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第10話「ファイアブランド」

 新地淅と土州を隔てる広大な山塊群、その奥地にひっそりと息づいている断崖の底の森、ラーマは永きにわたり人々の侵入を拒み続けてきた魔境であった。飛行機械を開発し活動範囲を広げていったヒュピィア、またその惶波をもって数多の空を翔るソラウィでさえラーマへの到達は困難を極め、ある者は挫折し、またある者は二度とその故郷へと戻る事は無かった。群生する木々に囲まれて点在する多くの惶湖によって、薄暮には天上に向けて長い光の柱を放つ様はさながら地空を結ぶ回廊のようであり、その光景を遠く仰ぎ見たハンター達の間では「精霊の生まれ出ずる聖地、そして墓場」という噂がまことしやかに囁かれていた。ヴーに曝され、およそ生命など皆無な黒い岩稜の連なり、その鈍い光沢の上を巨大な翼の影が通りすぎてゆく。

「あの少年……フェレロとか言ったか……良くぞ此の様な禍々しい地に赴き、そして戻ってきたものだ」

 中央の石英管より放射される惶波によって満たされた艦橋の窓より望む、動くものひとつない荒廃した山肌を俯瞰しながらネュピアスは吐息を漏らした。機の外は惶のほぼ皆無な希空域、ソラウィにとってここは種の生存が許されない危険な環境なのだ。階下のヒュピィア技術者の詰める操舵室よりハースの定時連絡が入る。

「現在高度80000、ラーマ外縁の稜線まであと12000です。上昇率を10上げる許可を」

「余剰出力は充分なのか?」

「推力の増大のため兵士200名への惶の供給を一時遮断いたします」

 限られた惶波を航行と生命維持に供しているヴェルクトゥ内において、殆どのソラウィの乗員は舷側に設けられた座席に座り、甲冑の維持装置に妖精機関からの導惶管を接続して生存している。惶の枯渇はヒュピィアにおける空気の消失にあたる致命的な状況であり、手勢の生命を危険に曝す決定はネュピアスにとって苦渋の選択であった。

「人数はそれ以下にはならないのか?」

「計算上の限界値です。状況によっては増加もあり得ます」

「……」

 身体が軽く椅子に押し付けられ、ヴェルクトゥの浮力が増加したのが伝わった。ネュピアスは目を閉じて小さく呟いた。

「許せ……私もすぐに往く」

 眼前に立ちふさがる断崖は高度を上げるにつれ急峻さを増してゆき、その頂ではほぼ垂直に切り立った壁となって行く手を阻む。ひとつ、またひとつとソラウィの命の火を食らいながら、巨鳥はその上に切り取られた渦巻くヴーの空へと昇ってゆくのだった。



「ねえフェレロ、ラーマってどっちだっけ?」

 王宮を後にしてヴェルクトゥを追うF/Fは、その快速を利して早くもリエラの領空を脱しようとしていた。他の機体のを流用しているため余っている計器盤の丸穴から、テナがひょこっと顔を出してフェレロの顔を見上げる。

「はは、おしゃべりなメーターだね。あ、どう?ポーの具合は」

「うん、操作がていねいで疲れないって言ってた」

「そう……もうじき見えて来るはずだよ」

 翼が最大限の揚力を得られる仰角を注意深く探りながら高度を保つF/F。周期的に発する小刻みな脈動は機関の要求する惶波にトリガーの出力が追いついていない事を意味していた。筒温はすでに上限値に達している。テナの伝えたポーのことば……その幼気なまでの想いが痛いほどわかるフェレロには、もはや彼女を信じることしか出来ないのであった。

「ほら、あれだよ。天に向かって惶波が放射されてる」

「え?どこどこ?……わあぁ!」

 F/Fの機首の指す彼方、一条の蒼い惶波がヴーの空を照らしているのを遮風板越しに目にしたテナは驚きの声を上げた。

「きれいだね……」

「近くに見えるけど実際はかなり距離がある、それだけ大きな光の束なんだ」

「かなりってどのくらい?いつごろ着くの?ラーマに」

「うん……あ……」


  ふわふわ ことのね おそらに きえるよ


「テナ……これは……」

 フェレロはいつしか自機のまわりに点々と光の粒が漂っているのに気がついた。床板の下、黒く沈んだ荒々しい大地を覆う雲間から昇って来るチリチリとした金の粉、それはF/Fの側をふわりと追い越して舞い上がり、そして儚く消えてゆく。まるで花びらが天空に舞うかのような可憐な景……けれどテナには、その中に込められた嘆きのコトネがはっきりと伝わってくるのだった。

