大百足と虫妖怪の大群
※虫の妖怪が出ます。
虫の動きや描写があります、苦手な方はご注意ください。
窓から湿っぽい風が入る。
「…… 嫌な臭いだ」
だんだんと悪臭が近づいてくる。
この臭いは知っている、昨日のあいつだ。
「百足の野郎、俺のことを狙ってやがるな」
それにこの臭い、他にも何かいる、それもかなりの数だろう。遠くにいる嫌な臭いがだんだんと集まって近づいてくるのがわかる。
少し前、姫と曼を背負った黒井がここを出た。
慌てて騒ぎながら、何かを探したり、どこかに行ったり。帰ってきたかと思ったら、またなんだか支度を始めて、やっと出発だと。
少し遅くなったと言っていたが、かなり遅かったようだ。
「これじゃあ間に合わねえな」
四半刻もすれば、あいつらはここへ着くだろう。
それとも全てが集まるのを待ってから来るだろうか、それならもう少し遅くなるかもしれない。
どこかで人を襲って暴れられるよりは、ここに来てくれた方が楽だが、それでも限度がある。
「これだけの数がこっちに来ていたのか」
隠れて身を守っていた奴らが集まって動き出してる。ここに何かがあるとわかって来ているはずだ。
そうじゃなきゃ、こんなに群がることはないだろう。
曼が落ちて来た時、大きな雷が落ちた。曼のいたところだけじゃねえ。いろんなところにだ。
あの時、空気が変わった。確実に、大きな何かの力を感じた。きっと俺だけじゃねえ。
それに姫も、多分だが、本当のあっちの姫だった。最初に見た、誰だかわからねえやつじゃない、姫だった気がする。
あいつの力が戻るなら、そりゃ確かに強いんだが、強い力は狙われる。それは俺だって、曼だって同じだが、あいつはまずい。
俺や曼は戦うしかできねえが、姫は違う。やられたら面倒だ。
「くそっ。葵毘があればこのくらいなんともねえのに」
今日は新月だ、あちらの夜ほど光が完全になくなるわけではないが、夜の方が力が強くなるのは変わらないだろう。
そろそろの刻だ、一番暗い時間を狙って来ているな。
「あいつの言う通りかよ」
姫が出かける前に、用意していったあのドラム缶ってやつに火をつけるしかない。
[ーーいいかい、鉄。虫は基本的に火や煙が苦手だ。でもね、ここは森の中で全部が燃えてしまう。それでは困るから、ここに火をつけるんだよ。油入れておくから。
おかしいと思ったら、何か変なことがあればすぐに火をつけること。もし煙が上がれば何かあったのだと、私たちも気がつくかもしれない。
いつ戻るのか、戻ったところで力が回復しているか、それはなんとも言えないが、もしダメなら一緒に死んでやるから]
俺は窓から外へ飛び出し、言われていた通り火をつけて回る。
火は8箇所、ここの外の広場を丸く囲むように置いてある。この中で全て始末しないとならない、逃げ出されて追いかけるのも不便だ。
生ぬるい嫌な風が吹く、せっかくつけた火が、揺らめいて消えそうになる。
もしかすると、風を使う奴がいるのかもしれない。
火が消されたらまずいな、視界も悪くなる。
それに俺は今素手で殴るしかできない。松明を投げつけてやろうと思っているんだが、うまくいかないかもな。
全てに火が回った頃、森の方からは怪しげな音が響き渡っていた。
かさかさと小さな何かの動く音、がさがさと大きな何かの歩く音、ぶんぶんとは虫の飛ぶ音。蠢く何かの集まった音がどんどん大きくなっていく。
広場の真ん中で胡座をかいて座っていると、建物の後ろの方からは何かのいる気配がない。
いるのは俺の正面、広場から森に繋がるその向こう。
「思ったよりも少ないか?」
昨日の百足の臭いに加え、たくさんの臭いが集まっている。数の把握は難しい。
それにこの音だ、大小関係なく集めたんだろう。
時刻はもう丑の刻を回っているだろう、そろそろ出てきてもいい頃合いだが、奴らは森から動かない。
「おい、百足の! いるんだろう! なぜ出てこない」
怒鳴りつけたが、反応はない。
いっそこちらから森に入ってしまうか、膝を上げ、立ち上がろあとすると、森の中の騒音がピタッと止んだ。
「「……時を待っているのさ」」
虫たちのざわめきが混じった、怪しげな声が響いた。それはどこから聞こえるのか、どこからも聞こえる気がする。
