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第1話「ヘルダイバー」

——フェレロ——

……?

——フェレロ——どこ——どこなの——

……呼んでる?……僕?俺はここだよ

——フェレロ——見えない——見えないよ——

……もう!僕はここだって!

——ああ、私のコトネよ、どうかヴーのご加護がありますように——届きますように——


「だから僕はッ!」


「な、なに寝ぼけてるのよー!せえどーよくの確認はおわった?ルゥラ、まちくたびれてるって!」

「あ、ああ?」

 目を開けたとたん飛び込んできたくりくりの瞳、突っつきそうな勢いでまくしたてるその少女の表情にフェレロはちょっと驚いた。

「!……ハナちゃん?……あれ?僕ってひょっとしてっ……」


"ごき"


「アタッ!」

「フェレロ?アハハハ!こわしちゃヤダよぅ」

「あつつ……くそっ、マスバランスか……」

 羽布張りの翼の下に寝そべってたのを忘れて思わず立ち上がってしまって、突き出た錘に激しく額を打ちつけてしまった飛行服姿の少年を見て、ぱさぱさした燈色の髪の少女はあきれた表情。

「そんな草ぼうぼうのところでよく寝れるねー……ひーガサガサこそばゆそう!あ、ハナちゃんはやめてよ!もう子供じゃないんだからねッ!」

「ふんぬ」

「?」

 フェレロと呼ばれたその少年は額をさすりながら身を起こして、そばでぷっと脹れている少女の立ち姿をしげしげと眺めた。

「へえ……今までこうやって見た事なかったから気づかなかったけど、ハナちゃん、何か女の人みたいになってきたよね、胸とか」

「!?フェレ……何よッ!」

「おっとと、ハハハッ」

 握った腕を振り回して迫ってくるハナの可笑しさにフェレロは笑いながら駆け出した。ハンターの師匠である彼女の父親ゴラン、その剛胆さに負けないくらい活発で気が強くて、でもこの家へ身を寄せている自分をまるで兄のように慕ってくれる彼女、ハナの存在は、フェレロの毎日をいつもほんのり暖かく彩っていた。

「おい、いつまでレネリィ遊ばせてんだ?マッキナのトリガーとして使うなら少しは暖機させてやんねーと!いきなり全速かけたら息切れしちまうだろうが!」

「は、はいぃ!」

 突き刺すように飛んでくる野太い声。二の腕にハンターの称号であるレジストが刻み込まれている男が、ふざけて逃げ回っているフェレロを一喝した。

「いいかフェレロ。いくらお前とそのレネリィが強い信頼関係にあるといっても、あれはお前の手下でもなければ家畜でもねぇ。親しき仲にも礼儀だ。でなければお前が内蔵を撒き散らす事になるぞ!」

「パパ!縁起でもない事言わないでよ!ルゥラとはずっと仲良しだったから大丈夫なの!ホントにもう、どうしていつもそんな嫌味な言い方するのよ!」

「んあ?ハ、ハナは黙っていなさい」

 年頃だからか、最近聞き分けの無くなってきた娘の言葉にややたじろいたゴランであったが、彼もマッキナを駆ってレネリィを追っていたハンターの一人、同じ途を目指すフェレロにはどうしても厳しく当たってしまう。フェレロもその事は十分わかっているようで、遮風板のへりに腰掛けてウトウトしている、指を広げた程の大きさのレネリィのくるくるっとした巻き毛のおでこをつっついた。

「ごめん、ルゥラ。起こしちゃって……そろそろ出発だから準備してね」

「……?ア、アイ!」

 見た目は殆ど少女のようで、でも背中には虹色の羽をもつ小さなレネリィ、ルゥラはおどけて敬礼の真似をすると機体の前半分を占める妖精機関、その中枢にあたるシリンダーの中へと飛んで行った。フェレロはあっと気がついてポケットから小さな動物の人形を取り出すと、それを握りしめて筒から顔を出してきょろきょろしているルゥラの傍らへ飛び降りた。

「ほら、ルゥラ、忘れ物だよ」

「アイ!アーーーーイ!」

「いつも狭い所でごめんね……準備、はじめよっか?」

「アイ♪」

「じゃ、閉めるよ」

 フェレロはシリンダーを機関中央の稼働位置に固定すると上部のカバーを閉めた。そして軽い身のこなしで運転台へと飛び乗り、手綱の右にある伝声管にむけて始動のコールを告げた。

