7話
王女の十八歳の誕生日の日は、とても天気が良かった。隣国は他国との争いが多い国なので敵は多かったが、強い国でもあった。王女の父親である国王は何とかしてこの国と縁を結びたいと思っていた。
国王は王子が自分の娘を望んでいる事を知っていた。しかし王子は王女の顔がヒキガエルに変わってしまった事を知らない。王子が望んでいるのは、あの美しかった王女だ。王女の顔が変わったなんて知ったら、王子はわざわざこの国に来たいとは思わなかっただろう。だから国王は王女に起きた事を王子に知らせないようにしていた。
新緑に溢れるこの季節、少し風は吹いてもガーデンパーティーに影響はない。国王は高位貴族の中でも特に美しと評判の公爵令嬢や侯爵令嬢たちを王子のそばに侍らせた。
以前の王女よりは劣るが、ヒキガエルの王女を王子の目の前に連れて来るよりはずっといい。令嬢達のほとんどは婚約者がいたが、もし彼女たちのうちの誰かが王子に選ばれれば、今の婚約はなかった事にするつもりだった。
令嬢たちも国王の思惑を熟知していたし、王子に選ばれてもそうでなくても彼女たちに損はない。だからパーティーではきらびやかな令嬢たちが競うように王子に話し掛け、しきりに世話をしようとするのだった。
そんな彼女たちを見ても、王子は興味がなさそうにしていた。
王女は城で育ったので、庭の造りもよく知っていた。だから招待状がなくてもパーティー会場へ潜り込む事ができた。しかし隣国の王子は令嬢達に囲まれていて、簡単に近づけそうにはなかった。
王子はこの国に来てすぐに王女との面会を求めた。しかし国王からは王女は病に罹り臥せっているので会わせる事ができないと言われていた。
王女とは二年前に数日間だけしか会った事は無かったが、王子にとって王女は忘れられない人だった。見た目が美しいのはもちろんだが、博識なのに無邪気なところもあり、明るくて心根の優しい女性だった。
彼女は婚約が内定していると聞いていたので、何も告げずに王子は国へ帰った。しかし時間が経てば経つほど彼女への思いは募っていくのだった。もうあきらめるしかないと思いかけていた時だった、彼女の婚約解消の噂が耳に入ってきたのは。
婚約解消なら政略的に何かあっただろう程度の事しか王子は考えておらず、婚約解消の理由を詳しく調べなかった。
それほど王子の心は舞い上がっていたのだった。なので彼女が十八歳の誕生日を迎える時に会いに行く事を目標に、国での公務や執務を調整に調整を重ねて、何とかこの国に来る事が出来たのだった。
王女が病気だと聞いた時は心配な気持ちになり、寝たきりの状態でもいいから一度会わせて話をさせて欲しい、そう国王に願い出ても国王は首を縦に振ってはくれなかった。だから王子は自分の歓迎パーティーの間もずっと、どうすれば王女に会う事ができるのかという事ばかり考えていた。
「――ですから、王女がいらっしゃってて……」
ふいに耳に入って来た王女という言葉に、王子はすぐに反応をした。
この国に王女はひとりしかいない。
王子が声のした方を見たら、騎士が上官に何事かを報告をしている様子だった。
王子は会場内を見回したが、王女らしい人は見当たらない。しかし確かにあの騎士は王女が来ていると言っていた。
それまでソファに座っていた王子は立ち上がって声を張り上げた。
「マリアーヌ王女よ! この場にいるのならどうぞ私の前に出てきて下さい! 私はあなたに会うためにこの国に来たのです!」
会場にいたほとんどの貴族たちが、突然声を上げた王子に注目をした。そして王女の存在に気付いていた一部の者たちは王女を見ていた。
王子はそれを見逃さなかった。自分を見ていない者たちは紺色のドレスを着て、頭の上から首元までをベールで隠しているひとりの女性を見ていた。
