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【序章】赤き竜の異邦人 Ⅴ



 ナノマシンの権限(レベル)というものは、ⅠからⅤまで五段階あるらしい。それらは生まれてから絶対に移り変わることのないある種、絶対的で不変の階級だ。

 権限Ⅰ。

「ナノマシンによって存在することを定義されたオブジェクトとして存在する権利」で、あらゆる生命やこの世界に存在する森羅万象の大半は、ここに分類される。

 権限Ⅱ。

「オブジェクトの操作、及び精神の指向性の決定権」だ。

 この辺りから、おれが魔法と呼んでいた不可思議な現象を操ることができるらしい。精神の指向性とは、わかりやすく言えば自分より権限が低い人に簡単な命令を下せる能力を持つということ、つまり人を操れる。カリスマ性とも言えるみたいで、史実上の王様だとか偉人はこの辺りの権限だそうだ。団長以外の傭兵団のみんなはこの辺りだ。不死にあたる人々はだいたいここらへん。その中でも限られたごくわずか、不死は権限Ⅱ全体の数パーセントにも満たないらしい。

 権限Ⅲ。

「オブジェクトの操作、及び精神の指向性の決定権。限定範囲内の物理的な干渉能力」だ。ユークリッドの爺さんとか団長はここだ。手を触れずとも自由に物を動かせる念動力のような超能力が使えるらしい。生命の限界到達点とされているみたいだ。世界的に見てもほんの一握りの、それこそ伝説的な英雄とか、御伽話に出て来るような存在しかここに分類されていない。

 権限Ⅳ以上は竜人や竜族にしか存在しない。はずなのだが、リリやリオはここに分類されるそうだ。これまでの権限に備わっていた能力に加えて『パーソナリティ』という、自己を自己たらしめる人格を象徴する特殊能力が発現するという。

 リリが何もないところから武器を生み出す力を、爺さんは「ナノマシンを介して知識を現実に出力しているに過ぎない」と言っていた。話を詳しく聞けば、リリの人格を象徴するのは『知識欲』で、オブジェクトの詳細な情報を知ることができる。そしてその情報を知識として蓄えたものであれば一時的にナノマシンの情報を上書きして新規オブジェクトを生成できるらしい。馬鹿なおれにわかりやすく説明するならば、よく知っているものに限ればなんでも一時的に生み出せる能力。「じゃあリオは?」と聞いたら「乙女の秘密っス」とはぐらかされた。そうっスか。

 それじゃあ、おれもそんな不思議な力を使えるのかと爺さんに聞いてみたら『素質があるのは間違いないが、オブジェクトを認識できていないから今はまだ無理だ』と言われた。

 ちょっと残念だったけど、いきなりそんな力が使えるようになったら調子に乗ってしまうだろうなって思った。

 爺さんはそんなおれのことを『見直したぞ』と褒めてくれた。例えば、多くの不死者は権限を悪用することが多く、粛清の対象になるのだとか。

 権限の一つ、オブジェクトの操作などは強い精神力を持つものを対象とした場合、抵抗されて失敗することがあるそうだ。権限Ⅳ以上の竜人が権限Ⅰの一般人に対して命令した場合でも、同様に失敗することもある。

 逆に、精神力が弱ければたとえ竜であろうとも下の権限の者に操られてしまうという。ただ、物理的な干渉能力に関しては上位の者には直接的に働かない。そして、権限が同じ者同士では意志が強い方の力が優先される。

 武器を持って殴りかかったり、銃を撃った場合はどうなるのかと聞いたところ。それは『個々の意志の力』に分類されるから無効化できる場合もあればできない場合もある。無効化するにしても、攻撃してくる武器の装備者というオブジェクトと装備品の武器自体のオブジェクトを理解しなければ防げない。つまり、ものすごく面倒だけど防げなくもないとのことだ。


「わからないような、わかったような……」


 権限の話は、よくわからない理屈ばかりで普段使わない頭からは燻った煙が立っているような気がする。爺さんがリアルタイムで辞書みたいに詳しく的確に補助してくれなかったら一ミリたりとも理解できなかったかもしれない。


