6話
【王女side】
その噂が王女の耳に入ってきたのは偶然だった。
使用人も仕事をサボっているのか、最近では食事を置かれる回数が減ってしまったので、王女は自分で調理場に取りに行くようになっていた。
しかし王女は城の中で仕事をしているわけではないので、食事をもらえない時もあった。そしてその日も食事をもらなかったので、お腹を空かせながら自分の部屋へ戻ろうとした帰り道に、侍女たちの話し声が聞こえてきたのだった。
「ねえ知ってる? 近々隣国の王子さまがこの国にいらっしゃるそうよ」
「隣国の王子さまといったら、あのとても美しい方でしょう? 二年前にいらした時に少しだけお見かけしたけれど、とても素敵な方だったわ」
「ええそうだったわ。それでその王子さまは、この国に求婚したいお相手がいるそうなの。それでそのために今度いらっしゃるって、この間文官の方々が話していらっしゃるのを聞いてしまったのよ!」
「まあ、それってどなたの事かしら? 公爵令嬢さまや侯爵令嬢さまにはみなさま婚約者さまがいらっしゃるし、まさか私たちのような使用人って事はないわよね?」
「まさか、そんな事はないでしょう。……でもそうよね、全くないってことはないわよね」
そう言いながら侍女たちは自分の髪をいじりだしたり、化粧を直したいのか自分の頬を触り出していた。
「そういえば二年前いらっしゃった時は、かえる王女が王子様をご案内していらしたわよ」
「そうねえ、昔の王女さまだったらあったかもしれないけれど、それは無いわよ。かえる王女に比べたら私たちの方がずっと美しいわ」
「ふふふ、それもそうよねえ」
そう言って侍女たちは笑い合っていた。
(隣国の王子さま……)
あれは確か王女が婚約をする少し前の時だった。外遊のためにこの国にきた隣国の王子の案内役を王女がしたのだった。王女と同じ金色の髪と、明るい茶色の瞳を持った美しい顔立ちの王子だった。
王女の婚約者だった侯爵令息も美しい令息だったが、それはこの国の令息たちと比べてであって、隣国の王子のように、寸分の狂いも無い完璧な美しさではなかった。
王子と初めて会った王女は、思わずぽうっと王子に見とれてしまった。そんな王女に気付いた王子は、照れたように笑ってくれたのだった。
王女は王子に一生懸命この国の話をし、劇場や博物館といった王子が喜びそうな場所を案内した。王子はとても優しくて、王女は胸がドキドキする事を抑えられなかった。
今思い返すとあれが王女の初恋だった。侯爵令息との婚約が決まっていたので、深く考えないようにしていたが、あれこそが真実の愛なのではないのだろうか?
こうして時間が経っても、王子との事を思い返すだけで王女の胸は高鳴った。
侍女の話では数週間後に王子はやってくるらしい。それまでに少しでも自分の見た目を良くしようと王女は必死になって髪を梳かすのだった。
魔法使いとの約束の日は、王子がやってくる数日前だった。
◆◆◆
【魔法使いside】
王女は魔法使いに言われた通り、あれからひと月後に魔法使いの家の扉を開いた。
魔法使いはいつものお茶と、街で買ってきたマフィンを用意して待っていた。
「ありがとう、もうここでしかお菓子を食べられないから嬉しいわ」
そう言うと王女は皿に乗せられた二つのマフィンをぺろりと食べてお茶を飲むのだった。
顔がヒキガエルだから気付きにくかったのだが、よく見ると王女の体は前よりも痩せていた。
「よかったら私の分も食べて下さい」
魔法使いはまだ手を付けていなかった自分の皿を王女の方へ寄せる。
「でも、これを食べてしまうとハミルの分がなくなってしまうわ」
「大丈夫です。たくさん買ったので、出してない分がまだ戸棚の中にあります」
そう言ったものの、王女がこんなに食べるとは思わなかったので、本当は出した分しか買っていない。夕飯に用意していた固いパンならあるのだが、それを王女に持たせる事は憚られたので、魔法使いには他に王女に食べさせる物がなかった。
マフィンを食べて王女が落ち着いたところを見計らってから、魔法使いは早速話を切り出した。
「王女さま、よく聞いて下さい。四日後に隣国から王子がやってきます。前に王女さまがお会いした時に胸がドキドキして大変だったとおっしゃっていらしたあの王子です」
「ええ、知っているわ。侍女たちが話していたのを聞いたの」
王女の言葉に頷いた魔法使いは、用意していた茶色の小瓶をテーブルの上に置く。
「これは何?」
「これは王女さまを元のお姿に戻せる魔法薬です。魔女に作ってもらいました」
カエルの顔をしているので、魔法使いの話を聞いた王女がどんな気持ちでいるのかが分からなかったが、王女は茶色の小瓶に触れようとしたまま動かなかった。手は小刻みに震え、大きな碧い瞳から大粒の涙がじわじわと溢れてくるのだった。
王女がヒキガエルになったのは顔だけなので、手は人間のままではあったが、以前のような白くて美しい手ではなくなっていた。