「フェレロ……この子たち……みんなのココロの火だよ……」

「え?」

「いままで……ううん、今もかもしれない……これは燃えつきたあとに残されたココロの最後のすがた……仲間の待つ、ヴーの空にかえってゆくところなの……」

「でもどうして……ほら、見てよ、僕らの行くさきからずぅっと繋がってて……はッ?」

 フェレロはゴーグルを外して身を乗り出し、機首の前下方を凝視した。常人では捉える事の出来ない彼方の断雲に見え隠れする揺らめき、かすかに残る航跡……それは喘ぎながら山塊を超えようとしている巨鳥の羽ばたきであった。

「いた……リエラの巡惶艦だ……また……ひとつ離れてゆく……ひとつのココロが……!」

 ヴェルクトゥの機関部で見たレネリィの哀れな姿が脳裏によぎる。憤怒に我を忘れたフェレロが手綱に鞭を入れようとするのを、テナがあわてて取り押さえた。

「待ってフェレロ!いま近づいちゃダメ!」

「どうして?ソラウィかレネリィか……あの船を飛ばしてる火がどんどん燃え尽きていってるんだよ!早く助けに行かないとッ!」

「今近づいたら私たちを落とそうと撃ってくるはず、そうなったらもっとたくさんの火が消えちゃうよ!それにポーに……ポーにこれ以上無理させないで……」

「くっ……!」

 右足で操作する還元装置のバタフライバルブを全開にする直前でフェレロは思いとどまった。いまのポーの状態では緊急出力を使えば数瞬ですべての惶を吸い出されてしまうだろう。顔面に吹きだしてくる生温かい汗に自らの行為の無謀さを知らされたフェレロはしばし踞り、機関室よりの響音に耳を傾けた。


  とどいて……いるかな……

   わたしの……き……も……ち……



「……ルゥラ……辛かったでしょう……あなたには、ずいぶんと困難なお願いをしてしまいましたから……」

 ラーマの最深部、惶湖テグの畔に天上を仰いで、アイエルは目を閉じ静かに波動を高めていた。この場へと向けられた小さき者たちの一途なコトネ、たくさんの意思を束ねたその輝きの真ん中にある愛おしい心は、彼女の問いかけにもついに開かれる事は無かった。辛い記憶を忘れ去るためにただ頑に突き進む純粋な魂。アイエルは小さくため息をついた。

「……素直な子……優しくて傷つきやすいあなたが、あの者の甘言によって魅入られてしまうのは仕方の無い事です……ルゥラに罪はない……けれど、あなたをこの地へ通すわけにはいかないの……ごめんね……」

 彼女は蒼明のソラウィの責務を全うするためヴーの空に手をかざした。普段は朧に森を照らしているラーマの惶湖がみるみる明るさを増してゆく。

「我は天の民なり。卑しくも地にてその恵を享受する罪を許したまえ。我はアイエル・ナ・ラグナノ、惶なる命、ここに捧げん……」

 今まで見せた事の無い真摯な表情に不安そうに寄り添うネーロたち、光芒はラーマを白き森のごとく鮮やかに浮かび上がらせ、硬質なベイルをはるか上方へと解き放つ。アイエルは側で萎縮しているネーロたちに微笑んで語りかけた。

「……野心に溺れ、世の均衡を乱す者がこの地へと赴いてます……我が同胞たちをその手中に懐柔して……あの者の得た力は私をも凌駕しているかも知れません。もしその時は……私に構わずゆきなさい……」

 ざわめくネーロたち、点在する惶湖から溢れ出ずる放射に照らされたアイエルの顔にはしかし、まだぬぐい去る事の出来ない葛藤がかすかに影を落としていた。やがて来る厄災の方角を見据えた凛とした瞳、その潤みからこぼれる飛沫が訣別の想いを乗せ、猛り伸びてゆく奔流に消えてゆく。

