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ツリー・オブ・ライフ  作者: 風船 かずら
3/12

ちいさな配達人 未だ世界を知らず、死を知らず ③



1,


 わたしの外見は、おおよそ平均的な六歳児程度のまま全く成長の兆しを見せない。毛や爪が伸びたりするあたり、新陳代謝とやらはしているのだろうか。それでもわたしの見た目は、物心ついた頃からずっと変わらず幼いままだ。


 思い出せるかぎりの古い記憶に染みついているのはあまり気持ちのいい感情じゃない。できればなにも思い出したくない。ただ、どうやらわたしは不老不死なのだそうだ。それだけで嫌な予感はする。それがこれまでいったいどんな仕打ちを受けてきたのか、想像すればするほどまともな過去ではないだろう。せめてもの救いは、わたしにそんな過去の記憶がほとんど残らなかった事だ。


 数百年以上も前に。お父さんに拾われてから今のわたしがはじまった。


 わたしが慕っているお父さんは世間からはアンデッドと呼ばれ疎まれている不死の怪物だ。わたしの血を飲んでいる吸血鬼。だから、それがなんだというのか。なんであろうと、お父さんがわたしのお父さんであることは揺らがない。とはいえ、わたしが食べ応えのない幼い子供の体のまま変わらないのでお父さんにはひもじい思いをさせているかもしれない。お父さんの食事は、わたしの体調にもよるけれど二日か三日に一度だけ、それ以外はほとんど眠ることなく家事雑事から喫茶店の経営をしている。昔はあてもなくあちこちを放浪していたけど、今では社会に溶け込むため、わたしが人の世では生きるため自分のことなど二の次だ。それでも、不死という存在が社会で生きて行くのは生半可なことではない。わたしはまだ、お父さんが支払ってきた代償を知らない。


 わたしにできることは、わたしの血をお父さんに飲んでもらうことくらいだ。でも、お父さんはわたしの血を飲むことに消極的だ。本当はものすごくお腹を空かせているはずなのに。親子としての時間を一緒に過ごすほどに、お父さんはわたしの血を飲むことを躊躇うようになった。


 今日も、いつもみたいにベッドに押し倒され、わたしの首筋に牙を立てようとするお父さんはその寸前で踏み留まる。


「リリさん、やっぱり怪我が治ってからにしよう。あの人は腕のいいお医者さんだから、私がしてることに気がついてしまうかもしれない」


「でも、お父さんお腹空いてるでしょ?」


「しばらくは普通の食事で誤魔化すよ」


 あの日、何事もなければお父さんは数日ぶりの食事ができたはずだった。けれどわたしが怪我をしたばかりに、少なくとも十日間以上は絶食だ。飢餓感を我慢することには慣れているとは言うけれど、お父さんにはそんな思いをしてもらいたくない。


「大丈夫、私はそんなヤワな吸血鬼じゃないからね。無駄に長生きしていないよ、気にしないで」


「でも、わたしはお父さんに血を吸ってもらうくらいしか恩を返せないのに」


「一緒に暮らしていけるだけで幸せだよ」


 本当に血を吸うつもりはないようで、お父さんはわたしのパジャマのボタンを止め終わると少しだけ残念そうに肩を落とした。


「リリさんの今が壊れてしまったら、そっちの方が苦しいからね」


 お父さんは昔から優しかった。わたしが人の世界に興味を持ったばっかりに、本来ならば相入れない人の世界に危険を冒してやって来た。


「それじゃあ、おやすみ」


「うん、おやすみなさい」


 休養生活も折り返し、ただ寝ているだけの生活には飽きて来た。唯一の楽しみはお父さんの作ってくれるご飯だけ。お父さんは、吸血鬼だけどわたしの血ばかり飲んで飽きたりしないのかなあ。でも、わたし以外の誰かの血を飲んでいるのも、なんだろう。ちょっといやだ。



