゃん?」

 どうも気になる部分をつつかれたらしいレネリィはフェレロの頭の上に乗っかるとやっかむように言った。なるほどその気さくな話しっぷりはよりヒュピィアに近いレネリィの類なのだろう。フェレロはちょっとハナの事を思い出した。

「先に自分から名乗るのが礼儀でしょッ」

「はは、調子狂うなぁ……あ、僕はフェレロ、オーデルのハンターだよ……今は違うけどね」

「オーデル?兄ちゃん、もしかしてあのラーマから戻ってきたっていうハンターのフェレロ?」

 レネリィはびっくりしておでこからぶら下がってフェレロの顔を見た。

「うん、おかげでいろんな事に巻き込まれちゃってるけどね」

「へえぇ……あ、私はテナ。よくここに遊びにくるんだ」

「はあ……よくもこんな薄暗い所に……あ、でもさ、君は惶を浴びなくても大丈夫なの?」

「レネリィだって同じ種族ばかりじゃないよ。ねえフェレロ、レネリィがどうやって生まれるか知ってる?」



 ヴーの雲を貫く蒼の惶波。展張する主翼は滑走路幅を遥かに凌駕して影を落とし、舷側の放熱口から溢れ出す眩い光粒は異様なまでの明るさで首府を照らす。王宮に隣接したマッキナの発着場、その最長の滑走路に威容を示すヴェルクトゥの機首の前に整列したネュピアス貴下の翼士およそ五千騎は、眼前の巨大な鳥の姿に改めて畏怖の念を抱いた。

「よく聞け、我々はいよいよルシエナへの回帰の第一歩を記す事となった」

 ヴェルクトゥの脚柱の前に立つネュピアスは、居並ぶかつてない規模を見せる翼士隊の精鋭へ向けて出撃の檄を飛ばした。

「勇敢なる我がリエラ翼士隊の戦士諸君、今回の遠征は未だソラウィが到達した事のない朧の森、ラーマへむけて行われる。ヴェルクトゥのフィールドである程度の活動は可能であるがまだその信頼性は未知数だ。体内の惶の枯渇による戦死者も多数出ることになるだろう。しかし、我々は前へ、そして天へと羽ばたいてゆかねばならぬのだ。この地に淀む忌々しいヴーを消し去り、新地淅を再び惶の煌めきで満たす為に!」

「ヤー!ヴィエン・ラタ・ソラウィス!」

「搭乗開始ッ!」

 "親衛"の名を戴く翼士隊の選抜部隊のソラウィが一糸乱れぬ隊列を組んでヴェルクトゥ後部の巨大扉から機内へと配置についてゆく。その勇壮な行進を前に、傍らで怪訝な表情を見せているカロンにネュピアスは指示した。

「ラーマを平定したら一度戻る。それまでは貴様がリエラの指導者だ。民衆には慈愛を持って接しろ。よいな?これはお前の地位でなければ出来ない事なのだ。しっかり頼むぞ」

「お任せを……ところで母上、私は無学ゆえ今回の遠征の主旨が掴みきれておりませぬ。ヒュピィアへの執政の要に鑑み、その戦略をお聞かせ願えれば光栄です」

 相変わらず稚拙な探りにネュピアスは軽く失望したが、永きにわたる苦境と施策を経て今まさに悲願へと歩みだした彼女にとってそれはもう気に留める必要もない事であった。そう、いずれこの地は……

「ルシエナへ赴くには今の何倍……何十倍もの惶波が必要となる。しかしリエラにはもうそれだけの惶の持ち主はいない。わかるな?」

「は、しかしラーマには蒼明の施師が潜伏しているとお聞きしました。母上の身の上が心配でございます」

「フン……やはりアイエルが気になるか?」

 露骨な彼の感情の迸りにネュピアスはカロンの本懐を抉った。

「いえ、ただ私は彼女の力を一番良く知っている者だと自負しております。どうかお気をつけ下さいませ」

「無論、彼奴と無益な争いをするつもりはない。貴重な兵たちを徒に失う訳にはいかぬからな……ただ我等の覇道に楔を打ち込むのであれば、この紅潔の惶にかけて奴の全てを奪ってやるつもりだ」

