【一章】追悼と邂逅 Ⅰ
「のう、エリシャよ……本当にそんなものでいいのか、少し街に出れば本格的なものがあるのに、良いのか?」
「シーナ様にはわかんないんだって、この食べ物の良さが!」
「まあ、確かにそれはわからんが、お主が満足してるなら良いのだが……」
ヤドリギの地下にある修練場は緊急時のシェルターにもなり、地下道は街の各所に繋がっている。
朝起きて修練場で、日課になりつつある基礎的なトレーニングをしていると、店長とシーナ様が珍しく悩んでいる様子だった。何事かと話を聞きに行ったら、どうやら備蓄食の保管期限が近づいているとのことだった。
おれにはあまり関係なさそうだなって思っていたけれど、廃棄予定の保存食の中にどこか見覚えのあるシルエットを発見して、雷に打たれた様な衝撃が走った。
一瞬、自分の目を疑ったが、それは確かに存在した。容器には、備蓄用乾燥ヌードルと書いてあったが、どう見てもカップ麺だ。
そして、食べてみて確信した。
これは間違いなくこれはカップ麺だ。
「どうしたんスか、またシーナ様が何かやらかしたんスか?」
「……わしをなんだと思っとるんじゃ」
リオがすんすんと鼻を鳴らして、においに釣られてやってくると、おれがカップ麺を食べているのを見て、同じようなリアクションをしていた。
「こ、これはカップ麺っ!」
というか、なんでリオがカップ麺を知ってるんだよ。
いや、思い返してみれば、人間の文化や文明をよく知っていたりする。確か、ミネルヴァのばあちゃんも、人類考古学とかいう旧人類のこと、つまり人間の文化に精通していたりするけど、結構マイナーな分野らしいから、知っている人には知っていたりする分野なのだろうか。
ヤドリギの洋食料理もそうだし。
「いやぁ、懐かしいっスねえ。以前はよく食べてたんスけどね、何故か夜中とか無性に食べたくなってしまって、リリさんには「わたしの料理は美味しくないんだね」って、あの時ほど命の危機を感じたことは未だにないっス……」
それはそれで気になるけど、どうやら違うっぽい。
「お湯があれば温かいヌードルが食べられる、けどそんなに美味しいのかいエリシャさん。私は、前に一度食べたことがあるけど塩辛くてそんなに良いものだとは思えなかったよ。でも緊急時の食料としては優秀だと思う。普段何気なく摂っている塩分だけど、不足するとなると命に関わるからね」
「……難しいことはあんまりわからないけど、普段から美味いメシ食ってると、なんかたまにはこういうのが食いたくなるんだよね。それほど美味いってわけではないけど、体に悪そうなものを」
「えっ、なんで?」
店長が意味がわからないって感じで、本気で困惑している表情をしている。
「いやー、ほら、普段から食べてるおいしくものを当たり前だと思ってると有り難みが薄れてくるっスから。肥えた舌をリセットするようなカンジっスね」
「……いや、備蓄食をなんで普段食べるんだい。それじゃあ、いざという時に何を食べれば?」
店長は首を傾げている。
いや、そうだけど、そうなんだけど、店長の言ってることはごもっともなんだけど、そうじゃなくて、なんか悪いことしてる背徳感のある食事がたまらないというか。
ちょっとちがうけど、とにかく特においしさを求めているわけではないそういうものなんだ。
って説明してもわかってくれなさそう。
「……ええと、つまり、たまには美味しくないものが食べたいってことなのかな、私、ちょっと頑張ってみるよ」
「いやいやいや、美味しいもの!美味しいものが良いっス!!」
「店長、そんな方向に頑張らないで!?」
店長って、ちょっとだけ天然というか。そういうところあるんだよな。冗談が通じないというか、真面目すぎるみたいな。
