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第6話「ミラージュ」

 リエラの国土の3割を占める広さを持つ惶湖ビルケウ、広大な水平線は遠く大地とヴーが交わる彼方にまで続き、湖底より沸き出でる碧い光の放射はこの地に燦々とした明るい世界と多くの恵みをもたらしている。そのビルケウの中央部に隆起した広大な陸地……中央に聳える天を突く壮麗な王宮とそれを取り囲むように立ち並ぶ近代的な市街地、ひしめき合うように平野部を埋め尽くす居住区、荷物を満載した車両や人々でごったがえす港への街道……周辺の街から港への航路を行き交う船やマッキナのおびただしい数は此処がリエラという国の政治、経済の中心地である事を雄弁に示している。フェレロは湖面から溢れる光を翼にきらめかせたF/Fを首府の上空へと滑らせた。

「ねえねえフェレロ、ついたら埠頭のワーフにいこ!あそこのカニ大好きなんだ!……わくわく」

「今は街区はコースになってるから勝手に入れないよ……ってハナちゃん、僕ら遊びに来たんじゃないんだけど」

 ほとんど旅行気分のハナにフェレロは軽く目眩がした。

「だっておいっちゃん、あのソラウィからお金せびっちゃったおかげで工場離れられなくなって、ハナにかわりに行ってって言うんだもん」

「もう、出力曲線とかフラップの効きとか飛ばしながら調整してもらいたかったのに……これじゃ一人で参戦してるのと変わんないよ」

「そんなことない!ハナだってハンターの端くれ、色々パパから習ってるんだから!どーんとまかしといて」

「大丈夫かなぁ……ん?」

 濁った航跡を長く曳いて、左右より臨海警備のライトニング隊がF/Fに随伴してきた。フェレロはゼッケンナンバーがよく見えるように翼を振って見せ、長機に許可番号を発光信号で送った。短く簡潔な答信が返ってくる。

「へえ、王宮の駐機場まで飛んで行っていいんだ……今回は港で運び屋さん探さなくていいから助かるね」

「宮殿まで飛んでっちゃうの?ちょちょちょっと待って、ハナ、ここでおりるッ」

「無理だよ、ほら、僕らは警戒されてるんだから」

 フェレロはハナに親指で後ろを指し示した。王宮へのアプローチに入る先導機、F/Fをはさんで殿に占位するもう一機のライトニングは、砲門の軸線をぴたりと合わせたまま追従してくる。フェレロはオーデルでの経験から主機関を停止して飛行してした。

「今は離脱しても逃げ切る自信がないよ、すぐ失速しちゃう……でもルゥラ起こして王宮に突っ込んじゃう訳にもいかないしね」

「はぁぁ〜、ソラウィって何も食べないんだよ〜……そんな奴らのところにおいしいものがあるわけないよなぁ、がっくし」

 王宮の敷地内にある首府防衛隊の駐機場はリエラの中でも最大の規模を誇っており、十時に交差する滑走路と数多くのハンガーを擁している。稼働機数は2個飛行隊合わせて50機を数え、常に2機が緊急発進出来るように滑走路端に待機している。訓練に飛び立つ機の甲高い機関音と交錯する整備員、乾いた空気を震わせる惶の熱波……無事に着陸を終えたフェレロ達は彼らの力の象徴とも言えるその規模に圧倒された。

「……すごい……王宮内にこんな所があったなんて……」

「うるさいうるさいうるさーい!フェレロ、耳がどうかなっちゃいそうだよ!」

「フェレロ君だね、ようこそ首府へ。君将がお待ちです」

「あなたは……ハースさん?」

 機首カバーを解放して機関を冷却しているF/Fの所へ現れたハースは、煤で薄汚れたフェレロの顔を見てばつが悪そうに笑った。

「いやあ情けない、ウチの機体はどうも黒煙を吐き過ぎているようだ。君の子みたいにきれいに還元できるレネリィがうらやましいよ」

「あの……ここの整備の人たち、みんなヒュピィアなんですか?」

「ああ、ソラウィの連中は機械はからきし駄目だからな……もともとマッキナや妖精機関は我々ヒュピィアの技術だ。王宮では他にも雑多な業務に多くのヒュピィアが従事している。待遇は様々だがね」