「ルゥラ、コンタクト」

「アイ♪」

 元気な可愛らしい声、計器盤に灯がともり、中央にある沃素球の中で緑の光球がはしゃいだように飛び跳ね始めた。隣の3本の石英管を満たす液尺の境界はどれも緑の範囲内でぶるぶる上下しているのを見て、フェレロはほっとしてゴランに報告した。

「脳波明晰、血圧、心拍、呼吸いずれも正常値」

「よっし、ルゥラ暖まったら行こっか?フェレロ」

「?ハナ!お前もいくのか?」

 操縦台で離陸点検を進めているフェレロの後方のデッキにレネリィ捕獲用の長大なキャプターを携えて飛び乗ったハナに、ゴランは心配そうに声をかけた。

「このマッキナは軽いから私一人くらいへーきだってフェレロ言ってた。だいじょぶ、パパの分までネーロ、捕ってきてあげるね」

「駄目だ!よりによってタンデムでラーマへ行くなんて危険すぎる!いくらフェレロが並外れた視力を持ってたとしてもだ!いいか?あそこに降りた者はいるかもしれないが、帰ってきた奴は誰一人いないんだ!私の事は心配しなくていいからお前は残ってなさい」

 ゴランのあからさまな制止の言葉に、ハナは嫌悪感を身体いっぱいにあらわして憤慨した。

「何で駄目なの?危ないってわかってるのにフェレロだけ行かせるなんて、そんなことできないよ!最近レネリィがすっかり少なくなっちゃって、パパも大事なマッキナ売っちゃったりして苦しいの、ハナだって知ってる!レネリィの中でも全身光り輝く「ネーロ」はすごく高く売れるってパパ言ってたよね?ラーマに行けば沢山いるって……」

「だ……だからってだな」

「フェレロ、あれでもパパにすごく感謝してるんだよ!記憶をなくしちゃって何もわからないのにいつも優しくしてもらってるって……ラーマに行くって言い始めたのも、パパにお礼がしたかったからなんだよ!だから……だからハナもフェレロの願い、かなえてあげたいの……パパにまたハンター、やってもらいたいの!」

「ハナ……」

 ゴランにはもう彼らを納得させる言葉はなかった。痩せた山々に囲まれたここオーデルでは僅かな土地で穫れる作物のほかはこれと言った産業もなく、男達は周辺の森に棲息する「惶」の力を内に秘めた妖精、レネリィを捕らえそれを売却することで日々の糧を得ていた。だが彼らの乱獲のためなのか環境の影響なのか、この所近郊のレネリィの個体数が極端に低下してしまって、もはやオーデルの住民全体を賄うことは出来なくなっていた。多くのハンターがここの生活に見切りをつけて村を後にし、わずかに残った者達はより危険な地域へと獲物を求めて分け入っていった。しかし険しい地形や入り組んだ深い森に阻まれ、なにより彼らの空飛ぶ足、マッキナの動力の要でもあるレネリィの衰退はそのままこの稼業の凋落を意味していた。夢を求め秘境に赴いた勇気あるハンター達、しかし彼らの殆どがその道程において自機のレネリィを力尽きさせてしまい、二度とオーデルに帰って来ることは出来なかった。

「……ふう、翼に先立たれたハンターってのはザマァねえな……畜生、そのマッキナが俺を乗せてくれればよぅ……」

「パパ……」

「わかってるって!F/F——フライングフェザー、ガナッシの道楽だろ?贅肉を極限まで削ぎ落として効率を追求した試作マッキナ……あんな繊細な機体、奴しか扱えねえさ。だいいち俺がルゥラに気に入られるわけねえしな……すまんフェレロ、ハナを頼む。無理するなよ」

「ゴランさん……」

「あいつときたら強情っぱりで言い出したら聞かねぇから……ったく誰に似たんだか。あ、そういやお前もそのクチだったな?」

「へへ」

 フェレロはすぅと息を深く吸って空を見上げた。渦を巻く断界の瘴気——ヴーの切れ端から垣間見える反対側の大地はどうやら嵐のようで真っ暗だ。雨が降ったら羽布張りのF/Fは重くなって高く疾れない。フェレロは手綱をぎゅっと握りしめ、自らの意思を動力室でかすかに歌っているトリガー——妖精機関の触媒であるルゥラに伝えた。