「なんだと?」
「「お前もわかっているだろう? この土地を守る、弱々しい何か。それすらも今食ってしまうところなのさ」」
「お前! 森の中で別に動いてんのか!」
「「くくく、お前が犬神だとわかったからね。お前らは鼻がきくだろ?」」
何かが動いてこちらに来る。
咄嗟に身構え刀抜こうとして、何も掴めない手はただ握りしめただけだった。
目の前に出て来たのは昨日の百足だが、頭がない。千切れた胴体と足があり、どうにもその丈は短い。昨日見た大百足と比べたら、おそらく半分もない。
「お前! 頭どうした!」
「「百足は体が半分になっても死にはしないよ。途中で血も撒き散らした。そう、この辺りにはこの臭いでいっぱいだよ。頭の方がどこにいるか、お前にはもう分からないだろう!」」
急に大きな声をあげ、百足の下半分が突撃してくる。
「小癪な!」
俺は近くの火に刺しておいた松明を取り、百足に投げた。その火に慌て、百足は狼狽える。その隙に爪を立て、手の届くところにいるその足を切り裂く。
やはり火が苦手なのか、焼かれたとこらは脆くなり崩れていく。簡単に爪で引き裂くことができる。
ーーおかしい、昨日はこんなに簡単に切れなかったはずだ。
「「馬鹿め! こちらはもうただの抜け殻よ! 私の声を伝えるだけの残りカスだ! この辺の羽虫どもと遊んでいろ!」」
百足はバタバタと足を動かし、切り離し、飛び立った足が跳ね回った。それを口切りに、森に潜んでいた虫たちが一斉に飛びかかってくる。
「くそっ!」
体に目掛けて飛んでくる虫たちを掴んでは投げつけて、握りつぶしを繰り返すがキリがない。いたるところを刺され、噛まれ、細かい傷が増えていく。
毒を持った虫もいるのか、なんだか体が痺れてくる。この程度の毒なら死ぬようなことはないが、少なからず動きに影響がでそうだ。
それにしても数が多い。広場の地面はそのほとんどが虫たちで真っ黒だ。
何個かのドラム缶の中には虫が大量に入り込み、燃えていたはずの火は少しずつ掻き消されていく。
慌ててドラム缶をひとつ蹴り飛ばし、その周りにだけは、火が飛び散った。その真ん中に飛び込み、地面をごろごろと転がって体についた虫たちを追い払った。
「あちちっ」
ある程度の虫たちは火にやられ、潰されてどこかへ行った。これ以上は体が燃える。
火の中から転がり出て、自分にまでついた火を消す。身体を叩いていくと、体についた虫はほとんど焼けていたが、森からはまだ虫たちが這い出てきている。
「雑魚ばっかりかよ!」
投げ飛ばした松明を拾って、それを武器に振り回す。どうやらこちらは本当に揺動だけのようだ。
本命はこの土地の守り主の方だ。力を奪ってから、こちらも始末しにくるのだろう。
ここきたのは足止めのための、ただの数が多いだけの集まりだろう。術を使ったりする強い妖はいないようだ。ここにいるのは言葉も話せない、理解もできない、操られているような小物ばかり。妖とは呼べないただの虫や蛇、蛙まで混じっているようだ。
「けっ、虫どもしか操れん小物のくせに! 俺にだって葵毘がありゃあ手こずらねえよ!」
刀の代わりに松明を振りかざして、ひとりで虫の大群と戦い続けた。
「生きてろよ」
手助けしてもらえるか、そもそも力が回復できるか分からないが、森に向かって行った姫と曼。おまけに黒井までいる。
ついさっきまで寝込んでたやつらに、昨日のあいつと戦えるとは思えない。
なんとかして、ここから出られれば。
ぐっと足に力を入れて、高く跳躍した。建物の上の方まで飛び、山の方の木へ飛び移ろうーー
ーーバリバリバリバリ
一瞬あたりに光が放たれる。その後に大きな音が響き、山の中で雷が落ちた音がしたのだと気がついた。
木に飛び移れずに、その広場に着地した。
雷の落ちた方の空を見上げるが、その辺りに人影はない。
「間に合ったのか!」
今度は雷が山の中から空へと上がっていき、空には雷雲ができていく。
山の方を見ていた一瞬の間、意識がそちらへ取られた隙に、虫たちが体を登るのを払い遅れた。あっという間に体を覆い尽くしてしまう。
「しまった」
俺の体は虫に覆い尽くされ、視界は遮られ、虫の蠢く音ばかりが聞こえた。