【一章】追悼と邂逅 Ⅷ
今日は追悼式があったからなのか、客足は疎だ。
いつも見かける常連客や、そもそも追悼式に興味がなさそうな若い客ばかりだ。
昼下がりの書き入れ時なのに席は半分も埋まっていない。
傭兵団のみんなも、リリとユークリッドの爺さんを除いて全員が出払っている。この時期は、会場警備や街の見回りで忙しいそうだ。特に、国内外から人が集まる時期なのでなにかとトラブルが絶えないみたいで、傭兵団の雇い主である十二人会から直接任務を受けているらしい。
リリが参加しない理由は、言わずもがな。この時期に歩き回るのは「トラブルの元」だからと団長から謹慎処分を言い渡されている。だからといって、追悼式に出るなとは言われていないけど「自分の身は自分で守れ」ってことなのか、外出するにあたっては武具を装備するように言いつけられていたそうだ。
団長は、なんだなんでリリのことを気にかけてくれているんだと思う。
「あっ、エリシャ様」
白猫のクレア。
つい先程まで一緒にヤドリギまで帰って来たのだが、どうやらついでに孤児院の子供たちに店長の焼き菓子をおみやげに買うのを待っていたみたいだ。それで、なんだかご大層な呼ばれ方をしているんだけど、クレアはヤドリギでは見かけたことはないし、式が終わってから来たからおれがシーナ様の娘ってことを知らないはずなんだけど。まあ、噂ってのはすぐに広まるものだから仕方がないか。
「エリシャ様って……」
「エリシャ様はシーナ様の娘さんなんですよね、先ほどは私たちを気遣っていただきありがとうございます」
『嘘にならない程度で適当に話を合わせておけ』
ユークリッドの爺さんは、満足した様子で膨れた腹をさすりながらカウンターテーブルの段差のところを背もたれに寄りかかっていた。食べすぎたのか苦しそうだ。
「いや、おれも具合悪かったから早めに帰ろうかなって思っていたからさ。それより、そのエリシャ様ってのやめてくれると助かるんだけど、敬語とかもさ、そんな風に呼ばれ慣れてないというか、もっと気軽に名前で呼んでほしいかな。偉いのはおれじゃなくてシーナ様だし」
「じゃあ、エリシャくん。改めてありがとう、頭に血がのぼることなんて滅多にないんだけどね、リリ先生のことになるとつい……。とりあえず今まで先生に手を出した下衆野郎はみんなぶん殴って来たので安心してくださいね!」
お淑やかに見えてかなり凶暴なことを言ってるみたいなんだけど、リリが目を覆っている。話では孤児院の院長で医者とのことだけど、リリの反応を見る限りだと虚勢の類などではなく、本当に今まで何人もぶん殴って来たのだろう。
「そんなことしてたら、クレアさんや孤児院の子たちが危ないって、わたしいつも言ってますよね。いいんです、わたしが殴られてれば収まるんですから」
「それは、リリ先生が『不老不死の化け物』だからですか?死ななければ何をされても構わないんですか?先生は間違っています、誰が先生をなんと言おうとも、先生は生きているから、体が傷付けばを、心だって傷付きます、痛みを感じることがつらくないわけないじゃないですか」
「それでも、やりきれない感情の捌け口は必要なんだよ。わたしが彼らの共通の敵になれば、少なくとも他の人が被害に遭う可能性は減るよ」
「……だいたいよく考えてみてください、もう二十五年も経ってるんです。当時赤ちゃんだった子も、いい大人ですよ?それが一人の女の子を寄ってたかっていじめて恥ずかしくないんですか?って私は思いますけど」
「クレアさんは、わたしが憎くないんですか?クロード先輩もみんなわたしが殺したようなものなんですよ、わたしがいなければ」
テーブルを叩くように立ち上がったクレアに、思わず身構えてしまう。おれや他の客はびっくりした様子だったが、リリや従業員のみんなは慣れている様子で眉をぴくりとも動かすこともなかった。
「リリ先生、いい加減にしないと怒りますよ?まるで、あなた一人だけの責任みたいに言ってますけど、先生も被害者の一人なんですからね?それを忘れないでください、如何なる理由があっても暴力に正当性なんてありません!」
「クレアさんも正当性のない暴力を振るってますけど」
「ええ、正当性ない暴力には正当性のない暴力でお返ししますよ。目には目を、歯には歯を、ですので」
「わたしの為に怒ってくれるのはありがたいですけど、煽動されているだけの彼らに非を問うのは難しいと思います」
