頭痛の種と記憶の種
▪︎ ▪︎ ▪︎
そこは見慣れた森の中の、泉のほとりの大きな木の近くだった。
「じいさま、きょうはどこえいくの?」
「今日はね、外へ行っておいで。ちょうどお前くらいの子がいるだろうから」
「はーい」
じいさまはいつも、森にいる。そとへは出られない。わたしは、しろと、くろと、いっしょにそとで学ぶ、をしなくちゃいけない。
「姫様、今日は遊ぶ日ですよ」
「長老が川辺の抜け道へ行けと言いました。あちらに行きますよ」
「はあい」
かわべのぬけみちにいくときは、ひめはみこふくをきる。
みこふくは、じいさまがつくった。いずみの石の、おまもりがはいってるんだ。
しろとあかのひらひら、でかわいいからすき。
「着替えましたね。では行きましょう」
「行きましょう」
しろとくろと大きな石のところについた。
「今日はいい天気ですね」
「きょうはいいてんき。おてんとさまね?」
「そうですよ。お天道様がご機嫌ですね。穏やかな春の日和のようですね」
「はるですね。お花がたくさんのとき、ですか?」
「そうですよー。しろもくろもお花が大好きですよー」
みんなでおはなししながら、あるくのがすき。すきはたのしい。
「おや、あちらに何かいます」
「誰でしょう、とても大きいですね」
しろとくろがなにかを見つけた。
わたしはしろとくろとそっちにあるいた。
大きなひとがいた。
かみのけはまっしろで、あたまからあしまである。
きらきらでいっぱい、きれい。
「おや、珍しいな。こんなところで森の住民に出会うとは……それは人の子か?」
大きな人がこっちにきた。
もうひとりいた、おとこのこ?
「わーい。たかいだっこ」
おかおがちかくなった。ほおずきいろのきらきらおめめだ。みんなわたしのすき、です。
「これはこれは。犬神様ですね」
「こちらは森の姫です」
しろとくろがくるくるしていてたのしいみたい。
「ひめ、きらきら、すき」
「姫様! 髪を引っ張ってはダメですよ!」
「姫様! そんなにお顔を触っては失礼です!」
しろとくろ、おこっている。おこるはだめをしたら、
「ひめ、ごめんなさい、ですか?」
「よい、気にするな。可愛いものだ。うちの息子は稽古せよと急かすのだ、刀を投げるぞ。このくらいなんともない」
「姫様、犬神様です。ご挨拶を」
「ひめです」
「姫な。よろしく。俺は親父で良いぞ、可愛い娘のようだな」
「おやぢ? です?」
「そうだな。親父だ」
この大きいひとはおやぢ、です。忘れてはいけないです。
「後ろのはご子息ですね」
「名はなんと言います?」
しろとくろ、おとこのこのほうへいった。
「……デン」
「デン様、私はしろです」
「私はくろです、あちらは姫様。よろしくお願いいたします」
おとこのこはあっちをむいた。あれははずかしい、のやつです?
「そう。鈿というのだ、仲良くするといい。年も近いだろう。ほれ、おろしてやろう」
「おとこのこ? でん、ていうの?」
しろいさらさら、おやぢとおなじできれい。
「あそぶ?」
「遊ばない」
おとこのこは、あるいていきます。
「こら、鈿。全くあいつは子ども気のない。ヒメは遊ぼうと言っているぞ」
「姫様、鬼ごっこではないですか?」
「鈿様は、逃げる。姫様は追う、ですよー」
おにごっこ、このまえ学んだ。しろとくろとそらとぶけいこ。
「とぶけいこ? おにごっこ?」
「そうです」
「またやってみましょう」
でん、とおくにいってすわった。
あそこまでいくけいこ。
「えっと、かぜのおともだちとなかよくする」
「そうですね、そしたら少しずつあったかいですよ」
「そうですよ、姫様。体を全部あったかいで飛ばしますよ」
しろとくろにてつだってもらって、すこしずつとぶ。
「術の稽古をしているのか。すごいな姫は。うちの鈿は剣ばかりでな、これは面白いことになるぞ」
でんのとこまで、とぶ!
