第9話:衝突Ⅱ
懐に張り付くようにショートレンジを維持し続け、反撃の機会すら与えない。それほどに密度ある打撃を押し出しながらも、息一つ乱れる気配もなく、少年が飄々と、かつ無造作に放つ猛打に次ぐ猛打――。
「ほら、よっと! 」
数分に及ぶ一方的な攻勢の後、「様子見はここらで、ひと呼吸」――そんな軽い調子で放たれた足刀。
しかし、その軽薄な様子を嘲笑うかのように、強烈な一撃が筋骨隆々とした巨体を捉える。二本の腕で受けた大琥が床を大きく滑りながらその衝撃を流し切ると、殺風景な試験場にはようやく、一旦の静寂が訪れた。
「……おい、ガキ。なんでテメェが“繁のじじい”と同じ動きをしやがる」
過去、数え切れないほど手合わせをした、今や《《憎む》》ほどに強かった老体の姿。黴臭いほどに無駄のない身のこなし。そのくせ無駄だらけに見える、しかし予備動作が捉えられない“巫山戯た体術。”
大琥の脳裏に焼き付いたその既視感が、一が繰り出す打撃の端々から滲み出ているのだ。純粋な疑問、そして理解が及ばぬがゆえの混乱。それらを堪えきれなくなり、唸るように問うた。
「しげる? あぁ~、繁ちゃんか! そりゃあ、あの子に体術を教えたのは僕だからねぇ」
『赤崎 繁』。三代前の赤崎家当主であり、大琥と千華にとっては高祖父にあたる人物だ。成人後の大琥に、当時百八歳という高齢の身にありながら「敗北」という挫折を味わわせた唯一の存在であった。しかし、皮肉なことにその敗北こそが、|“強者を求め彷徨う狂人”を生むきっかけとなってしまった。
そんな偉大な存在は数年前、大琥の中に二度と覆ることのない「劣等感」の種を残したまま、唐突にこの世を去った。
「……チッ。まともに答える気はないってか」
まるで、「懐かしい」とばかりに大きく頷く、一の捉えどころのない態度を、大琥は嘲笑とともに吐き捨て、「力ずくで聞き出すまでだ」と意気込んだ。
「(後手は不利、いつものやり方に持ち込むのが得策か)」
次の術式を発動寸前で待機させつつ、身体強化術の倍率を一気に、一〇倍にまで引き上げる。腰を落とし、はち切れんばかりに溜められた脚の力の全てを、無機質な床が受け止めた、瞬刻。
“俊重な拳”が、一を捉えんと迫る。
「おっ? 」
―――蹴撃、殴打。
初撃のみをヒラリと受け流すと、続くことごとくを、受けるでも避けるでもなく。未来でも見えているのかのように、打撃として完成するその寸前を、ただ淡々と潰していく。
大琥は一切の迷いなく、今発動している身体強化魔法を次の術式で上書きする。
『二〇倍』
――変わらず。
『三〇倍』
――変わらず。
『四〇倍』
大琥が蹴り出す衝撃が伝播し、表層の結界が一つ残らず砕け散る。剥き出しになった鈍色の床だけでは到底耐えきれず、クモの巣状の亀裂が走った。
しかし……なお、戦況は変わらない。
「(コイツッ! 一体どうなってやがる?! )」
四〇倍。それは、たとえ第一線級の魔法師であっても、安全マージンを極限まで削りとってようやく届く領域のはずだ。それほどまでに身体出力を引き上げているにも関わらず、繰り出す手数の全てに、手応えが伴わない。
「ゥヴッ…」
一瞬の逡巡。その間隙を突くように、顔色ひとつ変わらない少年の掌底が鳩尾を打つ。
何気ない挙動。にも関わらず、分厚い装甲と化したはずの肉体を容易く貫通し、内部に浸透するその威力。大琥は焦燥に駆られ、弾かれたように大きく距離を取った。
◇ ◇ ◇
自身の肉体に意識を凝らした大琥は深く、息を吸い込んだ。
「(よし、大したダメージにはなってねぇな)」
これまでと同じように、まともなギアを上げていったところで、アレをどうにかできるか? ……応えは否。絶対に有り得ない。
“ならば、残された選択肢は、ただひとつ”
肺の底に溜まった澱んだ雑念をすべて捨て去るように、深く、長く、息を吐き出し、大琥は決心を固める。
――――後先考えている余裕は、無い――――
◆ ◆ ◆
数秒の長い静寂。段階を飛ばした歯車が今、……噛み合う。
紅の巨体が床を踏み“《《砕いた》》”刹那。紅い残光を描きながら放たれた、兇器の如き蹴撃――っ!
「おおっ!? 」
疾い。
驚愕を露わに、一は上体を大きく後ろに反らし、鼻先すんでのところで躱すや、その勢いのまま手をつき後ろへ一回転。
だが、体勢を立て直しきるより早く、微塵の容赦もない踵が視界を埋め尽くさんと迫る。
「それは“シャレ”にならないね」
起き上がりきる前の低い姿勢をバネに変え、踵に向かって飛び上がるように掌底を叩きつけるッ!
――零コンマ秒の拮抗。
空気が爆ぜたような破裂音とともに、その脚の軌道がわずかに、だが確実に逸れた。
「ここまでとは。さすがに驚いたよっ! 」
しかし止まらない。鬱憤溜め込み、ようやく攻勢を掴んだとばかりに、叩き込まれるは暴風の如き打撃の塊。その全てを真っ向から“受け止め”ながら、心底驚いた様子で一は独りごちる。
『(これは、さっさとケリをつけないとマズイね)』
一は少しずつ位置を下げながら、ほんの僅かに生じた空白に両の掌底を差し込み、紅い巨体を無造作に弾き飛ばした。
吹き飛んだ大琥は後方に宙を一回転。着地と同時に、ミシリと軍靴をめり込ませ――床を滑ることなく力任せに慣性を打ち消すと、弓の弦を絞りきるように静止する。
肉体が発する『ミシリ』という軋み音。
最後の歯車。“《《三桁》》”の術式に手をかけた紅の弾丸が今、放たれる――
◇ ◇ ◇
足元にクレーターを穿つと《《同時》》。“紅黒い残光”のみを従えた“拳”が、届く――ッ!
――音速
「――ッ!」
引き伸ばされた時の中。見開かれた紫の瞳は、迫るそれをはっきりと捉えていた。
紙一重。最小限の動作で顔を逸らし“躱す”や、猛々しく通りすぎる必殺の剛腕に淀みなく手をかけ、その小さな身を巨体の懐に寄せた。
「よい、しょっと! 」
……まるで、決まり切っていた未来をなぞるように。あまりに自然な様相で、紅い巨躯の背中が、鈍色の床に叩きつけられる。
『ドンッ』。響いたその音は、想像される凄まじい衝撃とは裏腹に、驚くほど静かなもの。
その、直後。
光速――――
《《無駄ない動作》》で少年が繰り出した拳は、しかし。鼻先すんでのところで凍りついたようにピタリと止まる。半拍遅れて、質量を伴う衝撃が暴風と化し、試験場を駆け抜けた。
「……参った」
先ほどまでの騒々しさが嘘だったかのような静寂の中、終わりを告げたその音は、大琥の静かなひと言であった。




