【前日譚①】理の冒涜者、魂の魔女リオネッタ Ⅰ
「じゃ、それじゃあ……、触るっスよ……?」
なんとも頼りないというか、情けないというか、臆病そうに震えた声が耳の中をくすぐるような感覚だ。
わたしに触れる手もどことなく辿々しい。
些細な反応ですら、感じ取ると酷く怯えたように「ひぃっ」と小さな悲鳴を上げる。
リオネッタ・ウィルムは、いわゆる竜人様である。
そして、わたしの師であり、同時に数少ない友人。
いや、わたしのはじめての友達である。
彼女は人付き合いが壊滅的に苦手で、そのまま自分の世界に没入。
現在もなお、大書庫を兼ねた自室にひきこもっているのだとか。
正確には、彼女が外出すると、世界が滅亡するかもしれない。比喩ではなく、現実的な問題である。
だが、彼女は「じゃあひきこもるしかないっスよねー」と、今の生活には特に不満はないみたいだ。
基本的に何をやらせても期待以上の結果が返ってくる天才型で、努力はしたくない自堕落な性格を自称している。
自己評価は低く、自分を卑屈で根暗だと思っている彼女とは、なんとなく同族のような親近感からか、お互いに丁度いい距離感を保ちながらなんだかんだ友人関係に落ち着いた。
本来はわたしが彼女に師事する形だったのだが「ぼくって師匠って柄じゃないしトモダチでいいじゃないっスか」とひと月足らずで彼女は師匠であることに飽きたようだ。
ことの始まりは、彼女が郵便物に紛れ込ませた手紙だ。
それが原因で彼女の住む邸宅に訪れてから、半分くらいは事故だったかもしれないけど、わたしは彼女が師匠でもトモダチでもどちらでもいいかなと思っている。
紛れ込ませた手紙というのが、実は魔女の血判状とも呼ばれている契約者を隷属させることも可能な危険な代物らしいのだが、後から聞いた話ではただ血を垂らした程度では発動しないとのことだ。どういった仕組みなのかよくわからないけれど。
思い返せば、もう一年以上の付き合いになる。
感慨深いもので見習いの配達員だったわたしも今では半人前くらいには認めてもらえるようになったかもしれない。
わたしひとりでは成し得なかったことだ、リオネッタにはどれだけ感謝しても足りない。
彼女の為ならば、わたしは、わたしの全てを捧げてもいいと思っている。
「リリさん、リリさん」
彼女が、わたしをさん付けで二回呼ぶ。
決まって気まずい時はこうだ。
何が問題なのかはわからないけれど、わたしはなるべく彼女とはあまり積極的に話さないようにしている。
軽く相槌を打つ程度だ。
会話もほとんどが一方通行である場合が多いけれど、わたしたちはこの距離感がなんとなく心地がいい。
互いに、友人と呼べる存在がはじめてなので、探り探り、おっかなびっくり、なのだ。
「ごめん、ごめんなさい。ちょっと目隠ししてもらってもいいっスか?」
頷く。
「やっぱり、見られてると、ダメで、ホントに、ごめんなさいっス……」
階段下の物置部屋、リオネッタの寝室は陰鬱で薄暗い。
彼女が申し訳なさそうに黒い布でわたしの視界を遮ると、何も見えなくなった。代わりに彼女の興奮気味な息づかいと、頻りに唾液を嚥下するので喉が鳴るような些細な音まで聴こえてくるような気がする。
わたしと彼女はふかふかのベッドの上で向かい合うように座っていて、わたしは下着姿で彼女はゆったりとしたローブ姿だった。
「あ、えと。き、気持ち悪くなったり、イヤだったら教えてほしいっス。ほんと、ごめんなさい」
謙虚な言葉とは裏腹に、リオネッタがわたしに興奮しているのは伝わってくる。本当はわたしもすこし怖いけれど、それはきっと彼女ほどではない。
「だいじょうぶ」
「で、でもっ。ぼく、リリさんに嫌われたりしたらイヤっス。ほ、本当は、友達にこんなことしたくないっス。けど、けれど。こんなにちいさな女の子をいたぶってるようなぼくには、リリさんの友達でいる資格なんて」
「リオネッタ、怒るよ」
わたしは、いつも通り彼女の名前を呼んだ。
わたしは、自分自身のことを頼りないと思っている彼女のことを、リオネッタ・ウィルムをきっと誰よりも信頼している。