「ルゥラ、行くよッ」

「アイ♪」

 待ちかねてたのか、F/Fは弾けるように浮上した。吹き出す無数の光粒が疾れるという喜びを表しているかのように踊り、ゴランはその輝きに目を覆った。

「凄ぇ……只のレネリィからこんだけ惶力を引き出せる奴はそうそういねえぜ、よっぽど仲がいいんだな……」

「……行ってきます」

 キッと見据えたフェレロの眼差しの先へ向かって、F/Fはすべるように加速を始めた。軽量級マッキナならではの豊富な揚力はすぐに巡航高度に達し、灌木をかすめるように滑空するその操縦台にはうっすらと湿った森の空気が身を切るように集まってくる。フェレロは口元にかすかな笑みを浮かべると控えていた手綱を大きく煽った。

「ルゥラ、全速だ!」

「アイ♪♪♪」

「きゃあッ!」

 瞬時に最高速まで加速したF/Fのデッキから落ちそうになったハナの手を、フェレロはかろうじて捕まえた。ドキドキ涙目のハナは我に返ると、猛烈な勢いで怒りだした。

「もお!先にちゃんと言ってよ!落っこっちゃうとこだったじゃないの!私に何かあったらフェレロ、パパに何されるかわかんないよっ!」

「ハハ、ルゥラ、今日も元気だね!これなら上手く行くよ。絶対」

 まるで聞いてないようなフェレロの反応にハナはふくれっ面。でも彼の肩越しに目に飛び込んできた計器盤の沃素球、その中で跳ね回る小さな灯を目にしたハナの心には、ゴランには話せなかった不安がきりきりと呼び覚まされていた。何人ものハンターを飲み込んだ朧の森ラーマ……生きては帰れぬ魔境……もしかしたら私たちも……でもこの猟が上手くいけば、残っているオーデルのみんなが救われるんだ……ハナは微かに瞬くその「惶」に、自らの想いが無事遂げられることを願わずにはいられなかった。

「……フェレロ、ハナたち、きっと、きっと上手くやれるよね?」

「うん……ねえ、僕とルゥラとハナちゃん、ずーっと前から一緒にいたよね?ちかごろ夢、よく見るんだ」

「フェレロ?」

「今までずっと助けてもらってたから、今度は僕が助けないとね、ゴランさんも、ハナちゃんも」

 ハナは何か思い当たるのかちょっと表情を揺らしたが、フェレロの腰に手を回してその背中に頬を埋めた。

「うん……ずっと3人で上手くやってきたんだもん……ずっと……ね……」

「アイアイアーイ!アイ」

「うあ?」

 急にF/Fの姿勢が乱れ、フェレロは遮風板に思いっきり額をぶつけてしまった。

「ぎあ!さっき打ったとこ!いててててててて!」

「だ、大丈夫フェレロ?こらルゥラ、ヤキモチ焼かないの!」

「アイ♪」

 二人を乗せたF/Fは涼しげな口笛を翼端から発しながら蒼の森を飛び越えて行く。その行く先には荒涼とした塔嶺が幾重にも天に向けて矛を突き立てていた。



 徒歩でゆくのは不可能なほどの急峻で脆い渓谷、浸食で形成された無数の錐状の嶺をさらに深く遡上して行った奥に「門」と呼ばれる岩壁がある。それは広大な裾野を持つ環状山稜の隆起した地点であり、空に向かって登攀した細い頂からはなめらかな円を描く稜線と足下から垂直に落ち込んでゆく断崖を臨む事が出来る。大地に穿たれた大穴……その奥は永遠に落ちてゆくかと思われる程に漆黒に閉ざされており、天に向けて眩く閃く青緑の光束がより一層この世ではないという認識を与えてくる。マッキナを止めてその闇を覗き込む二人は、あまりの景観にただ呆然とするしかなかった。

