【序章】赤き竜の異邦人 Ⅲ
これは、一体どういう状況なのだろうか。
夜の時間帯のアルバイト中に、酔っ払ったリリに見つかったおれは「いいからいいから」と手を引かれるまま、コワモテの獣人の前に連れてこられた。
威圧感というか、存在感こそ一般人に近いものしか感じないものの、何気ないテーブルマナーから品性の良さを感じるし、隠し切れない歴戦の猛者のような風格を漂わせている。
黒い外套の下には使い込まれていて、それでも手入れの行き届いた装備が見える。素人目にも、只者ではないことくらいわかる。実際、おれはこの人のことをよく知っている。知っているというか、リリが教えてくれた。
「えへへ、団長ぉ、見てください。わたしとリオの娘です。名前は、エリシャって言うんですよー。意地っ張りなところもありますが、素直でいい子なんです」
リリが所属する傭兵団『猟犬』の団長を務めているグレイというハイイロオオカミの大男だ。ヤドリギには一般人が多く訪れることもあり、食事にくる時はなるべく周囲に溶け込むように配慮してくれているのだと店長は言っていた。
こう言っては失礼なのかもしれないけど、なんとなく近寄りがたい雰囲気の気怠げなおじさんにしか見えない。リリはものすごく懐いているみたいだけど、どちらかといえば面倒な子供のお守りを任されてうんざりしているようにしか見えない。
「あー、そうか、すごいすごい」
「もー、聞いてますか、団長ぉ?」
「はいはい、聞いてます聞いてます。だからゆっくりメシを食わせろ」
「痛い痛い、痛いです団長っ!?頭、頭割れちゃいます!!?」
グレイは全く意に介さない様子で、座りながら片手でリリの頭を掴む。聞こえてはならないような骨が軋むような音が聞こえる気がする。片手でサーロインステーキを食器の音も立てずに器用にひと口大に切り分けて食べていた。
「安心しろ、そう言って実際に割れたヤツはいねぇよ」
「それ、この世にはいないって意味ですよね!?」
「うるせえぞチビ、俺は美味いメシはじっくり時間をかけて味わうことにしてんだ。食事を邪魔すんなら本気で割るぞ」
「だんちょー……」
リリはグレイに構ってもらえずぐずりながら尻尾を揺らして、地面にへたり込んでいる。酒が入ってることもあってかリリが、リオ化している……。それで、おれはどうしたらいいんだ。できれば、一刻も早くこの場から逃げ出したいんだけど。
「まあまあ、団長が来てくれるようになったただけでもいいじゃないですか。前までは「メシなんて腹に入れるだけ無駄だ」だなんて言ってた石頭がすっかり餌付けされたワンちゃんにナッ」
リリをなだめるようにテーブル席からやって来た傭兵団の弓兵を務めている。吟遊詩人の『歌姫』と名高いらしい竜人のシャナ・クエレブレの額に投擲されたフォークが深々と突き刺さった。
「……やかましいぞトカゲ」
「もう、ホント素直じゃないツンデレワンちゃんですよね団長って、リリっちはこっちであたしたちと食べて飲みましょうねー」
頭にフォークが刺さったままの竜人にリリは慰められながらテーブル席に戻って行った。リリも含めて、傭兵団のメンバーは全員黒い外套を身につけていた。今この店にいるのは全員で八人だった。というか、傭兵団が八人で全員だそうだ。あと誰も頭にフォーク刺さったことには何も言わないんだな。
「やだ、エリシャも一緒に食べるの!」
リリ、悪いんだけどおれを巻き込まないでくれ。
「じゃあ、エリシャっちも一緒にご飯食べましょうか」
店長助けてくれ。
恐怖で萎縮して下手なこと言えないので、目で助けを求めたら優しい笑顔を向けられた。これって見捨てられたってことなのか?じゃ、じゃあリオは?!
「普段からリリさんがお世話になってるっスからねえ,好きなもの頼むといいっスよ。お代はいただきますけど」
普通に仕事してる。
いや、おれは?
おれはこのままでいいのか?
