第1話:邂逅
◆ ◆ ◆ 西暦二四〇六年 六月二八日
奈良県某所。敷地面積にして約一万坪、サッカーコート約五面分にも及ぶ広大な敷地を日本庭園に仕立てた、静謐で厳かな空間。
千年の時を刻む神社仏閣にも劣らない重厚な威厳が満ちるその地には、日本魔法師の象徴といわれる「上補十二家」の一角――“白川家”本邸が威風堂々と鎮座する。
◇ ◇ ◇
「結子様、こちらが本日の予定でございます」
執務室にて女性秘書からタブレットを受け取ったのは「白川 結子」。
艷やかな黒髪、整いきった端正な顔立ちに柔らかい目元、そして洗練されたしなやかな肢体。高潔な雰囲気を纏いながら、どこかあどけなさも感じる、理想の美人像のような女性だ。
「ありがとう。……今日はなかなか面倒事が重なっているわね」
彼女は努めて冷静に返したが、画面に並ぶ「国防陸軍関西本部への表敬訪問」そして「国防軍定例将官会議」という文字を見た瞬間、微かに眉間を寄せる。
――その内心は、胃の底がせり上がるような緊張感に支配されていた。
あろうことか“初仕事日”にこれほどの難題が重なるとは。……なんという不運か。彼女は込み上げるため息をぐっと飲み込み、小さく息を吐いた。
「……その、本日まとめて終わらせてしまえば、後は楽になるはずですので」
げんなりと肩を落とす主の姿を見て、居たたまれなくなったのか秘書は、なんとか緊張を和らげようと慰めの言葉を添える。
「ごめんなさいね。ついつい弱音を吐いてしまったわ」
結子は、無意識のうちに秘書へ棘を向けていたことを悟り、深く息を整える。無理やりにでも気持ちを切り替えると、彼女はこれから始まる長く険しい予定に向けて覚悟を決めた。
「い、いえ……っ」
それにしても、業務上の関わりでしかないはずの秘書がなぜこれほどに恐縮し、言葉をつまらせているのか。その理由はひとえに、目の前の女性が“上補十二家”の一角、――白川家当主『白川 結子』という存在そのものであるという事実に他ならない。
上補十二家は、魔法社会黎明期である二百余年前から家系が続いている『魔法師の名門』。軍事、魔法学、魔法工学それぞれの分野において飛び抜けて多くの功績を残してきた彼らは、名実ともに魔法社会の頂点に君臨している。
それ以外の魔法師と比べて一人ひとりが一線を画す素質と魔法技能を有することもさることながら、上補十二家の者にのみ備わる『固有魔法』の存在が、彼らを特別な存在たらしめている。
中でも「白川家」は、あらゆる干渉を許さない、戦場を支配する固有魔法『隔絶結界』を継承する一族。
――いくら軍人学校を次席で卒業した才媛とはいえ、一般魔法師家の出である秘書からすれば、まさに雲の上の存在に他ならないのだ。
「それじゃあ、行きましょうか」
ほんの少しの間を置いて、結子は凛とした、それでいて和やかな表情でそう告げた。自らが生んでしまった気まずい雰囲気を、上司としての顔を被ることで強引に断ち切ろうとしたのだ。
――その時。
衝撃――――ッ!
腹に響くような振動を知覚した瞬間、突風のごとき分厚い衝撃が二人を襲った。
予兆のない完全な不意打ち。防御態勢すら取れず、秘書は思わず尻もちをつく。結子も大きくよろめいたが、かろうじて扉の縁を掴み、己の身体を支えきった。
「状況確認! 」
衝撃が通り過ぎるや否や、結子は叫んだ。それは、パニックに呑まれそうな自分自身を奮い立たせるための咆哮でもあった。
同時に、自身最大の強度で防御魔法『耐魔力・耐物理複合結界』を展開。部屋の中が濃密な魔力で満たされ、外部からのあらゆる干渉を遮断する。
「――ッ! は、はいっ! 」
秘書はその声に弾かれたように体勢を立て直し、即座にソナー式の魔力探知魔法を発動。高鳴る心臓の音と、魔法のマニュアルプロセス発動に起因する頭痛を堪え、探知範囲を段階的に半径五キロまで拡張。放った魔力が掬い上げてくる情報を脳裏のレーダースクリーンに映し出し、念入りに確認していく。
「……ダメージ無し、周囲に敵の存在は確認されません」
「(……魔法現象による衝撃ではない?)」
訪れる不気味な沈黙。結子は、部下の冷静な報告と自身の探知結果が一致したことに多少の安堵感を覚えたが、警戒は解かない。彼女はこの事態を引き起こした正体を求めて、思考を高速で走らせ始めた。
◇ ◇ ◇
突風や地震といった物理的なものではない。事実、部屋にある窓ガラスは揺れひとつなく静謐な日本庭園を変わらず映し出したままだ。
だが、訓練を積んだ二人の魔法師が、揃って足を取られるほどの衝撃をその身に受けたのは紛れもない事実であった。
ここは国内で最も堅牢なセキュリティを誇る、白川家の邸宅。外敵からの干渉など“絶対にありえない”。ならば、敷地内のどこかで想定外の規模の魔法が発動されたことになる。
物理的破壊が皆無である以上、原因は、魔法発動に伴う、指向性を失った余剰魔力の飛散――現代魔法学で言うところの、『魔法残滓』の拡散現象と考えるのが妥当だ。だが、それは本来、大規模魔法を発動したとしても、精々が髪を靡かせる程度のものでしかないはず――
そこまでの考察を済ませた結子の脳裏には、たった一つの可能性が浮かび上がった。
