第3話「スパルビエロ」
断界の瘴気、ヴ−。それは気流の気まぐれによりよどみ、また何者も追う事のできない速さで渡りゆく形を持たない空の壁である。鮮やかに、またあるときは無気味に輝く光のひだはまるで感情を持っているかのようにいきいきと表情を変えてゆき、新地淅の人々は地上からそれを見上げては様々な事象の予兆としてきた。ソラウィの力を得たルゥラのおかげで高空を流れるヴーの下限まで上昇できるようになったF/Fのフェレロとハナは、初めて間近で見るその情念の奔流に驚きの声を漏らした。
「……すごい……いろんな色が……何が光っているんだろう……霧も、雨も、稲妻もここから生まれるのかな……」
「うわぁ……キレイだね、フェレロ……でも、これがあの死の雲だなんて……」
「ああ、うかつに中に入っちゃ危ないな……おっと」
乱流によりちぎれ飛んできた光る塊を減速してやりすごしたフェレロは、ラーマで目の当たりにしたヴーの訪来を思い出していた。死のある所に現れる不吉な影、過ってその中に踏み込んだ者は精神の異常をきたし狂人と化すという……しかしあの時見たヴーは優しい輝きで逝こうとするルゥラをつつみこみ、慈しみむようなゆらぎに満ちていた……フェレロはあらためてうつろうヴーの渦を見つめた。
「あの中には……そしてあの壁の向こうには一体、何があるんだ……」
「フェレロ、県境!哨戒のソラウィに見つかったらうるさいよ!」
「え?あ、ああ、わかった。ルゥラ、いいかい?ただのマッキナのフリするんだ」
「アイ!」
今や眼下に迫ろうとする大地を覆う光る水面。新地淅随一の大きさを見せつける惶湖ビルケウの中央に築かれた首府を遠くに認めたフェレロは、湖畔に広がる森に身を隠すようにF/Fの高度を下げた。地表に記された道標に目的地の名を見つけたハナが斜め前方を指差す。
「チェカは……こっちの方が狭いけど近いみたいよ、フェレロ」
「わかった、ルゥラ、ゆっくり、低〜くね」
「ふぁ〜ァイ」
「あら、眠いのルゥラ?」
「ア……アイ!」
「あはは、ごめんごめん。あれだけ凄い飛行したんだから無理ないよね、いいよルゥラ、少し休もう」
フェレロは豊潤な惶のベイルに包まれるビルケウの畔にマッキナを着陸させた。解放した妖精機関のシリンダーから飛び出たルゥラは眠気なんかどこ吹く風、大喜びでその光の中へと翔いて行った。飛びっぱなしだったフェレロとハナも久々に踏みしめる大地の感触にホッと安心して、湖から吹く風に穂先を靡かせる草原に腰を下ろした。湖面はゆらめく光芒を空に向かって放ち、ヴーに覆われて薄曇りがちな新地淅にあってまるで別世界のような明るい色彩をこの地にもたらしている。ハナは何とか脱出してきた朧の森ラーマとは正反対の色鮮やかな景色に目を奪われながらも懐かしく、また胸をえぐるようによみがえってくる光景に心を波立たせた。
「なんだか……夢みたいだね……」
「え?」
「……フェレロ、ソラウィってどこから来たんだろう?」
「さあ……僕たちヒュピィアとは別の世界の人たちなんだろうな……羽生えるし、火とか光を自在に操れるみたいだし」
「……うん……ねぇ……フェレロは、ソラウィのことどう思う?」
「どうって……今、この国、リエラを治めている人たちでしょ。強い軍隊をもってて、僕らヒュピィアを守ってくれてる……」
「……だ、だよね……」
ハナは小さくため息をついて湖の彼方を見つめた。そう、ここはソラウィの統治する新地淅の盟主、リエラ……ひと握りのソラウィがその惶の加護によって多くのヒュピィアを統べている王国……いや、帝国って言ったほうがいいかもしれない。ヒュピィアに対する厳しい制限と身分制度……もうここには、私を包み育ててくれた自由と友愛はどこにもない……ハナはぼんやりと陽炎の彼方に見え隠れする首府の尖塔に自分の心の光景をだぶらせてしばし懐想するのだった。そんなハナの傍らでフェレロは誰に言うでもない口調でつぶやいた。
