表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

第8話「バイパー」

 溢れんばかりの惶に満ちて命を輝かせる紅潔のソラウィ、その中でもリエラ翼士隊を率いるカロンのそれは並みいるソラウィの中でも一際群を抜いていた。恵まれた体躯と天性の感覚を持ち合わせる彼の技量はマッキナの操縦、また射撃面において特に顕著にあらわれ、名実共にリエラ最高の翼戦士としてヒュピィアの人々の賞賛と畏怖を集めていた。そんな彼の前に現れた一機のマッキナ"F/F"、ソラウィにとって格下の存在であるヒュピィアの少年、フェレロの駆る機体にこれまで何度も翻弄され続けたカロンは今、鬱積した憤りと焦燥でその感情に破綻を起こし始めていた。ジャントゥユ決勝、先行を許したしたF/Fに離されまいと全力でその背後に食らいつくカロン、戦闘艇でもあるライトニングの遮風板に投影された緑色のレティクルに羽ばたく蒼色の機体が重なったとき、既に機械の一部と化している彼の左手は無意識に推力レバーの頂部に設けられている射撃スイッチを押していた。

「しま……ぐぅっ!」

 ソラウィの背の羽根と接続されている座席の吸入管が斉射に必要な惶波を容赦なく奪い、カロンは思わず声を上げた。自らの限界を維持しての飛行に加えての更なる惶の浪費がもたらす並のソラウィならば命に関わるほどの負荷、遠くなる意識を気力で手繰り寄せるカロンの目に瞬間、F/Fの未来位置へと正確に向かう四条の惶弾の軌跡が見えた。

「よ……よけろ……フェレロ!」

「アイ?」

 先導のネーロに手が届かんとしているフェレロ機、その計器盤中央の石英管が唐突な感情の高鳴りを示した。カロンのコトネを耳にしたルゥラは咄嗟に主推力を反転させ急制動をかける。F/Fは大きく機首を上げた。

「ル……ルゥラ?うあぁ!」

 不意に崩れたマッキナの姿勢に滑り落ちそうになるフェレロ。その横をかすめるように前方へと閃いたカロンの射弾はF/Fの直前に迫るゲートの橋脚に直撃し、支えを失った石造りのアーチはコース上を塞ぐように崩壊し始めた。

「撃たれた?……おい、止まれッ!」

「キャ」

 虹色の羽根が散る。フェレロの目の前で、気付くのが遅れた先鋒のネーロは落下する瓦礫に激突した。進路を塞がれたフェレロは過大な仰角を保ったままのF/Fを適格に操り速度を殺し続ける。石橋を支えていた大きな桁が眼前に迫った。

「ルゥラ、上昇だッ!」

 推力が……来ない!

「……ルゥラ?」

 失速!フェレロは大声で伝声管に叫んだ。

「ルゥラッ!どうした?」

「……ア、アイ!」

 慌てた声と共に唐突に噴出する惶波、弾けるように垂直上昇したF/Fは間一髪でその頂をかすめた。ただその推力はすぐに途切れ、F/Fはふらふらと速度を失って反対側のコース上へと不時着した。

「力が?ルゥラ、大丈夫?ケガした?」

「……ア……アイ……」

 震えるルゥラの声、怯える彼女のコトネの中に投影されている、先導していたネーロの消息にはっと気付いたフェレロは慌てて機体から飛び降りて、越えてきた瓦礫の山を駆け上がった。

「あ……あのネーロ、まさかこの下に……あつっ?」

 焼けつく石塊、まだ熱気を帯びている崩れた橋脚の壁を登り詰めたフェレロの目に、圧縮機の高音を響かせて滞空するライトニングの重々しいシルエットが映った。操縦席から身を乗り出したカロンは、瓦礫の上に立つフェレロの姿を認めるとにやりと笑った。

「……お前の勝ちだ、と言いたいところだが、勝負は勝負なんでな。悪く思うな」

 バイザーを上げ、その滾る視線を投げかけるカロン、その左手には深手を負った先鋒のネーロが捕獲されていた。



 各ターンの指示係が全てのフラッグを振って競技終了を告げ、コース上の爆音が少しづつ消えてゆく。戦いを終えたマッキナが健闘を讃え合いながらパルクへと戻ってくるなか、ハナはいつまでも戻ってこないフェレロが気が気ではなかった。飛び交う噂にいても立ってもいられなくて何とかコースへと忍び込もうとするが、その度に封鎖の任に就いているソラウィにつまみ出されてしまう。