2,



 堪え性がないと、お父さんには呆れられてしまっただろうか。むしろ四日間よく耐えられたと思う。


 家の敷地から外を出ないことを条件に、歩き回ることを許された。つまり庭に出て土いじりをすることも、お店の手伝いをすることも許された。もう怪我も完治しているけれど、一応ギプスは付けたまま、抜糸もまだしてないから。


 終点街の端の端、防壁を兼ねた観測所の目と鼻の先。もしも壁が崩れてしまっても瓦礫で住民を下敷きにしないように設けられた緩衝地のちょっとした平原。お店の扉を開けば、そんな緩衝地寄りに突き出した平原の中にぽつんと建っている法律的にグレーゾーンな建築物。一応形だけの生活空間の二階もあるけれどほとんどは倉庫、酒蔵やバックヤードを含む地下室があるので内面積はごく一般的な住宅よりも広いかもしれない。地上には、そんな地下面積部分と同じくらいのそれなりの広さの庭がある。天気がいい日には、庭先で営業できる設備もあるし家庭菜園だってできる。


 元々は緩衝地を作るための区画整理の名残で残されていた資材小屋だったらしいけれど、利用目的と改築図面の提出や面倒な契約を幾つもした上でお父さんが格安で買い取ったそうだ。とはいえ、終点街では数少ない飲食店。軌道に乗った今では、このあたりではすっかり無くてはならない存在になっている。


 外への扉を開けば、左からは終点街から観測所へと続く舗装もされていない一本のあぜ道。その途中にあるお父さんのお店の名前は「ヤドリギ」という。なんで「ヤドリギ」なのかは、ちゃんと教えてはくれなかったけれど、それなりに縁起を担いでいる意味だそうだ。深い理由はないそうだ。あまり考え過ぎて名付けたりしない、そういうものらしい。わたしに名前を付けたのもお父さんだけど、リリというのもわたしが簡単に名前を覚えられるようにする為だったそうだ。まあ、極端な話、短い縦線と長い縦線を交互に書くだけでリリとは読める。思い出すのも少し恥ずかしいけれど、文字を覚えたてのわたしはなんにでも自分の名前を書きたがる無邪気な子供だった。外見は今とは変わらないけど、今のわたしの内面はそんなに純粋無垢ではない。人見知りもあって随分とすれっからしな印象を与えるようになっていた。何百年も六歳児から変わらない見た目をしていればそうもなる。わたしの場合、普通を演じればそれだけでボロが出るので、歳を取らない奇病を患っているということにしている。実際病気のようなものだし、まるっきり嘘ではない。そういう不治の病が実際にあるのだ。


 もう昔のことになるけど、別の国でわたしがまだ学校に通っていた時に、その当時戸籍上では十歳にも満たない頃に学位を取得してしまったことは大きな間違いだったと思う。天才だと持ち上げられたが。注目を集めたことは結果的に、わたしを人の世界から遠ざけた。わたしは優れているわけじゃなくてただ周りの人よりも長生きしていて、それだけ長く勉強をしていただけ。以前暮らしていた国から逃げるように、誰もわたしたちを知らない遠く離れた異国の地で生活を始めた。自宅にひきこもる長い停滞の生活を経て、この終点街で重い腰を上げて配達員見習いをすることになったのはつい最近のこと。人の世界ではわたしはほんの少しだけ知識がある程度の陰気な子供だでいい。庭にある小さな菜園で香草や香辛料、ちょっとした錬金術の素材にもなる植物を育てているくらいが、わたしの身の丈には合っているのかもしれない。


