ファーザー・キル・ドーター
「嫌です!」
早川春男は、すっかり縮こまってしまった娘に辟易していた。
確かに四件もの殺人事件が起きた関原高校に行きたくないのはわかるが、休日の外出すら拒むのはおかしい。
いくら並の家の数十倍ある豪邸とは言え、所詮は一家屋である。
夏だと言うのにクーラーの点いている部屋に閉じこもりずっと本にかじりついているのは、生活スタイル云々とか言う以前に不健康だ。
「お嬢様はすっかり脅えておりまして…窓ガラスを開け放す事すらしないのです」
「空気が悪くなるぞ」
「ですからこうしてお嬢様の目の届かぬ所で……」
「本田勝弘の試合は明日だろう。まさかそれさえもここに閉じこもって見る気だとか言うのか」
「はい…」
春男は無論、娘が本田勝弘と言う同じ学校のスーパースターに思いを馳せている事は知っている。その本田勝弘の晴れ舞台である甲子園を賭けた戦いである決勝戦の舞台を、一回戦が行われるひと月前から秋絵は待望していた。春男も無論娘の母校となる学校の活躍を素直に応援しており、本田勝弘がプロ野球選手になる事も期待していた。
「まったく、うちからも何人か派遣したいのだが」
「一応主催者から了解は得ておりますが、とりあえずお嬢様の護衛としてついて行くと言う事で、それからと」
「まあそれで頼む」
選手の徹底した護衛のためと言う事でか日雇いと思しきガードマンが相当に増やされているがようだが、もちろん春男はその程度で安心はしない。それこそ自分たち専属のそれを使い秋絵は無論勝弘以下全ての生徒を守る事が役目だと思っている。
もちろん、秋絵を動かさねばならない。
「秋絵!」
「ひぃ!」
そのつもりで秋絵の部屋に入った春男だったが、ドアを開けただけで秋絵は脅え、頭を両手で抑えてうずくまる。よく見ると窓の前に本が積んでおり、日の光が当たって傷んでいる。
「ダ、ダメです!」
「何だ、窓を開けるのも怖いのか!」
「は、は、はい……」
「馬鹿者!」
ついこの前まで、と言うかずっと見て来た自信満々だった愛娘の姿がわずか一日でここまでなってしまった事に春男は腹を立て、机を殴り付けた。
「今勉強中だったのです、本当です!」
「確かにそれは大事だがな、まさかお前は一生ここから出ない気か!」
「その、ハッピー・テロリストが、壊滅、したら…」
「ハッピー・テロリストだと!お前なんかやったのか!」
「いえ、その、何も……」
春男は無論、ハッピー・テロリストを把握していない訳ではない。だがこれまでの話でハッピー・テロリストがどういう存在かわかっていたつもりでいたし、わかりたくなかった。娘がハッピー・テロリストにターゲットにされるような非道な人間ではないと思いたかったのもさる事ながら、それ以上にハッピー・テロリストとか言う存在を受け入れたくなかった。
(確かに娘にも責めがあるかもしれん、だが後ろ暗い所のない人間など居るものか!)
早川春男とて、元大企業の御曹司で現社長として殿様商売をやっていた訳でもない。時には世間的に行って汚い真似も行い、会社を大きくした。そのせいで売り上げが落ちたり潰れたりした会社もあったし、路頭に迷った人間もいた。それらの怒りがもしハッピー・テロリストを呼び出したとか言うならなぜ、まだ自分は生きているのか。
「なら何をガタガタ震えているのだ!明日行くぞ、行きたかったんだろう、応援に!」
「あの、いいです、そんなことしなくても、本田様は……」
「ああお前!」
秋絵の震え方がおかしい。
まさかと思って春男が足を踏み出すと、まだ六十一歳の執事が最年長であるこの屋敷に老人介護用のおむつのパッケージがある。
「すみません、あまりに勉強に集中しすぎて!」
「わかったわかった、誰か秋絵を風呂に入れてやれ」
噓つきにも思えないが、それ以上に脅えている。
確かに集中しすぎて…とか言うシチュエーションもなくはないが窓からもし撃たれてしまったらとか考えて用意しているとしたら、秋絵はもはや使い物にならないかもしれない。
—————だから。
「嫌です!」
「何を言う!本田君の活躍を見たくないのか!」
「見なくても勝ちます!」
腕を引きずりながら、リムジンに連れ込む。歯医者を嫌がる子どものように柱にしがみ付きそうな高校三年生の娘を、強引に引き剥がす。
「そんな弱虫を育てた覚えはない!何を脅え切っているのか!」
「死にたくない…死にたくない…」
「まったく、まったく……!大丈夫だ、大丈夫だ!」
服を着替えさせ靴を無理やりに履かせ、ようやく態勢を整えさせる。
「ここで死んだら恨みますわよ!」
「冗談はよせ」
「枯山さんだって大川さんだって!」
「わかったわかった、もう行くぞ!」
泣き叫ぶ娘を強引に、玄関から押し出した。
その瞬間。
「ああああああーーーー!!」
これまでのどの被害者よりも長い悲鳴と共に、早川秋絵は心臓を撃ち抜かれた。
「秋絵!」
「お父様……の…バカ……」
そしてその八文字と共に、早川秋絵はこの後の本田勝弘の四打数四安打一本塁打の地方大会決勝戦での活躍を見ることなく本田勝弘や石田光江と別世界に旅立った。
早川春男は、亡骸に変わった娘を前に、何も言えなかった。
もし彼女を、早川秋絵をハッピー・テロリストが壊滅するまで家の中に押し込めておけば。
本当に救う事が、出来たかもしれない。
その可能性—————現状あまりにも希薄だが—————を実現する事を放棄した、その罪。
「秋絵……」
早川春男に与えられた、あまりにも重たすぎる十字架だった。




