巫女の私と人の私の境界
「……」
まただ、ここはどこだ。
体を起こそうとするも、なんだかうまく動かせず起きられなかった。
「気がついたのか?」
声をかけられ、なんとか動いた頭だけを動かして、周りを見る。
側に見知らぬ女性がいたようだ。滑らかに回転する椅子に座っていて、椅子に乗ったまま器用に足を動かしこちらまで滑ってきた。全身黒い服で、黒いコートのようなものをきている。それに対照的な真っ白の髪、頬や、指の張りから若い女性だと思えた。大きな瞳がとても強そうな女性に見せていた。
私の手を取って、脈を取り顔を触り始めた。
「あなたは?」
「ん? ああ医者だよ。気にしないで」
医者には見えない怪しさがある。しかし手つきはこなれていて、嫌な感じはしない
「君は2日ほど眠ったままだったよ、もうほぼ3日か。心配した黒井が私をよこした。そんで、隣の男は君に力を吸われて今朝から寝続けてるそうだ」
隣には曼ちゃんが眠っていた。私と手を繋いだまま。
「力の使いすぎか。また起きられなくなってしまったんだね。いや…」
医者という女は、私から手を離し、近くにあるテーブルに戻っていった。
「君は生まれつきに力を取ったり与えたり、ということができる、いやできたそうだね。この子に聞いたよ。それゆえに人としては生きられなかったと」
曼ちゃんがそう言ったのなら、それはあちらの私が話したことなのだろう。
「確かに、私は力を貯めておいて、誰かの治療をしたり、力を渡したりということが可能でした。こちらの世界でそういったことができるとは思っていませんでしたが、いえ、今までは確実にできていなかった」
私は曼ちゃんの方を向いた。その頭を撫でると、長かった髪がなくなっていた。
「まあ、今の君はこの子と出会ったことで何かが変わった。そして今は無意識だろうが、やっているんだと思うよ。この子はそれで眠り続けている。不思議だね。この子は昨日、いきなり髪を切ったそうだよ。そしてそれを君に持たせた。そして君は少し顔色が良くなったそうだ。私はその後に来たんだけど、その後からこの子は眠っているんだって」
「ねえ、鉄がいるでしょう? 呼んでくれない?」
「わかったよ」
医者は出て行って、すぐに黒井と鉄がきた。
「起きたんだね! 良かった!」
「何が起きてんだよ、曼が眠ったままじゃねえか。そんなに悪いのか?」
黒井がすぐそばに寄ってきて、鉄はその後ろにいた。医者はまたすぐに椅子にかけた。
「鉄も手を貸してくれる?」
私は少しだけ手を持ち上げた。
鉄はため息をつくと、私の手を握った。
「ほらよ」
「助かる」
とりあえず、動けるだけの力でいい。
私はふっと息を吐き、目を閉じる。
体に気を巡らせてみる、悪いところがあるわけではないな。単純に足りない、一体どうしてこんなに疲弊しているんだ。
鉄から力を分けてもらう。これは思っていたよりまずいな。
「鉄、悪いね、多めにもらう」
「好きにしろよ、こんなところで死なれても困る」
私は動けるようになるくらいには力をもらって、ようやく手を離す。
「黒井、鉄にも椅子あげて」
「承知しました!」
黒井は医者の横にあったもう一つの椅子を運んでくる。
「それで、元気になったの? あなたは」
医者がこちらを向いて問いかける。鉄はどかっと椅子に腰掛けた。
私は曼ちゃんと繋がれたままの手を離し、体を起こした。お腹の上に、曼ちゃんの黒い髪が束ねて置いてあった。これはもう空っぽだ、ただの髪だ。
なんだか自分の髪が長く、手や体に引っかかって身動きがしづらい。
「ええ、体を動かす程度にはね。どうにも空っぽみたいよ。私の体は」
私は手を開いたり、握ったりしてみるが、動作には問題はなさそうだ。
「姫様、ですね」
「ええ、不思議な感じね。こちらの私との境界が朧げだ。行ったりきたりしている気がする」