「ハース技師長、彼らを謁見の間へ、君将がお待ちになっている」

「ああ、わかった」

 側のソラウィに促されて、ハースは二人を王宮の中へ行くよう手招きした。フェレロは慌ててシリンダーを解放すると寝ているルゥラに声をかけた。

「起きてルゥラ、一緒に行こう。また勝手に飛びまわられたら大変だ」

「ふぁ……ア、アイ♪」

 惶に溢れる外気に触れたルゥラは気持ちよさそうに伸びをした。身体から透けだしてくるような鮮やかな蒼はネーロ独特の澄んだ輝き、ほんのりと暖かみのある光を放つ普通のレネリィとは明らかに異なっている。ハースはそんなルゥラを興味ぶかげに見つめながら宮殿へと向かう回廊へと二人を導いた。磨かれた石張りの長い廊下に響く3人の靴音、フェレロとハナは整然と並ぶ白い柱と両側の壁面に置かれている衣裳や装身具、それから数多くの絵画に目を見張った。

「この回廊には前の王朝の宮内がそのままの状態で残されている。ソラウィによる徹底的な破壊のあげく、今となってはここにある遺物のみが当時の繁栄を知る縁となってしまった」

「へえ……あ、見てフェレロ、この画、ソラウィがヒュピィアと手を取り合ってるよ。変なの!」

「え?わあ、きれいな画だね……」

 回廊の中程にあるドームに描かれたひときわ鮮やかな壁画、天に届けとばかりに込められた祈りははるか天井にまでその想いで彩られ、窓から差し込む光に照らされた穏やかな面持ちのソラウィ達の乱舞は見る者を安らかな空気で包み込む。フェレロはそのめくるめく筆跡に魂を奪われた。

「これは、かつて行われたソラウィとヒュピィアの婚礼の際に描かれたものだ……もう、随分昔の事のような気がするな」

「えー!そんなことってできるの?ねえフェレロ」

「……」

「フェレロ?」

 小刻みに震える膝、瞳は何かに怯えるかのように一点を凝視する。フェレロは両手で顔を覆うと膝をついた。

「な……何なの?……人が……そんなの……そんなの見たくないよ!どっかへ……どっかへ行ってくれぇッ」

「フェレロ!ど……どうしたの?」

「いやだ、いやだああああああ!」

「フェレロ!しっかりしてッ!」

 突然頭を抱えて狂乱しはじめたフェレロをあわてて押さえ付けたハナ、しかし全くおさまる気配が見られない。ハナは周辺に漂う異様なコトネの気配を感じた。

「これは……ヴ−?どうしてこんな所に!」

「いかん、夢憑されている!」

「フェレロ!」

「?……アイ!」

 あちこち寄り道して遅れてしまったルゥラは回廊の先で響く悲鳴に気がついてあわてて飛んで来た。血相を変えて恐れおののくフェレロ、それを見たルゥラは暴れる彼の額に手をあて惶を集中させた。

「ルゥラ?何を……」

「アイッ!」

 放たれたルゥラの惶波はフェレロの体内へと浸透して爆発した。閃光がフェレロの体内からほとばしり、その白い光に追い立てられるように渦を巻く黒いヴーの断片が吹き出した。

「で、出た−!」

 フェレロの身体を離れた黒いヴーの塊はやがて融合して人の……ヒュピィアの女性の姿となった。驚きのあまり声も出ないハナとハース、ようやく正気を取り戻したフェレロは前方の気配に気が付いて顔を上げた。

「……え?……あ……あなたは……」

「な、何と……ヴ−が実体化するとは……」

 何かを訴えるかのように近づいてくる黒い揺らめき、フェレロはその中にさっきとは違うコトネを感じてゆっくりと立ち上がった。そして手を伸ばしてその姿に触れようとしたが、ヴーの影は突然力尽きたかのようにその場に崩れ落ち、小さな欠片へと分解しながら消えていってしまった。

「……ど……どこへ?」

 ひざが諤々のハナはおそるおそる周囲を見渡した。上手くいってホッとするルゥラ、さっきまでこの空間に満ちていたコトネはいつの間にか感じらなれくなっていた。フェレロは脱力したようにすわり込んで大きなため息をついた。