「待って下さい! 王子! 誰かっ、誰か王子をお止めしろ!」
少し離れた場所から国王の制止の声が聞こえたが、王子は気にする事なくベールの女性の元へ歩き出す。ベールの下から見えるのは輝くばかりの金色の髪。間違いない、彼女こそが王女だと王子は確信した。
王子は王女の前までやってくると、片膝をついて王女を見上げる。
「あなたはマリアーヌ王女ですね?」
「……はい、マリアーヌです」
「ああ、その声は間違いなくマリアーヌ王女だ! 私はあなたにずっとお会いたいと思っていました」
そう言って王子はベールで顔が見えない王女に微笑みを浮かべる。
ところが王女が王子の言葉に答えようとした時、少し強い風が吹いて王女の紺色のベールをふわりと持ちあげたのだった。
王子は自分の記憶の中にある美しい王女の顔が見られるのだと思い、ベールが上がる瞬間、王女を熱い瞳で見つめていた。
しかしベールの下から見えたのは、醜いヒキガエルの顔だった。
結局王女は魔法薬を飲まなかった。この数日ずっと迷っていたのだが、王子を信じたい、王子との真実の愛に賭けたいと今朝になって思ってしまったのだ。
ヒキガエルになった王女の顔を間近で見せられた王子は、驚きのあまり腰を抜かしながら、目を剥いて怒鳴り声を上げるのだった。
「近寄るな! バケモノめっ!」
「……えっ」
王女はこそこそと悪口を言われたり、かえる王女と言われた事はあっても、面と向かってバケモノと言われたのは初めてだった。
王女の中で王子を慕っていた気持ちがガラガラと崩れていく。
「誰かっ! こいつを牢へ入れろっ! 汚らわしいっ、こっちを見るな!」
腰が抜けたまま後ずさりながらも、王子は王女を牢に入れろと叫んでいる。
王女は茫然とした気持ちで地面に腰をついたままの王子を見下ろしていた。
カエルの顔をした王女の大きな瞳からは、大きな涙の粒がこぼれ始める。
王女の涙は止まらなかった。
王子の命令とはいえ、王女は王子に害を及ぼそうとした様子はないし、刃物らしき物も持っていない。罪があるとすれば招待されていないのに、この場へ来てしまった事だろうか。
騎士たちは少し距離をおいて二人を取り囲んではいたが、国王からの指示がないので、どうしたらいいのか戸惑っていた。
王子は美しい顔を歪め、気持ち悪い物を見るような目で王女を見ているし、令嬢達は口元にハンカチや扇子を当てて「かえる王女」と言いながらクスクスと笑っている。
年配の者たちは王女を見ながら、ヒソヒソと何事かを話しながら様子を伺っているのだった。
王女だけが俯いたまま、声も出さずに涙を流していた。
こうして、場がようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
「……ふふふ、ふふふ。……ふはははは!」
突然王女が俯いた姿勢のまま、裂けている口を大きく開いて笑いだしたのだった。ついに乱心したのかと騎士たちが腰に下げている剣の柄に手を当てる。
「ほんっと、おかしくてしかたないわ。私が信じていたものはみーんなっ、まがい物だったのね! この世の中なんて嘘だらけだわ!」
そう言って顔を上げた王女は、ポケットから小瓶を取り出してフタを開けると、騎士たちが止める間もなく中に入っている液体を一気にあおった。
そして魔法薬を飲んだ王女は強い眩暈を感じて、その場にドサリとうつ伏せに倒れ込んでしまった。
パーティー会場は静かになった。
動かない様子の王女を見て、誰もが王女が自害をしたのだと思った。
隣国の王子にどうやって取り縋ったらいいのかと、そんな事ばかり考えていた国王は動くのが遅かった。
誰もその場を動けなかった。貴族たちは先ほどまでかえる王女と嘲笑っていたが、亡くなってしまったのだから、フリだけでも悲しむべきなのかを迷っていた。