「あそこで、何があったんだろうね……」
「……ん?」
「うん、この景色見てると、なんだか胸が苦しくなるんだ……変だよね、こんなにきれいなのにさ……」
「フェレロ……!」
「え?どしたの?ハナちゃん」
急に色を変えたハナの表情に、フェレロはきょとんとした。
「え?……な、なななんでもないなんでもないってへへへ」
「?」
ただならぬ視線を感じたフェレロの問いかけに、ハナはあせって平静をつくろった。うん……何でもない……ハナはからっとした笑顔でフェレロに話しかけた。
「ねえ、もうすぐだね、建国祭」
「うん、また来たなぁジャントゥユの季節が……うー、なんかドキドキしてきた」
「もう受け付けした?」
「うん、前回もアレだったからまた下のクラスからになっちゃうけど……でも大丈夫!決勝への一枠、絶対勝ち上がって見せるよ。ハナちゃん」
「うん……あ、あれ?」
不意にハナが何かを認めたのか声をあげた。向き合ったフェレロのちょうど背中、ゆらめく湖面の彼方にひときわ大きな水煙が立ち上り、それは信じられないような速さで湖を横切ってゆく。フェレロはハナの指差す先の銀色に輝く機体に振り向いて目を輝かせた。
「マッキナ……あれは……ライトニングだ!」
「ライトニング?」
双胴の先端に一基づつの妖精機関を備えたリエラ翼士隊の制式マッキナ、ライトニングは軽やかに舞うF/Fとは対照的な、硬質な塊が突き進んで行くような力に満ちた滑走を見せる。フェレロは弾む声でハナに答えた。
「やっぱり速いなぁ……うん、あいつは決勝に出てくるリエラ代表のマッキナだよ。旋回半径は大きいけど、とにかく直線が速いんだ。未だ負けなし、ジャントゥユじゃ最強の機体だろうね」
鏡のような水面を磨きこまれた胴体に反射させ、ライトニングはフェレロたちの前を旋回してゆく。後部のノズルから覗く機関の輝きはまぎれもなくソラウィの惶波のそれであり、ハナは複雑な心境で遠ざかってゆく白銀の機体を見送った。
「フェレロ、やっぱりアレって、ソラウィが自分の惶波を使って走ってるのかな?」
「うん、多分ね。ちっちゃなレネリィをトリガーにしてる僕らのマッキナとはもともとのパワーが段違いさ」
「そっか……それじゃ追いつかないわけよね……」
フェレロは口元に笑みを浮かべると、立ち上がって湖へ向けて指笛を吹きならした。
「ルゥラ、そろそろ行くよッ」
「アイアーイッ!」
ビルケウの豊潤な輝きをからだいっぱいに受けたルゥラが元気な声をあげる。食事の習慣のない彼女らにとって惶を浴びるということは何よりも嬉しく、また欠かせないものなのだ。空へ向けてのばした指に止まった眩しいレネリィを見上げて、フェレロは期待に胸をおどらせて言った。
「無理じゃないさ、僕らもソラウィと同じ惶力を使えれば条件は同じになるからね。あとは技量と反射神経、そして、運……」
「そ、そっか、今のルゥラなら……もしかしたら、ソラウィ並の惶力があるかもしれないね」
「うん、優勝できたら50000リレの賞金だよ!すごいよね!翼士隊にも推薦してもらえるし……」
「でもあんまり危ない事しちゃダメだよ。毎年何人も死んじゃってるんだから……」
信じてはいるんだけど、どうしても心配してしまうのはやっぱり好意があるからなのか、そんなハナの心配そうな表情にフェレロもちょっと真顔になった。
「うん……でも僕、ハナちゃん達に迷惑かけてばっかりだから……だから何か、みんなの為にしてあげられる事があるのなら、危険でも全力で頑張るよ」
「フェレロ……」