「はあ……はあ……これが……これがヴ−に食われるってことなのか……」

「フェレロ!大丈夫?」

「なるほど……間違いない……あれはかつて、蒼明のソラウィがヒュピィアに施していた業……」

 ルゥラの浄癒の様を見ていたハースは心地よい戦慄を感じていた。ネュピラスによるリエラ建国の際に行われたヒュピィア王朝および同胞への迫害……蒼の惶を抱くソラウィの一派、この地でヒュピィアと共に暮らしていた彼らは王朝の崩壊の際に彼女の命により一人残らず抹殺されたはずであった。今、目の前で起こった光の癒し、その禁断の輝きはハースの心に小さな野心を擡げさせるのであった。

「蒼明のソラウィ……そう簡単には滅びないというわけか……ククク、面白い」



「遠路はるばるよく来られた。遠慮は無用だ、ごゆるりと過ごされよ……ん?そちらの女子は?」

 謁見の間に通されたフェレロとハナは、壇上のネュピアスの前に跪いた。ソラウィの権力の中枢、両脇に居並ぶ剣を携えた近衛兵の隊列が二人を息苦しくなるような緊張感で満たす。そのひとつひとつの視線がまるで心の中を探られているようで、いつもは騒がしいハナもすっかり押し黙ってしまっている。フェレロは顔を上げて凛とした声で返答した。

「はい、僕の機体の空力の担当です」

「ほう、あのマッキナの設計者か、若いのになかなか有能のようだな。ならば別室を用意させよう」

「はい、ありがとうございます」

(フェレロ!私こんなところでひとりぼっちはイヤ!)

(だ……だってさ)

(イヤだったらイヤ!もし私がおそわれたらどーするのよ!)

(ソラウィに襲われたら僕でも勝てないよ)

(そーゆー意味じゃなくってッ)

「ん?どうした、まだ食事まで一時ある、暫し休まれるといい」

「では少し外出して来ます。明るいうちに時計出しておきたいもので」

「ああ、ジャントゥユの計時が始まっているのだったな。わかった、健闘を期待している。残照の刻までには戻られよ」

「ありがとうございます。では、ハナ、行こうか」

(「ハナ」だって!なによ急に気持ちわるい……でもフェレロ、よくこれだけソラウィに囲まれてて平然としていられるよね……)

「ん?やることは沢山あるんだ、急いで」

「え?ハ……ハイ!」

 ぎこちなく歩くハナに吹き出しそうなフェレロ、数人の近衛兵に付き添われた二人が謁見の間を退出してゆく。側にいたハースはそれを見送ると深く一礼して壇上のネュピアスに報告した。

「おそれながら君将、先程壁画の間にてヴーと遭遇致しました」

「ほう、拠所の彷縛のコトネに気に入られたか、で、状況は如何に?」

「は、一時夢憑状態にありましたが、付き添っているレネリィが即座に浄癒いたしました」

「やはりな……先日のヴェルクトゥの時といい、あの羽虫にはどうやら忌わしき逆族の惶が宿っているようだ」

「救世主の掌の蒼……ですかな?」

 ネュピアスは王宮内での正装である裳の長いベイルを翻して立ち上がった。

「ハース、ヴェルクトゥは現時点でラーマまで飛べるか?」

「あの頂きまで高度を上げれるかは保証出来ませんな。ただあの小僧のレネリィの力を得られれば、あるいは……」

「わかった、カロンは戻っているな?ここへ呼べ」

 そうハースに申しつけるとネュピラスはゆらゆらと灯を滾らせた瞳で窓の外を眺めた。今しも滑走路から浮上してゆくF/Fの明らかにライトニングとは違う涼やかな惶波、それはまさにビルケウの、そして惶泉より迸りでる慈恵の輝きであった。

「エティエン亡き今、あれ程の蒼の惶を授けられるソラウィがいるとすれば……フフ、まさかこんな近くに隠れ棲んでいたとはな……」

「君将陛下、カロン以下翼士隊親衛第5戦闘団第117機装遊撃隊、チェカ駐留の任より帰還いたしました」

 フェレロ達と入れ替わるようにネュピアスの御前に屈強な翼士隊が参じて整列した。遠征より帰還した彼等の装具は損耗が著しく、カロンの報告を受けながらその状況に目をやったネュピアスは訝し気に質問した。