「こ……この下が……ラーマ……」

「あの光……確かにレネリィのものだ……それも見たこともないくらい光ってる……なんて眩しいんだ……」

「……行く……のよね……」

 ただならぬ恐怖にうち震える心を感じ取ったフェレロは、後ろのデッキにいるハナの方を振り向いた。今まで見せた事のない怖そうな泣きそうな、およそらしくない怯えた横顔はちょっとドキドキで、でも照れくさいフェレロは思わずバカな事を言ってからかってしまった。

「そ……そんな顔したってだっこしてあげないからねッ!」

「……フェレロ……お願い……ずっと一緒にいてね……ひとりにしないでね……」

「?……あ、な、何言ってんだ当たり前じゃないかそんなの、は、はははは」

 マジ返しされて、フェレロは自分の方がバクバクし始めてしまった。でも彼の言葉を聞いたハナはからっと表情が明るくなっていつもの調子で仕切り始めた。

「……ウン!いい?フェレロ、ネーロをたくさん穫って、もう一度ここへ戻ってくるんだからね!絶対だからね!」

「あ……ああ、だいじょぶ。そのつもりさ」

「よおーし!ルゥラ、一気にぶっ飛ばしてッ」

「……ァィ」

「あれ?」

「……ルゥラ?」

 ルゥラはF/Fをちょっとだけ浮かせたがそれっきりで、何故だかそれ以上動こうとはしなかった。機関の中にいるとはいえもし墜落したら無事では済まない事を感じて恐がっているのだろうか。躊躇するように軽く翼を振ってみせる。

「ねえールゥラったら!早く飛び込んじゃってよ!こんなところで迷ってると私怖くて死んじゃいそうだよッ!」

「ハナちゃん、そんな言い方したら余計怖がっちゃうよ……ルゥラ、心配しないで、どんな微かな燐の光でも見逃しはしないさ。落ちついて僕の操る方向へ機を持ってってくれればいい。だいじょぶ、ルゥラなら、きっとできるって信じてるから」

「アーイッ♪」

 再び惶の輝きに包まれるF/F、その放出量は全速飛行の時に比肩する程で、フェレロはちょっと苦笑しながら伝声管に話しかけた。

「そんなに張り切らなくてもいいよ。ルゥラ、ゆっくり、ゆっくり前へ出して。幻惑されちゃったら危ないからね」

「う……うう……深いよぉ……」

 そろそろと崖の縁より機体を突出させるフェレロ、眼下に広がる底なしの空洞を目の当たりにしたハナはもう息も止まりそう。鼓動が極限に達したとき、F/Fの後尾がやおら高く跳ね上がった。

「きゃあ!倒れるッ!」

「行ってくれ!ルゥラ!」

「アイ!」

 急激に谷底へと機首を落としてゆくF/Fが断崖面と接触する直前、フェレロは手綱に鞭を入れた。飛び込む黒い世界、今や視界の全ては闇に支配され、二人を乗せたF/Fは壁面に沿うような急角度で落下していった。揚力が殆ど無くなってしまう垂直降下はそれだけ舵面にかかる圧力も低下してしまい、一度崩れたバランスを回復するのは困難である。フェレロは速度を増すことでその圧力不足を相殺しようとさらに推力を上げた。

「もももっとゆっくり!ゆっくり行こうよーッ!」

「このくらい舵が効かないと何かあっても避けられない。ルゥラ、もう少し下げて!」

「アイッ」

 少しでも地面効果を得ようとフェレロは壁面ぎりぎりまでF/Fを近づける。機体との間で圧縮され乱れた気流が小刻みに翼面を叩き直進を妨げるが、その確かな手応えはフェレロに操れるという確信を与えてくれるのであった。

「しっかりつかまって!ハナちゃん!飛ばされたら終わりだよ!」

「わ、わかってるーッ!ねえ!な、何か見えるぅ?」

 フェレロは集中して前方を凝視した。岩石に含まれる惶の微かな発光を頼りに先の先まで地形を追ってゆく。時折横をかすめ飛んでゆく光ははレネリィの、いやネーロの輝きなのか、だが今はそんな物に視線を奪われてはいられない。確実に迫りつつある「底」にマッキナごとたたきつけられる前に何とかして制動をかけなければならないのだ。フェレロは姿勢を乱さぬように慎重に制動板を開いた。

