シヤミ
平日の真っ昼間。高層ビルが乱立する大都会に、男は立っていた。
男はよれたカッターシャツとスラックスを履き、短くなった煙草をみみっちく吸っていた。
彼の眼は一点を凝視しているようで、全く動いていない。
彼の特技は視野見といって、視界の中でピントが合っていたい周縁部をはっきりと見ることができる、というものだった。
生まれたときからよく見えていたけれど、彼はそれに満足することなく意識的に視野見を行って非常によく物事を見ようと常々試みていた。
結果的に眼に写る全ての景色を明瞭に見ることが可能になったのだった。
煙草があまりに短くなって持てなくなり、彼は諦めて煙草を側溝に投げ入れた。
しかたない、と男は呟いて路上で拾った黒色のビニール袋を手に歩き始めた。
口の中が煙草でパサついた彼は、何か喉を潤す食事を欲していた。
男には目標があった。大きい目標が一つと小さい目標が一つ。
大きいほうは、有名になってこの都会を牛耳ることだ。
自分は社会の底辺で辛酸をなめてきたのだから、少しくらい報われてもいいだろう、という思いが長年の限界生活で肥大化してしまっている。
小さいほうは、とりあえず今日の食いぶちをどう確保するかだった。
彼は色んなアルバイトをしていたが、どれも長続きしなかった。
大きな目標があったため、真っ当なまま世界を統べたいという希望があり、これまで万引きなどの犯罪にはまだ手を出していなかった。
しかし、かれこれ1ヶ月働けずお金がない彼は、どうしようもなく万引きをすることに決めた。
ターゲットはとあるスーパーマーケットの惣菜売り場、特にカレーの惣菜だ。
彼はあたかもサラリーマンのような風貌であるため、誰にも怪しまれずに惣菜コーナーまで歩を進めることができた。
問題は黒色のビニール袋に惣菜を入れた容器を、誰にも気づかれずに入れることだ。
そんなときに活躍するのが、彼の視野見の能力だ。
誰が近くにいるか、誰がこちらを見ているか、彼は注意深く観察し、人がいなくなる一瞬の隙を待つ。
頭をキョロキョロと動かすのは怪しまれるから、できるだけ顔を動かさずに視界の端から人がいなくなるタイミングを見計らう。
彼の素晴らしい視野見の能力で、彼は万引きを成功させた。
調子に乗った彼はローストビーフも盗み、さらにはデザートのチーズもビニール袋に入れることに成功した。
スーパーマーケットから出て、彼はご飯を食べ始めた。
思った以上に美味しい。
ペロリとチーズまで食べ終えると、彼は自分がしてしまったことに気がついた。
「やっちゃったな……。もう戻れないぞ。でも俺の視野見の力を使えば働かなくても生きていけるんじゃないか?」
彼は吹っ切れた。
怖いものは何もなかった。
明日から余裕で生きていける、そんな希望を感じさせる能力に彼は感謝して眠りに落ちた。
朝起きると、彼は自分の視界がおかしいことに気がついた。
目の前が真っ白だったのだ。
視野見で見ていた視界の周縁部だけが明瞭に見えるが目の前が全くわからない。
一線を越えたことで、彼は完璧な「視野見」を手に入れたのだった。
読んでくださりありがとうございました
m(_ _)m