「随分と装具が乱れているようだな、カロン。反乱でもあったのか?」

「いえ、新造マッキナの街区での違法飛行の検挙の際に少々不手際がありまして……」

「ふん、最近翼士隊の練度が低下しているのではないか?発砲したとの報告も来ている。そのような威力行為はヒュピィアの反感を募らせるだけだと何故わからぬ?」

「お言葉ですが、君将!」

 カロンは声を荒立てた。

「今回の事態は対象機の予想外の高性能が原因であります。担当のヒュピィアの技師には量産化を前提とした開発を一刻も早く進める様厳命致しました」

「貴様は指揮官ではないのか?その原因が自らの不徳にあると思わぬのか!いつも他力本願ではないか。ヒュピィアに頼ってばかりでは何時か我らの威光は失われる。我ら紅潔のソラウィは長き放浪の後、自らの惶の輝きのみをもってこの安住の地を築き上げたはずだ。その誇りを忘れたか!」

 ネュピアスは常々感じていた翼士隊の不甲斐なさに激昂した。部下の隊員の前で叱咤されるカロンは下を向いて屈辱に耐える。

「いよいよジャントゥユである。当該マッキナと操縦者もこの地へ赴いているはずだ。よいか、どんな事があってもヒュピィアのマッキナに負ける事があってはならぬ。彼等のソラウィへの畏怖の念が絶える事は即ち我らの支配そのものが崩壊するという事なのだ。それを肝に命じて練達せよ!」

「はッ!」

「よろしい、次の任は追って指示する。解散!」

 甲靴の音が揃って謁見の間に響き、敬礼を終えた翼士隊員が退出してゆく。ひとりその場に残ったカロンは拳を握りしめて顔を上げ、壇上のネュピアスと対峙した。

「カロン、今回は厳しい闘いになる、覚悟して挑め」

「母上、あの機体はこれまでのヒュピィアのマッキナとは桁違いの性能を持っています。私はともかく、今の衰えつつあるソラウィでは……」

「声が高い!……判っている、あれは最高位の蒼の執師の力を得た機体だ」

「な……なんですって?」

 ネュピアスは壇上からカロンの下へと降りて来て、顔を寄せ小声で語りかけた。

「どうやら奴等の生き残りが未だこの近隣に潜伏しているらしい、おそらく、ネーロとはその者が生み出したレネリィの変種なのだろう」

「まさか……あの粛正を逃れた者がいるなど……して、そのソラウィとは何者なのですか」

「フフ、そう聞くか」

 カロンの疑惑の目を突き刺すようにネュピアスは言った。

「蒼明のソラウィの長エティエンの娘、アイエルだ」



 ソラウィの居住する市街地区のほぼ中央に位置するリベラシオン広場、普段ヒュピィアは立ち入る事の出来ない特区に位置するかつての王家の庭園もこの時期だけは解放され、様々な露店や催事の天幕で一杯に埋め尽くされる。建国祭最大のイベント「ジャントゥユ」は首府の市街地および公道を使用するマッキナの競技会であり、リエラ全土より我こそはと参戦してくるハンターの数は100人は下らない。レネリィ一体、あるいはソラウィ一人によって稼動する妖精機関を用いていれば構造に制限はなく、それ故にマッキナの設計者達は毎年様々な新機軸を盛り込んだ機体を開発してくるのであった。F/Fで軽くコースを回って来たフェレロは一旦パルクに戻ってくると、翼端に取り付けてある固定タブの修正を始めた。

「フェレロ、どう?」

「推力に余裕があるおかげで旋回中でも速度が落ちないのが助かるよ。それだけ身体にもきついけどね……ここはこうして、と……ハナちゃん、垂錘とって」

「はいっ、でもなんかほかのチーム、みんな速そうだね……お揃いの服なんか着てさ」

 ソラウィによる統治の以前からこの地で催されて来た伝統の競技、ジャントゥユは、もともとハンター達の交流と技量の向上を旨として行われて来たヒュピィアの祭事であった。リエラ建国後、ネュピアスはこの粗暴な競技がヒュピィアの本能を呼び覚ます事を知り新国家の伝統行事として継続する事を決めた。もちろんヒュピィアの文化を認める事により民衆の理解を得ようとする側面もあるが、なによりその競技においてソラウィが勝ち続ける事で彼我の絶対的な力の差というものをヒュピィアの心理に植え付けるのがその本懐であった。ただヒュピィアの上位入賞者に対しては高額の報奨とその機体の量産化契約の締結が約束されており、名だたる工廠の開発者達は皆多数の人員を擁してこの地へと乗り込んでくるのであった。