 花壇に向けて、普通の水よりすこしだけ薬効のある水を入れたジョウロを傾けて、適量撒くのを花壇の数だけ繰り返す。片手ではちょっとやりにくい。わたしの体は良くも悪くも六歳児程度から成長しない。それはつまり、筋力も体力もそこで頭打ちということだ。けれど、代わりに重心の運びや体捌きなどの技術的な面は練習すればそれだけ熟達する。花壇と家の周りの生垣に水を与えたあとは、小さな菜園の植物に添え木をしたり、本来ならこんな遠く異国の地では発芽することのない植物を同一の環境に適応するように色々と試行錯誤している。育てているのは主に香辛料などだ。お父さんが言うには、環境に左右されることの多い一部の香辛料はどうしても割高になってしまうらしく。それをどうにかしようとした結果、意外となんとかなってしまったのがこの菜園だ。とはいえ、たかだか産出量が家庭菜園レベルなので、飲食店の経営を全て賄えるはずもない。だけどお父さんはわたしが作った香辛料を配合してくれた。それを「ヤドリギ」独自の味として使い続けてくれている。以来、わたしが「ヤドリギ」の隠し味を作る担当になっている。それが誇らしくて、嬉しくて、いつの間にか土いじりはわたしの日課になっていた。


 それと、お店の庭園の世話をしているのがわたしだと知れると、ガーデニングが趣味のお客さんも来るようになった。だいたいが初老の方だったけど、見た目の歳が同じくらいの子や、第一印象で損をしていそうなすこし怖いお兄さんもいた。自宅の敷地内ではちょっとした錬金術くずれの技術を使っていたけれど、とはいえ、庭の土の様子や育て方に対するアドバイスくらいしか出来なかった。けれど、大抵は水のやり過ぎだったり、相性の悪い植物と一緒にそのまま育てていたり、肥料の扱いを間違えていることが多かった。


 こんなわたしにもできることがあるのだと、みんなとの交流を経て、ずっと引きこもりのような生活を続けていたけれど、わたしはようやくその殻を破れるだけの勇気を貰って前に歩き出せた。まだまだ、おぼつかない足取りだけど。


 日課とはいえ、利き手を使えない状況ではかなり疲れた。テラスの端にあるベンチでぐったりとしていると、お父さんが冷えたレモネードを持って来てくれた。


「ありがとう」


「ほら、いくら慣れてても片手じゃ時間もかかるし疲れるだろう?」


「腕がちぎれそう。服も汚れたし、もうクタクタ」


「それじゃあ、今日はよく眠れそうだね」


 なんだかすべてお父さんの掌の上で転がされていたみたいで釈然としない。やっぱりわたしの扱いを一番心得ているんだと思う。


 気がつけばいつの間にか辺りは夕暮れ。それに気がつかないほどに土いじりに夢中になっていたんだと思うと、わたしは錬金術に関係することがまだ好きなんだなって。


 錬金術師は薬師と混同されがちではあるけれど、その本質は化学者なのである。確かに薬を作ることもできるけれど、実用されるその用途の多くは危険で破壊的なものだ。錬金術という学問は、物質の成り立ちを理解することからはじまる。たとえば目の前にありふれた石があるとして、それを分解・研究・理解して、この世界の真なる理を開拓していくことが目的のひとつ。錬金術の副産物のなかで代表的なものといえば、やはり火薬の類だろうか。わたしのやっていることはどちらかと言えば薬師に近かった。いつまでもこんな幼い姿のままでいることが嫌だった。馬鹿みたいだけど、大人になれる薬を本気で作ろうとしていた。


「お父さん」


「なんだい?」


「いつもありがとう」


 隣に座っているお父さんの頬に唇を軽く押し当てて、どうしようもないくらい恥ずかしくなった。項垂れるわたしの頭を撫で、強く抱きしめると耳元で「おませさんだね」と、笑うように囁いた。



3,



 休養五日目。


 お昼過ぎにドクターがお店に来たから「ヤドリギ」を休憩中にして、診療してもらった。「もう大丈夫だね」とギプスを外して微かに見える縫合痕から抜糸をしたらどこを怪我したのか全くわからなくなっていた。わたしは確かに不老ではあるけれど、あまり不死という自覚はない。怪我をしても、治るのは人並みか少し早いくらいだと思う。以前、お父さんから料理を習った時に、指が絆創膏だらけになって見ている方が心臓に悪いからと、以来包丁を握らせてもらえない。その時の怪我は数時間後には治っていたけれど、あれはたいしたことのない怪我だったのだろう。少なくとも「わたし」はまだ命に関わる大きな怪我をした経験すらないのでよくわからない。


