第2話:懸念と情火
「話は変わるけれど、さっき言っていたとおり、今の当主はそちらの結子さんで合っているかい? 」
一は先程までの和やかな表情を一変させ、面持ちを正して茜に尋ねた。
「はい。ひと月ほど前に引き継いでおります」
「白川家を背負うには、ずいぶんと“若い”とお見受けするのだけれど……今いくつなんだい? 」
それは単なる年齢への質問ではない。これまでの振る舞いを見るに、このうら若い女性は当主にしてはどうにも頼りない。そんな憂慮が一の胸中にはあった。
試すようで申し訳ないと思いつつも、あえて分かりやすく皮肉を強調して、細めた双眸で結子を射抜く。相手がたとえ絶対的な上位者であろうとも、歯向かえるだけの気概があるのか――当主として必要な最低限の資質の有無を確かめるために。
「今年で二十歳になりました」
真剣な面持ちの一に対し、結子はいつも通りの、隙のない凛とした表向きの顔を貼り付け、淀みない口調で答えてみせた。
「……随分と早くに引き継いだんだね」
――どうやら皮肉のニュアンスすら、届いていない。
流石に意図は伝わると予想していただけに、一は唖然とした面持ちを浮かべる。当主としての資質云々の前に、「公的な立場に就くにはあまりに経験不足ではないか」。隠しようもなく表情に漏れ出した深刻な懸念が、眉間に深い溝を刻んだ。
「えぇと、その……」
向けられた視線とその口調の重さに、結子はようやく、それが言葉通りの意味だけではないと気づく。不当な評価には、毅然と反論しなさい。そう厳しく教育されてきた。だがその言葉は、どうしても喉の奥につかえて出ていかない――。
――魔法社会が確立して以来、上補十二家は『日本の守り神』のような立ち位置にある。「陸・海・空」、それに加えて「独立防衛軍」の四軍種それぞれの頂点には、必ず「赤崎家」「青瀬家」「紫崎家」「白川家」の四家が君臨し、代々その傑出した実力をもって国防の中核を担っている。
そんな重責ある白川家当主の座を、結子はつい一ヶ月ほど前に史上最年少の二〇歳にして母から引き継いだ。幸い、この世代交代にあたって親子間での軋轢はなく、今も変わらず非常に仲の良い関係を築けている。
――だが、結子の内側では、二つの矛盾する思考が衝突していた。
ひとつは、今なお超一線級の魔法師である母を、押し退ける形で当主の座に就いたことへの強い負い目。
そしてもうひとつは、上補家においてはそれが当たり前だと《《植え付けられた》》「より能力の高い者が当主に就くのは当然」だという、苛烈なまでの実力至上主義。
本来の控えめな性格と、“役割”として求められる無情な価値観。相反する二つの思想の狭間で、未だに折り合いをつけられずにいる彼女は、返す言葉をどうしても選び取ることが出来ずにいた。
「娘は優秀ですから」
そんな『優しい』考え方を誰よりも理解する茜は、愛娘を鼓舞するように、迷いなく言い切ってみせた。
茜にしても、未だ幼さの残る愛娘に当主の座を譲るということに葛藤が無かったはずもない。
しかし残酷なことに、同世代で最強格の実力を自負する茜ですら、『魔法では絶対に敵わない』と本能的に思わされるほどの才能がこの娘にはある、あってしまうのだ。
魔法師の世界は実力こそが正義。より優れた者が上位の座に就くのは、自明の理。中でも上補家は、茜が当主だった頃、周囲の口うるさい家々から余計な干渉を受けるほどに、才能というものを神格化している。
ならば、いずれ当主を背負うべき宿命であるなら、自分が万全な『後見』ができる今のうちから、当主の重圧に触れさせたほうが良い。それは親として苦渋の決断であったが、いち魔法師として情を押し殺し、論理的に導き出した最善の選択――早期継承であった。
「……ごめんね。無神経なことを聞いてしまった」
はっきりと言いのけた“母”の瞳には激情にも似た覚悟が宿っていた。
相手を気圧さんばかりの濃密な意思を感じ取り、一は、自らの中にある《《百年前》》の感覚が、現代においてはあまりにも時代錯誤なものなのだと悟る。
「(“今の世界は、自分が思い描いていたよりもずっと平和になっている”)」
彼の価値観は、周囲の支えを必要とする当主など存在できるはずもない、殺伐とした時代で止まっていた。
だからこそ、結子のおぼつかない様子が危うい欠陥であると映ったのだ。しかし、どれだけ相手を思ってのことでも、今の時代にそぐわなければそれは古臭い考えの押し付けでしかない。
これまでの会話から朧げながらに見えてきた今の社会情勢に鑑みれば、先の発言は明らかに敬意を欠くものだった。
一は胸中で己を戒め、折り目正しく居住まいを正すと、母娘に目礼をもって謝罪の意を示した。
「いいえ、経験が少なくまだまだ頼りないのは事実ですから、そのご懸念は当然でございます。ですが、至らない部分は私が補佐いたしますので、しばらくの間はご容赦ください」
「(“これほどの慈愛に満ちた母がいるのなら、この気弱な今の当主殿も重責を乗りこなし、立派に努めを果たせるだろう”)」
茜が紡いだ芯の通った言葉に、一は今の時代の在り方を胸に刻み、迷いを捨て去った。彼は信頼の念を込めた言葉で、穏やかに返す。
「……そう、だね。なら遠慮なく頼りにさせてもらうよ」
「是非、そうしてくださいませ」
茜は心中を察したように纏う空気を和らげると、柔らかく言葉を紡ぐ。凛とした気品を漂わせる、やわらかい微笑をもって茜がこの場を穏やかにまとめると、和室に漂っていた陰鬱とした緊張感は、すっかり新鮮な空気へと入れ替わっていた。
……だが、その慈愛に満ちた言葉が響くたび、隣に座る結子の胸の内は、重く沈んでいた。
一が納得したのは、母が盾となり庇ってくれたからに過ぎない。自分はひと言も発さず、ただその背中に隠れているだけ。話の当事者としてその場にいながら、何ひとつとして事態に関われなかったのだ。
情けなさか、あるいはこの後に控える『選択』への恐怖か。結子はかろうじて表情を死守してみせた。だが、纏わる空気には、隠しきれぬ苦悶がありありと滲む。
―――ある種、彼女を追い込んだ張本人である一は、苦しげな彼女に掛ける言葉を持ち合わせない。
『(当主としての自覚を促そうと放った己の軽はずみな懸念が、ここまで深い傷を付けるとは)』
彼はただ、小さく縮こまる彼女を、心配げな眼差しで見守ることしかできなかった。