「な! お前飛ぶなよ」
でんはちかつくとにげた。とんでないけど、はねるのがじょうず。
「でん、にげない! あそぼ!」
「ついてくるな!」
「姫様、頑張って! 一緒に追いかけましょう」
「そうです。もっと早く飛びましょ!」
しろとくろもおかおのちかくで、いっしょにとんでる、たのしい。
「どれ、俺も追いかけてやろう。姫も逃げるといいぞ。俺は早いぞ」
おやぢ、とおくのこえしたとおもったら、もうとなりにいた。はやい、どうやってるの?
「捕まえた!」
おやぢにぶつかっちゃう、にげる、あれ? なんかもうとんでない。
「わー! つかまった!」
おやぢのはんたいの手に、でんもいた。
「くそっ」
「でん、つかまってる」
「2人とも捕まりました。犬神様早いですからね」
「そうですね。いい稽古です」
「ほれ、2人ともまた逃げるんだ」
わたしもまたとぶ、にげる。
川の上のところいけばーー
ーーあれ落ちてないこれ?
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ーーバシャ
すごい音を立てて水の中に落ちた。
髪も服もしっかり濡れた。体が半分浸っている、ここは川だろうか?
頬に髪が張り付いて鬱陶しいので、風を起こして全て水分を飛ばしてしまおう。
「風の子たち、手伝っておくれ」
パンと手を鳴らして、風を起こし全身の水気を払った。体から出た水分が周囲にばしゃっと飛んでいった。
少し歩いてみて、あたりを見回してみると、そこには見慣れた大きな岩があった。
「懐かしい、最近はここに繋がることはなかったな。一体今はいつなんだろう」
少し肌寒い、季節は秋だろうか。まだ緑のままの木々たちと、少し枯れたような葉が舞う風の匂い。川の水はだいぶ冷たかった。もう少し歩いてみよう、きっとここにきた理由もわかるだろう。
なんとなく、上流へ向かわねばならぬような気がして歩み始めた。
そろそろ日が沈む頃だろうか、月も日も見えないが、橙に近づいていっている空模様に見える。この時分、森の近くの川辺に近づこうなどと思う人はいないだろう。
少し歩いて行くと、どこからか血の匂いがした。
「なんだ、人ではないな。何かあったか?」
急に呼ばれた気がして、誰にも告げずに出てきてしまった。曼ちゃんも碧も姐さんも、心配しているかもしれない。
「ーーーー」
何かいる、パッと川の近くの茂みから何かが飛び出してきた。
反射的に風の術を組もうと手を前にかざし、動けなくなった。そこには懐かしい顔が見えたのだ。
「親父様じゃないか」
幼い頃によく遊んだ犬神様の姿がそこにあった。
「誰だ? お前は」
酷く警戒した様子で、両手には刀を持っていた。どこからか逃げてきたのか、息が荒く、血が滴っていて、この辺りの匂いはどうやら親父様からのようだ。
私は手を元の戻し合掌して、お辞儀をした。
「森の姫巫女です。ご無沙汰しております、親父様」
「お前、姫か? これはまいった。つい先程まで幼子ではなかった」
親父様は少し警戒をといたのか、ほっと息をつくと、途端に地面に崩れ落ちた。あぐらをかいて今にも倒れそうな様子。
「親父様、事情は聞きません。少しだけ、姫に頼ってください」
私は親父様の体が支えられるくらい近くにより、膝を折りそっと頬に触れた。かなり冷たい、ここまで参っている親父様は見たことがない。
地面に座り込んで今にも前に倒れてしまいそうで耐えているのか、大きく震えている肩。そして握りしめているのに、地面に寝かせたまま持ち上げられない刀。
怪我をしているのがどこなのかすぐには見えない。服のたくさんの場所に血のしみがあった。出血が多いかもしれない、まずは体力を回復させないと、怪我の回復の時間が取れない。
「親父様、私の気を流し込みます。少し辛いかもしれませんが、耐えてください」
「構わぬ、俺はもう長くない。この傷では、あと少し持てば良い、頼む」
それだけ言ったら意識を失ってしまった。