そこからは彼女がわたしに触れる手付きも、なんだか迷いはなくなったような気がする。
腕の付け根から爪先まで、絡めるように動かしている。こうされるのは慣れているので脱力しきった状態で、なすがままで、されるがままだ。
手慣れた様子でゆっくりと時間をかけてマッサージされているみたいだから心地よい。のだが。彼女の悪癖というか、異常性が次第に顕になってくる。
しばらくすると。
わたしは、ベッドに五体投地の状態で四肢を拘束されて口には誤って舌を噛まないように猿轡を噛まされていた。
「ふへぇ、リリさんの『アニマ』の輝きは、本当に、本当に綺麗な光っスねぇ……。かがり火のように温かくて、優しい光が溢れているっス」
恍惚。
そんな表現が適切なのだろうか。
彼女は囁くようにひとりごとを繰り返している。
そこまで恐怖を感じないのは、それ以上にやはり信頼してるからだと思いたい。
既に自分の意思で体を動かせない。
指の一本に至るまで、力が入らない。
彼女が膨らみも何もないわたしの胸を撫でると、全身が心臓のように周期的に脈打つ苦痛に襲われる。
視界を遮る黒い目隠しの布が涙で濡れて張り付くような不快感、悲鳴もくぐもった声に変換されて、必死に抵抗するも拘束を微かに軋ませる程度。
例えるなら心臓をそっくりそのまま引き抜かれているような、胸の中身がごっそり、ゆっくりと。
そんな表現しかできないけれど、今この瞬間、わたしの体からは俗に魂とも呼ばれている『アニマ』が引き抜かれている。
そして、その直後、完全に意識が途絶えた。
ベッドの上には、拘束を解かれて安らかに呼吸を続けるわたしの抜け殻があった。なんというか、この幽体離脱からの無機物の人形に魂を移し替えられるだなんて奇妙不可思議な体験には慣れない。
今のわたしの意識は、リオネッタの造った義体人形の中にある。彼女がこだわり抜いた限りなく実際のわたしに限りなく似せた実寸大の人形だ。
わたしは義体人形の具合を確かめるように軽くストレッチをしていたけれど、とても作り物とは思えない感覚と、ほんの一瞬気絶をしていた間に何が起こったのか相変わらず微塵も理解が追いつかない。
彼女の考えた魔法じみた技術とその理論には舌を巻くしかない。
血は通っていなければ、心臓の鼓動もない。
呼吸すらしていないこの状態で生きていると言われたら、どうなのだろう。
しかし意識は明瞭で、わたしがわたしであることには疑いの余地はない。
目の前のからっぽのわたしが目覚めることは、再び自分の『アニマ』がそこに帰るまでは絶対にない。と、言われている。しかし、自分の知識の領分を超えた理解の及ばない分野は、やっぱり不安だ。
肉体と魂を切り離して、尚且つ魂を別のものに移し替えるだなんて実際に体験しなかったら失笑するくらい眉唾物だっただろう。
だけど、現にこうしてわたしは自分の姿を模した人形になっている。
「ぼくが長年研究していたのは『アヴァターラ』もとい『アバター』という、自分ではないもうひとつの自分を生み出す技術っス。どうしても抗えない不死の肉体という枷から魂を解放して、なりたい自分になれる。理想、だったんスけどね。まだまだ課題は山積みで」
わたしが人形となったからか、リオネッタは饒舌に語り出すようになった。彼女の手を取り、寝室を後にすると本の森のような、夜空を作り出す機構に照らされた大書庫の中を散歩し始めた。古今東西ありとあらゆる書物が集められているこの場所は、彼女の頭脳そのものだ。
竜人の、その成体ともなれば直立した際の身長は三メートルに迫る勢いだが、彼女は姿勢がとても悪く。心配になるくらい猫背で、頭ひとつと半分くらいは小さく見える。
それでもわたしを二人縦に並べても足りないほどの巨躯。
女の子に巨躯だなんて言葉を使おうものなら、どれほど失礼なのか、わたしでもわかる。それでも、彼女は実際問題体が大きいのだ。
「リリさんにも、ぼくの研究に参加してもらっているっスけど。まあ、これは単にぼくの為で、お人形さんじゃないとトモダチでもマトモに会話できないからなんスけど」