「いや、しかし、これだけの量を捨てると言うのも勿体無い話じゃな。かと言って美味いものが食えるのにわざわざあまり美味くもないものを食べるのもな、結局は家畜の飼料とするのが丸く収まるんじゃろうか、飽食の時代とはよく言ったものじゃな」
およそ百人分の飲食物が一週間分。規模はそれぞれ違うかもしれないけど、こういうシェルターが何ヶ所もあるとするなら、どれだけの備蓄が廃棄されることになるんだろうか。
「それじゃあ、リオも来てくれたことだしみんなでコレ、運び出しちゃおうか」
「エリシャはともかく、ぼくなんて力仕事はできないと思うんスけど」
「軽いものでいいから、人手が増えたらそれだけ楽になるんだお願い」
「まあ、お父さんがそう言うならやるっスけど、ぼくって自分で言うのもなんだけどかなり虚弱体質なんスよ」
リオは文句を言う割には、率先して手伝っている。
あれ、確か料理長って店長のことを「自分の娘にも敬語を使うようなやつ」って言っていたのに、なんでリオにはさん付けしないんだろうか。
まあ、なんだかリオはリリとは違って親しみやすいっていうか、あまり壁を感じないけど。
漠然とした疑問が浮かんでくる。
気にしすぎかもしれないけど、それでもリオだけ呼び捨てというのも妙な感じだ。
親子仲が悪いようには見えないし、むしろ仲は良さそうだけど。どうしてなんだろう。こういうことすぐ聞いちゃうのがおれの悪い癖なんだと思うけど、そう思った時にはもう口が動いている。
「あのさ、店長」
「どうしたのエリシャさん?」
ほら、おれにだって「さん」を付けるのに、リオだけ呼び捨てなのは変じゃないか。
ここで「なんでもない」とか言って適当にはぐらかせば済む話なんだけど、好奇心には勝てないというか、やっぱりおれって無神経なんだなってつくづく思い知らされる。
「店長、なんでリオにだけ呼び捨てなんだ?」
「ん?親子なんだからさん付けはやめてほしいんだってさ?」
「……え、それだけなのか。だったらリリとか他のみんなは?」
「そう言われてないからね?」
店長って料理をするにしてもお客さん一人一人の食物アレルギーを完全に把握していたり味付けを好みによって変えたりしているし、個人を個人として覚えているのはものすごいことだとは思うんだけど、どんな記憶力しているんだろう。
知る限りでは、まずリリとリオを呼び間違えることは絶対にない。おれは声をかけられたり、からかわれるまで絶対にわからない。でも、少なくともリリはおれをからかったりしないので、今のところ無意識にリオの頭に拳骨を落とすことに関しては間違えたことはない。いや、なんの張り合いだよ。
これだと、おれが店長の娘にただ暴力振るってるだけだぞ。
よく怒られてないよなおれ。
「……もしかして、エリシャさんもさん付けは嫌かい。そうだったら、今までごめんなさい。私、あまり気が回らなくて」
「えっ、いや、そうじゃなくて、おれ、なんでなんだろうなって思っただけで、別に嫌でもなんでもなくて、ご、ごご、ごめん!」
店長が落ち込んだ様子で謝ってくるんだけど、そんな表情がリリとそっくりで、いや親子なんだから似ているのは当たり前なのかもしれないんだけど、悲しそうに耳を垂らしていたり、今にも泣き出しそうなのを我慢している感じ、笑って誤魔化そうとしているけどぎこちなくて、困っているような笑顔を見ると罪悪感に耐えきれなくなってしまう。
「エリシャよ、そうミスルトゥを悲しませるでない。まるでリリを泣かしているみたいではないか、わしまで心苦しくなってくる」
「いやいや、全然そんなつもりじゃなくて!さん付けで!むしろ、さん付けが嬉しいかな!?」
ってか、どんな謝り方してんだよ、おれは。
「あ、店長の名前ってミスルトゥって言うんだな、可愛い名前だな!?」
真っ赤になった顔を手で覆い隠すようにして、店長はその場にへたり込んでしまった。
え、これっておれが悪いの?
おれのせいか?
えっ、どうしよう?