「そうなんすね? 姫様はこちらのことも知っているんですか?」
「そうね。こちらの私と同じように夢をみる。うーん、私たちはお互いに鏡の前に立っていて、お互いの世界を見ているような。でもその鏡が割れて、私たちは今手を繋いで繋がっているくらいかな。もう少ししたら溶けてひとつになるかもしれない」
私とあの子はおそらく根源は一緒なのだろう。私の最後と、あの子の始まりは酷く曖昧だ。根源だけじゃなくそもそも同じ可能性もあるが、そこまではまだ分からない。
「不思議っすね。だいぶ長い間、ぐっすりと寝ていましたよ」
「そのようね。紅蓮と会った時の夢を見ていたの、長い夢ね」
「体は辛くない? 髪はだいぶ伸びましたよ、この2日でね」
黒井がどこから持ってきてのか、手鏡を差し出した。
「そのようね」
今の私の姿は、おそらくあちらの私の姿と似ているだろう。自分の顔がどんなだったのか、もうよくわからない。
髪をすいてみると、膝くらいまではあるだろうか。
体の状態を整えるために力を消費したのだろう。こちらの体が、あちらの体に近づいているのかもしれない。
「大丈夫だと思うわ。お腹が空いたくらいかしら」
「それは大丈夫っす! 曼くんが眠る前に大量の味噌汁を作りました。絶対腹減ったって騒ぐって」
黒井はOKサインをして、ぴゅーと走って行ってしまった。
鉄も少し疲れたのか、椅子で腕組みをしてぐったりしている。
私たちより根本的に強い体をしているから、多分食べれば回復するだろう。
私もたくさん食べて、できるだけ体力を戻さないとまずい。
「君たちの話は、とても信じられないものばかりだな」
医者は足を組み替えて、私体の方を見ていた。
「医者のあなたはなんて名前なの?」
「ああ、私はヤブと呼ばれているよ。藪医者のヤブだね」
「ヤブね、わかったわ」
おそらく、それなりに腕のいい医者なんだろうけど、医者には見えない格好に仕草は確かにヤブ医者と言われても仕方ないように感じる。
「君はここへ来た初日、彼氏くんと一緒にここで眠ってから、今まで起きていない。今日は3日目の夜。不思議なことに体にはなんの異常も見られない。血液検査をしようとしたけど、君の彼氏に止められてそれはできていないよ。私は幽霊だ妖怪だなんてあまり信じてはいない方だが、このよくわからないあなたの変化や話を聞くと、どうにも信じないといけない気がしてくる」
「私の体の変化はどうして起きたのかはわからないけど、世界の状況がそうさせているのかもしれない。曼ちゃんが私のことはよくわかっているから、特に騒がれずに済んでよかったわ。私が何日も眠ることはこれまでもあったし、力が戻れば起きることも当然知っている。ここまで消耗するとは思ってなかったけどね」
眠る曼ちゃんの顔色はあまり良くない。髪も切ってしまったし、私とずっと繋がって力を分けていたのだろう。
私が早く回復して、力をつけないといけないな。そっと曼ちゃんの頬を撫でた。
懐かしいような、当たり前のような、色々な感情が混じっていて、私もまだ自分の感覚がよくわかっていない。
「姫様、質問がある。髪は力を溜める装置のようなものだと聞いたよ。だから君の髪は伸びたの?」
ヤブは、私の上に乗った髪の毛を指していた。
「曼ちゃんの髪の力をもらっても、私の髪は伸びないと思うわ。私の髪が伸びたのは、これとは関係なく、あちらの私の状態に戻ろうとしているんだと思う。こちらの世界があちらの世界に近づいているように」
「そういうこと。じゃあ私の仕事はないわね」
なるほどと、納得したヤブは、お役御免だねとヒラヒラ手を振っていた。
「そうね、私は医術は使えないけど、治療はできるから。曼ちゃんのことは大丈夫よ」
