山に住まう神、玉石様
「ここはどこだ」
暗い、視界も悪い、音がない、何もない。
「誰かいないか!」
声が響いているのか、いないのか。それすらもわからない。
手の位置を確かめて、動かしてみるが、それすらも見えにくい。自分の顔を触ってみたが、その感覚も朧げだ。
「なんなんだ、ここは」
体が重くなってきて、体の向きがわからなくなる。立っているのか、寝ているのかもわからない。
手が一気に冷え込み、そこから順番に冷えが伝わると、体の芯まで冷たくなってきた。
しばらくその状態が続き、体全体が冷えきってしまうと、体がまともに動かなくなった。
何もできずにそのまま暗闇を漂っていると、急に体を誰かに掴まれたような感覚がした。
「今度はなんだ」
腕や足が縛られているような感覚があり、冷えて硬直した手足のところどころに痛みが走る。
そのまま拘束されたかのように全く動けなくなると、体全体がゆらゆらと揺れはじめる。上下なのか左右なのかわからない動きで、ゆっくりと体が振られた。
「くそっ。酷いゆれだ」
だんだんと身体が温かくなる、揺れのせいだろうか、それとも周りが温かくなっているのだろうか。
突然頭にガツンと強い衝撃が走り、しばし苦しむと、だんだんと視界が明るくなってきた。体の感覚も少しずつはっきりしてきた気がする。
「もう無理! 姫様! 歩けない!」
「黒井! 頑張って! 多分後少しだから!」
「ーーうるせえな」
曼が目を覚ましたのは、黒井の背に括り付けられている時だった。暗い森の中を、姫の持つランタンと黒井の体中につけられた電灯が照らしている。
「曼ちゃん、起きた? よかった」
「本当! よかった! もう無理、降ろす!」
黒井はだいぶ息が上がっていて、どかっと地面に崩れ落ちた。お腹側に大きなリュックを持っていて、それがあった為に顔を打ち付けずに済んだようだ。
曼はすぐに縄を解かれ、背から離された。地面に腰を下ろし、すぐに側に姫は座る。
黒井は鞄を下ろすと汚れるのも構わず、転ぶように寝転がった。
森の中には、少しは人が入っていそうな道ができている。草がわけられ、土の部分が多い獣道、その途中を歩いていた。
「曼ちゃん、ここは多分聖域に近い森のようだよ。少しは回復するかもしれないと思って無理してきたところ」
「そうかよ。お前はもう平気なのか」
曼は不安なのか、姫の顔のそばにより、心配そうに見つめた。
姫は曼の頬に手を添えて、様子を確かめている。
「私はなんとか動けるわ。曼ちゃんこそ、無理して力を分けてくれたのね。大丈夫?」
「ああ、俺のことはいい。お前が無事なら俺も大丈夫だからな」
安心した曼は、ぐっと足に力を入れて立ち上がる。何度か屈伸をして体の動きを確かめていた。
姫はその様子を見て、すぐに視線を黒井にうつした。
「黒井、すぐに進むわよ。ここまで来れば、あとは力を辿れば進める」
「そんな! 休憩なしっすか!」
姫は曼の手を取ると、しっかり手を握った。曼もしっかり握りしめ、2人揃って深呼吸をした。
「曼ちゃんもわかる?」
「ああ、何かある」
獣道の続く方を2人は見ていた。
2人の目には薄くぼんやりと漂う光の靄が見えていた。そしてそれがこの先だんだんと色濃く、明るく、だんだんと大きくなっていくのを見ていた。
黒井は2人が先に行こうとしているのを察知して渋々立ち上がった。
「僕も手を繋いで支えてください!」
黒井が2人に近づくが、さっと逃げられ、1人でまた地面に膝をついた。カシャンと黒いの体にたくさんつけられた電灯達のぶつかり合う音がする。
「なんで逃げるの!」
「今はダメだ」
「そうなのよ。私たちは手を繋いでいるんではなくて、気を練っているのよ。お互いの気を送りながらね。それが一番早く気を高められるから」
「もう、僕だけ仲間はずれなのね」
黒井は諦めて1人で立ち上がり、鞄を背に背負った。しょんぼりと肩を落としたまま、2人の後に続く。
「じゃあ行くわよ」
姫の合図で、3人はまた進め始めた。
辿り着いた先には苔むした岩が鎮座していた。卵の形をしたとても大きな岩である。
「つくづく、大きな岩には縁があるようだ。この岩はあちらでよくみたあの岩とは比べ物にならないほど大きい。ただ、なんだか懐かしい感じがしてしまう」
「ついたな」
「ええ。ここね」
岩の周りは綺麗に整えてあり、人の手が入っている様子が見られた。
正面と思しき場所には台座が作られており、お酒の大きな樽が置いてある。
「きちんと祀られている由緒正しい神様がいらっしゃるのかもしれないわ」