「ば、馬鹿者、泣かすヤツがおるかぁ!!」
「いやいやいや、どうすればよかったんだってシーナ様!」
「と、とと、とにかく落ち着け!こやつを泣かせたと知れればリリもココノもカミラも黙ってはおらぬぞ!」
「えっ、ええっ?!てかカミラって誰?!!」
「ええい、細かいことはいい!とにかく涙を拭」
掴み合うように向き合っていたおれとシーナ様の間に、音もなく何かが飛んできて、床に何かが突き刺さった音がした。
息を呑むと、シーナ様の頬に赤い線がスッと走り、体温が奪われるほど冷たい気配から逃れるように、何かが突き刺さった方向に互いに目線を逸らすと、包丁が振動しながら突き刺さっていた。
見覚えがある。あれは料理長の包丁だ。
「竜田揚げは好きか?」
普段と変わらない料理長の声が聞こえた。
「竜田揚げは好きだろう?」
足音がゆっくりと近付いてくる。
「なあ?」
耳元で料理長が囁く。
そのまま、頭を掴まれるとぎょろりとした目がこちらを覗いていた。
おれとシーナ様は、思わず抱き合って悲鳴を上げる。
気を失ってしまったからか、それから先のことはよく覚えていない。ただ、口は災いの元なのだと思い知らされた。でも、なんで店長が泣き出してしまったのか、理由はわからないままだ。誰も教えてくれないままだった。
いくらなんでも、ちょっと理不尽じゃないか。
「……もう、お父さんに可愛いだなんて言っちゃ駄目なんだからね、泣いちゃうほど恥ずかしがるんだから」
「……はい」
たぶん、おれは本当にバカなんだと思う。
アルバイトが終わり、風呂に入った後、なぜ店長を泣かしてしまったのかリリの部屋まで行って、話を聞こうとしてこうしてリリの目の前で正座をさせられて怒られている。
ってか、店長が泣いた理由ってただ恥ずかしかっただけなのか。それにしても、普段から飄々としている店長がただ可愛いとひとこと言われただけでそんなになるだなんて予想もできなかった。はじめてリリに怒られた。
いつもとあまり変わらないんだけど、目が全然笑ってない。
「それにね、お父さんは可愛いんじゃなくて、かっこいいんだから。そこ、間違えないように。だいたい言わなくてもわかるでしょ、そんな当たり前のことくらい」
「……はい」
「本当にわかってるの?はい、だけじゃわからないでしょ?」
「いや、だって、店長ってリリに似てるからさ」
「わたしのお父さんなんだから当たり前でしょ、わたしはエリシャを言い訳をするような子に育てた覚えはありません」
い、いくらなんでも横暴だぁ。
「ま、まあ、リリさん。エリシャもちゃんと反省してると思うっス。昼間、こってり絞られたばかりっスから。いくらなんでも気の毒というか、見てられないっス」
「リオも、お父さんはかっこいいと思うよね」
「そ、そりゃあ、まあ……当然じゃないっスか」
「思ってるよね?」
リオは、何も言わずにおれの隣に正座した。
「リリさんがこうなったら、面倒くさくてもう誰にも止められないっスよ」と、リオは恨めしそうにため息をついた。
「ねえ、リオ聞こえてるんだけど、二人とも本当にわかってるの?」
「はい、ごめんなさいっス……」
「ごめん……」
「謝ってばかりじゃわからないでしょ。それじゃあ、お父さんのどこがかっこいいか答えてみてよエリシャ」
「……そ、そりゃあ、料理してる時とか?」
「料理している時『も』でしょ。お父さんはいつだってかっこいいの、どうしてそれがわからないの?その目は何を見ているの?もしかして何も見えてない?ねえ?」
誰か、誰か助けてくれ。
そんな願いが届いたのか、ゆっくりと扉をノックする音が二回。それを聞いた瞬間、リリの表情が一気に明るくなる。
リオは「……最悪のパターンっス」と縮こまっていた。
「リリさん、私は大丈夫だから、ね。もう夜だしそれくらいにしておいてあげてよ。私、全然気にしてないから」
リオは、頭を抱え始めた。
「ねぇ、お父さん……?」
「はい……」
満面の笑顔のリリに何を言われるわけでもなく、リオの隣に店長が正座し始めた。
「お父さんは自分のかっこよさを理解してないの?」
リオも店長も何かを悟ったような顔をしながら何処か遠くを眺めていた。