「……次で、全力の界壁を築きます……何人たりとも立ち入れぬ境を……フェレロ、ルゥラを許してあげてください……どうか、どうか、健やかな日々を……」

 一際眩い惶波が大地の孔より突出して、ヴーの雲海を穿った。



「惶波、更に強まりました。機関稼働率98.9」

 ラーマの外縁山塊の頂に到達したヴェルクトゥは、侵入を阻むように展開されている濃密な惶波の壁に行く手を遮られていた。限界高度に近いため滞空する為に機関出力のほとんどを振り向けている現状では、この惶流の流れに飛び込んで前進する事は技術的に不可能である。ネュピアスは蒼のカーテンのようにたなびく強大な惶波に戦慄の色を隠せなかった。

「これほどの界壁をただ一人の施士が展げているというのか……蒼明の嫡子……その資質たるや、我々の常識を遥かに上回っているのかも知れない。だがここまで来た以上、我々も引き下がる事は出来んのだ。エティエン亡き今、この地でのソラウィの未来は我等紅潔の同志に委ねられているのだから……アイエル、其方が旧王の意志を継ぎ我等と離反し続けるのならば、私は力づくでもその障害を取り払って見せる……アーメン第3第4、用意ッ!」

「危険です!今斉射を行えば高度を保持することは出来ません!」

 状況を報告する艦橋の機関士にネュピアスは辛辣な口調で命令した。

「何を勘違いしているのだ?航行と生命維持はレネリィ達の役目、彼等は見事に任務を全うしているではないか。いいか?実際に手を汚すのは我々紅潔のソラウィなのだぞ!貴様も早く待機デッキへ行き導惶管を接続しろ。私も撃つ!」

「は……ハッ!」

「ハース!艦を現座標に固定、これよりラーマ中央部に向けてアーメンの斉射をかける。惶波に流されないよう位置を保て、任せたぞ」

 そう言うとネュピアスは艦橋中央の石英管に手を伸ばし、白く輝くそのフィラメントを握りしめた。流れ出る紅蓮の波動、機体を取り巻いていた涼しげな惶が猛々しい朱色に変化してゆく。

「ハースだ、翼下のアーメンへの動力を妖精機関と接続した。照準はそちらに回す。薬室圧臨界まであと65522」

 広大なヴェルクトゥの翼の上下面には各々一対ずつ、アーメンと呼称される制圧用の兵器が格納されている。機軸以下の対象を目標とする第3、第4射機は翼下面より姿を現し、多数の小板で構成された反射鏡を眼下のラーマ最深部へ合焦させるため、その巨大な砲架を回転させていた。五千余騎の翼士の絞り出す惶が火器系統の核反応筒に集約され圧を高められてゆく。ネュピアス自らも爆縮の引き金となる極大波を放つべく拳を固く絞った。

「2門同時に発射し、干渉波による広範への延焼を目的とする。波動の中心点を……俯角85、偏差135、惶湖畔の消失点に設定」

「君将、臨界に達しました。閉鎖弁解放」

「よし、各員視野を保護しろ。アーメン、斉射!」

 長く突き出した針を取り囲むように形成された凹面に眩しい朱閃が煌めく。ネュピアスの放った惶波が臨界を迎えた核反応筒内を一瞬に圧縮し、その連鎖反応による希有な力が軸線上に解き放たれた。

「なに……くぅッ!」

 ヴェルクトゥの死角を占位し、接触の機会を伺っていたF/Fの眼前で発射されたラーマへと突き進む惶波。直後に襲い来る沸騰した大気は乱流のごとく機軸を惑わせ、フェレロは全翼を失速させないよう瞬時に回復操作を入力した。

「こ……こわいよぅフェレロ!」

「大丈夫……推力を使わずにやってみせる!」

 翼の揚力を基準に飛行曲線を構築してあるF/Fは、仰角と重心位置を操る事である程度の操縦が出来る。やや高度を下げ層流界を確保したF/Fは一旦ヴェルクトゥとの距離を取った。冷や汗を拭うフェレロ。アーメンの放射はまだ続いており、その先端は蒼のベイルへと到達していた。