「……はい」

「では行く、留守を頼んだぞ」

 不惑の表情を偽るカロンに背を向け、ネュピアスは搭乗を続ける本隊を激励に向かった。王宮の窓という窓に鈴なりとなった君将の出陣を見送るソラウィ達。歓喜に沸く滑走路、出征部隊の搭乗を終えた後部扉がゆっくりと閉じてゆき、ヴェルクトゥの主機関がひときわ甲高い唸りを上げた。

「機関圧力、臨界に到達。全搭乗員の受惶プローブの接続を確認」

「了解した。ハース、機関離昇出力!」

 浮遊していた惶の粒子が一瞬陽炎で揺らいだ。爆発にも似た「力」の放出。沸騰した大気の起こす凄まじいまでの乱流が滑走路上に吹き荒れる中、ヴェルクトゥの巨体はゆっくりと浮上を開始した。

「あまりにも……あまりにも大きすぎる……この力、一人のソラウィで止められるとはとても思えぬ」

「カロン様。国境まで護衛しなくてもよろしいのでしょうか?」

「フン、自分が情けなくなる……もし私が命じれば、貴様はあれを墜とせるか?」

「は?」

 リエラの上空高く昇ってゆく巨大な鳥の影を見上げながらカロンは従者に言った。しかしそれは自らへと向けられた問い……カロンは苦笑いをすると歓声の飛び交う滑走路を後にした。

「これより戒厳令を敷く。治安警察を定数の倍に増員、許可なく外出するものは容赦なく拘束せよ!」



「レネリィがソラウィの子供だって?アッハハハ!そんなの信じられないって!」

「ウソじゃないよ!私のママだってソラウィだもん」

 テナの語るレネリィの生い立ちにフェレロは思わず笑い声を上げてしまった。確かにソラウィと同様に翅のようなベイルを持つとはいえ、手のひらをいっぱい広げたくらいしかない体長のレネリィがソラウイと同じ種族だと言われて誰が信じるだろうか?フェレロはからかい半分にテナに話しかけた。

「じゃ、じゃさ、テナのママはどこにいるの?君みたいな小さい子を一人ほったらかしにしてさ」

「テナ、子供じゃないよ!これでも20才なんだからッ……それにママたち、こんな所じゃ生きていけないよ……すん……思い出したら……なんだか寂しくなってきちゃった……」

「……テナ?」

 フェレロは不意に表情を曇らせたテナを見つめた。レネリィって……レネリィっていったい……小さくて可愛くて、もの凄い力を秘めてる精霊……もしかして、そうじゃないの?って、20才って僕より年上だ!

「ご……ごめん。レネリィと一緒にいた時にはこんな風には話せなかったから……それで、君のママは何処にいるの?」

「……王宮で暮らしてるんだ……ソラウィのお姉ちゃんと一緒に……」

「え……」

 フェレロは意味が分からなかった。お姉ちゃんって……このレネリィ、ソラウィの姉妹がいるっていうの?

「……ママは、子供がたくさん欲しいって言ってたんだって……私が生まれて来るのをとても楽しみにしていたって」

「そ……そうなの」

「でも生まれてきた私はレネリィだった……それでママは怖くなって、もう子供を産むのが嫌になってしまったの。それからずっと、私はお姉ちゃんの遊び相手のレネリィ……同じママから生まれたのに、ママって呼ばせてはくれない……」

「テナ……」

 フェレロがうつむくその小さな姿体に手を伸ばそうとした時、房の正面の岩壁に設けられた扉が不快な軋み音を響かせて開いた。溢れ出る紅い揺らぎ、そこには光のベイルに包まれた一人のソラウィが立っていた

