ランドセルに、縦笛を。
「ただいま!」
帰ってきて早々、息子は靴も脱がずに背負っていたランドセルを玄関に放り出した。
「おかえり」
私が顔を出すよりも早く、息子の「いってきます!」という弾んだ声がした。
「どこに行くの」
慌てて玄関に顔を出すと、もう息子の背中がドアの向こうに消えていくところだった。
「友達と遊んでくる!」
ばたん、と閉まったドアに、私は思わず微笑む。仲のいい友達がなかなかできず、いつも学校から帰ってくるとずっとゲーム機と睨めっこばかりだった息子が、友達と遊んでくるだなんて。
あんなにはしゃいで。やっと仲のいいお友達ができたのね。
それが自分のことのように嬉しくて、帰ってきたらその子の名前を聞かないと、などと考えながら夕食の準備をしていると、三十分も経たないうちに息子が帰ってきた。
今度はただいまも言わなかった。暗い顔で靴を脱ぎ捨てると、そのまま自分の部屋に閉じこもってしまう。
ベッドに伏せている息子に「どうしたの」と尋ねると、「誰も来なかった」とだけ答えた。
それ以上の詳しい事情は話してくれなかったし、慰めの言葉をかけても返事もしなかった。
昔は何でも話してくれたのに。
だんだんと難しい年頃になってきている。けれどそんなことよりも、あんなに楽しそうに出ていった息子の打ちひしがれた姿に胸が痛んだ。
だけどこればかりは親が出ていってもどうにもならない。もう「この子と遊んであげてね」と親が頼める年齢は過ぎてしまった。
いつもより肉を多めに入れた大好物のカレーを、息子は何も言わずに食べた。
もう学校に行きたくない、と言い出すのではないかと私は危惧した。以前、実際にそういうことがあったからだ。
けれど息子はそのまま風呂に入り、それからリビングで黙々と宿題を終わらせ、明日の授業の準備をした。
教科書やノートをランドセルに詰めた後、最後に縦笛を挿す。
「明日、音楽があるのね」
私がそう言うと、息子はその時だけ微かに頬を緩めた。
「うん」
それから、小さな声で付け加える。
「僕、クラスで一番リコーダーが上手いんだ」
「すごいじゃない」
息子はそれ以上何も言わなかった。準備の終わったランドセルを背負って、自分の部屋に戻っていく。
ランドセルから斜めに突き出した縦笛が、まるで侍が背負った刀のように見えた。
学校で孤独に戦う少年の、たったひと振りの守り刀。
頑張って。
心の中で、息子の背中に呼びかけた。
お母さんだって、見守ってるからね。