「お祭りだしいいんじゃないの?どのみち勝負はコースの中で決まるんだからさ」

「そうだけど……あ、あれ!」

「なに?」

「ソラウィのマッキナ!」

 突然、翼の下から顔を出したフェレロの頭上を悲鳴と聞き違うようなけたたましい機関音を響かせて一機のライトニングが通過した。大きくバンクをとって周回コースへの加速区間へと進入してゆく。その機体に誇らし気に描かれた9個の星を認めたフェレロは弾かれるように立ち上がってキャビンへと飛び乗った。

「フェレロ?どうしたの?まだ調整が……」

「あいつだ!この前F/Fに一発食らわせた奴!ソラウィは予選走らなくてもいいのに……見ていろ!ルゥラ、出るよ!」

「アイ!」

 獲物を見つけた獣のようなフェレロの瞳を見たハナはあわててゼッケンナンバーの書かれた時経香の束を運転台へと放り投げた。

「フェレロ!チャンスは3回だよ!」

「やってみる!ありがとハナちゃん!」

 鈍く輝くライトニングを追ってフェレロは機体をコースへの導線に乗せる。彎曲した外周との合流地点、速度制限区間の旗を通過したF/Fは一気にその潜在性能を全開にした。見物客の帽子を軒並み吹き飛ばしてしまう程の強烈な惶波がコースを物凄い速度で突き進んでゆく。フェレロは計時門から吊り下げられている灯明に1本目の時経香の先端を擦り付け点火した。

「遠慮はいらない、ルゥラ、ぶっ飛ばして!」

「アイ♪」

 もともと抵抗の少ない翼型を用いているF/Fは推力さえ十分ならばほとんど減速せずに急角度の旋回が可能である。しかしそれは逆に揚力が乏しい事を意味しており、僅かの操作誤差でたちまち失速してしまう悪癖をも併せ持っている。天性の感覚でこの機体を自在に操るフェレロはそれだけでもジャントゥユでは注目されている存在であったが、今回トリガーにネーロを迎える事により第一線のソラウィに劣らない高速性能を得るに至った。同じ計時を走る参加者のマッキナの横を圧倒的な速度差で追い抜いてゆくF/Fに観衆はその目を疑った。

「おい!あのマッキナ、この前チェカでソラウィを手玉に取った奴じゃないのか?」

「凄え……一段と速くなってやがる……また一機抜きやがった!」

「決勝の賭け率が出てるぞ、奴は20倍だ!」

 コースには一定区間ごとにゲートが設けられており通過確認が行われる。その数は30を数え、ひとつでも不通過の際にはその周回は無効となる。ゲートは概ね地表近くに設置されているため、ジャントゥユの操縦者には低高度での正確な機体操作が求められる。当然事故も多く、ゲートの周囲は刺激を求める観客で埋め尽くされるのであった。フェレロはリパージュを全速で駆け抜けると左右へ切り返すシケインを最短ラインで抜けた。続く高速の左ターン、登り勾配のため知らず知らずのうちに高度を失い墜落する機体が多い場所である。微妙に曲率を変えてあるので減速せずに通過するのは至難の技だ。賭博場を右に折れミラボーから駅までは低速区間、マッキナが良く見えてしかも接近戦が楽しめるとあって一番の観戦ポイントである。ここから一気に下ってゆくとその先には眩いビルケウの湖岸、右に折れた先は名物のトンネルである。小型のマッキナならギリギリ併走できる位の空間、僅かな誤操作や不規則な気流の影響が一瞬にして壁面への激突を招くコース一の難所だ。しかし多くのマッキナが自らの最高速をここで記録する。コースは観戦の船舶が鈴なりに停泊する風光明美な港へと下って来て、直角の切り返しの続く湾岸道路へと続いてゆく。ここは幅が狭く余程の実力差か無謀さがなければ前機を抜く事は困難な区間だ。煙草屋の手前を左に曲がり、大きな湧水池を巻くように続くコースは再び市街地へと戻ってゆく。低速のラスカスを抜ければ右にパルクへの進入路、最初の計時を終えたフェレロは1本目の時経香を天幕の張ってあるコース脇の治水池へと投げ入れた。

