酷暑日の爆蝶(ばくちょう)
『8月25日、正午となりました。連日、酷暑日となりますが、本日はすでに最高気温43度を記録し、この後も45度以上となる見込みです、外出しなければならない方は……』
コンビニの前の通りは広告モニターが高熱で故障し、辺りの店も節電のため照明もほとんどついてないない。さながら廃墟、無人の街である。
今日の天気を伝えている防災無線の音さえも、物悲しく、一方では灼熱の町中に響き渡り、暑苦しくも聞こえる。
いつもはすれ違う人にぶつかりそうになる駅前の通りだが、この夏になってからは出歩く人は減り続け今日に至ってはほとんどいない。
「助けてー!」
どこかから聞こえる声、50代くらいのサラリーマン風の男が汗だくになって走りながら叫んでいた。
その後ろからは火の玉のような発火する何かが飛んでいて、それが男を追いかけていた。
バスケットボールくらいの大きさで、男とは10メートルは離れている程度。つかず離れず追いかけてくる。
男は駅前の通りから裏通りに抜けていき、住宅街の方へ向かうと近くにあった公園の方へ走った。
火の玉のらしきものは明らかに男を追いかけており、細い路地は曲がっても、広い通りを抜けても男を追いかけていく。
火の玉は、点滅するかのように形を大小させながら飛んでいた。
男が慌てるあまり途中でカバンを投げ捨て、必死に公園の中へ走る。水飲み場を探し最後の猛進、ついに蛇口を捻った。
ーーキュ
虚しい音だけが鳴り、探し歩いていたはずの水が出ない。あまりのことに力の抜けた男は座り込み、その目の前には、そう蛇口の下には張り紙があった。
『水不足につき、水道の使用はできません』
「嘘でしょ!」
男は叫び、後ろを振り向いた。
火の玉までの距離はもう2メートルもない。
火の玉に焼かれる、と男は目を閉じた。
ーーバチン
大きく何かの弾ける音がした。
恐る恐る瞼を開けると、火の玉はなくなっていた。あたりを見回すが、さっきまでの発光した何かはいないようだ。まさかと、上空を見上げると、そこには空飛ぶ女と同じく空飛ぶ大きな刀を持った男がいた。
汗だくになってしゃがみこんでいた男は急に私たちを見上げた。驚いたのか、急に上を見たせいで目を回したのか、身動きとれずにそのまま前に倒れた。
私たちはそっと地面に降りて、とりあえず男の様子を見た。
汗だくで息も荒い、顔も真っ赤だ。この暑さの中走り回って脱水症状になっているのかもしれない。
私は急いで左耳につけたイヤホン型の通信機の通話ボタンを押した。
「黒井、追いかけられてた被害者意識不明。多分熱中症、駅の裏通りの公園にいる。救急車お願い」
《了解です。火の玉の捕まりました?》
「捕まえてない、曼ちゃんが潰した」
《まじすか、できたら捕まえてって言われたのに》
曼ちゃんは聞こえているが、無視している。あたりを見回して、他のやつがいないかを探しているようだ。
「できたら、でしょ? とりあえず日陰もないからこのおじさんはそのまま置いて行くわよ」
《はい。とりあえず救急車は不足で無理みたいなんで、近くの駐在が向かうそうです。そこは大丈夫なんで、他のを探してください》
「目撃状況は?」
《その近くは2分前に駅前、多分今のやつっすね。その他は5分前に図書館》
「図書館て、室内じゃないでしょ?」
《もちろん、外です。図書館の中にいた人が外に出られないって通報。まだ怖くて中にいるっぽいです。今は姿が見えないって》
「わかった、行ってみる」
《うす、お願いします》
通話ボタンを離して、ふと周りを見る。やはりこの辺にはいない。
「花、あれはやっぱり爆蝶だ」
黒井から渡された端末を見ると、あたりのマップと、現在の時刻と温度が表示されている。
「ええ。爆蝶ね、捕まえるのは難しいな。弾けるように飛ぶんだもの。えっと、12時20分、49度。これもうサウナじゃん」
ひとまず場所を確認してとりあえず画面を閉じる。防災無線の情報よりも暑い。この燃える蝶々のせいでさらに暑くなっているのだろうか。
連日の酷暑、その一因となってそうなこの爆蝶。今日はやっと現地調査となった。
先ほどは人に触る寸前だったので、曼ちゃんが咄嗟に曼龍で潰してしまった。
その前に見つけた2つの火の玉も私たちに向かって飛んできたので、咄嗟に風で吹き飛ばしたら消えてしまった。その時には確証はなかったのだが、今見た感じでは爆蝶で間違いないだろう。
この蝶はまさに燃える蝶々で、好奇心旺盛なの動くものを追う習性がある。何をするわけでもないが、燃えるものならなんでも食べるし、肉食だしで、危険な生き物だ。
見た目通り火を好む。よく火のそばを飛んだり、熱い場所を住処にしている。火山や火炎地帯に生息しているのだが、どうしてか夏の街中に発生してしまった。
飛んでいる時にしか火が大きくならないので、とまっているときはほぼアゲハ蝶と同じ。鼻の先に何か光っているくらいの火がついているだけ。その状態では見つけるのが難しい。
「次に行くね」
「おう」
私と曼ちゃんはまた空を飛んで次の場所へと向かった。
今週に入って目撃の多い火の玉、それはなぜか夜ではなく日中のみ。それも晴れていて暑い時間。
午後から急に降るのが恒例となったゲリラ豪雨の時には目撃されない。
火を好む精霊かと思っていたが、もっと力の弱いものだった。爆蝶はどこにでもいる生き物だったし、風で吹き飛ばせば逃げるか、火が消えれば死んでしまう。
図書館の上空へつき、くるくると回って飛んでいると、私たちを見つけたのか、爆蝶がこちらへ向かって飛んできた。それも1匹ではなく、4匹も。
「これはどこかに群れで迷い込んだか、こちらで産卵してしまったのかも。自然発生かは怪しいところね」
「爆蝶って、成長早いだろ?」
「うん、暑さ次第なところもあるけど、もし火のそばで産卵してたらその後2、3日でしょうね」
私たちに近づいてくる爆蝶たちは、曼龍で一瞬で潰されて灰になっていった。
「これは帰ってからよく話し合いが必要ね」
ーー
「黒井、また潰したぞ」
《うす。次はその先の郵便局の近くっすね》
「郵便局ね、ここから1キロくらいかな。そっち行ってみる」
《そこそこ! 今鉄くんもそっちで捜索中です》
「了解。すぐ行く」
ーー
「次に行くね」
「おう」
私と曼ちゃんはまた空を飛んで次の場所へと向かった。
目印の郵便局へ着くと、郵便局の屋根の上には鉄がいた。
《今ひとつ潰した》
丁度鉄からの通話が入った。
私たちはそのまま宙に漂い、鉄の様子を伺った。
鉄は握り拳をこちらに見せて、パッと開いた。焦げて煤けた手のひらが見えた。おそらく手で握りつぶしたのだろう。
《潰したんすね。了解です、ちなみに死骸とかって……》
黒井が悲しげに聞いてきたので、私が答えてあげよう。
「爆蝶は燃えちゃうわね、灰みたいになっちゃう」
《うぅ。そう言っておきます。蝶々なんすね? 今日はもう他のは情報ないんで戻りでおなしゃす》
「わかった。すぐ帰った方がいいの?」
《なるはや! 直帰! お昼の時間です!》
「了解」
私は鉄も宙に持ち上げると、そのまま上空に飛んで上がり帰路につく。
「さあ急いで帰りましょ」