「ふう……ったく何て強烈な射撃だ。ライトニングの比じゃないぜ」

「フェレロ!あれ、あかい光がはねかえされてる!」

「何だって?」

 猛り狂う真紅の惶波が蒼のベイルに食らいつく。しかし天に届かんとするその透き通る界壁は易々とその牙を砕き、上空へとまき散らしていった。行き場を失い、空しく燃え尽きてゆく朱の光粒、さしものアーメンの放射も底をつき、ヴェルクトゥは身震いするかのように翼を振った。

「蒼い壁……ラーマを護ってる……あれが……あれがアイエルの惶波なのか?……お……墜ちる!」

 アーメン斉射のために使われた残留惶波が機体随所に迷走し。ヴェルクトゥの主機関には相互干渉による悪影響が広がり始めた。異なる惶波同士の接触は互いにその効果を相殺するため、ルゥラと集束妖精機関は今やその機体を浮かせていられるだけの推力を維持するのが困難となっていたのだった。ぐらりと傾き、高度を減じてゆく巨鳥。フェレロはあわてて自機の推力を上げた。

「……ポー、ごめん!」

 咳き込むように増速したF/Fはそれでも徐々に降下速度を速めてゆくヴェルクトゥの側に翼をぴたりとつけることができた。フェレロは衝突しないよう全身を使って制御しながら、胴体中央部に位置する半球状の装甲部に向かって叫んだ。

「ルゥラ!どうしたのッ?機体が墜ちちゃうよ!」


……ふぇれろ?

「ねえ!聞こえないの?みんな死んじゃうんだよ!」


……ふぇれろ……それと……だれ?


「機体の落下が止まりません!」

「制御しろ!待機デッキ、翼士はどのくらい動ける?」

 傾いた艦橋でネュピアスは鳴り響く多様な警告音をむしろ心地よく感じていた。前方は蒼の界壁、眼下は荒涼とした岩稜の連なり、もはや退路しか残されていないこの状況でなお、ネュピアスは己の野望の実現を全く疑ってはいない。それを見守る兵士達は、なるほど奮い立つほかはないのであった。

「残余二千余名、これより機関へ全惶波を伝達すると言ってます!」

「まて!お前達は待機していろと伝えろ。私が直々に機関室へ行く」

「はッ!君将……ご武運を!」


……ふぇれろ……こわいよ……いやだよ……また……また……みんな……

「ルゥラッ!」


  どうしたの るぅら ほら、みんながまっています

    あのときみたいに そう うたってごらんなさいな

      だいじょうぶ わたしがそばにいてあげるから ね

       

……あ……このこえ……うん……おぼえてるよ……

  そっか……いきて……たんだね……きてくれたんだね……


「アイッ♪」


 ヴェルクトゥの下部、機関部の殻が内部からの閃光と共に崩壊をはじめた。大小の破片が外板を切り裂きながら次々と脱落してゆく。突然寸断され、落下をはじめた機関室への通路の一歩手前で危うく難を逃れたネュピアスは、餓えた外気に自らの惶を激しく奪われながらも、今や機外にその全貌を曝している機関室への扉へ向かって跳躍した。

「笑止な……一体何が……何が起きたというのだ?」

 機関室の扉を抉じ開けたネュピアスは、室内に満ちる夥しい惶波の放出に目を覆った。半球状の天井に反響し合う幼い歌声、接続された全てのシリンダーは解放され、各々に手を取り合うレネリィ達から放たれる眩しい詩は輪の中心の集束機に立つルゥラに届けられていた。計器を振り切り、際限なく増大してゆく機関出力……暫し呆気にとられていたネュピアスの表情はやがて不適な笑みへと変わった。

「ふふ、ふはは……つくづくいい子ちゃんだよ……ハース!妖精機関の惶波を全てアーメンへ投入しろ、急げ!」

「主機関を砲撃に回すと機体が墜落しますぞ!」

「自由落下で良い、航路をラーマ内部へと修正しろ。突入までの減算開始だ。正確にやれ!」

「!……御意」

 ヴェルクトゥは徐々に機首を下げ、界壁に守られたラーマ開口部へ向かって降下を始めた。先ほどまで朱の惶波がまとわりついていたアーメンの反射鏡に凄まじいまでの蒼い煌めきが集まっている。同航しているフェレロは崩壊した機関室下部の惶点からただならぬ殺気が満ちあふれているのを感じとった。