当たり前のように席に混ぜてもらってるんだけど、そうじゃなくて、助けてほしいんだけど。
「あ、シャナっちフォーク返してほしいっス」
「ごめんごめんリオっち!」
「団長さんも、腕は信頼してるけど、もしも他のお客さんに当たったら危ないので食器は投げないで貰いたいっス」
「ああ」
これ、この人たちが来た時の平常運転なんだ。
おれは諦めることにした。
何より、リリがおれを離してくれそうにないからだ。
「それじゃあ、注文を取るっスよ」
「あたしは、ハヤシライスと葡萄酒。アルヴくんはハンバーガーのセットでパティ増し増し、炭酸キツめのコーラ。スコルくんはパエリアとエール。シスターはビーフシチュー。ユーちゃんは、フルーツパフェ。エイン爺は、からあげと清酒。リリちゃんは」
「……ハンバーグ」
「まあ、みんな「いつもの」ってことっスね。エリシャはどうするっスか、今なら代金は傭兵団持ちだから、普段は食べられないようなたっかーい料理も食べられるっスよー?」
「おれもハンバーグがいいかな、リリと一緒の」
耳打ちして来る悪魔の誘惑を跳ね除けて、お手頃なお値段のヤドリギの看板メニューを頼んだ。ご飯とスープのおかわり自由、それでも千アンバー近くするのだからおれにとっては十分たっかーい料理だ。知らず知らずのうちに食べていたヤドリギの料理はいったい合計でいくらするのだろうか、あまり考えたくはない話だ。まあ、それは置いておいて。
全長三十センチほどの人型の生き物が、自分よりも大きな本を広げて文字を書き込んでいる。背中には、薄っすらと輪郭を見せる半透明な蝶の羽が生えていて、キラキラと輝いている。名前は確か、ユーちゃんとか呼ばれていた。
「エリシャっちは、本物の妖精を見るのははじめてかい?」
「……よ、妖精?!」
シャナという人は同じ竜人だからなのか、おれとの距離感が近すぎると思う。お酒くさいし、またフォークやら飛んできそうで怖いから離れて欲しいんだけど。彼女が垂らした妖精という釣り餌の言葉に、思わず食いついてしまった。
したり顔で酒を煽ると、ユーちゃんという妖精の尻をつんつんとつつき始める。それが逆鱗に触れたのか、妖精が指を弾くような仕草をすると、シャナの額の辺りで人を思いっきり引っ叩いたような衝撃音が炸裂する。シャナは物凄く痛がっていた。さっきまでフォーク刺さってたもんな。
「うん、そうなんだよー……。ユークリッドさまはね、妖精さんなんだよー」
「ゆーくりっど?」
なんか、知ってる気がする名前だ。
「えー、知らないの?!『ワンダラー・テイルズ』書いてる人だよ!!」
リリはちびちびと酒を口にしながら、目を輝かせて妖精の名を明かしてくれた。更に酔いが回ってきたのか、小動物のようにリリが甘えて来る。誰かリリから酒を取り上げてくれ、と思ったが、仕事をして帰って来たリリから息抜きを奪う権利はおれにはないのだと思った。
……甘えられるのはあんまり嫌なことではないのが本音だったりする。しかし『ワンダラー・テイルズ』の話題を出されると、まだ謝っていないこともあって気まずい。
「へ、へえ……」
「なんだよお、そのリアクションはあ。エリシャだって読んでるんでしょー、図が、たかーい!」
リリはそのまま頭を下げるとテーブルにごつんと頭をぶつけて痛がって泣いていた。店長であったり、団長であったり、名前を呼びながら泣いていた。普段が普段だけあって、幼児退行しているのが心配になってくる。
なんだか怖いくらいだ。
妖精のユークリッドは、値踏みするようにおれのことを見つめて、ふわりと浮き上がるように羽ばたくとおれの頭の上に乗っかる。思考に横入りして来るように、頭のなかで「なかなか面白い異邦人だな」と、渋い声をした爺さんの声が響いて来た。
「えっ、今誰が」
辺りを見渡しても、声の正体を捉えることができなかった。シャナでも、シスターとやらでも、リリでもない。アルヴとスコルとやらは声を聞いた限りまだ若い青年のような声だし、エイン爺とやらとも違うと思う。「阿呆、頭の上にいるではないか、無駄にハズレの選択肢を増やしてどうする」と、軽い頭痛を伴い思考に直接話しかけられているような奇妙な感覚だった。
いや、ちょっと待て。
妖精ってちいさくてかわいい女の子みたいな外見してたじゃん、なんでこんないい年した爺さんの声なんだよ。
シーナ様だって爺さんみたいな口調だけど声はかわいい感じだったのに、この声だと完全にただの爺さんじゃん。パフェとか食べる感じじゃないだろ。「おまえ、かなり失礼だぞ。爺さんがパフェ食って何が悪い。そんな法律誰が考えた。何条何項何号だ?」と、また考える間もなく思考に横入りされる。
なんだこの感覚、気持ち悪い!