「まあ、難しいよね。わたしだってまだよくわかってないから、人の精神に干渉したり物理的な干渉は苦手なの。リオは得意みたいだけど」


「えー、リオってリリの下位互換だと思ってた!」


「まぁ、リリさんに敵わないのは事実だけど、エリシャにそう言われるとちょっとムカっとくるっスね。ユークリッド様の件で懲りたと思ったんスけど、もうちょい痛い目にあった方がいいんじゃないっスかね?」


「冗談、冗談だから、口ではこんなこと言ってるけどさ。おれリオのこと尊敬してるんだからな?!」


「ユークリッド様、ジャッジお願いするっス」


『本心だな』


 ユークリッドの爺さんのせいで、あまり下手なこと言えなくなってしまった。身から出た錆びなんだけどさ。


 どうやら、傭兵団は以前からこの喫茶店(ヤドリギ)を下宿先としてよく利用していたらしく。傭兵団が仕事で街から離れると聞いた時は、リリがしばらく帰って来ないのもそうだし、せっかくできたはじめての友達のユークリッドの爺さんとの別れが嫌で、駄々を捏ねながら泣き喚いていたのだが、夕方には帰ってきた。

 大元の契約先が首都ビヴロストの十二人会というお偉いさん方なので、傭兵団のホームタウンはこの街だった。遠征にでも行かない限り朝早くに出たら夜には帰ってくる。

 まあ、そうでもなければリリと顔を合わせる機会なんてほとんどないと思う。よく考えたらわかることなんだろうけど、今生の別れとばかりに泣き喚いていたのが恥ずかしい。

 その時に言った言葉は「いい子にするから、勉強もちゃんとするし、お手伝いもするから、リリも爺ちゃんも行かないで」というもので、めんどうくさがりの自分の首を絞めることになった。あの時のおれが可愛かったと喫茶店のみんなと傭兵団のみんなには、一週間経った今でもイジり倒されている。


「……そういえば、最高権限の場合はどうなるんだ?」


 ユークリッドの爺さんはもちゃもちゃとキャラメルを食べながら、投げやりに脳内に世界地図のようなイメージを投影してきた。それで『ここと、ここと、ここだ』と脳内の地図に丸を付けた。答えてみろってことなのだろうか。

 リリたちはそのイメージを共有していないけど、爺さんが言わんとしていることはわかったみたいだ。わからないのはおれだけなんだろうけど、元々あまり頭がよくないのに地理問題出されても答えられるわけがない。現実に地図があったらくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨ててると思う。

 数分間唸り続けてようやく答えが浮かんできた。


「あ、これビヴロスト。この街だ!」


 ミズガルズ大陸のほぼ真ん中にある大きな泉、地図にぽっかりと空いた特徴的な地形は覚えの悪いおれでもわかった。


「三つの泉、ってことは……。ウルズと、ヴェルザンディと,スクルド……。三大国……?」


「そう、もう一息だよエリシャ!」


 リリは応援してくれているけど、連想でここまで辿り着いたんだからもう十分及第点じゃないか?


 三つの泉と三大国、世界に三つしかないものって他にはなんかあったっけ。


「あっ、泉の大精霊様?」


「正解!」と言うと、リリは自分のように喜びながらおれに飛びついてきた。そのまま床に押し倒されて,頭を軽くぶつけた。痛みに悶絶していると、そのままリオとユークリッドの爺さんの解説が始まってしまう。

 つまり、泉の大精霊様たちが最高権限を持っているということらしい。公に知られているのが泉の大精霊様たちで、知らないだけで世界にはまだ他にも最高権限を持っている存在がいるのかもしれない。

 神にも等しい存在たちには不可能がないとされていて、もしかしたらおれみたいな『異邦人』と呼ばれている『人間』この世界に現れたのは、そんな上位存在が関わっていてもなんら不思議がないとユークリッドの爺さんは言っていた。おれが『人間』だということは爺さんとおれだけの秘密だ。たぶん、爺さん以外は信じてくれなさそうだしな。