ただ、リオは「夜はまだまだ長そうっスね」と意味ありげに呟いた。リリは黒板を引っ張り出して来て、店長がどのようにかっこいいのか、講義をはじめてしまった。
店長は恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして涙を堪えているような表情をしていた。
あの、これってもしかして悪循環なんじゃ。
もしも、こんなところ料理長に見つかったら。そう思っていた矢先。開きっぱなしだった扉から料理長が覗き込んできた。
「ひぃっ?!」
もう包丁ってレベルじゃない、抜き身の刀を持ち出して来た。
「おい、またお前か、エリシャ……」
「えっ、待って、これっておれが悪いのっ?!」
「エリシャ、なによそ見しているの?」
「おい、エリシャ、こっちを見ろ」
「私は大丈夫だから、もうやめようよ二人とも……」
「お父さんは黙ってて」
「お前は黙ってろ」
「はい……」
結局、おれたちが解放されたの朝方だった。
なんだか、おれの失言のせいで大変なことになってしまった。リオと店長は完全にとばっちりだ。
だけどもう謝る気力もない体力もない。自分の部屋にたどり着いた時には、ベッドに倒れ込むと同時に眠った。
目が覚めたら既に昼を過ぎていたが、リリに会うのも料理長に会うのも怖かった。
毛布にくるまっていたらリオが起こしに来て「顔を出さないともっと怒られるっスからね」と言われたので身支度を済ませてさっさと一階に降りた。
二人とも何もなかったかのように仕事をしていたのだが、おれもリオも店長も、ついでに何故か昨日からずっと働かされていたシーナ様もみんなやつれていた。なんともないのはリリと料理長と、幸運にも何も知らないロマだけ。
リリに至っては店長の好きなところを一晩中語り続けたからなのか、むしろ機嫌が良さそうだ。
料理長からは今までに一度も見たことのない笑顔を向けられて背筋が凍りついた。「次はないからな」とでも言いたげに、静かに包丁を研いでいた。
リオは「まだ今回は幸運だったっス。お姉ちゃんがいたらこの程度済まなかったっスよ」と、サラッと恐ろしいことを耳打ちして来た。
お姉ちゃんって誰だ、と聞こうものなら更にどんな不幸なことに見舞われるのか、想像したくもなかった。
少なくとも今のおれには無闇矢鱈に人に尋ねるような勇気はなかった。
いや、もうほんと、反省したので勘弁してください。
週末になると、リオとシャナと共に特に理由もなく街に出掛けることが習慣のようになっていた。
はじめは商店街の端っこらへん、ヤドリギの近所で人混みを避けるように歩き回っていただけなのだが、痺れを切らしたシャナが強引に街中まで引っ張り出した。
案外、慣れてしまえばなんともなくて、むしろ賑やかなくらいが妙に落ち着いた。
ちなみにユークリッドの爺さんは『ワンダラー・テイルズ』の筆者というだけあって、休みの日には仕事に追われている。街の中の、どの本屋を覗いても必ずポスターがあるくらい世界なベストセラーであるみたいで、聞いていた話は本当だったんだなって感慨深くなってしまった。
黙っていても遊んで暮らせるだけの印税が入ってくるらしいが、浪費癖のある傭兵団には鐚一文アンバーを渡さない。まあ、そうだろうな。というか、いずれおれの物語も爺さんが書くのかと思うと、なんだか恥ずかしい気もする。
「あー……、だからこの前シーナ様が働いてたんだね」
三人で屋台の前の長椅子に座り込み肉串を口にしながら、シャナは気まずそうに言っていた。
「あたしも、前に店長に可愛い可愛いって言ってからかってたら酷い目にあったからね」
お前もかよ。
喉の辺りまで言葉が出かかったが、肉と一緒に飲み込んだ。たまにはヤドリギ以外のメシも食べるのも悪くはないけど、なんというかシンプルというか味気ないというか。
一本百アンバーの肉串に高望みをし過ぎなのかもしれない。ただ甘辛いだけの肉って感じだ。だけど買い食いってのもカップ麺食うくらい背徳感がある。背徳感を味わっているようだ。それがたまらない。
もしかしておれって聞き分けのない悪ガキか何かだったのだろうか。そんな気がして来た。
「いや、エリシャっちは運がいいよ。リリっちのお姉さんいたら、あは、あはは……っ」
