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はじまりの夢




くらい、暗いーー。


真っ暗闇、目が開いているのか閉じているのか、どちらでも変わらないようだ。



心に穴が空いたような、寂しさ、悲しさ、寒さ。


どうしてか、無性に冷える感じがする。


体が冷えている訳ではないのに、心が寒い。

震えている、身体が、心が。

自分の手があるのかも見えず、ただぼんやりとある感覚が伝える。


握りたかった手のひら、繋ぎ止めたかったあの人、もう届かない。


頬を伝うしずくがひんやりと首に流れて行く。



突然身体がこわばり、動かなくなったかと思うと、至る所に痛みが走る。


誰かに打たれている、子どもだろうか、大人だろうか、大小様々な形のものがぶつかってくる。


込み上げてくる恐怖、悲しさ。いつしか痛みが体を埋め尽くした頃、痛みが次第に怒りにかわり、寒さが遠のき、身体の中に熱が生まれる。

真っ暗だった世界が更に闇を深くしたかのように、うねり、捻じ曲がりながら、私の身体を、今よりももっと深いどこかに沈めていった。













 ーーバシャ

 薄汚い衣をまとった、初老の女が桶に入った水をぶちまけた。

 ボロ屋の一室、布団も何もない床に横たわった、十ばかりの幼子を痛めつけるように、勢いよく水が飛んだ。

 幼子はその衝撃で目を覚ましたのか、身をよじり、身体を起こす。

「なんでしょうか」

 幼子は初老の女に問うた。

「いつまで寝ているんだい。山道に置き去りにされていたから連れてきてやったのに、働きもしないで戯言をほざいてばかりで。これなら拾わなければよかったよ」

 初老の女はからになった桶を、幼子の近くに投げつけた。

「出て行っておくれ、気味が悪い」

 幼子は桶を投げられてもぴくりともせず、ただじっと初老の女を見ているだけだった。

「早くお行き!」

 悲鳴を上げるような声を聞くと、幼子はようやく立ち上がり、そろそろと歩いた。初老の女の目の前まで歩き、立ち止まる。

「気をつけなさい。あなたの番は腑の病で長くない。あなたも近々足を悪くするよ」

「戯言をぬかすな! またそんな話をして! さっさと出てお行き!」

 幼子は薄ら笑いを浮かべ、手のひらを天へ向ける。

 初老の女は殴られると瞼を閉じるが、何も起きず、恐る恐る瞼を開ける。

 そこには幼子はおらず、誰もいなくなった部屋から走って出て行った。






 空を舞うように、幼子と、手のひらほどの童が歩いている。

 2人はボロ屋の入り口から飛ぶように舞い上がり、そのまま集落の外れに降り立った。まだ夕暮れ時だというのに、不自然なほど誰も気に留めず、外を出歩く人々の瞳にはうつらないようだった。

『姫様、何もあのような輩のところにいる必要はないでしょう』

 幼子は姫様と呼ばれ、手のひらほどの童が頬に寄り添った。

 とたんに、幼子の身体は羽か何か程の重さしかないようなほど舞い上がり、その様は蝶が舞うような軽々しい動きであった。

「しろ、夢見が悪かったんだ。でも私はあそこへ行かなければならなかったんだ」

 しろと呼ばれた童は、頬を膨らませる。

『長老ももう少しお優しくしてくだされば良いのに。姫様は人であるのに』

「私は人であるから、その領域を見守らねばならないのだよ。そんなに怒らないで、さあ帰ろう」

 姫がしろをなだめ、ひときわ大きく空へ跳ねた。

 集落はあっという間に小さくなり、次第に近くにあった森の方へ飛んで行った。

 姫が小さな社のある森の入り口に舞い降りると、しろは姫から離れ、ひとり社の上に漂った。

『るり、はり、どちらでも良いからお迎えに来て。姫様が穢れていて、帰れないの』

 しろは、どこへ言うわけでもなく、そっと呟いた。

「ごめんね。ちょっと手伝ってほしいんだ」

 姫が両の手のひらを天へ向けて伸ばした。

 少し待っていると、その手のひらを目指して雨のしずくのようなものが降ってくる。

 空は少し暗くなってきた頃合いだが雲はない。

 ただ手のひらのまわりに雨が集まってくるのだ。次第に大きくなって行く。

 手のひらの周りを渦巻くように大きくなったそれは、いつの間にか透明な人の形をしたものになり、瞬く間に美しい女の姿となる。

「るり、はり、2人とも来てくれたのね」

 6尺ほどもある痩身の天女のような出立ちの2人は、それぞれ瑠璃と玻璃の大きな髪飾りで髪を結っている。

『姫様、嫌な匂いがします』

 るりが宙をひと回りすると、辺りにはたちまち水滴が生まれた。姫を包み込むと大きな玉になり、一息の間に洗い上げられた。

『姫、新しい衣にいたしましょう』

 はりが両手を交差し、指を絡ませると、水が溢れ、形を変え、それは新しい衣になる。

 先ほどまで来ていたボロから、るりやはりの纏っているものと似た、異国の天女のような形であった。

『さあさあ着替えましょう』

 しろが姫のもとに舞い戻り、くるくると飛び回ると、あっという間に着替えが済んだ。

「みんなありがとう。それじゃあうちに帰りましょう」

 姫はるりとはりに手を引かれ、しろがそれらを宙に運ぶと、その姿は消えてなくなった。



 