 愛と勇気の冒険譚。

 爺さんがこよなく愛する物語『ワンダラー・テイルズ』の終着点はそこにあっても不思議ではないかもしれない。だったらロマンがあるだろう?と爺さんは楽しそうに語りかけてきた。


 


 教師が三人に増えた勉強会は、正直言ってかなりハードだった。いくらユークリッドの爺さんが付いているからって、ちょっと難易度が飛躍しすぎなんじゃないだろうか。

 昼食を食べに一階に降りて、端っこのカウンター席に座ると、全ての体力を使い切ってしまった気がする。待機中の傭兵団の連中に先日のことでからかわれてもいちいち反応する気力もなかった。特にバカ男子と名高いスコルとアルヴはよくちょっかいをかけてくるのだが、今日はもうほんとほっといてくれ。


 リリが作ったハンバーグの新作メニュー『ポンスとダイコンペーストのあっさりハンバーグ』をひと口食べたら、色々とどうでもよくなった。ポンスというのは柑橘果汁を意味する古代語の一つらしい。どうやら旧世界の外国語にあたる存在を古代語と呼ぶそうだ。その柑橘果汁に酢と醤油を加えたものとペースト状のダイコンを混ぜてハンバーグのソースにしたものだ。

 普段のデミグラスとはまた違った美味しさで新鮮だ。新鮮な気持ちなのだが、既視感というか、どこかで食べたことがあるような気がしてならない。まあ、美味いからいいか。


「リリ、これ、すごく美味い!」


「料理長とは最後までシラスを入れるかどうかで揉めたんだけど、価格設定を考えたら折れてくれたんだよね。「大根おろしにはシラスだろうが」って泣いてた」


「ちなみにこれ、値段、いくら……?」


「九百アンバーだけど、エリシャはウチの子なんだから値段とか気にせず食べていいんだよ」


「いや、そうじゃなくて……ものの価値を知っておかないと大変なことになりそうだから、色々と」


 直近でギャンブルで破滅した人たちを見てるからかな。切に思う。リリもおれが何を考えているのか理解したみたいで、苦笑いをしていた。


「ちなみに、あのものすごい借金ってどうなったんた?」


「シスターがシーナ様の治療院で馬車馬のように働いて返済してる。団長の傭兵団は、借金にはいつも苦しめられてるけど、仕事には困らないから……いつか返済できると思う。他人事じゃないんだけどね」


 リリが目を合わせてくれない。シャナが前、リリがバーサーカーだと言っていた意味が少しはわかった気がする。わざと負けていれば借金はなかった訳だしな。賭け事をしていた周りの連中が悪いんだけど、結果だけ見ればリリが億単位の借金作ったようなものなんだよな。

 

「でも、良くも悪くもお金はちゃんと働く理由になるからって、団長は稼いだら稼いだ分だけ使えってさ」


「その結果が借金まみれって目も当てられないな」


「みんな不死だから、死んでも借金からは逃げられないって言ってる」


「それは、笑っていいのか?」


「とりあえず、わたしはシスターみたいにならないようにってお父さんからも団長からも」


 どう考えても悪い大人の見本だもんな。


 ユークリッドの爺さん曰く、世界最強の傭兵団で、世界最大級の高額債務者たち。鴨がネギと土鍋とガスコンロを運んでやってくるレベル。世界が平和になったら一番困る奴ら。と、聞く限り最悪な印象しかない。


「……でも、なんだか誰よりも生き生きしていると思うんだ。わたしも、できるならずっと一緒に居たいかな」


 リリは嘘をついている。言葉に嘘はないかもしれないけど、その言葉にはリリが含まれていないと思った。


 まるでここにはいないような、どこか遠くのここではないどこかにいるような。リリは嘘をつくのが下手だから、一番付き合いの短いおれでもわかる。こんなに近くにいるのに、もう手が届かないほど遠くにいる。おれの声なんて、届かないほど遥か遠くに。どうして、そんなに悲しそうに、苦しそうに笑うんだろうか。