 だから、怪我をした腕を何度も確認するけどわからない。この傷の治りは早かったのかどうか。ドクターの顔色を窺っても、訝しがる様子もないから特に異常性はないのかな。


「ドクター、わたし治ってますか?」


 コーヒーを飲みながらだったドクターは、わたしの発言を聞いて酷く咽せていた。


「げほっ、げほっ、リリくん、それは、ど、どういうこと?!」


「痛みはないです、ぜんぜん。傷もないし、痒くも腫れっぽくもないんですけど、まだ明後日まで休まないといけませんか?」


「ごほんっ、ええと、つまり治ったなら早く復帰したいと?」


「だめなんですか?」


「ダメ。一応、そういう規則だから」


「でも、もう怪我してないです。もう怪我人ではないのに仕事を休むのは労働災害の不正な受給なのではないでしょうか」


「リリくん、難しいこと知ってるねえ」


 お父さんはコップ一杯の水を持って来て、ドクターが咽せ始めた時からずっとの背中をさすりながら介抱していた。


「大丈夫ですか?」


「いえいえ、大丈夫です、おかげさまで」


「代わりのコーヒーをご用意させていただきますね」


 お父さんは手慣れた様子でテーブル周りの拭き掃除を終えると、すぐにコーヒーをもう一杯用意してドクターに深々とお辞儀をして去って行った。わたしの仕事に関係することにはあまり口出しするつもりはないけど、それでもカウンター席を挟んだ向こう側からわたしを観察する様子は、なんとなく落ち着きがないように感じる。


「別に、見習いのわたし一人がいてもいなくても仕事が回るのはわかってます。むしろ円滑に進むでしょう。わたしは、自分のことを評価してません。はっきりと言えば、ひとつの労働力にも値しない、それどころかわたしにもできる仕事を見繕う分余計な手間がかからないならいない方がいいのかもしれません」


 ドクターはわたしの話をちゃんと聞き終わるまでは口出しをしないみたいで、聞く姿勢を崩さない。


「心配も、迷惑をかけてばかりだけど。わたしはあの職場のみんなが好きなんです。だから、一日だって無駄に出来ないんです。早く一人前になりたい、わたしがみんなに助けてもらったみたいに、わたしも誰かを助けることができるようなひとになりたい。だなんて、人見知りのわたしは面と向かっては言えませんけど」


 配達の仕事は、憧れだった。諦念と自己嫌悪で引きこもっていたわたしに広い世界を見せてくれたのは、彼らだった。人の世界で暮らすようになり、文字を覚えた時から活字中毒だったわたしに辞典や図鑑や物語を運んでくれたのは配達員の彼らだった。毎日郵便受けの後ろに隠れて、荷物が届くのを待っていた頃から、彼らはいつも知らない世界を運んでくれた。「ヤドリギ」に立ち寄った彼らは、わたしが知らない世界を語り聞かせてくれた。蓋を開ければ実際には、そんなに夢のある職業ではないかもしれない。街の中の配達員の役割はチラシの投函や手紙の配達、配送センターから地区ごとに仕分けされた荷物の受け渡し口、だいたいそんな感じだけど。世界に荷物を運ぶ旅人たちの冒険譚には胸が踊ったけど。わたしはそうなりたいわけじゃない。それはわたしにはとても難しいことだ。不可能だろう。普通の配達員でもなんの問題はない。昔のわたしみたいに郵便受けの後ろで待っている誰かに喜んでもらえるなら本望だ。


「わたしは、もっとたくさんの努力しないといけないとおもうのです」


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