たはは、と苦笑混じりに話す彼女には呆れることもあるけれど、それ以上に彼女の頭脳には敬服するしかない。
「リリさんの肉体をぞんざいに扱って申し訳ないとは思っているんスよ。でも、生き物は、怖くて、例えリリさんが不老不死であろうと、生き物との別れは、もう嫌で……」
「わからなくも、ないよ」
腹話術のような、微動だにしない表情からこもった自分の声が聞こえる。
どうにも慣れないけど、他人から聞いた自分の声はこんな印象なのか。
まだ舌足らずで辿々しい、そんな声。
自分ではもう少しは理知的な感じかと思いたかったけれど、生まれてからずっとこんな声だったのかと思い知らされる。
「わたしは、ずっと誰かを見上げてきた。そしていつからか、見上げていた人が埋葬された土を見下ろしていた。なんとなく、思い出せた過去の話だけど、何も知らない無知な頃、まだ無垢な頃、それが当たり前で、自分が世界から置いてけぼりにされていることに気がついた頃には、そんな不老不死を恨んだんだよ。でも、おかげでリオネッタに逢えたんだと思うと、悲しいだけじゃなかったんだって、無駄じゃなかったんだって」
竜族には、明確な死という概念がない。永遠の時を生き、絶命しようとも僅かな細胞片から、卵を残して肉体が孵り、再び生まれ直す。記憶も経験も引き継いで。
リオネッタもそうなのだ。
竜族が王族である理由も、どの時代においても王としてその叡智と力で常に率先して世界を導いてきたからだ。
彼女も本来ならば王族として世界を導く立場にあった。
だが、もう辟易してしまったのだ。疲れ果てた。
だから、彼女は竜という絶対的な力を捨ててでも、不自由で不便な生活に憧れた。
「……でも、リリさんと出会ってからさ。ぼくがしようとしていることは、リリさんをまたひとりぼっちにさせてしまうんじゃないかって思ったんス。それに、不老不死で悩んでいるって人もたくさんいるのに、ぼくだけ真っ先に逃げるのは仮にも王族だったものとして、あまりにも無責任なんじゃないのかなって」
「王族の責任もなにも、自由はリオネッタにも与えられるべき当然の権利だよ」
「……リリさんは、甘々っスね甘々。そんなこと言われたら、余計にリリさんを独りにできないじゃないっスかぁ」
「大丈夫、自由になっても、いつかはリオネッタ帰ってきてくれるんでしょ。だったら待つよ、いつまでも待つよ。わたしが、あなたのいつか帰る場所になってあげるから」
「……ホント、リリさんはもっと自分にわがままになってもいいと思うんスよ。そんな仙人みたいに達観した悟り系幼女となると、語尾に『のじゃ』とか付けたっていいと思うっス」
リオネッタは泣きべそをかきながら、相変わらずよくわからないことを話す。
わたしが不老不死であることは、彼女はよく知っている。
とはいえ、わたしという自我が始まったのは精々数百年程度だろう。初めて出会った時、心の膿を飲み込み、わたしの過去を追体験した彼女はそれ以来、生き物としてのわたしには強い忌避感というか恐怖心を抱いている。
曰く、わたしの『アニマ』は美しく心を奪われるほどのものらしいけれど、わたしに刻まれた記憶は惨憺たるもので見るに堪えない。
濃縮された貪欲な悪意の塊を一瞬のうちに追体験した彼女は、当初はわたしに対して拒絶的な反応を示した。
それはつまり、わたしがわたしになる前を知ったということだ。以後、彼女は頑なにわたしの過去を教えてくれなかった。自分にはその勇気がないのだと、リオネッタは何度も何度も頭を下げて謝っていた。
だけど、わたしもそれほど自分の過去に興味があるわけでもなかったから、話の深掘りはしなかった。
今が幸せなら、わたしはそれでいいから。
「今の生活が満たされているのは、いいことっス。リリさんのお父さんのコーヒーは最高だし、作るごはんも格別っス。食べ物なんてべつに食べなくてもいいや、なんてずっと思ってたけど、シアワセを摂取した感じだったっス」
「次は何が食べたい?ハンバーグステーキとか?」
「……リリさんはやっぱりお肉大好きなんスねえ、自分が食べたいだけでしょー」