「爺様、ただいま帰りました」

 姫が森の中の泉に降り立ち、傍に生えるひときわ大きな樹に声をかけた。

 樹の根本から葉先にかけて、ぶるぶると震えたように見える。

 すると生い茂る枝の中から毛玉のような塊が、ふわふわと落ちてきた。

 姫と変わらない大きさのそれは、宙を漂ったまま、姫の眼前で止まった。

『おかえり。今回は早かったな』

 毛むくじゃらの真ん中に、年老いた顔があった。穏やかで目があるのかないのか分からないほど深い皺で覆われている。

 姫は深く頭を下げ、るりとはりを泉の方へと下がらせた。

「爺様。時が来たようです」

 姫は朗らかに笑い、人差し指だけを立てた右手を、年老いた顔の中心の方へ向ける。

『長老、どういうこと?』

 しろがあたりをくるくる飛び回りながら、長老と呼ばれた毛むくじゃらの上を舞っている。

「私の夢をうつしましょう」

 姫の指先が長老の顔に触れ、深呼吸をした程の時間だった。

『そうか』

 それだけを話すと、長老がふわふわと姫から離れる。

「客人を招く支度をお願い」

 姫がるりとはりに伝えると、2人は泉の中に入り、そのまま消えてなくなった。

 長老がいつの間にか泉の中心にある、小さな島の上に漂っている。

『皆、姿を見せずともよい。話を聞くのじゃ。

我らが娘、森の神子の先見があった。これよりこの地を暗き心のものが訪れるであろう。

闇に染められし心は一点の光をも通す隙がない。悲しみが深すぎたのじゃ。

その者はこのままでは戻れないまま、堕ちていき、魔のものと代わるであろう。この地を魔のものと染めるであろう。

わしが見た、混沌の森の予見は、おそらくその者で間違いない。

森の神子を拾い、育てた時はどうなるかわからないままであったが、こうして100年もの間、里におり続けたかいがあった。

どうか森の神子とともにその行く末を見守ってはくれないか』

 泉にはもんを作り、森中に響き渡った長老の声に、反する声も是とする声もない。

『どうか、皆のこの沈黙が、是であり、我が子たる森の神子の支えとなってくれることを願う』

 長老は祈るような言葉を残し、泉の中心から、姫のいる岸まで戻ってくる。

「爺様、大丈夫。皆私たちを助けてくれるよ。皆この森を愛しているから」

『そうじゃな』

 しろがふわっと舞い降りてきて、姫は手のひらを差し出した。

 指先に留まるように立つと、もうひとり、そばに漂う光があった。

『私は姫様の味方よ。大丈夫、皆この森を守りたいと思っているわ。長老が昔言っていた悪しき魔物の訪れる時ってやつね』

「そう、でも私は彼のことを愛そうと決めているの。私と同じ、人であり人でないものとして、理解しあえるのはきっと私と彼だけ」

 もうひとりの漂う光から、手のひらほどの童が姿を現した。

『姫様、くろも姫様の味方です。姫様はこれまで沢山の時をここで過ごし、我らの一族となった。共にこの場所を守りましょう』

「ありがとう、くろ」

 3人で微笑み合い、穏やかな風が吹いた。

 長老がふわふわと大きな樹の前まで戻って行く。

『今しばらく、その者の訪れを待つ。森の神子はその姿を人の世に置き、こちらとの架け橋になれねばならぬ』

「はい、私も力をつけなければなりませぬ」

 姫は跪いて、長老に頭を下げた。

 しろとくろは何処かへ飛び去って行く。

『森の神子は4人の神使を持つであろう。精進せい、お主が人でなくなったことを忘れるな。森の神子として、清きものとしての定めを忘れぬよう。そして、自身が幸福であることを忘れるな。願いは祈りであり、祈りは時に呪いになる。そのことを心に』

「承知いたしました」

 長老の姿は消え、そこには姫以外の何者もいなくなる。

「私の愛するもの、彼の岸とこの岸繋ぐ橋。そう、彼の岸を彩る曼珠沙華……」

 姫はひとりきりで、舞い始めた。



 長くたなびく異国の衣は、かつて天より舞い降りた天の羽衣を纏う天女の如き美しさ。

 

 いつしか姫の周りには、光り輝く精霊たちが飛び交い共に舞い踊った。

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