「シッ……誰か来た!」

「……あのソラウィ……」

 近衛隊の甲冑を纏ったソラウィは闇に沈む無数の房を見回した。静寂が支配する刻の止まった空間……その中でかすかに鼓動する気配を感じ取ったのか、ソラウィは洞窟の最深部へと靴音を響かせて近づいて行った。燃える紅潔の瞳、その男は一つの石室の前にやってくると外界とを隔てる檻の中を凝視した。

「生きてるか、フェレロ」

「……カロン?」

 ジャントゥユ以来の対面となるカロンは、相変わらずの高圧的な態度でフェレロに尋問を始めた。

「答えよ、貴様、ラーマでソラウィと会ったと言うのは本当か?」

「……うん、アイエル……って子と会った」

「ふむ……そこで何をした?」

「ラーマに降りる時に無理して死んじゃいそうだった僕のレネリィを助けてくれたのさ。見た事もない蒼い輝き……君たちの恐れを感じさせる紅い惶波とは違った、つつまれるような暖かい光だった……」

「そうか……」

 フェレロを威圧するかのようなカロンの眼差しが一瞬和らいだ。

「……元気なのか……アイエル……」

「……え?」

 フェレロはカロンの呟きに不意に奇妙な親近感を覚えた。それは、今までソラウィには感じた事のなかった感情……猛々しさや傲慢さではなく、一人の同胞を想う柔らかな欲望……ヒュピィアが抱くものと何ら変わる事はないその感情は冷徹を装っているカロンの本質を垣間見せる。フェレロはゆっくりと腰を上げると、柵越しにカロンの正面に立った。

「大丈夫……アイエルはラーマの惶泉の近くで暮らしてるから……君は……カロン、君はラーマには行かないの?」

「もう済んだ事だと思っていたが……フフッ……俺が貴様だったらな」

 フェレロの洞察が本懐をくすぐる。カロンは目を閉じると、指先に惶波を集中させ始めた。

「フェレロ、貴様は君将への不服従という重大な罪を犯した。よって私が直々に処罰を与えてやる!」

「?」

「危ないッ!」

 紅く迸る惶波がフェレロへと向けられる。物陰に隠れていたテナはあわてて檻の間隙を抜けてカロンの顔面へ頭突きを食らわせた。

「つぅッ!」

「テナ!」

 カロンの指先から放たれる針のような惶波、その焔はフェレロのこめかみを掠め、寝癖で乱れた頭髪の一部を焦がして背面の石壁に深い孔を抉った。

「……本気か?」

「あ……あれ?」

 微動だにしないフェレロにテナは驚いた。見れば惶波の走った軸線上にあった独房の強固な錠前が原型を留めない程に溶解している。

「この馬鹿羽根が!囚人を殺す気か?」

「……まさかね」

 フェレロは未だ輻射熱でゆらめく檻の扉を軽く押した。

「あ……開いた?……」

 カロンの顔に張り付いていたテナは慌ててフェレロの元へと飛んでいった。まさか、この人はフェレロを助ける為に?

「どういう事なの?カロン」

「……君将は軍を率いてラーマへと向かった。おそらくはあの地のネーロ……いや、アイエルまでもヴェルクトゥの力にするつもりなのだろう」

「どうして……ネュピアスはルゥラだけじゃなくて、あの子も支配しようって言うのか?」

「……おそらくは……くっ」

 カロンの言葉の裏に潜む押し殺した感情。敵対していたとはいえ、空で互いに技の全てを出し切って戦った飛行士同士……その中でいつしかその存在を認め合っていた彼等の間には種族の境界などとうの昔に消え去っていたのかもしれない。フェレロはカロンの心の奥底に焦げ付く慟哭に気がついた。