「んもう!どうして中にはいっちゃいけないのよ!もう競技は終わったんでしょッ?ぷんぷん」

「ったく、いつまで閉鎖しとくつもりじゃ。コースの撤収もあるんじゃぞ……そもそも、いったい誰が勝ったんじゃ?」

「ああ、戻ってくるのは下位の競技者ばっかりだ。何かあったんだろうな」

 いつになく厳重な規制により状況がつかめないままの会場の人々の頭上に、勝者の凱旋を迎える空砲の斉射が轟いた。

「諸君、今ここにリエラ最強の戦士を迎える事の出来る喜びを分かち合おう。ソラウィの雄、カロン・ク・ベルカタ!」

 高らかに宣言した観閲バルコニーのネュピアス、その頭上を切り裂くような金属音を響かせて白銀の機体が通過する。翼士隊の力の象徴であるライトニング機、だがその挙動は見るからに不安定であった。

「あーまたあいつが勝っちまったか……でもよ、何かフラフラしてねぇか?」

「さすがに今回は疲れちまったんだろ、あの坊主のおかげでさ」

「……フェレロ……どうしちゃったんだろ……」

 速度を落とし、広場の中心に設けられたポディウムの前へと優勝した機体を導いてゆくカロン、でも群衆のほとんどはその晴れがましい光景には目もくれず、コース上の彼方、未だ現れない「彼」の姿を捜していた。自らのアナウンスに対する人々の冷めた反応にネュピアスは軽い嫌悪感を覚えたが、翼士隊の長を凌ぐ惶波の持ち主、そしてその使い手である若者の登場は彼女にとっても永く待ち望んだ逸材であった。

「これでルシエナへの道が開く……さあ来い、我が覇道の翼よ」


 ふる、ふるふる

「ごめんね……ごめんねルゥラ……」

 未だ瓦礫の散らばる石畳のコース上、不時着したF/Fの翼に腰掛け、フェレロは小さく震えているルゥラを胸に抱きよせていた。朧の森ラーマで見つけた墜落したマッキナとその操縦者の亡骸、大量のレネリィを酷使するヴェルクトゥの収束型妖精機関、そして今、目の前で致命傷を負ってしまった先鋒のネーロ……悪夢のように繰り返される仲間たちの残酷な運命に窒息してしまったルゥラの魂、その胎内へと封じ込められてしまった彼女の惶なる命、押し寄せる孤独感、慟哭する小さな心……フェレロは、ただそばにいて声をかけてやる事しか出来ないのだった。

「ウゥ……ウゥゥゥ……」

「可哀想なルゥラ……うん……そうだよ……ルゥラは、こんなところにいちゃいけないんだ」

「ア……アイ?」

 泣きはらした瞳のルゥラが、おびえた表情でフェレロを見上げる。

「ルゥラは、これからラーマの森へ帰る。そしてあの子……アイエルやネーロの仲間たちと一緒に楽しく暮すんだ。ね、大丈夫、ちゃんと僕が送っていくからさ」

「アイ!アイアイ!」

 ルゥラはささくれたコトネをぶつけてきた。そんな事をしたらフェレロがラーマから出られなくなる……ソラウィやレネリィには過不足のない環境だけど、ヒュピィアの命を繋ぐものなどあの森には皆無なのだ。レネリィと言えどそんな詭弁を受け入れるほど無知ではない。フェレロとの葛藤は彼女の心を尚更深い淵へと沈めてゆく。

「ハハ、心配しないで。もうルゥラをマッキナには乗せないよ。F/Fの修理と調整、ガナッシさんに相談してみるからさ」

「おい、操縦者、立て!」

 不意に背後より声がした。

「ネュピアス君将の勅命により貴殿を名誉翼士として徴用することとなった。即時リベラシオン広場へと戻られたし、拝授の儀が執り行われる」

 遠慮のない唐突で高圧的な物言いに強い不快感を覚えつつフェレロは声のする方に目を向けた。全身をネュピアスと同じ白陶色の甲冑に包んだソラウィ……おそらく君将の近衛兵か何かだろう……F/Fを取り囲むように立つ4人の翼士達の重圧は他の選択権などない事をフェレロに感得させる。震えのとまらないルゥラをしっかりと胸に抱いてフェレロは腰を上げた。

「ありがたき幸せ……って言いたいとこだけど、この子、とっても疲れちゃってるんだ。だから今日は休ませてくれないかな。機体は僕が片付けるからさ」

「なに、心配はいらん。我々は君将直属の翼士だ。この程度のマッキナ、レネリィなしでも十分飛ばせる。見たところ複座のようだから君は後ろに乗るといい。導惶管を操縦席に回してくれ」