「な……何をしている……ネュピアス!ルゥラの惶波を何に使おうとしているんだ!」

 巨大な機体にぶつかる気流が生み出す衝撃派が接舷しようとするF/Fを遠ざける。

「い……行かせるかッ!」

 フェレロは何とかその尻尾に食らいつきたくて妖精機関に鞭を入れた。全速位置に展開する制動翼、しかし翼内部より露出した6基の加速器に惶波はなく、F/Fは上下より押し寄せる波濤に激しく翻弄された。その質量の差から徐々に遠ざかってゆくヴェルクトゥ、歯ぎしりしながらそれを追うフェレロは、完全に供給が絶え発光してない機関関係のヒューズを見て愕然とした。

「まさか……火が……消えた?……」

「え?……ポ、ポーーー!」

 テナは慌てて計器盤奥へと潜り込んだ。狭い空間に押し込められた配管や小さなタンクをもどかしそうに押しのけて……その先に固定されているガ印遠心式妖精機関は、高空の大気により既に痛いほどに冷えきっていた。もうそこに主のいない事を知らされたテナは、微かに彼女の惶の気配が残るシリンダーにしがみつき悲嘆にくれた。

「ポー……ごめんね……ごめんね……」

「……そんな……何も……言えなかったなんて……」

 機動力を失ったF/Fを上空に残して、突入角度を固定したヴェルクトゥは再び一斉射の態勢を整えていた。清らかな歌声に包まれて虹色の干渉派を放射する妖精機関の奏でる和音は、まるで慈しみと加護を遍く施す聖歌のようで、ネュピアスは純粋な意思にあふれたその惶波を前に高らかに声を上げた。

「そうだ、今こそ……今こそ高く舞いあがれ!」


「ルゥラ!歌うのをやめて!……あいつは……ネュピアスは!」


「ポー……たすけて……みんなを……たすけて……」


「アーイッ!」


 臨界を超えて高まった惶波が自己崩壊し分裂反応が始まった。アーメン薬室内のそれは瞬時に前回の斉射の数万倍もの圧力を生じ、発射機とを繋ぐ鎖栓式閉鎖機を内部より破壊し噴出した。ヴェルクトゥの進行方向、ラーマの森に向けて射られた長大な光槍は同じ波動を持つ蒼の界壁を通過し、大地の孔に深々と突き立てられた。

「ああッ!」

 機上よりその光跡を追うフェレロは断崖の奥底の暗闇に着弾を記す火柱が瞬くのを認めた。それは色を変えながらみるみる広がってゆき、次の瞬間、莫大な火炎と爆風を伴って直上へと噴き上がった。大気を揺るがす鳴動と干渉による放電が周囲を一瞬にして破壊の色に染めあげる。あれほど強固な護りを続けていた蒼の界壁もその灼熱の嵐の中に崩れ落ちていった。

「壁が……まさかアイエル……アイエルーーーッ!」

 高熱で急激に発達した上昇気流がラーマへ降下してゆくヴェルクトゥを遮る。さしもの巨体も軋みを上げ、外板は音をたてて凹みはじめた。アーメン発射後、急速にその光を失ってしまった妖精機関、薄暗い機関室内で激しい揺れに思わず身を伏せたネュピアスは、時折瞬く残留惶波の中に無惨に散らばるレネリィ達の亡骸と、声を上げて泣いているルゥラの姿を見た。

「ちっ……ガキ共め……程度というものを知らぬ……まあよい!」

 トリガーを失った妖精機関をあとに、ネュピアスは非常通路を伝って艦橋へと向かった。衝撃で寸断された配管から生々しい惶波が機内に溢れでる中、懸命に艦の安定を保とうと指示を出している航海手は、戻って来た主君のその無事な姿に歓喜の声を上げた。

「君将!よくご無事でッ」

「うむッ、貴様もよく持ちこたえてくれた。計器は生きてるか?」

「はッ、降下速度12。信じられません、この巨体は滑空しているのです!」

「まさかな、この狭い空間で発生した火災によるサーマルに乗っているだけだ。気流から逸脱しないよう細心の操作を心がけろ」

 赤々と燃えさかる木々の色を巨大な翼に映して、ヴェルクトゥは不気味な程滑らかに高度を下げてゆく。長きに渡り人知れず営まれて来たレネリィ達の聖地は今まさに、災いの炎の中に失われようとしていた。業火のなか木の葉のように揉まれる軽量なF/Fは思うように地表に近づくことができず、フェレロは吹き上げる熱塊に翻弄されながらアイエルの消息を探し続けた。

