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第3話:門出《かどで》



◆ ◆ ◆ 


 予定時間まで少し時間があるとはいえ、そろそろ準備を整えておかなくてはならない。そうして重苦しい心情に促されるまま、逃げ出すように宮上邸を後にした結子の足取りは、鉛のように重々しい。


 豪奢な邸宅まであと少しという所。結子の背中に、背筋が凍るほど冷ややかに、言い聞かせるような問いが投げかけられた。


「わかりましたか、結子」


「……はい。お祖母様方の仰りようですら控えめだったのはよくよく分かりました」


 結子としても先程のやり取りの意味については理解しているつもりでいた。

はじめの諫言に対して言い淀むことしかできない情けない自分。それを見兼ねた母が、当主としての体面を守るために庇い助けてくれたのだと。


 厳格な母のことだ。……この後に続くのは『もっと当主らしくあれ』という叱責か、それとも『自分の価値観など捨て去れ』という冷酷な命令か。


 突きつけられるであろう不可能な選択。その恐怖から逃れるために、結子は悪あがきと知りながらも、はじめが先ほど無造作に放った『ちょっと魔力を込めすぎた』という常軌を逸したひと言に、どうにか論点をすり替えようと試みた。


それは、高鳴る鼓動をどうにか呑み込み、震える喉の奥から絞り出した、彼女なりの精一杯の「抵抗」に他ならなかった。


「そのことではありません。周りからあなたがどう映っているのかについてです」


「……」


 渾身の論点ずらしもあえなく避けられ、やはり選択を迫られると俯き身を硬くする。しかし、茜はお構いなしとばかりに淡々と続ける。


「こういっては失礼かもしれませんが、先ほどのはじめ様の言葉は、本来私があなたに対して抱いていた懸念を、代弁なさったに過ぎません」


「当主としての威厳を欠き、立ち振る舞いは頼りなく、独りよがりの優しい性格、精神の幼さも隠しようがありません」


「おまけに、当主の器ではないと断じられても、『私のほうが母より優秀だ』と反論してみせる気概すらない。はっきり言ってないない尽くし。私から見ても、今のあなたが当主として誇れるのは、唯一“結界術”のみです」


「…………」


 矢継ぎ早に放たれる、親から子に対する愛の鞭。だが、それが自分を慮っての言葉だと頭では理解しても、今の結子にはその現実を咀嚼し、受け入れる余裕などなかった。彼女はうつむき、自身の足元に伸びる影をただ見つめながら、いっそう小さく身を縮める。


◇ ◇ ◇


「(《《自覚はある。痛いほどに、分かっている》》)」


 ただ、それもこれも『等身大の自分』と『上補家当主に求められる価値観』との間にある齟齬があまりに大きすぎるがゆえのことであった。上辺を繕って演じようにも、周囲が期待する完璧な当主像と、あまりにも未熟な自分との距離が遠すぎて、形にすることさえままならない。


それでも日々迫りくる責務を前に、気力を振り絞って試行錯誤してきた。しかし、辿り着く結果はどれも中途半端。まだ就任直後という現状では周囲も猶予を与えてくれてはいるが、そのリミットも刻一刻と迫っている。


「(“正直、もうどうしていいのか分からない”)」


 近頃は思考を止め、心に蓋をし、ただ流れに身を任せる。それほどまでに、結子は追い詰められていた。




「ですが、その優しさはまぎれもなくあなたの『《《才能》》』です」


 茜の口調が、氷を溶かすように温かなものへと転じる。


「……へっ? 」


 思いもよらぬ肯定の言葉に、結子は弾かれたように顔を上げた。意味を呑み込めず、素っ頓狂な声を発する彼女の視界に映ったのは、先ほどまでの冷徹さを嘘のように消し去った、柔らかな微笑みを浮かべる母親の姿。


「はっきり言いましょう。あなたは世間様が思う『らしさ』を追い求めすぎています」


「それはどういう――」


 結子の問いを遮り、茜は核心を射抜く。


「周りが思う上補家らしさなど必要ありません。あなたは自分らしくあればそれで良いのです」


茜は、反論の余地など欠片も残さぬほど力強く言い切った。


「……お母様」


「(自分らしくて、いい)」


 結子にとってそれは、間違いなくこれまでの苦悩を浄化する救済の言葉に違いなかった。


 わずかな光が差し込み、呼吸が楽になるのを感じる。しかし、まだ心の核を縛り付ける黒いくろいもやは一向に晴れる兆しはなかった。自分の在り方を許されてもなお、胸中を支配する「当主としての常識」が、彼女を縛り付け、逃げることを許さないのだ。


「あなたが最も気にしているのは“敵をたおせない”という部分でしょう」


「はい……」


 茜の言う通り、結子の最大の悩みの種は、戦闘訓練ですら『相手を攻撃できない』という一点に尽きる。決して適性が欠けているわけではない。むしろ、攻撃魔法の才能は卓越の領域に達している。だが、彼女の生来の優しさゆえか――あるいは、命を奪うことへの畏れか。標的が生き物である場合、その才は途端に無用の長物と化してしまう。


 白川家は防御魔法、特に結界魔法の扱いに長けた家系だ。鉄壁の結界の中から一方的に火力を押し付ける。その理不尽極まりない戦法こそが、白川家を上補十二家じょうほじゅうにけの筆頭たらしめる所以ゆえんでもあった。


しかし、世間が抱き求めるこの《《偶像》》こそが、今の結子には何より重苦しい足枷となっている。先祖代々続く戦法を踏襲とうしゅうできる資質は、間違いなくその身に宿っている。それなのに、奥底にある何かが、どうしてもそれを拒絶してやまない。


「できるはず」なのに「できない」。


 この矛盾が鋭く胸を突き刺し、彼女を劣等感の底へと沈めていた。


「たとえ敵をたおせなくても敵が諦めるまで徹底的に守り抜く。“そんな優しい強さ”も立派に上補家らしい姿だと私は思います」


「――それは、許されるのでしょうか」


 胸の内の全てを、受け入れてくれていた。その事実に、結子の心はせきを切ったように昂ぶる。


それでも、「これだけは確信しなければ」と高揚する感情を必死に抑え込み、心の奥底に巣食う黒い靄(くろいもや)を取り払うべく、彼女は弱々しく、しかし切実に尋ねた。


「自分を押し殺してまで、他人が望む上補家らしくある必要はありません。なにより、あなたには自分がどう在ろうとも、周りを納得させるだけの力があるではありませんか」


茜は慈愛に満ち溢れた瞳で結子を見つめ、優しい否定を放った。


「ですから、あなたは自分の信じる道を行けば良いのですよ」


「――――――」


 返ってきたのは、一切の迷いがない『肯定』であった。


 この瞬間、心核を長きにわたり蝕み続けた“昏い靄(くらいもや)”は、光に呑まれ消え去った。


 塵一つ残さず。




――――――心は開放された。解放である。




 刹那、抑え込んでいた感情が決壊したように溢れ出す。しかしそれを拭う素振りも見せず、結子は母の目をまっすぐ見据えると、


「わたし、私は、強きが退くまで弱きを守りきる、そんな魔法師を目指したいと思います......っ!!! 」


昂ぶる勢いのまま吹っ切れたように言い切る。涙で目元はグズグズだが、その瞳には、先程までの昏い色は微塵も残っていない。それはとても凛々しく、堂々とした面持ち。


「ええ、期待していますよ。白川家第九代当主、白川 結子殿」


 ようやく殻を破ることができた愛娘に向けて、茜は心からの笑みを浮かべる。それは、新たな一歩を踏み出す彼女の門出を祝う、最上級の激励であった。






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