「ふん、壊さないでよね」

 フェレロはしぶしぶ機関のシリンダーを開けると緊急用バイパスダクトに切り替えた。これで惶波を持つ者は手綱を通じて自らの力を機関へと送ることが出来るのだ。一番体格の良いソラウィが操縦位置につき接続を始める。

「フゥッ!」

 計器盤に灯が入り機関は稼動状態に入った。それを確認したフェレロは残念そうに笑うと後席のポジションにつき、拘束具を腰ベルトに固定した。

「へえ、意外とやるもんだね」

「出すぞ」

 F/Fはゆっくりと滑走を始めた。類いまれな運動性をもたらす大きな翼が気流をとらえ僅かな距離で軽やかに地を離れる。それは揚力によって機体を浮上させるという至極まっとうな操縦なのだが、先程までジャントゥユで競っていたときの推力偏向による機動には及ぶべくもない穏やかな加速度で、フェレロは手すりにもたれかかってそよ吹く風に髪を踊らせた。

「ハハ、飛んでる飛んでる。ルゥラにはとても及ばないけどね」

「……」

 恐れと悲しみで萎縮しているのだろうか、ルゥラは無言で計器盤の石英管を見つめている。高度を十分取るほどの惶波の余裕がないからなのか、ソラウィの操るF/Fは律儀にコースとなっていた街区の通りを辿りながら広場へと向かう。コーナーのたびに失速ぎりぎりまで速度が落ちてしまうその飛びっぷりにフェレロは冷や汗が出た。

「もっと速度を上げないと。遠心力が少ないとずり落ちちゃうよ」

「解っている!静かにしていろ」

 そう言うソラウィの膝が小さく震えているのがフェレロには可笑しかった。ライトニングの2基の妖精機関にはそれぞれサポートのレネリィが乗っているのを知る彼には、素のマッキナを稼働させるのにどれだけの惶波がいるのかを理解していない目の前のソラウィが不憫でならない。ましてこの機体はルゥラに合わせてコンプレッサを撤去してあるのだ。その負荷は想像に難くない。

「あいつ……カロンなら、上手く飛ばせるかもしれないな」



「あ!見て、フェレロだ!フェレロがポディウムに!」

 驚きに誰に言うでも無く大声を上げるハナ。ジャントゥユの勝者を迎える謁見台の袖から、護衛に付き添われたフェレロが勝者のカロンとその業を讃えるネュピアスの元へと歩み進んでゆく。肩に乗るルゥラはいきなり群衆の目前に曝されて、身を隠すようにフェレロの首筋へとしがみついた。

「さっきのソラウィ、ヘトヘトだったね?」

「……ウゥ」

「大丈夫?ハナのところでゆっくり休んでればいいのに……」

 顔をフェレロの耳元に押しつけたまま、ルゥラは首を左右に振った。幾許も力が出せないかもしれないけど、それでもいざという時は自分が妖精機関に潜ってF/Fを飛ばすつもりだったのだろう。フェレロはルゥラの健気さが愛おしくて、首もとに手を回して片時も離れようとしないその心の傷が悲しくて、できればこんな所には出てきたくはなかった。カロンとネュピアスの前へと導かれたフェレロは、注がれる両者の視線を跳ね返すように瞳を見開いた。

「ヒュピィアの少年、よく来られた。名は何という」

「僕はフェレロ、この子はルゥラだ。負けた僕らに何か用でも?」

 国家の最高権力者に対しての朴訥としたその応対に周囲のソラウィ達が色めき立ったが、ネュピアスは表情一つ変えずフェレロの瞳と正対した。そして群集のほうへと振り向きその視線を彼へと向けさせた。

「諸君らも心を動かされたと思うが、この少年の戦いぶり、実に冷静かつ果敢であった。さて、余は彼が勝者と並び立つ素養を十分に備えていると見て取れたのだが、皆はどう思うか」