「今日はこれを王女さまにお渡しするためにお呼びしました」
「……こんなことって、信じられない。……これで私も元の姿に戻れるのね」
そう言って王女は手で触れないまま、小瓶をじっと見つめるのだった。
「ですが、この薬は王女さまが十八歳になってからではないと効果を発揮しないそうです。なので、今はまだ飲まないで下さい。今飲んでも何も起こらないかもしれませんから」
「ええ、わかったわ。……とても嬉しい。あなたには感謝をしてもし切れないわ」
「王子がこの国に来た翌日はちょうど王女さまが生まれた日です。そしてその日の午後は城の庭園で王子を歓迎するガーデンパーティーが開かれます。王女さまは夜明け前にお生まれになったとお聞きしています。ですから、この薬は必ず夜が明けてから飲んで下さい。そして元のお姿に戻られてから午後に開かれるパーティーに参加をして下さい。きっと隣国の王子はあなたを妻に選ばれるはずですから」
「……ありがとう、本当にありがとう」
そして王女の瞳からは再び涙があふれるのだった。
「これを使って幸せになって下さい」
そう言いながら、魔法使いは王女の荒れてしまった手に小瓶を握らせるのだった。
薬草を扱う事の多い彼の手もカサカサではあったが、王女の手を包み込めるくらいに大きくて、温かな手だった。
東の森に住む魔女が作る薬は一級品だが、依頼主の願いに合わせて作る上に、出来上がるまでに時間がかかるので、とても高価だった。魔法使いは国一番の魔法使いだったが、他の国の魔法使いと比べてかなり安い給金で雇われていた。だから魔法使いは魔女が望むだけの金貨を用意できなかった。
しかし魔法使いは自分が持っている魔法書の中には魔女が持っていないものが何冊もある事を知っていた。だから魔法使いは自分の持っている十冊の魔法書と交換する事で魔女に薬を作ってもらったのだった。
魔法使いの家にある本棚の空いた空間には何も置かれていなかった。
【王女side】
あと五日で王女は十八歳になる。一年前の誕生日の時には王女の誕生日を祝う盛大なパーティーが城の中で開かれた。
あの時は隣に婚約者もいたし、家族も城の者たちも誰もが王女に優しかった。
十七歳の誕生日を迎えてすぐの頃に王女の顔はヒキガエルになった。魔法薬を手に入れた時は、優しかった世界がこんなに変わってしまうとは思わなかった。
今の王女はひとりきりで薄暗い小さな部屋にいた。もちろん王女の誕生日を祝うなんて話はない。
古い寝台は寝がえりをうつだけでギシギシと音がするし、小さなテーブルは四本ある脚のうち一本は下の方が折れているので、小さな木箱を折れた脚の下に置いて足りない長さを補う事で使える状態にしていた。王女がこの部屋に来た時には既にそうなっていた。しかし木箱を使ってもきちんと高さが合っているわけではないので、テーブルを使う時にはグラグラとよく揺れた。
王女はテーブルの上に小瓶をそっと置く。カエルに顔が変わった時は何も考えずに薬を飲むことが出来たが、今は薬を飲む事が怖かった。
もしも薬を飲んでも姿が変わらなかったら自分はきっと絶望するだろう。
魔法使いの事も魔女の事も信用していないわけではない。ただ希望を打ち砕かれる事が怖かった。
王子と会ったのは二年ほど前の事だった。あの時と同じように王子はカエルの顔になってしまった自分にも優しくしてくれるだろうか。
しかし、どんなに優しい王子でもこの顔を見たらきっと驚くだろう。だから魔法使いが言っていたように、元の姿に戻って湯浴みをして、綺麗なドレスに着替えて髪も整えてから王子とは会うべきだ。それに自分が美しい姿に戻ったのなら、周りはまた優しくなり、王女が何も言わなくても着飾ってくれるだろう。
しかし王女は顔が変わってしまった事で、これまでたくさんの悲しみや苦労を味わってきた。全ては真実の愛を手に入れる為だった。
王女は心優しい隣国の王子ならばヒキガエルになった自分でも愛してくれるかもしれないと淡い期待を持っていた。愛してもらえなくても「つらかったね、よく頑張ったね」とあの人ならば言ってくれるかもしれないと。
もしも王子がそう言ってくれたのなら、その時に王女は王子に魔法を解く方法を伝えようと思っていた。それを信じてこのひと月を過ごしてきたのだ。
王子が王女を真に愛してくれて口づけをしてくれれば、魔法薬を飲まなくても王女は元の姿に戻れるのだから。
自分が選んだあの王子なら他の人とは違うかもしれない。そして王女は二年前に王子が見せてくれた優しい笑顔を思い出すのだった。
しかし、一年前に自分は魔法使いの忠告を聞かなかったからこうなってしまった。
もしもあの時、早まるような事はしないようにと言っていた魔法使いの言葉に従っていれば、家族の愛を失う事はなかった。
同じ間違いをしてはいけないと王女は思った。
王女は魔法使いが魔法書と交換をして作ってもらった魔法薬を、すっかりくたびれてしまった紺色のドレスのポケットの中へそっと仕舞った。