「そうかも」
読みかけの書物が積まれたリオネッタの研究スペース。
近くには人形細工を作る作業台もあり、この辺りは独特なインクと薬品のにおいがする。
とは言っても、それは以前生身の自分が感じたものであって今のわたしには五感のほとんどがぼやけている。
分厚い手袋越しのような触覚と、ひどい乱視のような視覚、耳当てのようなもので遮られて聞き取りにくい聴覚、味覚と嗅覚はそもそも備わっていないみたいだ。
「さて、リリさんの『アニマギア』の調整っスけど」
一度語り始めるとなかなか終わらない。
だけど悠々としているリオネッタは見ていて飽きない。
リオネッタの作業机の上にはいくつかの装身具。
そのどれも、不可思議な気配が漂っている。
まるで、最初からわたしの一部であったかのような、本物のわたしの体のような気配。
それは、研究の産物で肉体の力に依るものではなく『アニマ』を原動力にした装置。
不老不死が仇となりに、いつまでも幼いままの非力で無力で脆弱なわたしの為にリオネッタが作ってくれた装備。『アニマ』の力を加えることで、身体能力を補強する。
永遠的に幼いまま変化しない体組織の代わりに魂を研鑽すればするほどに、運動能力もそれに見合った成長する魔法のような機構は魂と魔法と装置を言葉遊びで組み合わせて『アニマギア』と名付けられた。
リオネッタなりの皮肉のつもりらしい。
肉体に依らず『アニマ』を使って人形の義体を動かしているのは、元々は対人恐怖症の彼女のためだったかもしれないけれど、今ではわたしが『アニマギア』を操作する上で必要な鍛錬のひとつだ。
魂だとか精神力だとか、そのような抽象的な存在で脳もなければ神経もない作りものの体を動かすことは簡単なことではなかった。
今でも、まだ自由自在とはいかないけれど、それでも自分の意思である程度は動かすことができるようになったのだからオカルトじみた『アニマ』という存在を認めざるを得なかった。
そんな『アニマギア』ではあるが、生身のわたしが使用する場合は守らないといけない条件がある。
とはいえ些細なことではあるのだが、特製のインナーを着用しなければならない程度だ。
けれど、それが何よりも大切なことで、わたしの貧弱な体では増強された力に耐えられない。
首から下のほとんどを覆うインナーを身につける必要がある。
わたしは顔と両手足と尻尾以外は真っ黒ですべすべつるつるとしたなんとも珍妙な姿になる。
欠点は誰かに見られた時の羞恥心を除けばなんでもない。
そもそも普段は上から更に服を着るのだから、なにも問題はない。けれど、ぴったりとインナーが体に吸い付くような感覚には、未だに慣れない。
でも『アニマギア』のおかげで、わたしの生活は一変した。日常生活においても、ただの子供同然で簡単な力仕事すらまともに出来なかったわたしが誰かの助けになれるようにまでなったのだから。
それが堪らなく嬉しかった。
リオネッタによると、平均的な成人男性くらいの膂力程度なら無理なく発揮できるのだという。
リオネッタに出会えなければ、わたしはずっと非力を嘆くだけで何もしない、無力な子供のままだった。
「ねえ、リオネッタ」
「……な、なんスか?」
「いつもありがと、ね」
こういうのは素直に口に出して言うのが一番だと思うけれど、そういうのが一番難しい。
ずっと前から言おうとは思っていたけれど、あまり言葉を交わすこともないから。
そんな関係のまま一緒にいることが当たり前みたいになっていたから、そんな状態に甘えて、なかなか言い出す勇気がなかった。
「リオネッタは少し変わってるところもあるけど、わたしはリオネッタのこと好きだから。その、上手くいえないけど、リオネッタも自分のこと好きになってね。わたしも、頑張るから」
我ながらあざといというか、自身の外見相応の振る舞いはちょっと自己嫌悪がする。
舌足らずの甘ったるい声と無垢な子供の上目遣い。
いや、上目遣いになってしまうのは身長体格差から仕方がないとはいえ、なんだか如何にもな仕草だ。