 ネュピアスのこの問いに広場の群集は互いに顔を見合わせた。勝利した同胞ソラウィに対しての長たらしい賞賛……これまでお決まりの展開であった、競技の真の意義でもある民衆への力の誇示ではなく、支配されるべきヒュピィアの少年に対してその敢闘を讃えよという彼女の問いかけに、ソラウィに対して少なからず反感を抱いているヒュピィアの人々は戸惑いの色を隠せなかった。もちろんそれは民意を操作しようという指導者としての言葉なのだろう。しかしジャントゥユにおいてフェレロの見せたソラウィと並ぶ程の操縦技術とそれに耐える身体機能、そして、それをソラウィの長が公の場で認めたという事実は、まれに見る名勝負を堪能したヒュピィアの人々の興奮を再び呼び覚ますのに充分であった。随所で交わされる囁きあいが次第に大きくなってゆき、やがて方々で歓声が上がり始めた。みるみる広がってゆく拍手、言葉、ヴーの空へと突き上げられる拳……ネュピアスはうねりのように広がってゆく民衆の歓喜と賞賛の声に手ごたえを感じた。

「私は、この頼もしい少年とその小さな相棒を臣下として迎えようと思う。諸君らヒュピィアの代表として、ともにこの国をより強く発展させるために助力願いたいのだ。どうだろうフェレロ君、彼らの声に応えてやることが出来るだろうか?」

"ちっ……何いってんだ"

 フェレロには、この式典自体がひどく形骸的なものにしか思えなかった。なぜならオーデルでのヴェルクトゥの威容を目の当たりにして以来、新地淅でのネュピアスの目的が決して平和的なものではない事に気付いていたからだ。ネュピアスはルゥラの力を欲している……何かを起こすために……フェレロは身じろぎひとつせず言い放った。

「この子を……ルゥラを渡すわけにはいかないよ」

「ん?それはどういう意味だ?」

「ルゥラには、もう苦しい思いをさせたくはないんだ」

 フェレロの眼差しに彼の洞察を感じたネュピアスは、傍らのルゥラに目をやった。紅潔のソラウィの長の威圧的な視線にルゥラは思わず竦んだが、その奥にある何かあたたかいもの……すべての源であるかのような、深く大きな輝きに彼女は心を動かされた。それは「惶」を持つ者だけが感じる事のできる共感……フェレロの立ち入れない領域で、ネュピアスはその目的に近づいていった。

「純粋で涼やかな瞳をしている……実に清らかな惶だ。これほどのレネリィを今まで私は見た事が無かった。ルゥラ、其方は我が国の、いや新地淅の奇跡といっても過言ではない。その類いまれなる惶の恵みを、私はこの地に生きる人々全てに届けたいと思っているのだ」

「ア……アイ?」

 身体の大きさからなのか、レネリィの知能はヒュピィアでいうと幼児のそれと同等であり、自分を優しく護ってくれるものに強く依存する傾向にある。その性質が新地淅において最も底辺の種族という扱いを受けている原因でもあるのだが、徳のある賢いレネリィは仕える主とある程度気持ちを通わせる事が出来、それが妖精機関の効率を高める有力な手段となっている。F/Fにおいてのフェレロとルゥラはまさにその典型であったわけだが、同じ惶なる命を持つネュピアスによる光の擁護は、その絆を霞ませてしまう程の強大さでルゥラの悲しみに覆われた心をあたためてゆくのだった。小さな瞳に涙が滲む。

「この世界が惶で満たされれば、其方たちも日々の使役より解放され自由な暮らしができるようになる。むろん我々も惶湖にすがって生きる必要も無くなるだろう。私の願いはヒュピィア、ソラウィそしてレネリィに等しく平和に暮らす権利をもたらすことなのだ」

「何を……何を考えている」

 フェレロはネュピアスの言葉に苛立ちを覚えた。ヴーに覆われた暁光の世界、点在する惶湖の輝きを全て集めたところで、それが払拭されるなどとても思えないからだ。しかし今のルゥラには、目の前にある温もりこそが未来そのものなのであった。言葉よりなにより、深く大きな惶の招く永遠の命の光、その加護に抱かれる平安の時……紅潔のソラウィを束ねるネュピアスの存在はあまりにも大きく、傷ついた小さなレネリィが、何の疑いも持たずその加護に身を委ねてしまうのも無理もない事なのであった。

「アイ!」

「何だって?ルゥラ、こいつと行くって言うの?」

「アイアイ!」

 肩からふわりと羽ばたいたルゥラをフェレロは見つめた。物心ついた時から片時も離れずにいた一番の伴侶、でも今、彼女は初めて自分の意志を持ってフェレロと対峙しているのだ。あどけない顔に宿る強い決意、それは今まで見せた事の無かった「惶」の行使者としての覚悟なのだろうか。みなぎる主張にフェレロは戸惑った。