「それよ! 私が気になるのは、どんな原理なのか。まあ元気になったら教えてもらうわ。今日のところはお邪魔だろうし、お暇しますよ」
それだけ言って、ヤブは部屋を出ていく。
「黒井ー。私、帰っかんね。さいなら」
鍋を持った黒井と鉢合わせたヤブは、それだけ言って帰って行った。
「え? ヤブちゃん? 帰るのー?」
返事はなく、颯爽と立ち去ってしまったようだ。
一瞬、その場は静まり返る。
「まあ、みんなで飯にしましょ」
黒いが意気揚々と鍋を掲げた。
曼ちゃんはお団子の入った味噌汁を作っていた。黒井は温めずにただ持ってきたので、温め直してもらい、ようやくご飯を食べた。
私の部屋で私はベッドにいるまま、黒井と鉄とで集まっての食事だ。
「寝ている間に何かあった?」
私が聞くと、黒井が答えた。
「姫様が寝ている間に、鉄くんはとりあえず一度仕事に行ってもらいました。この近くの民家に大きな虫が出たっていう通報でね。えっと人くらいの大きさの虫が出ただっけ? 百足? なんだっけ?」
「俺が見たのは大きな百足だったんだが、それなりに強かった。気配的には複数いるかもしれん。倒せないまま逃げられたんだ。素手ではやりにくい。それと俺を知ってそうだった」
「ーー鉄のことを知ってる?」
「いや正確には、お前は犬神の一族かって聞かれただけだ」
「そう」
犬神の一族は、何も鉄だけではない。1番強く有名だったのは親父様だ。ただ親父様の死については、謎が多い。何かの事件が起きていたこともあるし、それに関わる情報は私にはさほどない。
色んな妖や、精霊たちだって犬神についは知っているものは多いだろう。
「犬神の一族はあちらでは有名だからね。それに親父様は大神に連なる神として、大きな地域をまとめていた。知っているものも多いでしょうね」
「俺は親父のことは知らねえ」
鉄はぼそっと言う。
「そうねぇ。親父様は死んでからもう長い時が経っているし、鉄はまだ生まれて間もない頃でしょう? 鈿がまだひとり立ちして間もない頃のことだし、仕方ないでしょう」
そう、私があの時のあった親父様は、攫われた鉄を探している最中だったらしい。親父様には子どもは2人しかいない。
「あのう、姫様はおいくつなんですか?」
黒いが恐る恐る聞いてきた。
「そうね、私は人であって人ではなくなってしまったから。いろんな場所で行ったりきたりしているし、200年ほどは年数を超えていると思うわ」
「ひよえー! そんなに先輩だったんすか!」
「こちらの体はまだ22歳だけど、向こうでも体の年齢としては18歳くらいかしら。体の成長はもう微塵もなかったから。姿を見てもわからないでしょう」
「そんなことあるんすね。もう訳がわからないっす」
「鉄だってあれで100年は生きてるわよ」
「そうなんすか! 嘘でしょ!」
「俺は時間なんて数えねえからわかんねえよ」
「そうね。神に連なるものとして強い力があるけど、まあ鉄はそこまでではないからな。鈿の方が神としてしっかりしているでしょうね。
鈿とあったのがはじめてあったのは150年くらい前かな。私が覚えているのはそのあたりまでね。流石に生まれた頃のことはわからない」
「ほげー。たまげたー。鉄くんの話はまた後で詳しく聞きたいっすねー」
「聞くことなんてねえぞ」
鉄は少し不機嫌になる。鈿と比べられるのは好きではないのだ。そしていつも喧嘩になる。
「ちょっと話は変わるけど、こちらでは精霊や妖ってのはいないのが普通なのよね?」
「そうだと思いますよ? いやね、幽霊や妖怪、鬼、悪魔、色んなものがいると信じられてはいますし、そういうのを相手にする職業の方がいますが、現状のように実体化して被害が出るなんてことはなかったっと思いますね」