リリは困ったように笑いながら、おれとリオが席に着いたのを見て少し熱の冷めたアップルタルトを出してくれた。
クレアは、気にも留めないリリを見て口惜しそうに歯を食いしばりながら大人しく座った。
「……それでも、大好きなリリ先生が傷付けられるのは。もう、見たくありません。ずっと、先生がいいならそれでいいって思ってましたけど。後悔が収まりません。私にも、何かできたんじゃないかって考えるたびに、何もできなかった自分に心底腹が立ちます」
「だからって、クレアさんが危険を冒す必要は無いと思いますよ。危ないですし、あなたの手は人を治す為にあるんですから」
「兄さんなら、リリ先生が傷付けられていたらこうしたんだろうなって思ってたら、つい……」
この時期に、気持ちが不安定になるのはリリに限った話では無いのだと思った。戦争を経験した終点街の生き残りはみんな、心に深い傷を遺している。たしか、そんなことをシーナ様が追悼式の時に式辞を言っていた。
「確かに、クロード先輩だったら真っ先に手が出てしまうと思います。でも、せっかく病気が完治したんですから、クレアさんはクレアがしたいことをするべきかと」
「私は、孤児院の子供たちと過ごしたり、リリ先生と一緒にこうしてお茶ができるだけで十分幸せなんですよ。視野が狭いとか思われてしまいそうですが、それだけでいいんです」
「たまには、孤児院の子達を連れてヤドリギに来てみては如何でしょうか。定休日であれば、他のお客さんの目を気にすることもありませんし、わたしもクレアさんとは、たくさんお話する必要があると思います。なんだか、こうして追悼式の日だけ顔を合わせるのは、お互いに疎遠になったみたいでちょっとだけ気まずいですね」
「わかりました。お言葉に甘えさせてもらいます」
リリとクレアは、なんだかまだ何か言いたそうな表情をしていたけれど、追悼式の日までわざわざ口喧嘩をすることもないだろうと、話題を無理矢理変えたようにも感じる。
厨房からは焼き菓子のいい香りが漂ってきて、ぎっしりとふたつの紙袋に詰められたものを店長が持って来た。
「店長さん、こんなにいただけません」
「いえ、食べ盛りの子供たちがいるんですから、これでもまだ少ないほうです。定休日は日曜なので、その時また会えるのを楽しみにしていますから」
店長はそれだけ言うと、厨房のほうに消えていってしまった。ついでに、おれたちの前にも焼きたてのマドレーヌを置いていった。甘いものに吸い寄せられるように、ユークリッドの爺さんが寄って来たけど、それ以上食ったら腹が裂けるかもしれないぞ。でも、爺さんはリリや店長が作るお菓子には特に目がないようなので、半分だけ渡した。これがまた幸せそうに食べるものだから、こういうところは素直なかわいい妖精なんだけどな。余計なひとことだったみたいで、焼き菓子を食べる爺さんからは白い目で見られた。ごめんって。
「……店長さんは、姿こそ女性に変わってしまいましたが、内面は昔から変わりませんね」
「お父さんは二十五年前に死んだことになっているので、戸籍の上では全くの別人になってしまったんですけど、そうですね、後にも先にもわたしの父親であることは変わりません。今の姿のほうが親子らしいと言われれば、少し複雑な気持ちになりますけど」
「記憶転移の一種ですよね。本来なら臓器の移植などの際に提供者の記憶が受給者に移るとされている現象ですが、稀に見られる疾患のひとつで、提供者と瓜二つの遺伝的特徴に更新されてしまう場合がある……とは聞いていますが、このような実例を見るのは、店長さんがはじめてです」
リオといい、クレアといい、その道の専門家は独り言が多い気がする。というか、話を聞いた限りだとリリが店長に似ているんじゃなくて、店長がリリに似たってことになるんだけど。あと、まるで店長が前は女性じゃなかったみたいな言い草だ。思い出すのはリリの記憶の中で見た未だ正体が明らかになっていない黒い獣人の青年だ。メリクルにマスターと呼ばれていたから、過去のヤドリギの店主……つまり、あの青年は店長の過去の姿ってことになるのかもしれない。店長が男性だったからリリはお父さんと呼び続けているのだとしたら辻褄が合う。だからと言って、今更何かが変わるわけじゃないけど、もしもそうだとしたら店長がおれにしてくれるさりげない思いやりや配慮には、経験則から来るものがあるのかもしれない。