「ああもうほんとリリさん好き、ご褒美っス!」
たぶんリオネッタは我慢出来なかったんだと思う。
今のわたしは人形の姿だから、スキンシップに抵抗感がない彼女はわたしを強く抱きしめると頬擦りをする。
呼吸は荒く、興奮してる。
「……わあ、りゅうじんさま、りゅうじんさま」
「リリさん怖い、ガチ幼女モード怖いっス!あとその呼び方やめてほしいっス!」
「でも、リオネッタはこういうのが好きなんでしょ?」
「えっと、その、ちいさくてかわいい女の子は好きっス。でも、どちらかと言うと、あの、気持ちダウナーな感じでそっけないとなお良いっス。ええと、あの、いつものような。そういうのも嫌いじゃないっスけど、ぼくが好きなのは、媚びていないというか、裏表がないというか」
「わかりました、りゅうじんさま」
「や、やめるっス?!」
本格的に泣き出してしまう前に、彼女をこれ以上からかうのはやめておこう。
でも、今まで喉につかえて言えなかったことが言えて、なんだかスッキリした。
彼女の生活は、研究が全てではあるが。
この屋敷には生者と人形と呼ばれる使用人たちがいて、竜人様と呼ばれるリオネッタの存在と、ひきこもりであることを理解している。
だから使用人たちは主人に代わってあらゆる日常業務をこなしている。
研究の材料の調達も、リオネッタがメモをドアの下の隙間から出して、使用人が用立てる。
最近では郵便局員としてわたしが持って来ることが多いけれど、結構な大荷物なので屋敷の人たちと協力して荷馬車を使う。
そもそもリオネッタの為の屋敷なので彼女中心の造りをしている。ロトンドと呼ばれるドーム状の建築物で、古くは竜を祀る神殿だとか墳墓の類だったらしいけれど、改修されて今では上下水道完備の水回りにはトイレもバスルームもある。電気も通っていれば気体燃料も常備してあるのだという。
この建造物の大部分を占めるリオネッタの部屋である大書庫を中心に取り囲むように使用人たちの部屋がある。
この大書庫に入るには外縁の回廊をぐるっと大回りして入るしかない。
初めて訪れた時は辿り着く前には体力が尽きて気絶してしまった。この屋敷は、終点街の南端にあり、普段わたしが住んでいる地区からは大人の足でも数時間掛かる程だ。『アニマギア』のなかった頃わたしではその何倍掛かっていたのだろうか想像もしたくない。
ちなみに、終点街の南端の屋敷といえばこのビヴロストの街ができるよりもはるか昔から存在していると言われており、この一帯はリオネッタの所有する私有地という扱いらしい。大きな荘園に、孤児院などがある。
大部分は『アニマギア』以外のリオネッタの発明品で財を築いているようだが、珍しい調味料や質のいい穀物や野菜、牧畜などでもその業界では有名らしい。ウチの店のお得意様でもあるからリオネッタには頭が上がらない。
わたしの肉体が置かれている寝室の中も意外にちゃんとしている。
キングサイズのベッドの枕元はぬいぐるみでごちゃごちゃしているけど、それ以外はそれなりに清潔で整理整頓されている。
こう呼ばれることに当人は拒否反応を示すだろうけど、リオネッタは『お姫様』なのである。
「……ほとんど毎週、ぼくのわがままで、いくら合意の上とはいえこんな衣服を取っ替え引っ替えする感覚で『アニマ』を高頻度で移し替えて悪影響が出ないか心配なんスけどねえ。『アニマギア』もまだまだ問題は山積みだし、基礎設計から見直すべきなのか。とはいえ、あまりリリさんに無茶を押し付けているのが、申し訳ないっス」
自分の世界に入り込み、リオネッタはぶつぶつと独り言を漏らす。
もうこうなってしまったら、彼女はテコでも動かない。
ああでもない、こうでもないと時間を忘れて研究に没頭し始める。別に今に始まったことじゃないし、わたしはリオネッタのそんな姿が好きだ。
わたしもわたしで、リオネッタの書庫にある本はなんでも読んでいいと言われてから嬉々として読書に没頭する。
義体人形の大部分はある種のケイ素化合物で出来ている。