「フェ、フェレロ!後ろッ!」

「なに?今は振り向けないよ!」

「光が、光がいっぱい追いかけてくる!」

「!?」

 ハナの言葉に顔を上げたその時、フェレロのすぐ横を長い尾を引いた光球が閃きながら、降下しているF/Fの前方に躍り出た。と、それを追うようにいくつもの光球が両舷を次々と抜き去ってゆき、フェレロはその輝きに一瞬視界を奪われてしまった。

「ネーロ!?ま……眩し……」

「フェレロ、前ッ!」

「が……岩塊?」

 行く先に集中した無数の輝きを背に浮かび上がる黒い影、それは行く手を遮るように壁面より突き出した庇状の大きな岩棚であった。上か横か?迷っている時間はない!フェレロは左右の制動板を差動させ速度を維持したままF/Fを横滑りさせた。

「ぶつかるッ!」

「ハナ、じっとしてろ!ルゥラ、浮いちゃダメだ!」

「アイ;;」

「抜けた?」

 何か擦れるような音、軽い衝撃を受けたが弾き飛ばされることなく、二人を乗せたF/Fは辛うじて岩塊をかすめた。だが目の前に今度は青白い惶の点在する闇ががぐんぐんと迫ってきた。近づくにつれてそれは信じられないくらい広大な森林である事が見てとれて、フェレロはハッとして手綱を引いた。

「底だッ!ルゥラ、揚力最大!」

「アイ!」

 そう言うとフェレロは慎重に機首を起こした。気流で壁面からはがされないない様に渾身の力で下げ舵を打つ。翼からの下向きの揚力が壁面にたたきつけられ、激しい乱流は華奢なF/Fの機体を軋ませた。目が飛び出しそうな程の減速度が二人を襲う。

「……うぐぐぅ……何これ……フェレロ……」

「と……止まれええ!」

 今や目の前に広がる無数の惶の輝き、それは幻想の世界への入り口のようで、ともすればそのまますうっと吸い込まれてしまうような錯覚を覚える。フェレロはいくつも突き出した梢のわずかに上で力一杯手綱を引き、機体を滑空へと入れた。翼が大気をとらえ、瞬時に壁面から引き剥がされたF/Fは残存推力を一身に受けとめ大きく撓る、重力は搭乗する物の身体の機能をずしりと奪い、その骨ごと押しつぶされそうな力に二人は歯をくいしばった。

「め……目の前が……まっしろだよ……」

「……お……お腹で息しないと……はああ!」

 ふわりと浮いた機体は徐々に勢いを失って、ゆるやかに高度を下げてゆく。減速による貧血で朦朧とする意識の中でフェレロは何とかF/Fを水平飛行に導くことが出来た。猛烈な脱力感、でもフェレロは満足気な笑みを浮かべて機体を傾け、翼下に広がる薄暗い森を見つめた。

「はあ……き……来たぞ……ここが、朧の森ラーマ……や……やった……」

 木々の間にところどころに煌めくネーロの軌跡、しばらく追って行ったその先にはぼんやりと揺れる大きな輝きの波が見える。

「泉?こんな所に惶泉があるなんて……でもよかった。これで降りられる」

フェレロはホッとして、その畔へと機首を巡らせた。



 降着用のスキッドで水面を走ることで速度を落としたF/Fは、ようやく湖水の畔と森の間のわずかな草原にその機体を接地させる事が出来た。よくもあんな速度から止められたものだと自分でも信じられないフェレロは、しかし翼端を少し掠っただけでどこも破損していないF/Fの外観を見てちょっと得意な気持ちになった。これなら今度のジャントゥユでもいいポジションを疾れるかもしれない……フェレロは機関を停止する為にキルスイッチを操作しようと手元に目を落として、その灯の消えた真っ暗な計器類を見て愕然とした。