でも、リリは料理長のことをお母さんとは呼ばないけど、リリにとってのお母さんは誰なんだろうか。
デリケートな問題なんだろうなって思うと、無神経に聞くこともできなかった。追悼式が終わってしばらく経つまで、リリの過去の話を聞くことも憚られる。ただでさえ、ついさっきまでリリの中にいた時、衆人環視の中にいると気持ち悪さと幻肢痛のような錯覚で、恐怖心から体の自由が利かなかった。あんな環境下でもまるで動揺を見せなかったリリはやっぱり強いんだと思う。それとも、シャナが言っていたみたいにとっくに心が壊れてしまっていて、何も感じなくなっているのか。
「さて、リリ先生とはもっとお話ししたかったですけど、せっかくの出来たてお菓子ですから、また今度お話しできるのを楽しみにしてます!リオちゃんもエリシャくんもまたね!」
「あっ、クレアさん、おつり忘れてますおつり……。行っちゃった……」
なんだか嵐みたいな人だったな、クレアって人は。
ようやく、一息つけたとカウンターテーブルに突っ伏していた。能力の暴走と、また一つ明らかになった秘密を前に特に何かをしたわけでもないのに疲労が押し寄せてきた。
「あの子はちょっと融通が利かないトコあるっスからね。でも元気みたいで何よりっス」
「ねえ、リオ。クレアさんの義肢って確かリオの特注品だったよね?」
「そ、そうっスけど、それが、何か……?」
「制御装置とか付けてないでしょ、市場に出回ってるアニマギアには他人に過度な暴力を振るったり出来ない機構が組み込まれてるはずなんだよね?」
「そりぁあ、孤児院の院長先生っスからね。自分の身は自分で守る必要があるし、子供たちのことを守る必要があるから自衛手段を兼ね備えておくべきかと」
リリは笑顔のままリオに詰め寄る。
どう見ても怒っているみたいなんだけど、ユークリッドの爺さんが気まずそうに目を逸らした。珍しい反応だ。
「ちょっとユークリッド様に調べてもらったんだけど、孤児院とヤドリギを線で結んでそれぞれ生活圏内の中で起きた前科者や荒くれ者ばかりを狙った傷害事件を調べてみるとね不思議なことに、ほとんどは二つの円の内側で起きてるんだよね。単刀直入に聞くけど、クレアさんのこと利用してない?」
「……偶然っスよ、そもそも傭兵団の見回り圏内なんスから、そういった不審者が検挙されるのは珍しくないと思うっス」
「まあ、ヤドリギの周りはそうだとしても、孤児院の周りでそう言った傷害事件が起きてるのはなんでなんだろうね?あと、どちらも誰がやったか未だにわからないそうだし、どれも巡回していた憲兵が見つけたって話なんだってさ?随分と組織的な行動だなって思うんだけど?」
「リリさんは、何を言いたいんスか?」
「いや、わたしの勘違いだったらいいんだけど、リオは内緒で自警団みたいなものを組織してるんじゃないかなって」
「いやいや、ぼくにそんなカリスマ性があるわけないじゃないっスか。やだなぁ。ぼくはちょっと研究室にこもるので、この話はまた後日ということで」
明らかに嘘をついているリオは、リリから逃げるようにそそくさと地下への階段を下って行った。たぶん、リリの思った通りのことをリオはしているんだろう。
「……もう、リオったら」
でも、リリの身に起きたとされる仕打ちを心配したら、友好的な人々は絶対に快くは思わないだろう。リリを守ろうとするのは、当然の反応だと思う。
ただ、リリが心配しているのは、この対立の果てに起こるのは、人同士の争いだということなんだと思う。街の中の勢力が大きく二つに分かれてしまうことは、リリに不利な情報を吹聴した奴の思い通りになる。安全圏である街の中が一転して戦場になることを、リリは危惧しているんだと思う。
とはいえ、リリがただ暴力で鬱憤を晴らすための道具にされている現状はどうにかするべきだ。具体的にどうすればいいのかなんて、リオでさえわからないのにおれにわかるはずもない。これは、差別とかそういう話になる。そんな簡単に解決ができる問題じゃない。だけど、おれも、ただリリが傷付けられるだけの社会も間違っていると断言できる。だから、なんだって思われてお終いかもしれないけど、リリが屈託なく笑っていられる世界であってほしい。
だけど、現実はどう転んでもリリを排除しようとする人々とリリを守ろうとする人々と二分化されつつある。誰が噂を流したのかは定かではないけれど、そこには明確な悪意がある。それは、この国を内側から蝕む毒だ。