「良かった。お酒の好きな方ですかね」
黒井は鞄を開けると、タオルに包まれた大きな四角いものを取り出す。タオルを剥がすとその中から大きな梅酒瓶を取り出した。
黒井がここへ来る直前に、近所へ出かけて行って持ってきたものだ。
[ おや、咲子のところの梅酒かな ]
突然どこから聞こえたのかわからない声がした。
姫と、曼は揃って台座の前に向き直って、膝をついた。正座をすると、手を合わせて礼の姿勢をとる。
黒井はその横で呑気に梅酒瓶を台座の近くに設置していた。
「ご挨拶にお伺いしました。私は異界より参りました森の姫巫女と、その付人の曼です。お声かけいただき感謝申し上げます」
[ よい、この黒井もよく見ていてな。こちらのことは分からぬようだが。ここらのものが気にかけているゆえ、面倒を見てやっている ]
「重ねてお礼申し上げます、黒井には伝えておきます。お察しの通り、こちらは咲子さんにお譲りいただきました梅酒です。最近は持っていくことが叶わないが、昔はよくお供えしていたと聞きました」
自分の名が呼ばれた黒井は一瞬びくっとして、ただならぬ様子を察知したのか、自身も頭を下げた。
「咲子ばあちゃんには、いつもお野菜とかいただいてます! 私はよく可愛がってもらっておりまする!」
黒井は緊張しているのか、上擦った声と、少し調子のおかしな話し方をしていた。
[ そうさな、あれももう歳をとった。ここへ来るのも年に何度か。他にくるのも数人しか残っておらぬな。このところは周りがちと騒がしくて、私もここだけに留まらず、見聞にと歩き回っているよ ]
「お力が森の下の方まで漂っておりました。私たちも、その力のおかげが、無事にここまで辿り着きました。さて、本題ですが、この地の状況について、ご教授いただいてもよいでしょうか?」
周囲にただよっていた光の靄が岩の上の方へ集まっていく。それは岩の同じくらいの大きさに丸まっていき、次第には大きな人の顔のように見えるようになった。
もちろん、黒井には何が起きているのかは見えていない。
[ 私はこの辺りに昔からいるこの岩の化身だよ。話すことがあるのかわからんがね。
私の呼び名は、遠い過去には玉石様と呼ばれていたが、最近ではお岩様とか色々だね。昔は玉のように磨かれていたのだが、今は苔むした岩に違いない。
聞きたいのはそちらから来たもののことだろうか。いるぞ、少なからずな。それによってこの地全体に力の波が起こって、各所で変化が起こっている。
今の所は元から力の溜まりやすい場に集まって来ているが、次第に全ての箇所に蔓延るようになるだろうな。
まるで昔に戻ったような感覚だよ ]
姫は顔を上げ、正面にいる玉石様へと視線を向けた。
「昔、というのは?」
[ そうさね。人がここまで蔓延る前は、ここにも我々のようなよくわからない何かが少なからずいたんだよ。しかし我々は淘汰されその数も減り、今はいつ消されてしまうのかと、自分の番かと思うばかりよ。
しかしこのようなおかしな状況になって、我々の力が戻ってきているんだ。それが何故か、そこまでは預かり知らぬ。
外からの波に押されて、もとよりあったものたちも流されておる。争いが起こるぞ]
玉石様は不適な笑みを浮かべている。楽しんでいるのか、嫌がっているのか、判断はできない。
「…なるほど。私たちはお邪魔でしょうか?」
姫はごくりと息を呑んだ。表情は変わらないが、内心とても不安だろう。
[ どうだろうな。これよりも、多くの何かが入ってきて、我々が消えるならそれも定めだろうとは思うが……そう思わぬものもいるだろう ]
「そうですね……」
[ ……して、力を借りに来たのであろう? ]
大きな顔がもわっと漂いながら動き、姫の目の前までくる。気配に気づいた曼は身を起こし、玉石様へ向けて手を出そうとしたが、姫に静止された。
「貸してだけるのですか?」
[ ーー今の私の力では、君たちに全てを渡しても、きっと物足りないだろう。大きな器だな。それだけ背負うものが多いのだろう。私の願いをひとつ聞いてくれるのなら、君たち私の持つ力を分け与えよう、どうする? ]
玉石様は、ふっと息を吐いた。
吐息は不思議と白く輝いて見える。それは姫と曼へ向けて放たれ、ぶつかると思ったところではじけて消えた。
「何をすれば良いのでしょう? 私たちにはもう頼るところがありません。できることはさせていただきます」
