第4話:出立
刻一刻と迫りくる時間に背中を押され、結子が駆けていく。その背中へ茜は何気ない口調で、突如爆弾級の言葉を投げつけた。
「ああ、そうでした。未熟で頼りないあなたを一人前の魔法師へと仕立てるために、しばらくの間、一様に付き添いをお願いしておきましたから」
「え゛っ……?」
まさに寝耳に水。結子の踏み出した足が、地面に縫い付けられたかのようにぴたりと止まると、到底飲み込めないその言葉の衝撃に、喉が引きつったような声が漏れた。
「ふふ。失礼のないように励むのですよ」
振り返った結子の顔には、露骨なまでに「納得できない」という文字が浮かんでいた。しかし茜はまるで気にした風でもなく、むしろ悪戯が成功した子どものような、無邪気で茶目っ気のある笑みを浮かべた。
だが、迫りくる時間に抗うことは当然叶わず、結子は不満を背中に浮かべながら走り去った。
「……辛いでしょうが、頑張るのですよ」
茜はその消えゆく後ろ姿を細めた瞳で見つめ、深く呟く。
それは愛ある鞭の言葉か、冷酷な宣告か。冷たさを湛えた茜の表情からは、そのどちらかを読み取ることはできなかった。
◆ ◆ ◆
――――豪華絢爛。
そのイメージをそのまま形にしたような白川邸の正面玄関。数人の使用人が深く頭を下げる中、『白の軍服』を身に纏った白川 結子が姿を現した。
無骨であるはずの軍服に身を包んでなお、その可憐さは翳るどころか、むしろ際立って見える。艷やかな黒髪と冬の空のような純白の軍服が生み出すコントラスト。それは、高潔な血統と、調停者たる冷徹な雰囲気が、華やかな彼女の風貌をより一層引き立てている。
“白の軍服が意味するのは、絶対的な力と、孤独なる執行人の象徴”
彼女の属する『独立防衛軍』は、政府や国防軍の枠組みから隔絶され、何者からの支配も受けつけない特例組織。国内のいかなる有事にも独断での武力介入が許され、「陸」「海」「空」の各軍組織内での権力闘争や内乱をも制圧できる裁量権が与えられている。
◇ ◇ ◇
正面玄関に横付けされた、吸い込まれるような黒の大型セダン。魔法的作用によって空を走行するその『エアカー』は、要人専用の移動手段としてカスタムされた、《《諸々のオプション》》を完備した特別車両である。
遠隔管制システムの制御下、自動運転車両が道路を周回する今の時代。この車両もそれに倣い完全自動運転を基本とする。だが、緊急時にはマニュアル運転への切り替えが可能であり、その際はありとあらゆる交通規制を免除する特権が与えられている。
その車両のすぐそばに控える、結子と同じ白い軍服姿の専属秘書「田所 佳織」へ、結子が申し訳なさげに声をかけた。
「ごめんなさいね。今日は本当に苦労をかけるわ」
「いえいえ、お互い様でございます。それに、結子様の手助けをすることこそが私の責務ですので」
田所は、いつもの結子の口調にあった硬さが薄まり、どこか吹っ切れたように自然なものに変わっていることを察した。「この数十分の間に大きな心境の変化でもあったのだろうか」。そう内心で驚きつつも、それは一切表に出さず、主の気遣いにできる限り砕けた穏やかな口調で返した。
「ありがとう。そう言ってもらえると助かるわ」
田所の言葉に結子は口元を柔らかく緩め、ホッと安堵を漂わせた。
先程のイレギュラーな出来事――宮上 一が放った魔法による衝撃だ――については、茜から詳しい説明があり、田所も気持ちの区切りを付けていた。
現在、結子と田所が抱える懸念は、この後向かう「国防陸軍関西本部への訪問」に向いている。
傍若無人で名が通る陸軍大将、赤崎 大琥を“説き伏せろ”という任務。間違いなく一悶着あるだろう。その厄介極まる案件こそが、白川 結子に突きつけられた初軍務という名の試練なのだ。
◇ ◇ ◇
「ごめ~ん、お待たせ」
結子を乗せたエアカーの外、もう一人の搭乗者の到着をそのまま待っていた田所のそばに程なく、間延びした声を上げながら、スウェットシャツにジョガーパンツというラフな格好の少年が空からふわりと降りてくる。
「一様、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
ホコリひとつ立てること無く降り立った少年に対し、田所が丁寧な所作でエアカーの後部ドアを開く。促されるままに彼が静かに乗り込むと、彼女はドアノブのセンサーにそっと触れた。
田所は滑らかに閉まるドアを見送ると、フロントシートへ移動する。ARディスプレイが瞬時に展開する運転席に、彼女は深く腰を下ろして間もなく――黒塗りのエアカーは音もなく白川邸を後にした。