「だいたい分かって来た、次、ちょっと無理するよ!」

「アイッ!」

 2本目の時経香に点火したフェレロはほとんど減速せずにコースの端ギリギリを攻めはじめた。腹に力を入れ頭から血が引くのを必死で堪えながら、機体の腹を擦らないようにやや上げ舵で猛然と加速する。重力が抜け視野が色彩を取り戻した時、フェレロの前方に見覚えのある紅い惶波の迸りが見えた。

「!……追いついた?……」

 有り余る惶波を持て余し気味に狭いコースを疾駆する白銀の機体、凄まじい立ち上がり加速はさすが第一線級の実動部隊のマッキナである。フェレロは身体中が総毛立つのを感じた。

「ルゥラ、やっちゃおうか」

「アイ♪」

 計時係の天幕の所へ1本目の結果を見に行っていたハナは、目の前を駆け抜けていったF/Fの鬼気迫る飛びっぷりを見て仰天した。

「速い!速すぎるよフェレロ!まだ計時なんだから!」

「104号、一本目、3番時計!」

「えー!?」

 ジャントゥユの決勝は20機のマッキナによって争われる。上位から5番手までは前回の入賞者がそのままの順位を継承するため、今回もソラウィの指定席となっていた。現在行われている計時飛行はその残り15機の出走枠を争奪するための戦いであり、どれだけ速い時計を出せるか、残照の刻が近づくにつれその際どさは危険なほどに加速度を上げてゆくのだった。ハナは順位表の6番目に差し込まれたゼッケン104番、フェレロの名前を見てその速さを悟った。

「順位は6番だけど……3番時計……ソラウィより速く飛んでるの?」

「ああ、あいつはまだまだ飛ばすぜェ。畜生、面白くなってきやがった」

 計時係もいつになく興奮気味に時経香の集計をこなしてゆく。ハナは再びコースに身を乗り出してフェレロの向かった賭博場の先に目を凝らした。

「フェレロ……いま6位だよ……すごいね……でも……無理しないでね」



 ハースの手により更に改良されたライトニングの圧倒的な最高速ですんなりとコースの記録を塗り替えたカロンは、しかし少し前よりぴたりと追従してくるマッキナの気配を察知して後写鏡に目をやった。

「何だ……あの機体、着いてこれるというのか?この俺に……」

 前回の優勝者、カロンは既に今決勝の最前列スタートを決定している。にもかかわらずより速い時計で周回している自分の機体に食い付いてくるマッキナの影はカロンの心を焦燥させていた。ミラボーで僅かにラインを外してしまったライトニングの短い翼が壁面を擦る。

「ちィ!」

 僅かな減速、しかしほぼ拮抗している両機にとってそれは決定的であった。続く駅前でフェレロはカロンの外側の僅かな間隙を突いて真横に並んだ。交錯するライン、ライトニングとの間隔は殆ど無い。狩猟用マッキナの証であるF/Fの濃緑色がライトニングの磨かれた機体に映り込む。両機は一歩も譲らないまま湖岸への道を駆け下った。

「貴様……やっぱり来たか!」

「ミスした?でも……この先は狭すぎる!」

 港湾部の屈曲路は併走するにはあまりに危険な区間、フェレロは一旦ライトニングの後尾についた。惶波と乱流で激しく機体が揺さぶられるが空気抵抗面では有利な位置だ。しかも低速では運動性に勝るF/Fに歩がある。フェレロはカロンから大きく遅れる事なく再びパルク前の直線へと戻って来た。

「ここならドラフティングが使えるな!よおぉぉし……」

 一糸乱れぬ2機の縦隊が計時門を通過する、フェレロは最後の時経香に点火した。

「フェレロ?2本目は?せっかくいい時計なのにもったいないよ−ッ!」

 時経香を投げ入れるため治水池へのラインを採ると漸く入り込んだライトニングの負圧域から外れてしまう。フェレロは速度を維持するため敢えて2本目の計時を捨てた。ライトニングにぴたりと追従して離れないF/Fにコース脇の観衆は湧きに湧いた。