「ルゥラ……覚えてないの?こいつはルゥラをまたあの馬鹿でかい船に乗せようと思ってるんだよ!」

「アイ!」

「フェレロ君、ヴェルクトゥは君の思っているような野蛮な船ではない。あれこそ、我々が聖地へと帰還するためにと遺された方舟なのだよ。君は自分たち、そして私たちが何処から来たのか考えた事はあるか?」

「そんなこと……」

 言いかけてフェレロは口をつぐんだ。確かに、そんな事など今まで考えた事もなかった。ただマッキナに乗って、レネリィを追いかけて生計を立てていた日々、いつから?ゴランさんの所で……ゴランさんは……父さん?違う……何だ?……何も浮かんでこない。昔の事、何も覚えてない……僕は……僕はいったい……

「全てを知りたければ来るがいい、フェレロ君。ルゥラ、君も一緒に来てくれるな?」

「アイ!」

「では行こう、惶なる命、我らとともに!」

 ルゥラの身体が再び透き通るような惶の輝きを放ちはじめた。今やすっかり見られなくなった蒼明の慈光をネュピアスは満足気に見つめると、民衆に向けて右手を高く翳して宣言した。

「今ここに、ヒュピィアの少年フェレロを我がリエラ名誉翼士として任命する。光に満ちあふれる大地を、共に勝ち取ろうではないか!」

 広場を埋め尽くす民衆の地鳴りのような歓声がフェレロの耳に届く。何が……これから何が始まるというんだ……不安と孤独感で萎縮する心は、不意にもう一つの拠りどころであった少女、ハナの事をフェレロに思い起こさせた。

「そうだ……ハナちゃん……何処に?……何処にいるんだ?」

 フェレロは自分へと突き刺さる大勢の人々の視線に軽い目眩を感じながら、覚束ない足取りでネュピアスの傍らを離れポディウムの端へ、歓声をあげる民衆の方へと歩いていった。新しい自分たちの英雄が間近に現れたとあって周辺の人々の熱気は最高潮に達した。

「フェレロ!フェレロッ!よかったネッ!」

 分厚い喧噪の中を一際響いてくる甲高くて耳について、でも聞き親しんだ声。フェレロは何度も瞬きしてその声の方向に焦点を合わようと瞳を凝らした。

「フェレローッ!パパも、オーデルのみんなもきっと大喜びだよ!キャハハッ!」

「ハ……ハナちゃん!」

 人並みをかき分けながら、精一杯背伸びをして飛び跳ねて、高く手を振る満面の笑顔のハナは誰よりもフェレロの栄冠を喜んでいる。フェレロの心に強い望郷感がわき上がった。

「ハナちゃん!僕は元気だ。一緒に……一緒にオーデルへ帰ろう!」

 そう言うとフェレロはポディウムの際から群衆の中へと飛び降りようとした。しかし間一髪、翼士隊の側近が手にしていた旗竿を十字に交差させて彼の行動を阻み、ぐいぐいとネュピアスの方へと押し戻していった。

「やめろよ!僕はこんなの嫌だ!ルゥラとハナちゃんと、みんなで一緒にオーデルへ帰るんだッ!」

 突きつけられた旗竿を力づくで押しのけ、なおも逃れようとするフェレロの首を居並ぶ屈強なソラウィの衛兵が鷲掴みにした。

「大人しくしてくれ。君将の御前である」

「は……は……離せッ……」

「フェレロ?やめてッ!フェレロに何するのよッ!」

 ようやくポディウムの真下までたどりついたハナは、目の前のフェレロの手荒に拘束されている様を見て大声で叫んだ。身体を押さえられ、身動きできないフェレロは足下で声を上げているハナを見つけ手を伸ばした。

「ハナちゃん!」

「フェレロ!どうなっちゃうの?まさか……このままリエラでで暮らす事になるの?」

「冗談じゃない、だれがこんな所で!くそっ、ルゥラを……ルゥラを返せッ!」

「いい加減にしろ!」

 渾身の力で掴まれたソラウィの手を振りほどこうとするフェレロの鳩尾に、衛兵のずしりと重い小手が深々とめり込んだ。

「ぐはッ……」

「フェ、フェレロ……フェレローーーー!」

 涙目で見上げるハナの目の前で、衛兵が動かなくなったフェレロの身体を携えネュピアスの傍らへと参じて行く。威嚇の銃声が鳴り響き、警護のソラウィがポディウムの周りに押し寄せた群衆を追い出しはじめた。広場に残るどよめきと怒号、錯綜した民衆の波の中、人々にもみくちゃになって押され、王宮から遠ざけられてゆくハナのフェレロを呼ぶ声は、もはや誰の耳にも届く事は無かった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