「なあ、リリは……おれとも、おれたちとずっと一緒だよな?」


「当たり前でしょ、わたしがいなくなったらエリシャは困るでしょ、これでもあなたの育ての親なんだよ?」


「……いなくならないよな?」


「今日はどうしたの?」


 カウンター越しに、リリのちいさな手を掴んだまま、おれは今にも泣き出しそうな情けない声を振り絞って、この手を離したら、もう二度と会えないんじゃないかって、思った。

 リリが権限の力で生み出した武器のように、徐々に輪郭を失って消えていくような気がした。人前で泣くなんて、またからかわれるかもしれないけど、リリがいなくなってしまうのは嫌だ。だったら、どれだけ馬鹿にされたって構わない。

 今日みたいに、おいしい料理を作って欲しい。おれが勉強して、ちょっとでも成長したことを自分のことのように喜んで欲しい。表情豊かに、いろんな話を聞かせて欲しい。


「……いまは、まだわからないよ。これから先どうなるかなんて。どうしたいのかなんて。でもね、いつかは、ちゃんと決めないといけないと思う。いまはまだ、その時じゃないかな」


 リリは「それだけ」と笑うと、おれの頭を撫でて厨房の奥へと消えていってしまった。リリを掴んでいた手からは、握力がなくなってしまったかのように、虚しく空気を掴んでいた。


 リリは最初からいなかったんじゃないだろうかと、錯覚するくらい、わずかな大切な思い出の数だけ心に穴が空いた気がした。


「ごちそうさま……」


 ぼんやりとした意識のまま、気がついたら屋上のベンチに座ったまま項垂れていた。どれだけそうしていたのかわからない。気がついたら日が暮れていて、白い毛並みの少女が視界の端にちらついた。


「リリ……?!」


「ぼくっスよ」


「なんだ、リオか……」


「悪かったっスね、ぼくで」


 リオは不貞腐れながらおれの隣に座ると、何を言うわけでもなく、退屈そうにぶらぶらと足を揺らしていた。


「エリシャが気付いてるってことは、みんな気付いてるってことっスから、まるで自分だけ被害者みたいな顔はしないで欲しいっス」


「そうだよな……、長いようで短かったんだよな。まだ、おれはヤドリギに来て一年も経ってないし」


「ごめん、そういうつもりじゃなくて。ぼくも口下手っスから、うまくは言えないけど……エリシャの気持ちは、エリシャが感じている不安のようなものは、誰もが感じているっス。だから、その気持ちが間違いだなんて言うつもりなくて」


 沈黙が気まずい。

 空気が重たい。

 呼吸すら忘れて、苦しくなってから。

 また、悲しくなってきた。


「一緒に過ごした時間の長さに優劣なんてない。だけど、エリシャの人生が始まってから、リリさんと過ごした密度は誰よりも濃いから、リリさんがいなくなることを想像したら苦しいほど悲しくなるのは当然っスよ」


「リリ、いなくなっちゃうのかなあ」


「わからない、わからないっスけど。もしもそうなったら、ぼくはいやだな。世界に一人だけのお姉ちゃんっスから。でも、これから先のこと、未来のことなんて、誰にもわからないから、そういう可能性もあるんだと思う」


「リオは否定してくれると思った」


 リオは、ばつがわるそうに「ごめん」と謝る。


「この間、エリシャが言ってくれたこと、覚えてるっスか」


「ごめん、よく覚えてない。なんか、変なこと言ったなら謝るよ」


「いや、違うっスよ。むしろ、とても嬉しかった」


「おれがそんな気の利いた言葉を言えるとは思わないんだけど」


「ほら「みんな大好きだ、愛してる」ってさ」


「それ、いま掘り返すか……?」


 確かにそんなセリフを吐いた気がするけど、だからなんなんだよ。からかうつもりなのか。


「ぼくが一番嬉しかったのは、ぼくとリリさんは違うって言ってくれたこと。ぼくのことも好きだと言ってくれたこと。なにより、リリさんが消えそうになった時はぼくならリリさんを繋ぎ止めてくれるって言ってくれたこと。エリシャはね、自分では気がついてないだけかもしれないけど、ものすごくいい子なんだよ。自分のことより、誰かを思いやれる優しい子なんだよ。それって、簡単じゃないんだよ。当たり前じゃないんだよ」


