妖退治とは
「なんだあれ?」
蛇美が曼に追いつくと、そこは少し下り坂になった砂利道。
川原へ続く少しひらけたところだった。
曼がしゃがみ込んで、何かを覗いていた。
「兄貴?」
蛇美が後ろから覗き込んだ。
そこには藻が固まっているのか、絡まっているのか。黒く変色した植物のような、うねった何かが落ちていた。
絡みついたと思うと、途端に離れ、またどこかへ向かって這って歩く。そして何かに絡みつき、また離れと繰り返していた。
藻のようなざらついた質感の、深い緑、常磐や千歳のような緑。
「何これ、気持ち悪いっ」
「お前こういうの嫌いだよな」
曼ははっと小さく笑った。
立ち上がり、少し先にある川の方を指した。
「あそこな、うようよいるぞ」
蛇美は顔を真っ青にして、後ろに3歩ほど下がった。
「いや、絶対行かないわ」
「だろうな」
曼はひょいと駆けて、這っている何かを避けながら川の淵まできた。
「あいつも虫だの蛇だのは平気なくせに、こういう得体の知れないものはダメだなんて、よくわからねえやつだな」
川の中には、大きな塊があった。
あの得体の知れない何かの塊だ。
水面のぎりぎりくらいのところまで、水の中を泳ぐように漂っている。
その緑の何かは、脈打つように絡まっていた。
「これが妖怪なのか。思ってたのとは違うな」
ーーもっと鬼みてえな、強そうなのかと思ったんだが。
「兄貴! こっちのやつが水の方に進み出したよ!」
曼が振り返ると、確かにこちらへ向かってくる。
至るところにいた何かが、急に川の中の塊へと戻っているようだった。
曼はあたりを見回した。
ーーあのガキ、どこに行きやがった。
「兄貴! 後ろ!」
曼が呼ばれて振り向いた。
そこには這っていた何が飛び、顔面に迫るほどの距離にいた。
「やばっ」
ーー間に合わねえ!
曼は咄嗟に両手を動かし、顔を庇おうとするが間に合わない。
あと一寸、それほどだった。
這っていた何かが手を広げるように伸びて、顔を覆おうとした。
しかし、曼の顔にそれは当たらなかった。
足元から何かの植物が急に伸び、細い枝をたくさん生やして広がった。
それが曼の目の前で、這っていた何かを寸前で止めた。
曼の顔には木の枝で少し傷がついた。
「ちょっとせっかち過ぎだね、少しは観察なりして大人しくしてればいいのに」
姫の声が上から降ってきた。
「てめえどこに行って……」
曼が空を見上げた。
そこには自分たちが着せられたような異国の服を纏った姫がいた。
ひらひらと薄い衣が靡いて、天女のような衣装を着ている。真紅の衣、赤と白で整えられた衣装だった。
「なんだその格好」
咄嗟に出た言葉だった。
「なんだはないでしょ。素敵ぐらい言いなさい」
姫はそのまま曼の上の方へ降りてきて、頭の上に漂った。
「これはね、人でも妖でもなんでも喰らう化け物さ。私らは千喰って呼んでる。早く逃げないと……」
木の枝の隙間から、千喰は染み込むように少しずつ出てくる。
「なんだこいつ! まだ動いてやがる!」
曼は驚いて後退り、後ろに飛んだ。
「馬鹿!」
曼は川の中に足を踏み入れ、膝ほどまで使ってしまう。
瞬間、水の中にいた千喰が足に絡みついた。あっという間に膝まで巻き込み、ゆっくりと体の上の方に這ってきた。
「しまった!」
「兄貴! 頑張れ!」
蛇美は様子を見て、立ち止まる事にしたようだ。できるだけ千喰がいない方へとさがっていった。
姫は踊るように宙を舞い、腕を伸ばしては曲げ、手のひらを返した。
砂利のところや川の中から、色々な植物が生え、伸びて、千喰の行く手を阻んだ。
曼の足元にも何かが生えてきて、足が水から出るように足場となった。
「曼! これを使いなさい!」
姫が空に手を伸ばし、一気に振り下ろした。
曼の足元に大刀が突き刺さった。
漆黒の柄に、銀の龍の装飾が描かれている。