かなり無理をしているのだろう、きっと話すのもつらいはず。刀を持つ手は開くつもりがないのか、握られたまま。少しだけでも動けるようになったら、そのままいってしまうつもりなのだ。
どれだけ治せるだろうか、私の力は人のものに近い、完全に神格化している犬神様とは少しことなるが、私ももはや人ではない。それに急がないと、このままでは…… 。
「親父様、いつの間にこんなに小さくなっちゃったのよ」
私はぎゅっと親父様を抱きしめた。私の手では背中をぐるっと回すには少し足りない。可能な限り力を分けて、直せるだけの傷を治そう。最後の戦いに行かせてあげられるように。
こんな時のために、私は術を学んだのだろうか。全てに意味があるはずだと、考えるのだと爺様はいうけど、死ぬために治すなんて、なんて心苦しいのだろう。
「…ここは、どこだ」
「親父様気がついた?」
「ああ、なんだか目がよく見えなくてな」
「さっきからそんなに時間は経っていないよ。目が見えないんだね? じゃあとりあえず目を治してみようか」
私は親父様の右眼にそっと口付けをした。両腕はもう精一杯、力を流して身体の治療をしている。それに目が見えないなら、戦うのを諦めてくれるかもしれない。
「ああ、少し見えたよ。姫、美しい娘になったな。人とはこんなに早く大きくなるのか」
驚くほど気丈に、普通に話している。声を出すのは辛いはずなのに。
「私はひずみにいるものだからね、人とも親父様とも、同じようで同じではない時の中にいるんだ」
「そうか、お前は迷いの森の巫女だったな」
そう話しながら大量の血を吐いた。私は血だらけになってしまったが、今手を離したら親父様は倒れてしまう。構わず治療を続けた。
こんなにむせこんで、とても話せる状態ではないはずだ。それなのに何故か、穏やかに笑って見える。
「親父様、だめだよ無理して話しては。治らなくなる」
「腑がとられている、そう長くは持たんよ」
かなり沢山の気を流し込んでいる。溜め込んでいるものはほとんど使った、それでも体の傷がなんとか塞がっているかどうかのところだろう。動き回ったらすぐに傷が開いてしまう。それにこの腹の傷はすぐには治しきれない。
「時間を頂戴、森の泉に行けば少しずつ治せるから」
「駄目なんだ、姫。俺の息子が囚われているんだ、助けなければ」
「親父様、だめだよ。あなたもこの傷でどれほど動けるか……」
「ああ、そうだろうな。わかっている」
私はもうこれ以上はと、気を注ぐの止めた。ただぎゅっと抱きしめた。これ以上治しても、体が万全になるまで治すことはできない。それなら私が行ってきた方がいいかもしれない。
「親父様、どこに捕まっているの? 私が行くからここで待っていて」
私が手を離し、立ちあがろうとすると、親父様が急に動こうとした。
まずいわ、今動いてはせっかく塞がった傷がまた開いてしまう。それにひとりでは立てないだろう。
私は親父様の支えになるように脇の下に腕を伸ばし、重心を支えられるように体の位置をずらした。
親父様は急に両手の刀を離して、私の肩に手を置いた。そしてまだよく見えていない目で捉えられなかったのか、私の額に自分の額をくっつけた。
何かを伝えたいのかもしれない。
「親父様? どうしたの? 場所を教えて、私が行くから」
「姫、すまない。またどこかで会ったら、その時になんでも言うといい」
親父様はそれだけ言うと、私に口付けをした。
口付けというより、私の力を全部吸い取っていくものだった。
何がなんでも自分で行くつもりらしい、私の忠告は聞く気はないらしい。
私は諦めて差し出せる力を渡してあげる。
そしてそっと口を離してみるが、親父様はそれ以上無理に力を取ろうとはしなかった。私は覚悟を決めて、親父様の両頬を包むように血だらけになってしまった手を添えた。
「戦いの神よ、愛の神よ。死戦に向かうこの父を、ご子息をお助けください」
私は祈りをこめて、最後の少しの力を渡した。頬から手を離すと、私は膝が砕けてしまい立っていられず座り込んでしまった。