頭の上に乗っかっている妖精を追い払ったら、奇妙な声は聞こえなくなった。妖精は「やれやれ」とでも言いたげな、不服そうな顔をしていた。
「エリシャずるい、ユークリッドさまとお話ししてたでしょ今」
「え、いや、お話ってか、なんか知らん爺さんに文句言われただけなんだけど、妖精ってんならリリのほうがよっぽど似合ってると思う」
おれがそう言ったら、団長とリリとシスター、ユークリッド以外が腹を抱えて笑い始めた。
どうやら「喋らなきゃかわいい妖精さん」ということに関しては傭兵団の中で定番のネタだったらしい。それを、初対面のおれからも言われたことによって笑いのツボを刺激されたようだ。しかも、そのことで賭け事をしていたらしく、テーブルの上ではアンバー硬貨が行き交うことになっていた。
リリとシスターは、おれがユークリッドのことをかわいいと言う方に賭けていたらしく負けたみたいだ。シスターって聖職者だよな、仲間内とはいえ賭博をしていいのか。一人カウンター席で食事している団長の方からも硬貨が飛んできた。
いや、無理があるだろう。
顔を真っ赤にして怒っているユークリッドの姿は確かにかわいいかもしれないけど、こいつの声ってどう足掻いても渋い爺さんなんだぞ。ミスマッチにも程がある。
「みなさん笑ってますけど、ユークリッドさまはかわいいんですからね。あくびをするときの仕草とか、寒くてわたしのマフラーの襟元に忍び込んだりする時も、甘いものを食べてる時の幸せそうな表情だったり!」
リリはユークリッドの可愛さについて熱弁するものの、嘲笑を加速させるだけだった。そういえば、団長もユークリッド可愛い側で賭けてたんだよな。テーブルの上の硬貨の数が合わないことに気がついたみたいで、賭けに勝った団員たちが団長の方に視線を向けると気まずい空気に包まれた。
「……ユークリッドはかわいいだろうが」
たぶん、こう言うのが鶴の一声と言うんだろうか。リリとシスターは団長に詰め寄ると「流石です!」とか「そうですよね!」とか声高々に同意を求めに行ったが、二人とも「食事中に歩き回るな」と頭を鷲掴みにされて渋々帰ってきた。
おれも自分の部屋に帰りたいよ。
ユークリッドの爺さんは、結局おれの頭の上に居座ることになり勝手に思考や記憶を読んでは「面白い、面白いぞ」と感想を漏らしている。
おれは全く面白くありません。
立ち読みされる書店員の気持ちがわからなくもない。とはいえ、色々なことを教えてくれるので無碍にも扱えない。リリの職場である『猟犬』と呼ばれている傭兵団について事細かに教えてくれるし、メンバーの人柄なども偏見なく説明してくれる。そういうのって機密事項なんじゃないのって思うんだけど、家族には説明義務があるとのことだ。
「ハンバーグー、ハンバーグー、ぺたぺた、ジュージュー、おいしいなー……」
リリはご機嫌なようでハンバーグの歌のようなものを歌っている。いくら酒に酔っているとはいえ、本当におれの知っているリリなのかと疑わしくもなって来る。
外見相応といえばそうなのだろうが、おれにとってのリリはもっと理知的で優しく母親も同然なので、こんな子供みたいな姿を見るのははじめてだったりする。
おれが喫茶店に降りて来るようになったのもつい最近だったから、意外な、意外すぎる一面を見た衝撃は計り知れない。
ハッキリ言ってかなりショックだ。
部屋に篭りっぱなしだったおれが知る由もなく、リリが酔い潰れたら当たり前のようにリオが部屋まで運んでいるそうだ。だから、おれ以外はこんな姿のリリを見ても日常の一部らしい。
それでも、この豹変ぶりには戦場にいるリリを知っている団員も最初は相当驚いたらしい。戦場でのリリといえば、優秀な狙撃手でありながら前衛もそつなくこなすという優秀な兵士で、デグチャレフ式対戦車銃と呼ばれるライフルの銃身を刃に換装したような武器をまるで大剣のように振り回して戦っている。ユークリッドの爺さんがおれの記憶を覗くように、逆に爺さんが見た記憶をおれに見せてくれるのだが、リリが傭兵団の中でも一、二を争う実力者と言われても疑いようがなかった。同時に団長を務めているグレイの強さを筆頭に団員たちの実力を映像で思い知らされることになった。