建国祭の一大催事……ジャントゥユと呼ばれるマッキナの競技会は閉鎖された市街地が舞台となる。毎回建物への接触やマッキナ同士の激突で死傷者が絶えない荒々しさ……そんな野蛮な見せ物への参加だなんて、ハナは本当は止めさせたくて仕方がない。けれど今のオーデルの境遇を思うと、すこしでも糧が欲しいのもまた事実なのであった。貧しい村人たちのためにあえて危険な競技に出場してくれているフェレロの想いを否定する事が出来ない自分……ハナは腹立たしさをおぼえつつもそんな気持ちを振り払うように声を上げて、ルゥラをつつき回して遊んでいるフェレロをうながした。
「フェレロ、暗くなる前にチェカに着かないと。ガナッシさんとこいくんでしょ?」
「あ、うん、そうだね……ルゥラ、もう行ける?」
「アイ!」
シリンダーにもぐり込んだルゥラを確認したフェレロはハッチを閉じた。機関が始動し、過剰な惶力をむりやり押さえこんでいるかのように小刻みに振動している機体へ飛び乗ったフェレロは手綱を握ると伝声管に声をかけた。
「ルゥラ、ぶっ飛ばしちゃダメだよ!」
「うぅー……アイ」
「フェレロ、林の中抜けていこう。近いし、ソラウィに見つからなくてすむから」
「わかった。ハナちゃん、指示お願い!ルゥラ、半速、0高度」
F/Fはなるべく光粒をまき散らさないように静かに浮上するとチェカへと進路を取った。開けた広葉樹の林の中の小径、ハナは遠ざかってゆくビルケウの輝きを見つめながら小さな声でつぶやいた。涙が一粒、風に舞って消えていった。
「今の……今のままがいちばんいいんだよね……ね、フェレロ……」
郊外にいくつも設けられた駐機場。新地淅の多くの都市において、街区では基本的にマッキナの通行が禁止されているため、訪れた者はここに機体を置いて居住区へと向かう。縦列の端にF/Fを降ろしたフェレロは、目の前の多種多様なマッキナが並ぶ光景にピュッと口笛を吹いた。いろんな工廠のマッキナの品定め、チェカに来たときのフェレロの楽しみのひとつだ。
「はぁ〜このテールピース、ピッチ制御も兼ねてるんだ……カッチリつくってある、頑丈そうだね」
「うーん、ハナにはどれも同じに見えるなぁ……」
「すごい、これ水冷式だよ!翼に冷却器を埋め込んでる……よくこんな事考えつくなぁ!」
「それより早く街へ行こうよぉ、ハナ、おなかすいちゃった」
促すハナの声に、フェレロはシリンダーの中のルゥラの頭を指でなでるとすまなそうに言った。
「ちょっと行ってくるね。ルゥラも連れて行きたいけど今じゃ君は希少な幻のレネリィになっちゃったから……お金目当ての人たちに狙われるかもしれないし、いろいろ危ないからここで待ってて」
「アイ!」
「すぐ戻ってくるよ、あ、そうだ、ぬいぐるみ買って来てあげるね」
「アイアイ!」
「じゃ!」
外からロックをかけとけば大丈夫だろう。フェレロは機関室のカバーを閉じると緊急解放弁の圧を抜いた。
「うう〜わくわく、ねぇフェレロ、ちょっと街に寄っていこうよ」
「え?さっき早くガナッシさんとこ行かなきゃって言ってなかった?」
「そんなこと言ったかな−わすれたなーあっホラ、ゲートだよ♪」
駐機場の角の門をくぐると目の前に広がる街区、いろんな化学薬品の臭いにつつまれた工場が立ち並ぶいささか雑然とした町並みは田舎暮らしのフェレロ達にとって目新しい物ばかりでいつも楽しみだ。ここで発見された地下惶泉を動力にする工場群、そしてそこに暮らす人達の住居が集まって出来た街チェカは、いまやリエラの重要な工業の中心地として位置づけられており、よってソラウィによる監視も厳しく、工場で働く人々は常に彼らの視線を気にしながらノルマを積み上げているのであった。とはいえ人々の生活水準は辺境のオーデルとはちがって豊かで、ハナは店頭に並べられた装飾品や雑貨、そしてあま〜いジェラートに目を輝かせた。
「ねえねえフェレロ、ジェラート買お」
「え〜僕はいいよ、あんな甘い物がこの世にあるなんて信じられない」