「なあ、リリ」
「どうしたの、エリシャ?」
「おれ、なんの力もないけど、リリの味方だからさ。その、あまり上手い言葉も思い浮かばないし、今からおれが言うことは気に食わないかもしれないんだけどさ。あのさ、いざとなったらみんなで逃げたっていいんじゃないかなって思うんだ。この街にリリの大切な人や思い出があるのはわかってるつもりだけど、リリ自身が苦しい思いをするんだったら」
リリは、悲しそうな顔をして微笑んだ。胸の奥が疼くような、針が刺さったみたいな違和感に、自分の失言を後悔した。
「ごめん、そんなつもりじゃなくて」
「ううん、言いたいことはわかるよ。どちらにしても、こんな子供の姿でもそろそろ四十年生きることになる。いつかは、定住することをやめてまた放浪の旅に出ることになると思う。それが、わたしたちの本来の生き方だから。まるで夢みたいな生活だったなぁ……」
おれが言うまでもなく、リリは今の生活を手放す選択肢を既に持っていた。とうに終わりを見据えていた。
「でも、わたしが始まったこの街を終わらせたくはないから、お別れしなくちゃいけないことはわかってるけど、せめてわたしのせいでこの街に呼び寄せてしまった敵を排除しないとね。この街は、これから先も続いていって欲しいから」
それからしばらくして、客がやって来た。
いつものリリの元気な「いらっしゃいませ」の声は、途中から潰えて、激しい動揺の色が見える。嫌な客でも来たんだろうかと振り返れば、執事を従えた赤と黒のゴスロリ衣装で着飾った獣人がいた。執事の黒猫と、小柄な栗鼠の少女だ。
黒猫はあまり珍しいものではないけれど、栗鼠という獣人は記憶の中で見たメリクル以外でははじめて見るかもしれない。もしかして、リリはこの少女にメリクルの面影を重ねてしまったのだろうか。
「あら、素敵なお店。全体がアンティーク調に統一されていて、落ち着きのある店内ですわね。あなたが、ここの店主なのかしら、おチビちゃん?」
「……えっ、あのっ、わたしは一応副店長を名乗らせていただいてます。まだまだ未熟者ですけどね」
リリは、驚いた顔をしていたが、すぐに接客モードに入って物腰の柔らかい表情を浮かべていた。まあ、種族が同じだけで他人のそら似とかはよくありそうなものだし、知ってる限り、この栗鼠の少女はメリクルとは程遠い外見だ。毛色も違えば瞳の色も違う。
「とりあえず、席に着いてもよろしくて?」
「ええ、どうぞ。ご注文が決まり次第仰ってください」
席をひとつ空けて、おれの隣にふたりが席に着くと少女は黄金色に輝く満月のようない瞳でリリを見つめていたが、執事は退屈そうに店内を眺めていた。
「……そうね、わたくしはあなたが欲しいわ。かわいい副店長さん」
「ふふっ、ごめんなさい。わたしは売り物ではないんです。洋食でしたらひと通り作れますが、いかがですか?」
少女は揶揄うようにリリの名を呼ぶと、悪戯な笑みを浮かべていた。リリは少し困惑しながらも、こういう冗談には慣れているみたいで軽くいなしてる。
少女は、パラパラとメニューを眺めてため息を溢すと、再びリリに目を向ける。
「オムライス、ないのね。ヤドリギのオムライスは絶品だったと記憶していたのですが、残念です」
リリは、オムライスと聞いて少し顔色が優れないけど、厨房のほうにいる店長に目配せをすると、どうやら返事をもらえたみたいだ。リリは、少し憂鬱そうで無理に明るく振る舞っているものの内心穏やかではないのかもしれない。だからと言って、客の注文も無碍にはできないのだろう。
「オムライスは普段は出さないのですが、店長の昔馴染みのようですし特別です」
「ええ、お願いするわ。わたくしの執事には、そうね、彼は味覚が乏しいのでなるべく刺激的なモノをお願いします」
リリは、この客を知らないみたいだけど、少女は昔のヤドリギを知っているような口振りだ。やはり、終点街の陥落後に諸外国に散った人々が追悼式の前後に一時的に帰ってくるという話なのだろうか。昔のヤドリギを知っているとなると、このふたりもそれなりに歳を重ねているのだろう。もしくは、不老不死の存在であったりしてもおかしくはない。リリも昔は、郵便配達員として働いていたらしく、一日中ヤドリギで働いていたわけでないだろうし、全ての客の顔を覚えていなくても不思議ではないと思う。
「では、オムライスとカレーライスでよろしいでしょうか?」
