スペア・マン
「そうですか、紅太郎さんはそんな事を……」
紅太郎ほどではないが和菓子屋に似つかわしくないスーツを着た外澤と言う古元一の葬儀を取り仕切る事になった男は、悠一に薄笑いを浮かべた。
まるで悲しいとか嘆くとか言うより安心を覚えたかのようなそれであり、悠一のような人間の心をささくれ立たせるには十分だった。
「で、その紅太郎さんがなぜあなたを」
「あの人はずーっと待たれてるんです。いつでも帰る所があると思ってるんです。まあ全くその通りですけど」
「帰る所がある?」
「そうです。紅太郎さんはいずれ五代目になる運命だったんです」
「そんな、でも俺は聞きましたよ、はっきりと!」
悠一が古元紅太郎の吐いたセリフをスマホから再生するが、外澤は中指をその前で振って応じようとしない。悠一が目をいからせると外澤は深々とため息を吐き、これ以上関わって来るなとばかりに後ずさる。
「紅太郎さんが何を言おうと、どうせ五代目は紅太郎さんで確定なんです。店のみんなも認めてます。あの四代目様の言う事ですから」
「十八歳で家出と言うか追放されて六年間工事現場でしか働いてない人がですか?」
「そんなのはどうでもいいんです、あの人にとってはたった一人の可愛い息子ですから。ぶっちゃけた話社長なんて部下をうまく動かせれば務まるんですよ、それが社会の流れです。ま、全く慣れない職場で裸一貫六年も修行して来た事に内心四代目もニコニコしてらっしゃったんでしょう」
「でも外澤さんだってずっと!」
「わからないんですか、この格好を見て。私が菓子作りを始めたのはほんの五年前。それまではデパートなどの外部交渉担当で」
和菓子屋らしからぬ無機質なコンクリートの壁が揺れる。
—————壁ドン。
平たく言えばそうなる行いを、親と同じ世代の人間に悠一は仕掛けた。
「……聞いてましたよ。外澤さんの事。一さんから。毎日稽古を付けてて必死に食いついているいいお弟子さんだって。他の職人たちには悪いがいずれは店を継がせるかもしれないって」
「リップサービスを真に受けるんですか」
「他人の俺にリップサービスする必要があるんですか」
「私は一応大卒で本来和菓子とか言う世界とは遠い人間でした。たまたま多数の職場を受けて落ちまくり、拾われたのがここだっただけです。根っからの職人さんたち、と言うか和菓子と言う存在に触れて来た人間には絶対にかないません。その点紅太郎さんは生まれてからずーっとここの空気を吸ってるんです、見てるんです。他の職人さんたちだって」
「でもその職人さんも外澤さんの事褒めてましたよ!」
悠一の言葉は嘘でも何でもない。
実際一の葬式に参列する事になる職人たちはしばらく外澤に任せるべきだと言う意見である者が多くそれに難色を示した人間も「五代目」を名乗らせるのがどうかと言うだけであって四代目代行のような形ならば問題ないと、ただのファンの悠一だけではなく近所の人たちも聞いていた。追放された不良息子の紅太郎を挙げる人間はごくわずかで、いたとしても紅太郎を名目的五代目にし実際は外澤が仕切ると言ういわゆる傀儡政権扱いが妥当だと言うそれだった。
「……わかりました。でははっきりと申し上げます。私は、四代目様を殺そうと思っていましたよ」
「殺そうと思うのと実際に殺したのは全然違いますけど」
「私は今四十五ですけど、菓子職人でもない以上あと二十年もすればお役御免です。二十年後には紅太郎さんはまだ四十六です」
「何が言いたいんですか」
「くどいですね、私はどうせいくらでも代わりのいる男なんです」
「は……………………?」
「聞いてください」
外澤のせっかくのカミングアウトも功を奏さずさらに食って掛かる悠一であったが、外澤の代わりのいる男と言う発言にようやく虚を突かれたように黙り込んだ。
そこを隙と見た外澤は、自分がいかに五代目にふさわしくないかを語り出した。
※※※※※※
ある日、と言うか古元一が亡くなる二日前の事。
外澤の頬は、白く染まっていた。
そのまま無言で震える外澤に対し、一は巌のような顔を見せる。
「これでお客様を満足させられると思ってるんか!」
「でも」
「でもも何もあるか!こんなん店に出すのでさえ憚られるわ、ましてや茶席とかもってのほかだ!」
白い菊型の和菓子が排水溝の側に転がり、一と外澤を見上げている。いや、見下ろしている。
それなりに高価な砂糖や粉を使われているのにそんな所にいる時点で食物としての価値を失ったその物体に構う事なく、一は口舌を振るう。
「まさか何か?あいつらにはこれでいいとか言われたのか?」
「それは…」
「ふんわかったわ、お前などまだ五代目でも何でもない」
職人歴二ケタの人間からこれならと言われた事を外澤が飲み込んでいると、時間の無駄だと言わんばかりに一はそっぽを向いた。一日十時間和菓子を転がしている事など知った事かいと言わんばかりの木で鼻を括るような態度であり、機械よりも機械的にさえ思えた。
「そうですか、私はあくまでも紅太郎さんの中継ぎですか」
「はぁ?」
「すっとぼけないで下さいよ、いつでも可愛い可愛い紅太郎さんが戻って来てくれるのを歓迎しているんでしょ」
「お前!」
「私がやがて定年退職するまで粘れば邪魔者はいなくなりますからね」
外澤が張り合うように抑揚のびた一文ない声で言い返しながらそっぽを向くと一がようやく慌てたように声を出すが、外澤はそっちが先にそうしようとしてたんでしょと言わんばかりに競歩のように厨房を出た。
※※※※※※
「わかったでしょう。これで」
「その話は皆さんにしたんですか」
「する訳ないでしょう、ああしてもいいですけど、これで私がいかに五代目にふさわしくないかを示せますから」
「そんなに甘ったるい人には思えませんけど」
「甘ったるい、ですか……誰だって我が子は可愛いもんですよ、うちにも娘がいるんですがね…今ではキミより三つ上でアパレルショップに勤めてて、一時期の反抗期も終わったようで働くのって大変だって言って来るんですよ」
「俺は一さんから紅太郎さんの不出来振りしか聞いていませんけど」
正確に言えば「お前さんみたいな息子ならば」だったが、紅太郎を悠一と比べて落としているのは変わらなかった。もちろん悠一はすぐ謙遜したが、それでも紅太郎がバカ息子であるのには変わらなかった。
そんな人間になぜ跡を継がせようとすると思うのか、悠一はてんで不可解だった。