「ふーん、おいしいのに、ハナ、買ってこよっと」
バザールは夕方の買い出しに訪れた人達で賑わっていて、フェレロはその光景を見ながらひとときの平穏にひたっていた。行き交うヒュピィアの人々、要所要所に立つ完全装備の翼士隊の姿がものものしいけれど、それでも夕餉を求める労働者と商人との威勢の良い掛け合いは耳に快く、フェレロはその心地よい雑踏に誘われるように路地へと入っていった。軒の上の商品は頭上に覆いかぶさるように高く積まれ、店主はだれかれ問わず声をかけてくる。そんなバラックの立ち並ぶ小径でフェレロは、派手な装いのレネリィが呼び込みをしているちょっとあやしげな店鋪の前へとやってきた。一面につり下げられた小さな服や靴、髪飾りなど、看板には「妖精良品」と書いてある。フェレロはぎこちなく踊っている店頭のレネリィに声をかけた。
「あの、レネリィ用のおもちゃ、あるかな?」
「ハ、ハイ!」
売り物の装飾をじゃらじゃらつけられたレネリィはぺこりとおじぎをすると陳列棚の裏へと飛んでいき、程なく奥から初老の女性が小箱を持って姿を現した。
「いらっしゃい、ほら……このへんはいかがかの……?」
「元気そうだね、エレノアさん」
「……フェレロぼっちゃん?」
「ぼっちゃんはやめてよ、エレノアさん。僕はもう子供じゃないよ」
「ややや、またおおきくなってぇ……ささ、中へお入り」
はじめてチェカに来たときに何もわからなくて、その時に何かと助けてくれたエレノアをフェレロは実の祖母のように慕っていた。彼女と話すとき、それからたまに作ってくれるお菓子やお茶を頂くとき、フェレロはえも言われぬ安らぎに満たされるのであった。案内されたフェレロにエレノアは、今仕上がったばかりのフクロウのぬいぐるみを手渡した。
「ルゥラは元気かい?」
「うん、もう元気よすぎちゃって……あれ?なんでフクロウなの?」
「むか〜しの王家の象徴さ。お前達を守ってくれるだろうよ」
「うーん、ルゥラよろこぶかなぁ……まあいいや、ありがとエレノアさん。いくら?……」
フェレロの差し出す銀貨をエレノアは丁重に断った。
「いやいや、そんな、ぼっちゃんからお金を頂くなんて……」
「そう言わないでとっといてよ。大丈夫、僕が稼いだ銀貨だから」
「まあまあ……」
ぎこちないながら大人っぽく見せようとする振るまいが頼もしく見えるのか、エレノアはそんなフェレロにこやかに応えながらもやはり銀貨を受取ろうとはしなかった。格好つかなくてちょっと困ったフェレロ、その時表通りで突然群集のどよめきが起こった。ハナが血相を変えて飛び込んでくる。
「はあ、はあ、やっと見つけた……フェレロ!F/Fが、私達のマッキナが翼士隊に追われてるよッ!」
「何だって?」
あわてて店の外へ飛び出したフェレロの目の前をF/Fの丸い翼端が切り裂くような高音と共に駆け抜けた。錯乱しているのか出力の調整も荒っぽくて、機体強度ギリギリの機動をしている。フェレロは雑踏の中をかきわけ十字路へと行くと周囲を見渡した。
「……どこか……どこか高い所は……そうだ、ルシエナの魂!」
「フェレロ、どうするの……キャッ!」
耳を劈く爆音と噴圧、2機のライトニングが惶の長い尾を引いて二人のすぐ上を通過した。緊密な戦闘隊形のまま急旋回しF/Fを追っている。ハナは駆け出したフェレロの背中に叫んだ。
「フェレロ!どうしよう!ルゥラ落されちゃうよ!」
「F/Fに飛びうつる!それしかない」
「ハァ?」
訳がわかんないままその後を追いかけるハナ、フェレロは空を見上げる人々にぶつかりながら広場の中央に建つ立派な鐘楼のファサードにたどり着くと、頂上まで続く長い螺旋階段を駆け上がりはじめた。
「フェレロ!待ってよ!」
