アイ・キャント・アセプト
武野教太郎は、三度も体罰を行い指導も受けた、平たく言えば無能教師である—————。
もし此度の学校でさらなる不祥事を起こすようならばそれこそ教員免許剝奪まであると言われるほどの存在。
「しっかりと宿題やりなさい、私は用があるから」
琴美は信じられなかった。
武野教太郎と言う教師を一目見た時、これはだらけている息子を変えてくれるいい教師に当たったと思ったのに。
譲は何事にもやる気のない息子であり、成績は相対的に見ても絶対的に見ても最底辺。どうしてここまで不出来な子が生まれた物かと自分の遺伝子を呪いたくなるほどに出来が悪く、ただそれでも友人の数が多い事だけは取り柄だった。
だがその友人たちもそれなりに成績のいい児童はいるはずなのに、ちっともプラスの影響を受けていない。何事も言われねばやらず、言ったとしても遅い。そんな息子だと言うのに教師たちは揃いも揃って甘い。曰く他の子が困っていると手助けをすると言う素晴らしい個性があるらしいが、だったらどうして自分の家の手伝いをしない……いやしてはいるが他に何もしないのか。
だからこそ厳格そうな武野教太郎に当たった時ラッキーだと思ったのにまさかそんな最低の教師だったとは…いや。
(所詮最高か最低かなんて一面の評価でしかないじゃないの、今度の先生がまた甘ったるいタイプだったら元の木阿弥よ)
此度の件でもし、厳格=悪なんて児童たちに植え付けられたらそれこそおしまいではないか。ゆとり教育だか何だか知らないが、今の譲には強い薬が必要だ。
「って言うか何よ、お使いさえも怪しくなってるし、何がハッピー・テロリストだか!」
と言うより、もっと強くすべきだとさえ思っている。
あの事件の次の日にスーパーに玉ねぎを買いに行かせたら、やけにキョロキョロしながら往復十五分の道のりに四十分もかけて帰って来た。寄り道をしていないか問い詰めたが首を横に振り、財布の中身とレシートを見ても玉ねぎの分のお金しか減っていない。
何があったのと肩をいからせてようやく出て来た言葉が、「ハッピー・テロリスト」。
どうもどこで狙われるか分からないと無駄にビクビクして回り道をし、結果的に時間がかかったと言う。
「でも武野先生は」
「だから、武野先生は心臓麻痺!そう言ってるでしょ!そんな事でもたもたしてたらみんなに笑われるわよ!」
「でも店員さんも」
「ああそう、とっとと宿題やりなさい!」
宿題はないとかは言わせない。本来この日にやるべきだった授業を強引に突っ込み、勉強させる。登下校の手間もないしたかが一コマ三十分なんだからこれでもぬるいぐらいだ。
そうして集中させてあんなふざけた存在など忘れさせてやると意気込んでみたが、何をどうやっても付きまとって来る。
「どうしてみんな信じてるんでしょうね」
「だって実際に起こったんですから、うちの子だって見たんですよ」
「……………………」
何人に聞いても返答は変わらない。
うちの子が見てたってのに信用できないんですかと言われたら何を返していいか思い付けない。
———本当は信用できない。
どうせ小学四年生の子どもだし現実とアニメの区別もつかずにいきなり朝焼けかなんかが映り込んでそれと同時に武野教太郎が倒れたせいでそう勘違いしただけだ。
そしてそれに乗っかった誰かがハッピー・テロリストとか言う阿呆くさい、いかにもいきり立った中高生が考えたようなネーミングでバズりを狙ったのかと思うとただただ情けなくなって来る。
三十人近くが見ていた?それが一体何だと言うのか。あの年ごろなら父母は無論祖父母が健在でも全くおかしくない。と言うか生き物の死と言う存在にすら触れていないのかもしれない。
そう言えば武野先生の葬式はいつだったかしらとか聞いてみたが、誰も知らない。学校にも電話して聞いてみたが、まだ情報が入っていないとしか返って来ない。人間の死をはっきりと見せ、あんな事で動揺なんかしないように育てねばならない。
日野琴美は、憤りながらも張り切っていた。
「来週の土曜日だって」
その葬式の話を待ち望んでいた琴美に情報を渡してくれたのは譲だった。
その日もまた集団下校であった事を恨めしく思いながらも、良薬は口に苦しをいつかわかってくれることを期待していた。
「いい?人間が死ぬってのはどういうことなのか見ておくのよ。元気そうに見えても急に死んじゃう事もあるんだから。と言うか譲、あなたあの日も遅刻したんでしょ。いい?自分では何ともないかもしれないけど遅刻したせいで死んじゃったかもしれないし、今後は絶対に時間に遅れちゃ駄目よ」
「……」
「どうしたの?」
決して相手から目を離さず、真正面から噓偽りなく気持ちを伝える。それが親として示すべき態度であり、見習わせるべき態度である。
「先生言ってた」
「何て?」
「別にハッピー・テロリストなんか気にしなくていいって」
「でしょ!いい先生にあ」
「別に悪い事をしなければいいんだって」