時間にしたらほんのわずかな間だったのだろう、しかしその時は誰もが長い時間に感じていた。
最初に気付いたのは近くに立っていた騎士だった。騎士は王女の指が少し動いたのを確認して声を上げる。
「王女さまは生きていらっしゃいます!」
その言葉を聞いて苦い顔をしたのは国王と王妃と兄王子だった。隣国の王子に王女の事を知られてしまった以上、他の国々にもこの国の王女の顔がヒキガエルである事が知れ渡ってしまう。ここで死んでもらった方が噂の広まりを抑えられると思ったからだった。
ぴくりと指を動かした王女は、地面に手をついて立ち上がった。そして王女はゆっくりと顔を上げたのだった。
王女を中心にざわざわと波のように異様な騒めきが広がっていく。
「……え? マリアーヌ王女?」
最初にそう声を出したのは隣国の王子だった。
やつれてはいたが、王女の顔は元の美しい顔に戻っていたのだった。
今の王女はもうヒキガエルの顔をしていなかった。金色の髪はボサボサではあったが、陽の光を浴びて輝いていたし、瞳もカエルのように異様な大きさではなく、人としては少し大きい程度の碧くて美しい瞳だった。それに小さな鼻の筋もしっかり通っているし、小さな口も裂けてはいない。そして王女の肌はこの会場にいる誰よりも白く、瑞々しい光を放っているようでありながらも透明感にあふれていた。
「王女さまが元に戻った!」
誰の言葉だったのだろうか、その言葉に急に会場が湧き立つ。
隣国の王子はついさっきまで腰を抜かしていたというのに、再び王女の前で膝をついて王女の手に触れるのだった。
「マリアーヌ王女、あなたはやはり素晴らしい女性だ! ぜひ私の妃になって欲しい!」
そう言って隣国の王子は王女の手の甲に優しく口づけをするのだった。
「おお、よくやったマリアーヌよ! この結婚、両国を挙げて祝おうぞ!」
突然自分がすべき事を思い出したのか、国王も声を挙げる。
「マリアーヌ、よくぞ耐えてくれました」
「よかったな! マリアーヌ!」
掛け寄って王女の肩を抱く王妃は涙を流し、兄王子は笑顔で王女の頭を撫でる。
これは全て一年前まで王女が失ったものたちだった。
隣国の王子の歓迎パーティーは、王子と王女の婚約の祝いへと形を変えていった。
つい先ほどまで王子に侍っていた令嬢達は、何事もなかったかのように自分の婚約者の元へ戻り、皆が王女に笑顔を向けながら「おめでとう」「よかった」といった言葉を掛けていく。
そうやってその日は終わった。
王女だけが冷めた瞳で彼らの様子を見ていた。王女は一度も笑わなかった。
パーティーも終わり、あの小さくて暗い部屋へ帰ろうとした王女を、侍女たちが今夜はこちらへと言って客間へと案内する。
王女は侍女に元の自分の部屋はどうしたのかと尋ねたら、侍女は客間へお通しするようにしか言い付かっていませんとしか答えないので、嫌がる侍女に無理を言って一年前まで使っていた自分の部屋のドアを開けさせた。
物心がつく前から使っていた王女の部屋は、もう何も置かれていなかった。揃いで作った猫足の白い家具たちも真鍮で作られた天蓋付の寝台もなくなっていた。クロークを開けてもドレス一枚掛けられていなかった。気に入っていた花柄の壁紙も真っ白な壁紙へと張り替えられていて、王女が使っていた頃にあったものは何もなくなっていた。
「明日になったら、きっと元に戻させますからっ」
侍女はその場限りの執り成しの言葉を言うが、一度壊れてしまったものが同じようには戻らない事を今の王女はよく知っていた。
力が抜けてその場に膝をついてしまった王女を侍女たちは何とか湯浴みをさせて客室へと運んだ。そして王女を寝台へ寝かせると、彼女たちは自分たちの仕事が無事に終わった事にホッとして去ってしまった。
王女は客間のふかふかした寝台の中で、涙を流していた。