「そうよね、力が弱いものは実体を持たない。それはあちらでも同じ、でも実体があって、かつ言葉を話し、姿形が人に近くなっている者ほど、持つ力が大きくなってくる」
「人型の妖、鬼とかってことですか?」
「鬼と言っても色んなものがいるんだけど、あなたの思い浮かべているのが人の姿で言葉を話して、人を誑かすものだとしたらとても大物ね」
「そうなんすね。アニメで見る鬼ってのは強いってことかなぁ。それくらいに思ってないと俺には難しいや」
「まあそこまでのものが現れたら、まず普通の人では対象できないでしょうね。今の鉄では難しいし、私たちもこの状態では無理」
「姫様達が無理なら我々は死ぬしかないっすね」
おちゃらけているが、真面目な話、今、何か強いもの襲われたらみんなで仲良くやられてしまう。
「俺も素手ではやりにくい、葵毘、刀がないとな」
「そうね。こちらにあるなら、私が居場所を探すことはできる。力が戻ったなら、だけどね」
「とにかくはみんな力を集めなきゃなんないんすね」
「そうね。鉄は刀を通すことで力を行使する戦い方。私や曼ちゃんはその場にある力を集めて自分の糧とする。この世界がもう少しあちらと似てくるのなら私たちも力が増える、でもそれは私たち以外もそう。
例えばここにたくさんの気が満ちていれば、ここまで力不足で寝たままになることはない。
それにあちらでは近くに精霊達もいて、少しずつ手助けしてもらうこともできた。
精霊達が生活するのに、力のある場所に集まる、みんな集まった方が支え合える、それは人でも同じでしょ? みんな集まって暮らしていた。
まあ私達は人でもあるから、その場所にいるだけではダメで、食事も必要にはなる。それは精霊達とは違うところ。
だから力のある場所を探すのは一つの手段としてありだと思ってる」
「姫様達の回復の方法って事っすね」
「そうね。そして、他に精霊がいるのだとしたら、会って話すことができる」
「なるほど、それは一石二鳥すね」
「でも、力の強い場所にも、良いところと悪いところがある」
「詳しく教えてください。そしたらうちの職員で探すのは手伝えます」
「そうね、私たちの住処と近いところだとすると、この世界での神様の進行や、自然の場所で神聖とされるところが当てはまると思う」
「ふむふむ、では悪い方は?」
「その逆ね、悪い噂の集まるところ。もし事故や事件、何かの被害が集中する場所があるならそこにはそれらが集まるだけの何かがあるってこと」
「心霊スポットにおばけ出るのと一緒っすか?」
「恐らくはね。そのおばけは、多分、私たちの言う邪気や醜気ってところだと思うわ」
「ふむふむ」
「この近くの、水の沸くところに行くといい。そこの水は綺麗だ、何かしらいいと思う」
急に鉄が会話に入ってきた。
何回もお変わりして満足したのか、お椀を置いてじゃあと出て行った。
「そうっすね。水汲みは鉄くん担当ですが、一緒に行くのはありっすね」
「わかったわ、では明日の朝1番に行きましょう。早く回復しないとまずい気がするの」
「そうっすね! このところ毎晩虫妖怪? の目撃情報があるから心配っす」
「……それを早く言ってよ」
今日の晩も何かが出る可能性が高い。
そうなるとここだって安全かはわからない。鉄が言ったのは、これから行けと言う意味だろう。
「黒井、湧き水の場所知ってるの?」
「一応知ってますよ。ただ行きにくいんすよ、鉄くんは鼻が効くから迷わないけど、GPSくるっちゃうみたいで近くには行けるけど、ちゃんと辿り着くかあやしい感じです」
「そう、じゃあすぐ支度して」
「え? 今行くんすか? 夜8時っすよ?」
「そうよ、丑三つ時になる前に帰ってこないと。黒井は曼ちゃん背負ってね」
「ええー! そんなー!」
黒井の情けない声が響く中、曼ちゃんはまだ眠ったまま起きない。でもその顔色は少し良くなったように見えた。