「ちくしょう!上昇気流でッ……どこだ……アイエル……無事でいて……」

 惶湖とその畔を除いてくまなく焔に覆われているラーマの大森林、大気は焦げ付き、地表はおよそ人が生き延びられそうにない程の高温の噴気に覆われていた。一度この地を訪れたフェレロでさえ今自分が何処を飛んでいるのか見当もつかない程の朱の大地、舞い上がる無数の火の粉の紅光に混じって、何かに取り憑かれたかのように錯乱した軌跡を残して飛翔する惶波が突然直下より飛来し、F/Fの翼端を貫いた。

「うあ、何だァ!」


 コ ワ イ ノ ミ ン ナ シ ン ジ ャ ッ タ ノ ソ ン ナ ツ モ リ ジ ャ ナ カ ッ タ ノ ア ノ ヒ ト ハ ウ ソ ツ キ ダ ッ タ ノ ヒ ト リ ボ ッ チ ニ ナ ッ チ ャ ッ タ ノ サ ミ シ イ ノ モ ウ ド ウ ナ ッ チ ャ ッ テ モ イ イ ノ !


「……ルゥラッ!?」

 交錯した瞬間頭の奥に突き刺さる悲痛なコトネ、長く伸びた蒼い翼は鋭利な惶波となって全ての物を貫きながら暴走する。激情に錯乱し無軌道に彷徨するその魂がルゥラだと気がついたフェレロは、その悲しみに満ちた叫びに届かんばかりに操舵で疲弊した両手を差し伸べた。

「ルゥラ!僕だ!フェレロだッ!」

 燃えさかる木々の断末魔の声で埋め尽くされたラーマ上空でフェレロの声はあまりにも小さく、心が凝固した彼女に届く事はなかった。その身に触れるあらゆる物を蒸発させながら炎の雲海を乱舞するルゥラ、このままではやがて自身でその肉体を焼き尽くしてしまうだろう。フェレロはどうする事もできない苛立ちにF/Fの舷側を叩き続けた。

「ちくしょう!聞こえてよ!気がついてよ!ちくしょう!ちくしょうぉぉ!」

「ねえ……フェレロ……わたしが呼びかけてみても……いい?」

 泣きはらした目で計器盤の孔から顔をだしたテナが、激昂するフェレロに声をかけた。

「……テナ……大丈夫なの?」

 小さく頷いたテナはフェレロの肩に乗り、手の中に抱いていた小さな朱の珠をその頭上にかざした。

「お願い……ルゥラを呼んで……わたしといっしょに……」

 微かに脈動する朱の惶波の珠がテナの手の中でポゥと光った。覗き込むようにそれを見つめるフェレロの耳に、破壊の音色に遮られて今まで届かなかった飛び交うコトネたちの声が聞こえて来た。10人……100人……いや、もう数えきれないほど!微睡みにも似た危うく柔らかい意識の床にすがり来るおびただしい数の怯えた魂、全てを受け入れ、埋め尽くされてゆく自我にフェレロは恍惚として目を閉じた。

「ああ……みんな……だいじょうぶだよ……」

 閉じた瞼の裏に広がる深淵なる眩しい闇、夢現の狭間に生まれ消えてゆくコトネは刹那の営みに別れを告げ、それぞれの想いをヴーの懐へと届けに旅立ってゆく。ぼやけた眼前を覆い尽くす無数の天に向かう虹球……投影されたそれぞれのココロの姿をただ呆然と見送っていたフェレロは、乱舞するコトネのひとつがくっきりとした輪郭を描いて自分を見ているのに気がついた。君は……まって……知っているような気がする……たくさんの風景、たくさんの言葉、たくさんの瞳……めくるめく刻が一瞬にして脳裏を駆け抜け、フェレロは目を開いてその名を呼んだ。

「アイエル!」

 我に返ったフェレロの前に、灰で煤けたレネリィの涙でぼろぼろの顔があった。

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