リリが注文の確認をすると、少女は不敵に笑う。
「ええ、マスターのごろごろチキンのオムライスをいただけるかしら。まったく、あなたも酷いわね、リリ、たかだか毛の色や瞳の色が変わったくらいでわたくしたちを忘れてしまうだなんて、本当に哀しい……」
少女が不満そうにリリを一瞥すると、少女の言葉にリリの大きな耳がぴくりと反応した。
「……メリクル、主任?」
「ええ、先代のメリクリウスで、今はただのしがない吸血鬼のフィア。そして、こっちは妖精のグノーシスの依代になったクロードよ。もう忘れちゃったかしら、先輩先輩って慕っていたクロードのなれの果て、まあ、その頃の自我なんてもう残ってないでしょうけど」
リリは、茫然自失と言った様子で立ち尽くしていた。
死んだはずの人が目の前でこうして語り始めているだなんて、リリからしてみれば、復讐の動機を奪われたに等しい。ただ、ユークリッドの爺さんも、この会話を聞いているであろう他のみんなも、不気味なくらい鎮まり返っている。他の客は時間が止まってしまったかのように固まり、意識があるのかさえ怪しい。たぶん、精神的に支配されているんだと思う。おれは、爺さんに守られているからその被害を受けることはないみたいだけど、ヤドリギのみんなは違和感を感じながらも普通に作業しているようだ。
ユークリッドの爺さんが言うには、グノーシスという妖精による精神支配は悪影響のあるものではなく。会話を他の人に聞かれないようにするだけのものらしい。爺さんはグノーシスのことを相変わらず悪辣な妖精だと顔見知りであるみたいな言い方をしている。実際顔見知りなんだろうけど。
「わたくしも、はじめは血を吸われるだけの家畜だったけれど、不運にも吸血鬼になってしまった。でも、どうにか立ち回ってそれなりの地位を手に入れた。こうしてなんのしがらみもなくリリに会えるようになるまで二十五年、本当に長かった」
「主任、なんで……」
「リリ、あなたが不死狩りということは知っているし、わたくしにはその活動を咎めるつもりも、邪魔するつもりもないの。むしろ、その逆、不老不死になった今だからこそわたくしにもわかる。この世界は、わたくしたち不老不死に優しくない。だったらいっそ、杜撰な世界の支配構造をひっくり返して、誰もが生きやすい世界を作るべきだとは思わない?」
恍惚とした表情でメリクルはリリを見つめていた。
「まず、手始めにわたくしたちから終点街を奪った吸血鬼たちを一緒に根絶やしましょう?」
メリクルは、自分の手を取るようにリリに差し出した。
リリは、少し考えた後に吸い込まれるようにその手を取ろうとしたが、踏みとどまった。
「……ごめんなさい主任、まだはっきりと決められません」
「……別に今すぐ答えが欲しいわけじゃないわ。ただ、あなたがこの街でリリ・クルースニクとして生きていける時間は有限よ。急かすわけではないけれど、忘れないで」
それから、運ばれてきた料理を美味しそうに食べたメリクルは満足そうに帰っていった。
その一方でリリは、抜け殻にでもなってしまったかのようになんの反応も示さなくなってしまった。
おれは、リリを抱えて部屋のベッドに寝かせることになった。他の家族ではなくおれが適任だとされたのは、たぶんおれがメリクルのことや終点街のことを何も知らないから、相談されることもないだろうと踏んだらしい。きっと、それは正しいことなんだと思う。みんな、長い時間を過ごしてきてリリと同じような経験をしてきた家族としてその答えを否定するようなことはできない。もしも肯定してしまったら、リリがこれから先どんな苦境に立たされるかわかっていた。
心身ともにぼろぼろのリリを突き動かしていたメリクルを想う気持ちから来る復讐心や仇討ちも、吸血鬼として復活したメリクルを前に呆気なく瓦解してしまった。
そして、メリクルからの提案する不老不死にも生きやすい世界。それがどんな世界なのかはわからないけど、リリには魅力的に映ったのかもしれない。
リリも、今日は疲れたのかもしれない。次第に、寝息を立てて眠りについてしまった。少し、安堵したような表情をしているのは、やはりメリクルが生きていたことなんだろうか。
どちらにしても、このままでは、本当にリリはここではないどこかに行ってしまいそうだった。不老不死を殺す兵器として扱われるのであれば、リリがリリでなくなってしまうのは想像に難くない。
(つづく)