白銀の鈴がふたつついており、軽い音を鳴らした。
「あんた用の武器だから! 大事に使いなさい!」
曼は大刀を見ると、刃の元の方に名があった。
「バンリュウよ!」
姫が叫んだ。
曼は文字をなぞり、名を呼んだ。
「曼龍?」
それに呼応するように大刀が脈打つように見えた。
曼が柄を握り、刀を引き抜いた。
大刀が光輝き、辺りには火花のような細い電光を散らした。
千喰はその光に当てられたのか、光を避け四方へ飛び散った。
「こりゃいいな」
くるくると大刀を回して、感触を確かめ、構えた。
「やってやるぜ!」
曼は川の中に沈んでいた千喰の、体の中心と思われるところに向かって飛び、曼龍を突き刺した。
稲妻が落ちたかのような大きな音が鳴り、曼龍が電光を散らした。
水の中にいた千喰はぶるぶると震え、やがて焦げたようにちぎれ、散り散りになった。
曼が曼龍を引き抜くと、千喰は粉々になって砕け、川の流れに乗ってどこかへ行った。
「倒したのか?」
曼は物足りなさそうにしていた。
手に持つ曼龍を見つめ、微笑んだ。
ーーいいもん手に入れたな。
「無茶したわね。何も突っ込んでいかなくたっていいのに」
姫がふわふわと漂って降りてきた。
曼の頭に手を伸ばし、ごしごしと強い力で撫でた。
「ありがとう。おかげで早く片付いたわ」
曼は目を見開き、驚いた顔をした。
「おう」
「まあ、またすぐ湧いてくるんだけど」
姫が小声で呟いた。
曼には聞きとれなかったようだ。
「兄貴!」
蛇美が明るい顔をして駆け寄ってきた。
蛇美が見えた曼は、さっと姫の手を払いのけた。
「お前、逃げやがって」
「よかったー。兄貴死んだと思ったよ」
蛇美は曼龍を見つめた。
「すごい薙刀? なんか強そう」
上から下までゆっくりと見て、得意げな顔をした曼を冷めた目で見直した。
姫は苦笑いをして、咳払いをしてから口を開いた。
「これは大刀っていうのよ。すんごく良いものよ。本当に、すんごく、よ。色んな精霊と、あとはまあ知り合いの妖怪に手伝ってもらって作ったの。普通は手に入らないわよ」
姫はそう言うと、両手をゆっくり振り蛇美の手前に差し出した。
ふわっと空から刀が降りてくる。
大ぶりの曲刀だった。
同じ刀が2本あった。
柄はそれぞれ臙脂と墨色で飾り紐が伸びていた。
「蛇美のは呉鈎という刀なの。2本あるから、練習しないと使えないかしら? あなたは気持ちが弱いから盾にも矛にもなるからいいと思ってこれにしたんだけど」
蛇美の前で宙に漂ったまま、名を呼ばれるのを待っているようだった。
「俺のもあるの! やった!」
「天泣、と虚空と書いてあるのよ」
「この赤いのが天泣で、黒いのが虚空ね! すごいなー!」
名を呼ばれて答えるように、蛇美の方へ向かう。そのまま手のひらに収まった。
ぐっと握り締め、両手をあげて刀を振り回す。嬉しそうに踊り、くるくる回っている。
曼はそれを見てまねるように、曼龍を振り回した。
2人とも、まだ手に馴染まない武器を振り回していた。
「大事にしてよ、私が作ってあげたことを忘れないこと。大切にして、あなたたちの相棒にしてちょうだい」
話が聞こえていないだろう。
いつまでも刀を振っていた。
「ちょっと聞いているの?」
いつまで経っても、2人の素振りには終わりがこなさそうだった。
姫がぱちんと指を鳴らした。
曼龍、天泣と虚空はその音が響くと一瞬で消えた。
「なんだ!」
「え! 消えたけど! なんで!」
2人は重心がずれてそのまま足を滑らせる。
飛ぶようにひっくり返って尻餅をついた。
「遊びはそこまで。とりあえず今日はもう帰って寝ます。詳しいことはまた明日」
姫はふわっと浮かび上がり、そのまま飛んでいってしまう。
「ちょっと待て、帰り道なんて知らねえぞ!」
「あ、兄貴! やばいよ、早く追わなきゃ」
小さくなった後ろ姿を慌てて追いかけた。