「おれは、そんなつもりじゃ、自己中心的だし、無神経で空気も読めないし、ユークリッドの爺さんにだって失礼なこと言って怒らせたばかりだ」


「ぼくが思うエリシャのいいところ、エリシャが思う自分の悪いところ、全部ひっくるめてエリシャなんだよ」


 なんだよそれ、褒められてるんだか叱られてるんだかわからないよ。リオは、ベンチから立ち上がると、俯きっぱなしのおれの顔を覗き込むように、近づいてきた。


「そうっスね。ぼくも気の利いた言葉はいえないけどさ。エリシャがぼくならリリさんを繋ぎ止めてくれるって言ってくれたんだから、期待には応えたいと思う。だから、泣かないで、エリシャにはそんな顔似合わないっスよ。いつも元気で、ちょっと生意気なくらいが、ぼくは大好きっスから」


 目の、錯覚だろうか。リリでも、リオでもない。おれの知らない誰かが見えた気がした。ただ一瞬だけ、見えた気がしただけなんだけど、なんとなく臆病で優しい人のような気がする。そんな気がしただけ。


「リリさんがいなくならないように、ぼくが頑張るっスから。エリシャは、いつもみたいに元気な姿を見せて欲しいな。そんなに悲しそうな顔をしていたら、大好きなみんなも悲しくなっちゃうっスから。ほら、笑って」


「おれ、みんな大好きだから、リリだけじゃない、誰にもいなくなってほしくない」


「よしよし、わかったっスよ。ぼくに任せるっス」


 頭の芯がじんじんと痺れるように痛かった。それに、ずっと同じ姿勢で座っていたから体のあちこちがこわばっている。何より、ちょっと泣き疲れたかな。ちょっとだけ、目を瞑っただけなのに、まぶたがくっついたように開かなかった。ただ、段々と意識が遠退くのを感じた。


「エリシャ、おやすみなさい」


 意識がなくなる直前に、はっきりとしたリオの声が聞こえた気がする。




 目が覚めた時、おれは見覚えのない店の中にいた。

 なんとなく、雰囲気はヤドリギに似ているけど、随分と狭い。カウンター席に座ったままテーブルにうずくまるように寝ていたらしい。


「リリさん、そんなところで寝ていたら風邪ひいちゃうよ」


 夜のように黒い毛並みをした中性的な青年が、リリを呼んでいた。この人は誰だろう。


「あの」


 自分の声の違和感に、思わず口を覆ってしまった。なんだ、これ、おれの声がまるでリリみたいに。

 気が動転していると、目の前においしそうなオムライスが置かれた。お腹が空いているわけではなかったけど、目の前の料理を見ていると口の中から溢れそうになるほど唾液が出てくるのを感じる。喉がごくりと鳴り、傍に置かれた鏡のように磨き上げられた銀のスプーンを持ち上げると、そこには湾曲しているけど、リリの姿が見えた。

 突然のことに驚いて、思わずスプーンを落としてしまった。手も変だ、縮んでいるし、竜人にはないはずの白い毛並みがびっしり生えている。でも、この手は、間違いなくリリの手だった。これまで何度も見ているから、間違えようがなかった。

 

「マスター、ごめんなさい。今日はリリを連れ回してしまって、リリも疲れてしまったと思うの」


 知らない子供が隣に座っていた。しかし、子供にしては大人びた口調で、落ち着いた女性のような口調だった。


「リリ、ごめんなさいね。今日も遅くまで付き合わせてしまって、でもあなたが居てくれてよかった。あなたがいなかったら、私は……いえ、こんなことを言ったらあなたはまた怒るでしょうね。まったく、どこの誰に似てしまったんだか」


「あの……」


 おれの口から、間違いなくリリの声が出ていた。もしかして、おれは、リリになった夢でも見ているのか?