というか、かなりグロテスクな映像でショッキングだ。手足が切断されたり、人体が吹き飛ばされたり、血飛沫が上がりまくって地獄みたいだ。戦場の記録映像というだけあって。
爺さんに「人がハンバーグ食ってる時に人をハンバーグにする映像を見せるのは当てつけか?」と聞けば「知りたがっておったのはおまえさんだろうが」と言われた。ヤドリギのメシが美味いことは身をもって知っているけれど、それでも食欲が消え失せた。
それを見たリリは「ハンバーグたべないの?」と無邪気に聞いて来た。「食べないならもらっちゃうよ?」と言うので、食べてもらうことにした。まあ、リリたちが容赦なく敵をミンチにする猟奇映像のせいなんだけど。目をキラキラと輝かせながらハンバーグを味わっている姿を見ると、おれは戦いとは生涯無縁そうだなって思い知らされた。
各地の戦場で常に一線級の活躍をすると言われている『猟犬』の食卓に突然放り込まれたおれは、地雷原のど真ん中に置き去りにされたかのような絶望感に襲われていた。
そんな見境なく襲われることはなくても、何か怒らせるような真似をしたら、バラバラの挽肉にされてもおかしくない。
「あらら、ユーちゃんってば何を見せたのかなぁ。エリシャっち怯えちゃってかわいそー」
ヤドリギの一画を借りて楽器を演奏していたシャナが、白々しくもおれの頭を撫でてくる。思わず払いのけそうになったが、体がぴくりとも動かなかった。
「……いやー、だいたいは想像つくんだけどユーちゃんの記録なんて恐怖心植え付けるだけの偏向報道もいいところだからね。選択バイアスとかフレーミング効果ってやつ、なんだかあたしたちが血も涙もない殺戮者に思われてそうだけど、そこんとこ勘違いしないでね。だいたい傭兵界隈では滅多なことがない限り殺しは御法度なの。戦争屋ってのは、敵を捕虜にして交渉材料にした方が儲かるからね、そういう交渉はあたしやシスター、ユーちゃんとエイン爺の仕事なの。相手が聞き分けのない不死でもない限りミンチにはしないって。でも、団長とリリっち、バカ男子二人はわりとバーサーカーだからすぐに手ぇ出そうとするけど」
いや、することあるんだ、ミンチに。
リリもかなり好戦的だったんだな。
シャナはハヤシライスを味わいながら、このままだと『猟犬』の沽券に関わると補足説明をするようになった。客からは演奏のアンコールが来ているがシャナは「うっせえ、休憩だ、メシ食わせろハゲ」と怒りを露わにしている。
「でもまぁ、最近はそんな聞き分けのない不死が好き放題暴れてるからねえ。取引材料にもならないし、商売上がったりってなわけ。リリっちがいなかったら傭兵稼業もピンチだった、まあ、あたしら自体がそんな好き放題暴れてる不死ってのはオフレコでね」
それで、妖精のユークリッドは不死狩りの物語を世界中に流したのだとか。おれが実際に見たわけではないけれど、ユークリッドの記憶映像では、リリが不死者を殺すと光が解けるように跡形もなく消え去るみたいだ。妖精の物語の信憑性と、わざと逃した目撃者による噂は瞬く間に広がり、ここ数十年でリリの存在は不死に対する抑止力になったようだ。
そのおかげで傭兵稼業もだいぶやりやすくなったが、リリに掛かる負担もそうだが、リリ自体が復讐に取り憑かれているということもあり、団長はリリを極力戦いから遠ざけている。
傭兵団の今の雇い主はビヴロストの現十二人会で『猟犬』の信条は雇い主の命令には絶対服従、それは契約が有効である限り続く。厳密には、団長が雇い主が自分が仕えるのに相応しいと思っている限り。現在の命令は、まず首都ビヴロストの防衛。次に国内の紛争への武力介入・鎮圧。そして、可能な限りリリを戦場に立たせないこと。
現在、この街を守っている戦力ほとんどは『猟犬』だけらしい。終点街の陥落で『魔王』の伝説が過去のものとなってから、ちょっかいをかけて来る連中が増えて治安が悪くなった。それでも、シーナ様曰くフラン様は以前と変わることなく、寧ろ以前より国防に関して神経質になったらしい。そこには、かつてはあった優しさがなくなってしまった。許可なく領空、領海に近づいたものは一切の容赦なく消し炭にするくらい。
