4話
【魔法使いside】
魔法使いの朝はいつも遅い。その日の前日も、遅い時間まで魔法の研究をしていたので、寝台に入ったのは空の色が東雲に変わろうとしていた夜明け前の時刻だった。
ドンドンと強くドアを叩く音によって、すっかり寝入っていた魔法使いは起こされた。
眠い目をこすりながらドアを開けると、目の前には城勤めの騎士がいて、魔法使いに至急登城するようにと指示が降りたと伝えられた。
魔法使いが案内されたのは城の中にある一室で、前に国王に言われて魔法使いが音漏れを防ぐ魔法を掛けた部屋だった。
案内された部屋には深刻そうな顔色をした国王と、頭からすっぽり被った紺色のベールで顔を隠した女性がいるだけだった。
魔法使いには女性が着けているベールと同じ色のドレスに見覚えがあった。いつもは美しい金色の髪を結っているのに、今日は珍しく長い髪を下ろしていたので、ベールの裾の下から金色の髪が出ている。魔法使いは自分の目の前に座っている女性が、王女なのだとすぐに分かった。
王女の隣にいる時の国王はいつも機嫌が良いのに、今日の国王はそうではないのが魔法使いは気になっていた。
国王が王女に目配せをすると、王女はゆっくりとベールを上げる。
ベールで隠されていた王女の顔を見て、魔法使いは目を見開いた。
ベールの下には、いつもの美しいかんばせではなく、醜いヒキガエルの顔があったのだから。
「コレを元に戻せ」
国王はそれだけ言うと黙ってしまった。
魔法使いは王女の顔をじっと観察する。斑な茶色の肌に、頬まで裂けた口。頭頂部に近い位置には、人としてはおかしなサイズで白目が無い大きな瞳が乗っている。さらに形の良かった小さな鼻は、平たくつぶれている。どう見てもヒキガエルとしか思えない顔だった。ただのカエルと違うのは、髪は元のままなのと、瞳の色が他のカエルのように黒くはなく、元の王女の色と同じ碧色をしているところだった。
「王女さまとお話しをする事は出来るのでしょうか?」
恐る恐る魔法使いがそう尋ねると、国王は無言で頷いた。
「王女さま、どうしてこのようなお姿になられたのかお心当たりはございますか?」
そう魔法使いが尋ねると、王女は首を横に振るのだった。人の顔とは違うので、王女の表情から気持ちを読み取る事はできない。王女が今どのような気持ちでいるのかが魔法使いには分からなかった。
「わからないわ、今朝起きたらこうなっていたの」
魔法使いはしばらく考えていた。幻覚の類だったら彼にも解けるのだが、これはおそらく変身魔法だろう。あれは魔法薬を飲まないとかかる事はない魔法だ。そういった薬を作るのが得意な者に魔法使いは心当たりがあった。
魔法使いは以前、東の森には魔女が住んでいると、うっかり王女に話してしまった事があった。魔女は人を嫌うので、魔女の存在は口外しないようにしていたのだが、不用意にも一度だけ口にしてしまったのだ。
「王女さまにはとても強い魔法がかけられているようです。私にはこの魔法は解けません」
魔法使いが苦しそうな表情を浮かべながらそう告げる。
「王女を呪った相手は分からないのかっ! お前はこの国一番の魔法使いだろうっ!」
国王は王女に掛けられた魔法を呪いだと決めつけ、恫喝するように魔法使いに詰め寄ると、強い力で襟首を掴むのだった。
魔法薬にどのような効果を加えたのかを知らない魔法使いには、それ以上は何も言えなかった。
◆◆◆
それから数日ほど過ぎた日の午後、ベールを被った王女が魔法使いの家へやってきた。
魔法使いはいつものように、テーブルの上を片付けてから王女にお茶を出した。
「……」
「お父様には黙っていてくれてありがとう、ハミルは分かっていたのでしょう? 私が魔女の作った薬を飲んでしまったのを」
椅子に座ってベールを取った王女は、お茶をひと口を飲んでからぽつりとそう言った。
「はい、王女さまに魔女の事を教えてしまったのは私ですから。しかし、どうしてそのようなお姿に?」
「私の姿が醜くなれば婚約はなくなると思ったの。それに醜くなった私でも愛してくれる人が現れたら、それこそが真実の愛だと思ったのよ」
「まさかずっとその姿のままでいるような薬ではありませんよね? 元の姿に戻す方法や条件は何なのです?」
カエルの顔では人のような動きをしないので表情がよく分からないが、魔法使いは王女の様子をじっと見る。表情が見えなくても、王女の俯き加減や指の震えから彼女の気持ちを量ろうとしているのだ。
「魔法を解く方法は、……私を本当に愛している人との口づけなの」
恥ずかしいのか、王女はより深く俯いた。
魔法使いは己の額に手を当ててため息を吐いた。
「せめて十日くらいで効果がなくなるとか、短時間で効果が切れるようにしておけばよかったのに。よりによって絵物語のような事を……」
「でもお陰で婚約を解消することができたのよ。これで私は私を本当に愛してくれる人を探せるわ! このような姿の私でも愛して下さる方からの愛こそが真実の愛なの!」
侯爵令息は確かに王女を愛していた。しかし彼が愛していたのは、王女の顔と王や兄王子のお気に入りという王女の立場だった。今頃侯爵令息は自分を守るために、王女の顔がヒキガエルに変わってしまった事を言い触らしているだろう。
魔法使いは一度目を閉じて考えた。魔女の作る魔法薬は一級品だから効果に間違いはない。もしかしたら自分の思い伝えるのに良い機会なのかもしれない。そう思った魔法使いは、一度深呼吸をしてから改めて王女を見つめる。
「王女さま、実は私は以前から王女さまの事をお慕いしておりました。この私でしたら王女さまにかけられた魔法を解けるかもしれません」
何の前触れもなく努めて冷静に、淡々と話したのが良くなかったのかもしれない。王女は魔法使いの思いをあっさりと否定したのだった。
「ハミルは私が元の姿に戻るためには口づけが必要だと知ってしまったわ。それは条件があっての愛なの。ヒキガエルの私でもずっと愛し続ける、それくらいの強い思いがないと真実の愛とは言えないわ」
王女の言葉を聞いて、魔法使いは魔法薬の効果を消すための本当の制約に気が付いたのだった。
魔女の作った魔法薬はおそらく、相手が王女をどれくらい思っているのかでは無い。口づけをする相手が自分を真に愛してくれていると王女が思わないと解けないのだと。
そしてこの夢見がちな王女が思い描いているのは、散らかった小さな家の中で友人のように気安く話す男からの告白ではなく、それこそ花が咲いているような庭園や花畑で貴公子のような男からの愛の告白なのだ、きっと。
その夜、魔法使いは東の森に住んでいる魔女に手紙を書いた。