シャナが笑いながら震えていた。
一体、どんな目にあったのか聞けるような雰囲気ではなかった。ただひとつだけ、あれ以上を想像したくない。
「でも仕方ないよね、実際問題しょうがないよね。可愛いのは事実なんだし、だからあたしは代わりにリリっちやリオっちをこうやって可愛がるのです」
「ちょっ、そのタレを舐め取っただけのべとべとの手でぼくの頭を撫でる気っスか?!」
「えー、竜の唾液って消毒液みたいなもんだし、いいじゃんべつに」
「シャナっちは衛・生・観・念が終わってるっスよ!!?」
「リオっちが腕力であたしに敵うとでも?」
「ぎゃあああああっ?!汚いぃいいいい!!」
他人のフリしておこう。
それにしても、都会だけあって人通りが多いよな。
でも、こうして見ると獣人ばっかりで竜人なんて全然いないし、人間なんてもってのほかだ。猿っぽいのはいるんだけど、まんま猿って感じだし。まるで二足歩行の悪臭のしない動物園みたいだ。というか、ウシっぽいのも、ニワトリみたいなのも、ブタみたいなのもいるんだけど、共食いにはならないんだろうか。
食べかけの肉串を見つめながら、これは絶対直接聞いちゃいけないことだろうなって思った。
それじゃあ、卵とか牛乳とかって。いやいや、だからおれは一体何を考えてるんだ。そういえば、この屋台のおっちゃんもウシみたいな……。
「ん、どうした竜の嬢ちゃん」
「え、いや、おれ、いま何の肉食ってるんだろうな……って」
おれのバカ、ほんと救いようのないバカだなおれ。
「……実はあまり大きな声では言えないんだが、死刑囚の獣人をぶくぶく太らせた肉なんだよ。それ、美味いだろ?」
「ひぃっ……?!」
なんてものを売ってるんだよ。おれ、全部食っちゃったぞ。
「この子にそういう冗談はやめてほしいっス。世間知らずだから本当に信じるっスよ?」
「はははっ、そんなのウチの三歳になる息子も信じねえってのにリオ嬢よりも大きな竜人様が信じるはずないだろ?」
「だから、ぼくもリリさんもこれでもとっくに成人済みっスから。なんならキミが三歳くらいの時から知ってるんスからね」
「ああ知ってるよ、オレがガキの頃それで泣かされたことあるからな。お母さんの言うことを聞かない悪い子はお肉にされて食べられちゃうよ、ってな仕返しだ仕返し」
おい、全部リオのせいじゃないか。一発殴ってやりたいけど、シャナに力負けして撫で回されてげんなりしている。今、殴るのは少しかわいそうな気がする。いや、そんなことはない。
おれは無言でリオの頬を思い切り抓った。本当だと思ったじゃねえか、今ので肉食えなくなったら冗談じゃ済まないぞ。
「いひゃい、いひゃいっふ!」
「安心しろ、ただの家畜の肉だ。牙ブタ、角ウシ、鱗ニワトリ、至って普通の肉だ」
屋台のショーウィンドウに飾られた生前の面影を残す加工した食肉を見せられたが、要は豚肉と牛肉と鶏肉だろうか。というか家畜と獣人の違いってなんなんだろう。
おれからしたら違いなんて二足歩行かそうでないかくらいしかわからん。
「ちなみにおっちゃんはなんの獣人?」
「だから獣人の肉なんて扱ってねえよ。からかって悪かった、ただの冗談だ。オレはミノタウロスだよ、見るのは、はじめてなのか?」
あっちの豚みたいな獣人は?と通行人を指して聞こうとしたら慌てた様子のおっちゃんが身を乗り出してに口を塞いで来た。おれが何を言おうとしてるのかわかっていたようだ。
「……おいおい滅多なことを言うもんじゃない、気性の荒いカリュドーンに喧嘩を売るつもりか?リオ嬢、常識くらい教えてやんねえと、たとえ竜人様だろうがあぶねえぞ?」
まだ言ってないよ。
「その為に色々教えてるんスよ、いてて、よくリリさんと同じ顔にそんなことできるっスね」
「大丈夫、喧嘩なんて売られたところであたしがコテンパンにして食ってやるからなエリシャっち」
「……歌姫さんが言うと冗談に聞こえねえから、リオ嬢頼むぞ本当に」
リオが常識人扱いされてる。いや、実際常識人なんだけど。そういえば、リリとリオって表向きには何歳ってことになってるんだろうか、少なくともこのおっちゃんよりは年上ってことは。結構歳いってるんじゃないか?