チェカの街区にある建物に囲まれた広大なテロル広場の中央に聳える大掛かりな鐘楼、街の象徴とも言えるこの塔の頂きには「ルシエナの魂」とよばれる鐘が眩しい金色の光を放っている。およそこの新地淅では精錬できない不可解な材質で出来ているその音色は天にも届くかのように澄みわたり、鐘架のアーチからは遠く雪を頂くヴェネトの氷河まで見渡す事ができる。突然の空中戦に眺望を楽しんでいた人々は雲の尾を引くマッキナに釘付けとなった。
「おお!翼士隊が追いつけないぞ!すごい機体だな」
「何だ?ジャントゥユの練習でもやってんのか?」
「連係をとって来やがった……危ない!そこで切り返せ!」
階上から聞こえてくるやんやの歓声にフェレロは気が気じゃない。息を切らせてやっとのことで「ルシエナの魂」まで昇りつめたとき、数条の惶弾が鐘楼のすぐ横をかすめた。熱波が一瞬大気に陽炎を生みだす。
「うぉ!撃ちやがった!」
「くっそー!丸腰の民間機に何てことしやがる、この腰抜け共が!」
「あちゃ〜発砲許可出たのね。ヤバいなぁ」
警察機関でもある翼士隊の機体には惶波を収束して打ち出す「惶弾」の発射装置が備わっており、ライトニング級はそれを4門装備して絶大な火力を持っている。ただ当然消費する惶力も大きく、機動飛行しつつ全門発射できるソラウィの数はそれほど多くはない。惶弾はF/Fのはるか後方を流れ去った。フェレロはアーチから身を乗り出して指笛を吹いた。
「ルゥラ!こっちだ!全力減速3秒!後はまかせて!」
フェレロの耳にルゥラの声が聞こえた気がした。
居住区と川一本隔ててひしめき合う大小さまざまの工場群。その中でも街に近い第3工業区画、いわゆる惶の埋蔵量の少ないやせた一帯には大量の動力を必要としない手工業や修理屋といった零細工廠が数多く存在している。その一角にほとんど残骸同然のマッキナや動力機器がうず高く積み上げてある広場があった。時折原因不明の爆発や積み上げた残骸の崩落で周囲を苦笑いさせているここの主人は、新しく引っ張って来た墜落したライトニングの動力部から顔を出して額の汗を拭った。
「最近機関のバイパス比が高くなってるな……どう見る?まさか、ソラウィの惶力が低下しているとでも?」
「おいガナッシ!街区でマッキナが追いかけっこやってるぜ!ほらあれ」
「追いかけっこ?」
薄汚れた作業着の襟元をごつい指で大きく開いたガナッシは、隣の刀屋の頭領の指差す先に目をやった。翼上面から気流を剥離させて旋回する丸翼のマッキナを、2機のライトニングが追撃している状況を見て取ったガナッシは大慌てでバラック建ての作業所へ戻り、空中線受信機のダイヤルをせわしなく回しはじめた。
「ありゃF/Fだ……あいつ、なにやらかしたんだ?」
石英管の振幅が大きくなる所をひとつづつ……ええいまどろっこしい!ガナッシは見当をつけて3つのダイヤルを任意に合わせた。突然ホルンから飛び出す騒ぎ立てる何者かの声、ガナッシは雑音まじりのその交信を注意深く聞いた。
「繰り返す……追跡中のマッキナは無人……当該機に搭乗者は確認できず……」
「見越し角がとれない!……何て機動性なんだ……」
ガナッシは再び外へ出ると、長く尾を引く白い航跡に目をこらした。
「どうなってるんだ……フェレロ……」
未だに占位できないでいるライトニング小隊に2機の増援が加わった。前後に展開し挟撃の隊形を取る。F/Fのトリガー、ルゥラはフェレロの指笛を確かに聞いてその場所を特定し、最速の旋回率を維持して鐘楼へと向かっていた。減速してホバーリング、乗り移るまでの数秒……その間に撃ち抜かれれば一巻の終わりだ。フェレロは目視で迫ってくるF/Fの距離と速度を頭の中で減算していった。
「なんだ?あのマッキナ、こっち向かってくるぞ!」
「おいこら!おれたちを巻き込むな……う、撃つぞ!」
「逃げろッ!」