「……お腹すいたわよね、それじゃあ一緒に食べましょうか。ごろごろチキンのオムライスを」


 いくらリリにいなくなってほしくないからって、おれがリリになる夢を見るだなんて。それにしてもいいにおいだ。マスターと呼ばれた人はおれが落としたスプーンの代わりを手渡してきて「今度は落とさないようにね」と優しく言ってくれた。


「いただきます」


「え、あ、いただきます……」


 どうせ夢だろう。それにしても、ヤドリギではオムライスは食べた覚えがない気がする。端を持ち上げるように掬い上げると、とろとろでふわふわなオムレツの中身にチキンライスがあって、食べ応えがありそうな鶏肉が顔を覗かせていた。これは夢、味がするわけない。そう思いながら口に運ぶと、ちいさなリリの口では収まらず、口のまわりを汚してしまう。いや、それよりも。


「おいしい!」


「そうね、やっぱりマスターのオムライスは最高ですわね」


「んむぅっ」


 同じ料理を食べる女性は、慣れた手つきでおれの口の周りを、リリの口の周りを拭いてくれた。


「そんなに慌てて食べるなんて珍しいですわね、リリ」


 リリを呼ぶこの人はだれなんだろうか。随分とリリと親しげな感じがするけど、母親ではないだろう。お母さんとは呼ばないけれど、母親は料理長だろうし。それより、夢なのにオムライスの味がする。しかもかなりおいしい。もっと食べたい。


「なんだか、今日は子供みたいですね。でも、そうですよね。いくらあなたが賢くても、まだ十二歳、本来なら子供らしくあるべきなんですよね」


 何を言ってるんだこの人は、リリはとっくに成人しているし、なんなら不老不死で、とっくに五百歳を超えてるんだぞ。それをまるで知らないみたいな。


「大丈夫ですよ、誰かに言ったりしませんから」


 ドアベルが鳴り、誰かが店に入ってくる。

 瞬間、むせ返りそうなほどの血のにおいがした。


「あら、こんな時間にお客さんが、マスターの料理はおいしいですからね。つい夜に来てしまうのも……マスター?」


「メリクルさん、リリさん、下がって……!」


 店主は腰からナイフを抜くが、腕を噛みつかれて血を流していた。引き剥がすように足で跳ね除けると、ドアを突き破って噛み付いてきた人影は店外に転がっていった。


「なんで、こんなところに吸血鬼が」


「吸血鬼……?!」


 メリクルという女性が店主に聞き返した時、耳をつんざく炸裂音と巨大な何かが崩れるような音が聞こえた。


「リリさん、逃げて、メリクルさんと一緒に早く……!」


「そんな、観測所が……」


 外は火の海だった、崩れた瓦礫に、散乱した死体。異形の化け物たち、赤いローブを着た集団が迫って来る。店主は、おれ……いやリリと、メリクルを裏口から逃しながら猟銃を片手に、無謀にも立ち向かっていた。


「お父さん……?!」


 おれの口から不意に飛び出したリリの声は、確かにお父さんと言った。リリのお父さん、それって、店長のことで。でも、店長は女性だ。おれは、何を言って……。


 夢はそこで終わった。

 現実に戻ったおれは、爺さんから『看過できないほどの心拍の上昇を検知した、その結果叩き起こすことになったが、何か悪い夢でも見たか?』と言われた。

 確かに悪い夢だったのだろう。だけど、今も口の中に残るオムライスの味と、むせ返るような血のにおい、視界に焼きついた大量の死体の山と崩れた防壁。観測所という言葉。リリにお父さんと呼ばれた、黒い毛並みをした獣人の男性。

 爺さんは、おれの頭の中を覗けるならこの正体を何か知っているだろうか。だったら、何か教えて欲しい。


『状況からして、終点街陥落時のリリの記憶の再現(シミュレート)だ。現実との整合性は約六割、大幅に簡略化されているが凡そ状況は合致している。これは、どういうことだ』


 そんなの、おれが、おれが聞きたいよ。この吐き気がするほど悲しい気持ちと怒りの正体も何もかも。


 

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