「ノーコメントっス」
「まだなんにも言ってないだろ、考えを読んでくるのはユークリッドの爺さんだけでいいんだよ」
「どうせぼくが何歳だろうか、とか失礼なこと考えてるんでしょ。エリシャは学習能力ないんスか?」
確かに言う通りだけど、少なくとも今回は口に出してない。おれだって少しは、ほんのちょっとは、悪いことを自覚する程度には成長してるんだぞ。
そもそも、でっちあげた戸籍上の年齢なんて別にどうでもいいだろ。教えておいてくれた方がおれがボロを出さないと思うんだけど。
「……そろそろ十二歳と三百ヶ月っス」
「えっ、つまり三十七歳……?!えっ、リオさんじゅうななさい?!」
「……それだとなんか永遠の十七歳みたいなニュアンスになるんスけど、なんでこんな時に限ってそんなに計算早いんスかねえ?」
「ほら、リリってすぐ暗算問題出してくるからさ」
「リリさんめぇ……」
「ちなみに、さっきからおっちゃんと呼んでるオレはまだ二十歳になったばかりだからな……そんなに老けてるか、オレって」
そんなこと言ったらおれはおっちゃんの息子さんくらいの年齢もないかもしれないんだが。
「大丈夫だよ、エリシャっちの綺麗な角を見ればわかると思うけどまだ変色もしてない生後数年の赤ちゃんも同然だから」
「いや、そうじゃなくて何も大丈夫ではないんだが……いや、竜人様の感覚で言えばオレらなんざ子供も同然なんだろうけど、おっちゃんって……いくらなんでもおっちゃんって……」
肉串屋のおっちゃん、もといお兄さんには悪いけど、不老不死だけど若々しい艶のある毛並みのヤドリギのみんなと比べると、なんというか毛並みが燻んでる。
もしかして、ヤドリギのみんなって相当な美女揃いなのか。おれは、なんとなくみんなのこと可愛いとか、綺麗だなって思っているし。そう考えると、お客さんの目的って料理以外にもそういう目で見ていたりするのか?
なんか前にリオがおれに可愛い部類とか言ってたけど、それは、まあ、なんか、もしもそうだとしたら軽い吐き気がしてくるから深く考えるのはやめておこう。
そういえば、竜は角の色で年齢がわかるのか。
シーナ様は真っ黒だったけど、シャナは薄い紫みたいな感じだ。
「ふっふー、エリシャっちってばあたしが何歳か知りたい?知りたいって顔をしているね?」
「いや、気になるって言えば気になるけど……そんなに興味ないというか、うざいからわりとどうでもいい」
「うん、あたしも一万歳くらいまではキリがいいから数えてたけどもうわかんないや!」
「だから聞いてなぁ……いちまんッ?!」
「ちなみに、竜は生まれ変わっても角の色が変わらないから、シーナ様って相っ当な長生きだよ。それこそ古竜レベル、旧人類がいた位昔から!」
「……シャナって一万年以上も生きてて、それなのか」
「え、そっち?!それどういうこと?!!」
「リオ、おれはこうなりたくはない」
「ぼくもそうしたくはないっス。でも大丈夫、ぼくから見たらわりとどっちもどっちだから、すぐエリシャは追い越せるっスよ。賭博狂いのダメ竜人にはさせないっス」
リオは自信満々に親指を立てる。
「馬鹿にされてる?馬鹿にされてるよね、あたし?!」
「おっちゃん、おっちゃんかぁ……」
おれとリオの胸ぐらを掴んで揺するシャナ。肉串屋のおっちゃん(ニコラス、愛称をニックというらしい)はおれに遠回しに老け顔だと言われてショックを受けてる。
ヤドリギの料理と比較しちゃったら肉の味は正直悪くはないけど良くもなくて微妙だけど、週に一度くらいなら来てもいいかもしれない。悪気はなかったんだけど、傷つけてしまったせめてものお詫びというか。
本音を言えば、今後大通りを通るたびに顔を合わせると思うと気まずい。
正直、ヤドリギのみんなと傭兵団のみんなとシーナ様とヘルメス様以外の顔の違いが全くわからない。名前と顔が一致しない。
そう思うと、お客さんの顔をみんな覚えている店長の凄さを再認識させられる。うん、ごめんなリリ。やっぱり、リリのお父さんはかっこいいや。おれなんかと違って、誰も忘れてないんだもん。