「カロン、僕の翼は?」

「ハースが留守の間の機体の維持の為チェカの怪しげな技術者を臨時に雇っている。あのヒゲ面に聞けばわかるかもしれん」

「チェカ……まさか?」

「彼女が素直に同胞のネーロを引き渡すとは思えん……もちろん自分自身もな……アイエル・ナ・ラグナノは君将に勝るとも劣らぬ蒼の施師、まともにぶつかれば凄惨な結果が待っているだろう」

「カロン……」

 リエラの最高機密であるラーマ進駐の企てを軍属以外の、しかも囚人同様の者に口外するというのがどういう事なのか。突然状況を説明させられたフェレロは軽く面食らったが、今、自分に託されようとしている事の重大さに全身灼けつくような血潮の滾りを感じた。カロン……わかった……僕が……僕がラーマを……アイエルを……

「ねえ!なにしてんの?男同士で見つめ合ったりしてさっ」

「テナ、僕は上に行く」

「話は終わりだ。逃がすか囚人、食らえ!」

「うわわ!」

 とっさに駆け出し牢を飛び出すフェレロ。背後でカロンの惶波が凄まじい爆焔を上げる。

「カロン……」

「……頼んだぞ」



「むっ?もう始めやがったか」

 警報のサイレンが鳴り響き、配置についていた翼士隊が慌ただしく駆け出してゆく。ヴェルクトゥが発ち、がらんとなった第3ハンガーの巨大な屋根の下、鹵獲され部品取り機の列の片隅に放置されていたF/Fの再調整に取り組んでいたガナッシは、ビルケウを背景に天を突く王宮の窓を焔のように染める惶波の閃光にニヤリとした。

「おいおい、王宮ぶっ壊すなよ……とと、こっちもボヤボヤしてらんねぇな。おいチビさん、身体は本当に大丈夫なのか?」

 計器盤の石英管が淡く点滅する。微振動を伴いながらも出力効率を上げてゆくF/Fの妖精機関からは荒々しく揺らめく紅潔の惶波が吹き出していた。水準には何とか到達している推力、しかし時折息をつくようにその輝きが途切れる。ガナッシは不安を隠しきれない風で呟いた。

「カロンの奴、よりによってこんなレネリィをよこしやがって……まあ、有能な奴らはみんなネュピアスについていったんだろうがな。さて、どうする……コンプレッサを増設している時間はないぞ……」

 額の汗を拭うガナッシの耳に、複数のライトニングの甲高い吸気音が響いてきた。

「残存部隊……いかん!滑走路を封鎖するつもりか……フェレロ……何やってんだ……」

 反対側のアラートハンガーから展開してきたライトニング中隊はその数を増してゆく。今や滑走路は完全に翼士隊の支配下に置かれ、ハンガー内にも兵士達が突入してきた。ガナッシはわざとらしく大声を上げた。

「うおおお!いかん!これはどうなっとるんじゃ!」

「貴様?ここで何をやっている?」

「だれかが……だれかがこのレネリィに命令しているらしい!見ろ、機体が勝手に起動しているんじゃ。手を貸せ、早く!飛んでっちまうぞ!」

「あのフェレロとか言うガキか!技師、早く機関を止めろ!」

「まて……何だッ!」

 翼士隊員がF/Fに群がり浮上を押さえようと翼を押さえつける。その時強烈な幾条もの紅の惶波が機体より噴出し、群がったソラウィを高く弾き飛ばした。

「ぐあッ?」

「見ろ!マッキナが!」

 真紅の惶波に包まれたF/Fはよろよろとホバーリングしながらガナッシの方に機首を向けると、猛然と加速してハンガー内を駆け抜けた。爆散する波動は積まれた備品や設備を薙ぎ倒し、天井からはクレーンやチェーンブロックが次々と落下してくる。間一髪のところで地下ピットへと身を滑らせたガナッシは、ハンガー内に無数に降り注いで来る羽根のような惶の燃えかすを見上げた。仄かに暖かいそれはべっとりと紅く、まるで血痕のようであった。