「一様がお目覚めになられた……」
当主としての矜持をすっかり忘れた結子は、小さく呟くやいなや、焦燥に突き動かされるまま弾かれたように部屋を飛び出した。
◆ ◆ ◆
世間的に、この敷地は白川家が所有する大豪邸、ということになっている。しかし、それはあくまでも表向きの体裁に過ぎない。
白川邸の裏手には小高い丘。ここ百余年、禁足地として守られてきたその場所には、白川家本邸よりも遥かに小規模ながら、凛とした佇まいの日本家屋が静かに根を下ろしている。
そこは、百年前から時を止めたままの、“日本魔法師の祖「宮上 一」”が眠る聖域であった――――。
◇ ◇ ◇
結子は静まり返った回廊を抜けると、襖で仕切られた部屋を迷いなき足取りで通り抜ける。
本来ならば、当主である結子ですら近づくことすら許されない宮上邸の最奥。これまで言い伝えの中でしか触れたことがないその聖域を前に、彼女は決意を固めるように短く息を吐き、そっと戸襖に手をかけた。
ゆっくりと開いた先は、上段の間。広々とした和室の中央におとなしく敷かれた和布団には――。
艶やかな黒髪に、端麗な容貌。そして、奥深い知性を湛えた紫の瞳。
寝間着を纏い、未だあどけなさを残した少年にしか見えないその存在。彼こそが、百年の眠りから目を醒ました日本魔法界の頂、宮上 一その人である。
「おはよう」
ゆるい胡座をかいたまま、一が大きく寝起きの伸びをした。そのまま柔和な笑みを浮かべ、子供らしい柔らかい声色であいさつを投げかける。
「…………」
結子は、あるべき当主としての振る舞いすら忘れて呆然と立ち尽くしていた。
先ほどの衝撃の主があどけなさを残す子供の姿であることに拍子抜けしたのか。あるいは、言い伝えとして聞き及んでいた威厳に満ちた佇まいとのあまりの乖離に、思考が追いつかないのか。
「――結子! 」
すると間もなく、その空間を貫くように、透明感ある鋭い声が通った。
黒留袖を纏った、妖艶さと冷徹な気品を同居させた女性。結子と非常によく似た容貌を持つ彼女が隙のない所作で歩み寄ると、厳しい眼差しで《《娘》》を射抜いた。
「一様、御前失礼いたします。白川家・茜および現当主・結子。お目覚めのほど、心よりお慶び申し上げます」
結子の母、白川 茜は、なお呆然とする娘を置き去りに上段の間の手前で膝をつき、涼やかに祝意を述べた。
「――っ!」
結子もハッとした後、弾かれたように我に返ると、釣られるように慌てて正座し、母に並んで深く頭を垂れた。
――宮上 一は、日本魔法師の祖である。
魔法が世界に普及する以前、二百余年も前から魔法の普及に心血を注いだ人物。魔法社会の黎明を築き上げ、学問としての体系化、さらには魔法工学技術の基礎構築など、現代社会の礎を築いたのは彼に他ならない。
最も大きな功績は、資源枯渇が叫ばれた時代、世界に先駆けてインフラ基幹部に『“魔法”』を組み込み、それまでの化石エネルギー資源への依存に終止符を打ったことにあるだろう。
しかし、彼は一度として表舞台にその名を残したことはない。成果のすべては、上補十二家や彼らを補佐する上弐二十四家、さらには国防軍および国立魔法研究院の功績として秘匿・発表されてきたからだ。
正史の裏側において、彼は魔法社会の生みの親であり、魔法師の社会的地位を創り上げた偉人。その“秘された真実”を知る者たちにとって、彼は末代まで尽くしても返しきれぬ大恩がある、絶対的な存在に他ならない。
「ご丁寧に。ありがとう」
一は、二人の恭しい所作に対して朗らかな笑みを浮かべると、飾らない口調で丁寧に答礼を返した。
「当然のことでございます。……一様、不躾で申し訳ありませんが、先程の魔力波は一体」
茜は、娘の内心に渦巻く焦燥を鋭く察したのだろう。結子に不安を繕う間も与えず、先ほどの『衝撃』の正体を、一点の曇もない眼差しで単刀直入に問いかけた。
「ん? ……あぁ~、あちゃ~漏れちゃったか。ごめんね。目覚ましがわりに仕掛けておいた魔法式に、ちょっと魔力を込めすぎたみたいだね」
数秒ほど魔力探知と並行して記憶を遡っていた一は、何かを思い出したようにパッと目を開くと、バツが悪そうに後頭部を掻いてみせた。
「左様でございましたか。何事もなかったのでしたら、安心いたしました」
茜は淀みなく言葉を返したが、その隣の結子の思考は依然として、平常を取り戻すには程遠い。
(ただの余剰魔力の飛散だけであの衝撃、一体どれほどの魔力を込めれば……)
積み上げられてきた現代魔法学の常識観が、その言葉を「あり得ない」と否定し続けている。だが、納得はできずとも「敵襲ではない」という答えを得たことで、張り詰めていた精神をようやく少しだけ緩めることができた。
「それでは、この後はいかがされますか? 」
「上補家のことで何かあるならそれの対応かな? 」
一は考えるそぶりも見せず、楽しげな口調で間髪を入れず応じた。
「承知いたしました。では、お車をご用意しておきます」
「お願いするよ」
一は心底嬉しそうに、咲き誇るような笑顔を向けた。
その傍らで、当の本人である結子は、もはや何が何やらと言った面持ちでただ会話を眺めていることしかできなかった。