「こ……これは……機関が止まってる?……まさか!」

 フェレロは慌てて操縦台から飛び降りると動力部のカバーを固定しているキャッチに手をかけた。

「熱ッ!!!いけない……ルゥラ、無理させた?」

 あまりの熱さに手袋が溶ける!突き刺さるような痛みに一度は手を引っ込めたフェレロだったが、その灼熱の中にルゥラがいると思うと……!フェレロは手袋を投げ捨て、素手でもう一度焼けた取っ手を握ってロックを外し、妖精機関を覆っているカバーを跳ね上げた。中央部を貫くように勘合しているレネリィを格納しているシリンダーの緊急解放梃が固着していて動かない!フェレロは渾身の力を込めてまだ放射で揺らめいている棍を引いた。

「ルゥラ!大丈夫か?がんばれ!今出してやるから……うわっ!」

 何かが外れる音がしてフェレロは後ろにひっくり返った。吹き出す大量の蒸気、開いた?……もうもうと立ち上がる煙を見たフェレロは焦ってその中へ飛び込み、手探りでシリンダーのもとへと駆け寄った。

「ルゥラ!ルゥラ!おい!返事してくれ!」

「……ア……アイ……」

 蒸気の噴出が収まってようやく露となったシリンダーの中、力なく横たわるルゥラは全身に酷い……その翼まで消失してしまう程の火傷を負っていた。抱いてやろうにも溶けた皮膚がシリンダーの内筒に焼き付いてしまっていて、もはや動かす事も出来ない。フェレロは溢れてくる涙に瞳を曇らせながら、その灰色に変色してしまった前髪にふれた。

「ルゥラ……ごめん……こんなになってるって思わなかった……頑張ったんだね……すごく頑張っちゃったんだね……」

「……ア〜イ……」

 微笑んでみせるルゥラに、僕は何もしてあげる事が出来ない……自分の不甲斐なさにフェレロは、焼けて腫れ上がった手をぎりりと握りしめた。

「……う、うぅ〜ん……フェレロ?」

 気絶していたハナが気がついた時、その目に映るフェレロはがっくりと肩を落として、火傷を負った拳を震わせていた。自分が何をしていたかも思い出せないくらいぼやけた、まだくらくらする頭で彼のもとへとやってきたハナは、目の前の焼けただれたレネリィを見て衝撃と共に強引に現状を受け入れさせられた。

「そんな……ルゥラが……ルゥラがこんな……」

「僕が馬鹿だったんだ……今までF/Fを上手く操れたのはルゥラのおかげだったのに……調子に乗ってこんな所まで……」

「フェレロ……これから……これからどうなるの?」

「……」

 薄暗い無彩色に沈む森の中に息づく泉の水面は惶の輝きで淡く揺らめき、その輝きに惹かれてなのか、どこからともなくたくさんの光球が二人の周りに集まってきた。

「……ネーロ?ああ、さっきはありがとう……教えてくれたんだよね、あの岩棚を……」

「!」

 気がつくとハナはデッキのキャプターを掴んで、おもむろにネーロ達に向かって振り回し始めた。

「……ハナちゃん?」

「だれか!誰でもいいの!私たちを助けてよ!ほら、はやく捕まんなさい!」

 降下するF/Fを追い抜く程の速さを持つネーロが、やみくもに空を切るハナの大人用の重いキャプターに収まるはずもなく、程なくハナは肩で息をしながらその場に座り込んでしまった。

「ハア……ハア……どうして……ハナ……こんなところで死にたくないよ……」

「ハナちゃん……たとえ誰かが助けてくれるとしても、ルゥラをシリンダーから動かすわけにはいかないよ。そんな事したらルゥラはすぐ……ぐす……無理だよ……僕達、ずっと一緒だったんだから……ああ、ルゥラ、僕が見えるかい?……ハナちゃんも……みんな……みんなそばにいるよ……」

「で……でも……」

 無茶苦茶にキャプターで脅かしたお陰で散り散りになったネーロ達が再び二人の、そのマッキナの動力部で惶力を使い果たしてしまったルゥラのもとへと集まってきた。惶泉の漣の奏でる神秘的な囁きの中、ネーロのひとりひとりがその耳元に舞い降りてひざまづき、何かをささやいては飛び去ってゆく光景をただ呆然と見つめているフェレロとハナ。お別れの……たぶん……その瞬間が来るのを物悲しさと空虚さの入り交じった想いで見つめている二人の耳に凛とした、けれどどこか懐かしいあたたかさを纏った声が響いた。


「その子は……あなた、まさか……フェレロ……なのですか?」

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