「無理するな……という方が無理か……すまん……フェレロを頼むぞ」


「こっち!」

「待ってよ、もうクタクタだ」

 息を切らせて階上へと続く長い階段を上ってゆくフェレロ、王宮の構造を熟知しているテナの導く経路は確かに人目にはつかないのだが、およそ今まで使われた事のないような非常通路なので勾配がきつく、体力を消耗しているフェレロにとっては苦行であった。

「はあ……でも……僕と一緒にいたら……はあ……危ないよ……」

「フェレロがまたつかまるところなんて見たくないもん!それに、ポーがどうしても、フェレロとルゥラにお礼がしたいって言うから……」

「ポーって……とと、はあ……転びそうだ」

「はやく!この扉を開けて!」

 階段の最上部の踊り場にある金属質の扉の把手をフェレロは掴んだ。弾む息も整えぬまま力任せに回転させようとするがまるで逃走を拒むかのように微動だにしない。焦りがフェレロの感情を荒らげる。

「くそっ!開けよ!開けったらッ!」

「フェレロ、まって」

 今にも把手をもぎ取ろうとする勢いのフェレロを禁めたテナは、軸受けや鍵孔、錠前が取り付けられている螺子を具に見て回った。そしてニッと笑うと鍵孔へ向けて話しかけた。

「翼精王よ、キャストレの子が通ります。道をあけて下さいな」

「テナ?」

 不意に把手がくるくると回り出し、フェレロは危うく袖を巻き込まれそうになった。扉は軽々と奥へと向かって開き、差し込んで来る外界の光が闇に慣れた目の視界を奪う。フェレロは顔を手でおおって踞った。

「光が……テナ……さっきの、呪文みたいなの……何なの?」

「この王宮には精霊が宿らせてある鍵がたくさん残ってるの。たぶん私たちが来る前の人たちが作ったんだと思う」

「くる前って……バ……バルコニー?行き止まりじゃないか!」

「ええっ?」

 空に飛び出した光に満ちあふれる空間、渡る風は心地よく、惶を漂わせるビルケウの湖面は幻想的な色で王宮を照らす。眼下には十字に交差するマッキナの滑走路。フェレロは自分が王宮中層にあるバルコニーにいる事に気がついてテナに聞いた。

「滑走路はもっと下だよ!僕たち、上りすぎたんだ!」

「あれ?ポーがここで待っててって言ってた気がするんだけど……」

「こんな所で?……って、あれは!」

 自分のマッキナがあるであろう滑走路横のハンガーを俯瞰していたフェレロは、吹き飛ばされた屋根と騒然となっている翼士隊の一群、それと自分達の方へまっすぐ向かって来る紅い輝きに気がついた。

「なんだ……まさか、F/F?」

「ポー?こっちこっち!」

 王宮の壁面にそって垂直上昇して来たF/Fは、フェレロ達のいるバルコニーの前を猛然と通過した。展開するスピードブレーキ、F/Fは失速旋回で俯角を回復させ緩降下へと移行した。

「すごい……誰が操縦してるんだ?」

「フェレロ、飛び移って、追っ手が来てる!」

「またかよッ!」

 滑空で王宮を回りながらフェレロを待つF/F、その背後には発進なった数機のライトニングが緊急出力で迫っていた。

「時間がない、次で飛ぶよッ」

「テナも行く!」

 王宮の壁面に影を落とすF/F、その速さから未来位置を直感したフェレロは、バルコニーの柵を蹴って空中へと飛び出した。ライトニングの放つ惶弾の雨がすぐ側を通過する。F/Fはそれを庇うように落下地点へと航路を修正した。

「届けぇー!」

 機体を激しく揺るがす着地の衝撃、その影響かF/Fの妖精機関の出力がぷっつりと途切れてしまった。落下加速する機体の風圧はデッキ中央に着地したフェレロの身体を押し流そうと渦を巻いている。ポケットに押し込まれたテナがくしゃくしゃの髪で叫んだ。