しかし、国内に対する防衛力の脆弱性が露呈してしまい。『不死の王』を名乗る不死の犯罪者集団にいいようにされてしまっているのが現状で、民を盾に取られてはなす術がない。終点街を焼き払うような真似も二度とできない。今、この国は悪党に食い物にされるだけの病巣になっているとヘルメス様は言っていた。
その始末を、終点街の大切な人を失ったリリの復讐心に押し付けるのはあまりにも無責任すぎる。かと言って、不死に対する対抗手段を持つ者は現状リリしかいない。
おれが知らないところで、リリは多くの思惑の間に板挟みになっていて、おれなんかじゃ到底理解できないほどの苦悩に苛まれ続けている。
「んー、なあに、エリシャ?」
酒に酔って、こんな無邪気に笑うリリを見ていると、なんだろう。知らなかったとはいえ、面倒をかけているおれも、リリを苦しめていたのかもしれない。感傷に浸るまでもなく「それは傲慢がすぎるぞ」と、ユークリッドに叱られてしまった。
「あっ、やっぱりハンバーグ食べたかったよね。ごめんね、わたしがたべちゃったから……ふぁあ」
酩酊状態になってしばらく経ったリリは、船を漕ぐように首が座っていなかった。
「エリシャ、まっててー、わたしが、作るから……」
リリは席を立とうとしてそのままおれに倒れ込んだら、穏やかな寝息を立てて深い眠りについてしまった。ようやく、やっと、という声が聞こえて、店内の話し声もリリを起こさないようにトーン数段落としたかのように静かになった。どうやら、みんなリリを休ませてあげたかったみたいだ。
タイミングを見計らったようにリオがやってきて、慣れた様子で、リリを軽々と抱き抱える。
「ふぅ、リリさんお疲れっス。こりゃあシャワーは朝っスかね、もう、何杯飲んだんスかぁ、酒くせえっスよお……」
リオはそのままリリを部屋まで運んで行ってしまった。リリがいなくなってから、店内の音量は少しずつ上がって行った。
「エリシャさんもお疲れさま、どうだった?酔ったリリさんもなかなか可愛いでしょ?」
「いや、店長……可愛いっていうか、あんなリリを見るのははじめてで、びっくりしたというか、なんというか」
「昔から手のかからない子でね、あれくらい可愛いものだと思うよ。復讐だなんて物騒なことするよりはずっと」
「なあ店長、こんなこと聞いたらいけないんだろうけど、復讐って、なんでリリはそんなことを」
店長は言葉に詰まらせていた。
代わりに口を開いたのは傭兵団の団長グレイだった。
「復讐なんてものは酒と一緒だ、酔ってる間は心地がいいかもしれない。酔いが覚めたら、どうしようもない現実に直面する。酒はな、飲んだら無くなるもんなんだよ。復讐だけに囚われたやつが、復讐を果たしたらどうなるか考えてみるんだな」
グレイはそう言うと、硬貨のぎっしり詰まった皮袋をカウンターの上に置いて「今日は空き部屋を借りさせてもらう、全員分だ。足りなかったら教えてくれ、俺の今の手持ちはそれだけだ」と、そのままアパルトマンの上階に向かった。グレイは悪態を吐くように「損な役回りだ」と呟いていた。
「えっ、今日団長の奢り?明日世界が終わるかも?」
シャナは青ざめた顔をしながら、数秒後には葡萄酒のおかわりを頼んでいた。グレイと入れ替わるようにして戻ってきたリオは「エリシャも今日は上がっていいっスよ、あとはぼくがやっとくっスから」と、部屋に戻るように言ってきた。
今、部屋に帰ると途中でグレイに会いそうで嫌なんだけど。でも正直今日は大したことしてないのにドッと疲れたから早く部屋に帰りたかったから助かる。
「お風呂には一緒に入るっスから、仕事片付いたら呼びに行くっスからね。たぶん、シャナっちたちも一緒に入るっスから楽しみにしておくっスよ」
「覚悟しておく……」
リオには心の底から嫌な顔をしておいた。
そんで、ユークリッドの爺さんは何当たり前のようにおれの頭の上に引っ付いてきたんだよ。というか、実のところ性別はどっちなんだ。あとで風呂に入るわけだけど、その点大丈夫なのか。こう言う思考も全部覗かれてると思うと気持ち悪いな。「取材じゃて、取材」と言って来るあたり、本当に気持ち悪い。なんだか妙なものに憑かれてしまった気分だ。