親父様は両手に剣を取ると、地面に突き刺して膝をつき、礼の姿勢をとった。
「森の姫巫女よ、お力添え感謝申し上げる」
私はその下がった頭に手をのせた。さらさらできらきらの私の大好きだった白い髪は、血がつき、固まり、何色だったのわからないほどだった。
「親父様、ずるいよ」
「すまん。またどこかで会おう」
親父様は私の手を退けて、一度ぎゅっと握ると刀を手に取り、背につけると、あっという間に駆けて行ってしまった。大きな犬神様の、真の姿となって空高く跳ねて駆けていく。
私はなんとか体を動かして、川の中に飛び込んだ。血を洗い流さないと、森には帰れない。森の子たちは穢れると消えてしまう、犬神様とはいえ血をここまで浴びてしまっては森に入れない。
私は川の浅瀬に横たわり、ほぼ全身が浸かるようにした。
水流がどこまで流してくれるだろうか、私は急激な眠気に襲われ、目を閉じたーー
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ーー目を開けると、相変わらず、鈿と鉄が争っていた。
私は草原に横になり、うとうとしていだところだったが、本当に眠ってしまっていたようだ。
「花、起きたのか?」
「ん? 曼ちゃん。ずっと見てたの?」
曼ちゃんはそっと私の頭を撫でた。
「あぁ、あいつらずっとあんなだぜ。阿呆だな」
あの2人は昔から折り合いが悪く、会うたびにこうなる。まあ浅からぬ因縁があるわけだが、それを言ったら私もあの輪に入れられてしまうので黙っている。
それに曼ちゃん自身、実は一緒に暴れたいのを我慢しているのだろう。うずうずしているのが見て取れる。今日はよく我慢していると思う。
ふっと顔の上に影ができて、見上げたら六花が後ろから覗き込んできた。
横になっている私に手を差し出してくれたので、もう少し寝ていてもよかったのだが、体を起こすことにした。
「止めなくていいのか? あれ」
「ねえ、どうしようかな。見方によってはとっても仲良しに見えるよね。もう少し大人しくしてたらちょっとした喧嘩なんだけど」
今日はたまたま六花と一緒にご飯を食べようと話していただけだった。鉄と2人で遊びにきていて、曼ちゃんとご飯を食べ終わって稽古だって外に飛び出して行っちゃった。と思ったら、ちょうどいい時に頼み事に来た鈿と鉢合わせた。
「曼ちゃん、見てるだけでいいの?」
なかなか止めに行く人もいないので、違う方向に攻めるのもありだろう。
「そうだな。行ってくるか」
あの2人はほぼ刀を使った戦闘を得意としているから、術を併用する曼ちゃんが混ざるとかなり喧嘩に変化が出るだろう。
「今日は花姫ストップは入らないの?」
六花的には、私に止めて欲しいようだ。
そういえばいつも最終的に止めるのは私か。
「今日は水蓮と風華が遊びに行ってるからな。紅蓮と鋼はいるけど。確実に怪我させて止めることになる」
「そうなんだね。いいなー、花姫は自分で戦うのもできちゃうでしょ? 私は基本的に弓しかできないから。なんか足手まといになってる気がしちゃって」
「そんなことないさ、私が本気だしたら世界が滅ぶよ」
ふざけて話していると、目の前に火の粉が舞い、紅蓮が現れた。
「紅蓮、どうした?」
「鍛冶場で大騒ぎ。俺では対処不能」
何か別の喧嘩だろうか。また面倒なことではないといいが、わざわざ鈿が私のところに来たことと関係があるかもしれない。仕方がないから詳しく話を聞こう。
「鍛冶場ってデメ爺のところ?」
「そう。出目爺の」
今日は何か起こる日らしい、ここでこの人数が集まったということは何かあるということだろう。
「帰るか。野郎どもは置いてきたいな、もう。少しは大人になってくれないだろうか。こうなったら全部燃やしてやるぞ」
私は紅蓮の手を借りて、炎の龍を作った。それを飛んで跳ねてをしている男3人の方へ投げる。
投げたはずなのに、あたりが炎でいっぱいになる。
視界が急に真っ赤になったかと思うと、今度は急にパッと白く転じた。