「行け!坊主!ヒュピィアの根性見せてやれ!」

「うひゃ〜!決勝よりよっぽど面白いぜ!」

「あまり期待させんな!くそ、賭率が下がっちまうだろうが!」

 割れんばかりの沿道の歓声、だがフェレロにはそれを感じる余裕など無い。気流の偏向に機体をあわせてゆくのに精一杯ではあったが、目の前に大きく惶を放つライトニングの尾部に食いついて行けてるという事実はフェレロの心から一切の邪念を払っていたのである。まるで一心同体になったように感じるルゥラの気持ち、フェレロはかつてマッキナの操縦を覚えていた頃の父親の言葉を思い出していた。

「……そうだね……レネリィと心をひとつにして飛ぶ事が大事なんだよね……ね、ルゥラ……」

「アイ♪」

 計器盤にきらめく惶の揺らめきが虹色にこたえる。更に加速し、まさに衝突せんばかりに背後に迫るF/Fにカロンは戦慄した。

「何故……何故離れない!うおおおおおおお!」

 トンネル内でカロンは持てる全ての惶波を妖精機関へと送り込んだ。排気口のフラップが全開となり、炎のような惶波が機体の何倍もの長さで噴出する。フェレロはクスッと笑った。

「すごいな……まだあれだけ伸びがあるなんて……でも、こっちだって!」

「アーイ!」

 凄まじい惶波を浴びながらもフェレロは更なる速度域へと突入した。繰り返される強烈な加速と減速、ターン脱出時は血液が全部背中に集まってしまったのではないかと思える程の視野狭窄をもたらす。最終ターン、アンソニーの鼻を抜けたフェレロは溜めていた推力を一気に解放、少ない抵抗を利して先行するライトニングの右横に並んだ。

「こ……こいつッ!」

「上手く纏まった!これで!」

 フェレロは最後の時経香を渾身の力で投げ付けた。天幕にあたった時経香は治水池に落ちて火が消え、その延焼部の境界までの長さで周回の時間が記録される。固唾を飲んで見守っていたハナは計時係の発表を待った。

「104番、現在までの1番時計だ……って、ハハッ、これを抜ける奴なんかちょっといねぇよ」

「ってことは……フェレロ、やったよ!イチバンだ!キャーハハ!カニ食べ行こ〜カニ〜」

「凄げぇ……こんだけ速い奴は初めてだぜ!ソラウィめ、いい気味だ、ハッハハ!」

「オイ!決勝も頑張れよ!お前ならレネリィの方から寄ってくるさァ」

「バカが、飛ばし過ぎだ!賭率が4倍になっちまったじゃねぇか……でも決めたぜ!ガッツリ稼がせてくれよ!」

 驚嘆の声が投げかけられるコースの外側のラインをF/Fはゆっくりと周回した。繰り返される過大な重力に身体こそ疲弊していたが、フェレロの心は確固たる手応えと自信ではち切れんばかり、共に限界に挑んだルゥラに弾んだ声をかけるのであった。

「ルゥラ、がんばったね!今までで一番いいスタート位置だよ」

「アイアーイ!」

 ルゥラはまだまだ余裕の様子、フェレロはゆっくりと一周回って来てパルクへF/Fを着陸させた。

「フェレロ!6番手スタート確定だよ!それに前にいたライトニングとほとんど同じ時計だったって!」

「ハナちゃん!よかった、みんなのおかげだよ!」

「アイアイ♪」

 まだ計時中にもかかわらずF/Fの周辺に押し寄せる観衆の群れ、皆この新しいヒュピィアの星を一目見ようと次々と広くは無いパルクへと流れ込んでくる。競技に支障が出るためやむなく介入してくる警備のソラウィ部隊、人垣で隔離されたF/Fと観衆の小競り合いの様子を俯瞰して見つめていたライトニング機上のカロンは、込み上げる憤怒の念に唇を震わせながら吐き捨てるように言った。


「フェレロ……よくも2度もヒュピィアの前で恥をかかせてくれたな……ソラウィの名にかけて、決勝では必ず貴様を墜としてやる」

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