「ポー!どうしたの?しっかりしてッ!」

 計器盤に弱々しく瞬く紅の惶波、フェレロは手すりを伝ってなんとか伝声管を掴もうと手を伸ばした。

「お……墜ちるかよッ!」

「ポー!お願い、がんばってーッ!」

 ライトニング隊が彼我の距離を縮める!速度を増しながら滑走路へと降下を続けるマッキナ群、しかしもういくらも高度がない!衝突の危険を感じた翼士隊員はやむなく追撃をあきらめ一旦離脱した。だがF/Fは未だ落下を続けている。迫る地上、操舵での回避が不可能な高度に達したその時、沈黙していたF/Fの計器盤が突然輝き出した。フラップが制動位置に展開し強烈な惶波が噴出する。その減速度にフェレロは今度は前方の遮風板に顔面を押し付けられる羽目となってしまった。

「つっ……キッツイぜ……」

 眼球への充血で視界が赤染する。涙目で高度計を確認したフェレロは、重力で拘束された身体を何とか立て直し渾身の力を込めて手綱を引いた。

「……充分だ、僕にコントロールを!」

「ハイ」

 伝声管からか細い声が聞こえて来る。F/Fは速度を維持しつつ城下町の頭上をかすめ、ビルケウの湖上に出た所で再び前進推力を最大にした。零高度のまま水煙を上げ首府からの離脱を計るフェレロ、離脱した際に一旦減速してしまったライトニング小隊には、もはや再びF/Fを追撃するだけのエネルギーは残っていなかった。久しぶりに身に受ける心躍る風圧、滑らかに輝くビルケウの湖面に映るマッキナの影、飛沫の向こうにみるみる遠ざかってゆく王宮の尖塔……静寂が訪れ、振り向いて脅威が去った事を確認したフェレロは機関出力をアイドル位置に落として翼を振った。

「っはあ。何とか抜けれたか……ところでポー……だったっけ?君は……」

「……ハ……イ」

 伝声管を通って聞こえて来る今にも消え入りそうな声。ああ、やはり無理させちゃったのかな……フェレロは一度レネリィを休ませようと平原の方へと進路を取った。しかしなぜか推力が落ちない。

「ポー、もう大丈夫だよ。ちょっと休もう」

「……アトル……レトパウラ……」

「?」

 ポケットから顔を出したテナがフェレロにポーの言葉を伝えた。その目には涙が浮かんでいる。

「ポーはね、私にはもう時間がないからって……燃え尽きる前にルゥラを助けたいって……」

「燃え尽きるって……どういうこと?まさか今ので……」

「ちがう……ポーは、あのジャントゥユのときにひどいケガをおってしまったの……だから

ヴェルクトゥには選ばれなかった……」

「じゃあ……ポー、君はまさかあの決勝の……」

 フェレロはジャントゥユ終盤、もう一息届かなかった先導のネーロの姿を思い出した。あの時、ルゥラの問いかけに呼応して振り向いた笑顔……でもその後カロンの射弾が……

「ナパ……ステミョルノ……」

「ルゥラは私と同じ、ネュピアスに惑わされてしまってるって……こんな目にあうのは私だけで……」

 F/Fの翼が不安定に揺れる。手綱を持つフェレロの手が震えてるのだ。石英管に届くポーの心の言葉……こんなに愛おしいのに潤んでしまってよく見えない……今の自分に出来る事……フェレロは、ポーの願いを叶えてあげたいと思うしかなかった。彼女の最後の願いを……

「……わかったよ、ポー……君の想い、必ずルゥラに届けるから……」

 フェレロは推力を再び巡航へと上げた。夕闇の迫る新地淅の平原に赤々と伸びるF/Fの軌跡、それは美しくも物悲しい命の煌めきであった。

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