まっすぐ向かってくるF/Fとライトニングに、見物していた人々は我先にと螺旋階段に殺到した。フェレロはアーチの上に立ち、抜けてゆく風に吹かれながら呼吸を整えた。
「ルゥラ!最大減速3秒!ピッチ60!」
大きく機首上げの体勢をとったF/Fが急激に減速しながらフェレロのいるアーチに迫る。風圧ときらめく惶の光粒、ルゥラ渾身の逆噴射が鐘架をゆさぶり、フェレロは息も出来ない程の風圧に押し戻されながらも何とかその翼の側までやってきた。
「よくやったね!今からそっちへ行くよ」
「フェレロ!はやく!ライトニングがくる!」
「はあああ!」
フェレロはアーチから翼へ向かって跳躍した。着地!そのまま翼面を勢いを付けて走り抜けようとしたが翼面が滑る!反射的にのばした手に絡み付く手綱、よしッ!しかし次の瞬間正確に放たれた惶弾がフェレロの足下の翼を撃ち抜いた。衝撃で機体が大きく傾く。
「当たった?お、落ちる!」
平衡を失い木の葉のように降下してゆくF/F、宙づりになってしまったフェレロは手綱を握りしめ落下するまいともがいた。
「フェレロ!」
下で見守るハナは背筋の凍りそうな光景に大声で叫んだ。主桁を砕かれたF/Fの左翼は完全に折れ曲がって上を向いている。フェレロは渾身の力で何とか手綱を昇って操縦台へとたどり着くと伝声管に叫んだ。
「ルゥラ、下手に飛ぶと狙い撃ちだからこのまま落っこちるんだ!直前でホバーリングに入れるから準備してて!」
「アイ♪」
落下してゆくF/Fのすぐ上を4機のライトニングが交差した。さすがに対面に僚機がいては発砲できないのか、増援で加わった2機は急上昇して速度を殺し、ゆるくターンして戻ってくる。先程の遠距離射撃といいかなりの技量なのだろう。フェレロはその自在な機動に軽い戦慄を感じた。
「やるなぁ……いいかい、ルゥラ、ホバーリング……」
「……ゥゥゥゥ」
「いけ!」
「アイ!」
絶妙のタイミング、F/Fは地上スレスレで落下を止めるとその場にぴたりと浮揚し、やがて静かに着地した。F/Fを見守っていた人々から安堵の声がもれる。それはやがて歓声の輪となって広がり、フェレロは手を叩きながら自分へ向けて集まってくる人並みを見てちょっと引いた。
「え?何なの?ちょちょちょっと待ってくれって……」
「フェレロ!」
ハナが一目散に走りよってきて抱きついた。人垣は見る間にF/Fのまわりを覆いつくし、ヒュピィアの人々はいけ好かない翼士隊に一泡吹かせた華奢なマッキナとその搭乗員に喝采を浴びせた。
「凄かったぞ!久々に胸がすーっとしたわ!」
「いい腕だな!こんどのジャントゥユ、お前に賭けるぜ。ボウズ」
「フェレロ!もう!いっつもこんなこわいことして……ぐすん……」
ハナはもう涙でぐしゃぐしゃ、そんな二人の姿を広場の人々は微笑ましく見守るのだった。暮れゆく空がひときわ茜色に光を投げかけ、街に鋭角的な陰影を刻んでいく和やかなひととき、しかし、まるでその平和を踏みにじるかのように、燃えるような夕景の朱を身に纏った悪魔のようなライトニング編隊が強烈な惶の噴流を地表に叩き付けながら次々と降下してきた。突然の招かれざる客たちにあわてて散り散りになる人々、4機のライトニングは擱座したF/Fの前に整然と並んで着陸し、その砲口を翼の折れたマッキナにぴたりと合わせた。とりあえず無抵抗の意志を見せるフェレロとハナの前に、金色の彫金でひときわきらびやかに装飾された甲冑に身を包んだソラウィが歩み寄ってきた。
「うわ……何かえらい人みたい……フェレロ、どうしよう……」
「……あの目の色……」
冑の発する硬質な擦過音が一歩ずつ近づいてきて、二人の前で止った。兜の風防を解放したそのソラウィの男は、惶をたぎらせた威圧的な眼差しでフェレロをにらみつけ詰問した。
「お前、力を持っているようだな……見せてみろ」