語り始めると長くなってしまうので割愛するけど、わかりやすくかいつまんで説明すれば義体に使われている種類に関しては熱に強く劣化しにくく頑丈で独特な金属光沢を持つゴムのようなものだ。
それの硬度を細かく調整して人体の骨格から筋繊維、さらに肌に至るまで徹底的に作り込んだリオネッタの力作だ。
形だけで機能はしていないけれど、体内には臓器すら再現してあるそうだ。口から肛門まで通じているし、体をあちこち触ってみれば、薄皮一枚隔てて微妙に異なる感触がして中身が存在している。どこまで作り込んでいるのか問いただしたらはぐらかされたけど、たぶん全部だ。
外側から内面まで何から何まで。その素体にポリアミド系繊維で作られた毛皮と髪の毛を着せて等身大のわたしの人形が完成だ。本物との違いは人形の方が重たいくらいしかない。
普通、ここまでするかな。
いや、しちゃっているのがリオネッタのわけで。
「それで、これはどういうこと。リオネッタ」
義体人形のまま外出するなんてことはないけれど、わたしもこの姿の時にいつも同じ服装をしているのもちょっとだけ、つまらない気分になる。
そして、見つけてしまったのだ。
古めかしいクローゼットの中から生気のない顔を覗かせる二体目のわたしの姿の義体人形を。
今の自分が生身だったら口から心臓が飛び出していてもおかしくない。
ひょっとしたら、気絶した一瞬『アニマ』が飛び出ていたかもしれない。
リオネッタが義体人形を作ることは別に珍しいことではない。そもそも、わたしの義体人形がはじめてだったわけでもなければ最後だったわけでもない。
どんなに彼女が天才的だとしても今まで何体も作った経験がなければ、いきなりこんな芸当ができるはずもない。『アヴァターラ』の研究だって一朝一夕でできるものではない。
現に、彼女の使用人の中にも既に肉体は朽ちて『アニマ』だけの存在が少なからずいる。
怒っているわけでもなければ悲しいとか失望したとかそんなことはなくて、問題はなぜもうひとつわたしの義体があったという純然たる疑問だけ。
というより、軽くトラウマになりかけたのでちょっとは怒りたい。
「リオネッタさん、どういうことですか」
感情の抑揚をなくして他人行儀で問い詰めてみると、本当にわかりやすいくらい動揺していた。
「え、あぁっ、ええと、これは、これはそのっ、それは、あの、ああ、違うんス。保存用というか、観賞用というか、とにかく違うんスよ?」
「他にもあるの、わたしの人形」
「あり、いや、違っ、いや、そうじゃなくて、あっ」
リオネッタは閃いたように自慢げに言う。
「ほら、やっぱりもっと完成度を高めないといけない職人魂がぼくにそうさせたっスよ。そうそう!」
リオネッタはどうやら安堵しているけれども。
これは、誤魔化せたと思っているのだろうか。
「うん、リオネッタの作る人形はすごい。だって作り物だって素人にはわからないもの」
「いやだなあ、褒めてもなんにも出ないっスよお」
「それで、こっちの義体は今のわたしの義体と比べると何か違うの?」
よくぞ聞いてくれましたとばかりに、口を開けばそれはもうわかりやすく饒舌に説明してくれた。
要するに、現在進行形で自爆してくれている。
「『わたし』は、楽しかったかな?」
とりあえず総括して『わたしごっこ』をしていたリオネッタに問いかけると、嬉々として「はいっス」と答えてくれた。
「あっ」
「大丈夫だよ、わたしはリオネッタを信じてるから」
「ど、動作確認っ、動作確認っス。誤解しないで欲しいっス!」
「大丈夫だよ、そういう趣味嗜好なのも理解してるから」
「い、今のは聞かなかったことにして欲しいっス!」
「大丈夫だよ、ずっと我慢してたんだもんね。でも、そういうことならわたしも付き合ったのに」
「違うってばあ、違うんスよおぉ!」
わたしは、リオネッタ・ウィルムをきっと誰よりも信頼している。それはきっと、彼女が誰よりも何よりもわたしのことを想ってくれている親友だから。そしてわたしも。
「それで、わたしが同時にふたりいた場合どっちがお姉ちゃんなの?」
「その発想はなかったっス。って、ちがーう!!」