[ 私は君たちに力を貸したら、もしかすると消えてしまうだろう。ここに残れたとしても、もう力がほとんどない、そんな具合だろうな。きっとこれからしばらくの間動けなくなる。私の代わりにこの地にいる人達を守るんだ、それだけでいい。もとより私はあまり動けなくてね、今回は君たちがいて助かったよ。……後は頼んだ ]
話し終えると、玉石様の顔はだんだんと小さくなっていき、姫の顔と変わらないくらいの大きさになった。そしてぼんやりと、その顔につながる体があるように見える。
両腕を姫と曼の近くへ差し出して、そっと触れた。
ピリピリと空気が揺れ、それは黒井にも伝わったようだった。なにやらあたりをきょろきょろと見回して、不思議そうな顔をした。
[ そうだ、君たちのところから落ちて来たものがあるんだ。いつだったかな、この岩より更に上、山頂の方に君の力と似たような力を感じるものがある。向かうといい ]
「ありがとうございます。行ってみます」
玉石様の顔は煙が薄くなるように霧散して、見えなくなった。
姫と曼はゆっくりと立ち上がる。
2人の体から、白い靄が薄っすらと出ているように見えた。それに対して、あたりにあった靄は薄くなっていく。まるで2人に吸い込まれていくようだ。
「あれ? 行くの? 終わり? どうなったの?」
急に立ち上がった2人を横に、状況のわからない黒井がひとりでおろおろしている。
[ 時間がない……近づいているぞ ]
姿はないのに、玉石様の声だけが響いた。
どこから遠いところから、ざわざわと不穏な音が響き始めた。
「なんの音すか?」
「黒井にも聞こえるのなら、実体のある何かの音でしょうね」
「近づいてるってよ」
あたりに広がっていた靄は全て消え去り、景色は夜の暗い森となる。
黒井が動き回り、時折電灯の明かりがちらつくだけ。
ざわざわと、こちらへ近寄ってくる音がやんだ。今度はおかしなくらいの静寂が訪れた。
『なんだ? ここら辺にあったはずな力が消えたのか? いや、お前らに先に食われたのか。まあいい、俺がお前らを食えばいいんだからな』
低くこもった声が聞こえた。
姿は見えず、ただその声と、黒井の小さな悲鳴が響く。
「俺にも聞こえるんだけど! 何これ!」
黒井は慌てて近くにいた曼にしがみついた。
「お出ましのようだ」
『なんだお前らは、どうして俺を怖がらない?』
「おめえみてえなのは何度も倒してきたからさ!」
『なんだと!』
玉石様の岩の後ろから、大きな百足が這い出てきた。ばたばたと足を動かし、頭を高く持ち上げた。
「これ! 鉄くんの言ってた大百足っすよ!」
黒井が叫んだ。
「あちゃー、こっちにきたのか。どう、曼ちゃん大丈夫?」
曼は両手を何度も握っては開きを繰り返し、具合を確かめると大きく息を吸って吐いた。
「いけそう?」
「ああ、いつもの半分もいかないが、このくらいなら大丈夫だろ」
曼は足にしがみつく黒井を軽く蹴飛ばし退かせると、両手を空へと伸ばし一際大きく息を吸った。
「出ろ! 曼龍ー!」
突如、空から雷が落ち、曼の手には曼龍が現れた。ぶんぶんと振り回して体の前で構えると、大百足の方へ曼龍を向けた。
「よう、俺が怖くなったか?」
『雷の大刀使い……お前、人鬼か。お前までここにいるとは……』
大百足は明らかに狼狽え、その身を捩りながら少しずつ後退していく。
その間に姫が黒井の首根っこを掴み、そっとから離れた。
「なんだぁ。俺のこと知ってんのか。じゃあさっさとやっちまうぜ!」
曼龍を振り翳し、顔の前に掲げると、刀身に手を添えた。
「雷鳥-飛翔」
曼が唱えると、雷の大きな鳥が現れた。尾の長い、そこにいる3人と比べてみても大きな鳥だ。それが空へと羽ばたき、曼龍から飛び立った。そして稲妻を飛ばしながら、大百足へと飛びついた。
激しい雷光が空高く飛んでいく、雷鳥は後退して逃げる大百足追いかけていき、その体に噛み付いた。
『ぐわあ! くそっ』
大百足は口から瘴気を吹き出し、体から毒液を撒き散らし、大暴れしている。
身を捻りながら雷鳥から逃げると、闇に紛れて逃げていく。雷鳥は弾き飛ばされた衝撃で弾けて消えた。
「おい! 逃げんのか!」
曼が叫んだが、返答もなく、あっという間にその場から去っていった。
がさがさと大百足の逃げ足が地鳴りのように響いた。
「やっぱり虫だな、逃げるのが早え」
曼は曼龍を肩に乗せ、大百足の向かった方向を見ている。
姫と黒井は曼の元に戻ってきた。
ここら一帯に響いていた怪しげな音はなくなり、静かな森の雰囲気になった。
「いやー。流石っすね」
黒井が蹴飛ばされたのにも関わらず、めげずにまた曼にしがみついた。




