8.ティンベル・クルシュルージュ2
「改めまして。私、この学園の生徒会長を務めております、ティンベル・クルシュルージュと申します。以後お見知りおきを。勇者ユウタロウ様」
ティンベルは芝生の上で正座すると、改めて自己紹介をした。ティンベルの瞳から感じられるのは、ユウタロウに対する興味と尊敬だけ。副生徒会長の様な悪意は微塵も感じられない。この学園の生徒にしては珍しいタイプである。
「アンタ、一体何者だ?」
「今自己紹介したばかりだと思うのですが……」
「しらばっくれてんじゃねぇよ。アンタほどの奴が、俺の質問の意図を理解していないはずがねぇ」
「ふふ……流石に嘘くさかったですかね。
何者か、という問いに対する答えを一つ提示するのであれば、私は能力者です」
不敵に笑いながら、ティンベルは告白した。
能力者。それは生まれつき他者よりも、身体の一部に対する、ジルの許容量が異なる者の総称である。
例えば、普通の人間が身体の中に蓄えることの出来るジルが一だとすれば、能力者は十倍のジルを常時その身に宿すことが出来る。その結果、他者とは比べ物にならない力や能力を手にすることが出来るのだ。
「能力者……なるほどな。……脳ミソってわけか」
「はい。私は他の人よりも、脳に供給できるジルの許容量が多いのです。その結果、常人よりも頭の回転が速く、一瞥しただけで様々な情報を入手することが出来ます」
「それで?アンタは何でここに?何故俺を助けた?」
怪訝そうにユウタロウは尋ねた。
ユウタロウは無償の善意を基本的に信用していない。要するに、ティンベルが自分を助けたのは、何らかの目的があってのことだと思っているのだ。
「順を追って説明しましょう。
まず。私はあなた方と同じで、通り魔事件について調べています。そしてその過程で、副生徒会長が怪しい動きをしていることに気づきました」
「アイツが妙なのは分かっていたが、通り魔事件に関わっているのか?」
「ニュアンスが少し違いますね。正確に言うと〝通り魔事件には悪魔が関わっている〟……学園中に広まっているこの噂に、副生徒会長が関与していると、私は考えています」
「……それで?」
「副生徒会長を始めとする数名の生徒は、何故か今回の事件を悪魔やその愛し子、悪魔教団のせいにしようと躍起になっている。私はそう感じました。その為、悪魔に過剰な敵愾心を持つ者、そして、悪魔に関わりを持つ者を徹底的に排除しようとしている者を信用できません。それはあなたの生まれ故郷、勇者一族も同じこと」
「……まさか、勇者一族にまで探りを入れてるのか?」
ユウタロウは彼女の神経の図太さを前に、驚きで目を見開いた。アオノクニにおいて勇者一族は、英雄として語り継がれており、今でも勇者一族に羨望の眼差しを向ける者は多い。そんな勇者一族に疑いの目を向けようとする時点で、ティンベルは有象無象とは一線を画していた。
「ふふっ。私、結構執念深いのですよ?勇者ユウタロウ様ともあろうお方が、まんまと罠に嵌められてしまいましたね?」
「……つまりじじい共は、俺に冤罪を着せ、騎士団に拘束させるために、事件を調べろなんて言って来たってわけか…………っておい、それじゃあ……」
「はい。勇者一族の重鎮の方々は、通り魔事件の主犯と関わっている可能性が高い、ということです」
嫌な予感を察知し、ユウタロウは眉を顰めた。
重鎮たちが今回、ユウタロウに事件解決を命じた真の目的。それが、彼を闇に葬り去ることだとすれば、彼らはあの日、悪魔教団が街に現れることを知っていた、ということになる。そして始受会の二人は、通り魔事件の犯人からの手紙であの場所を訪れていた。
以上から、重鎮たちと犯人との関係を疑わざるを得ないのだ。
「堕ちるとこまで堕ちたな……そう言えば副生徒会長の奴、アンタが現れて相当動揺していたが、何かあったのか?」
「あぁ……実は私、本来であれば、今日この学園にはいないはずだったのです」
「……どういうことだ?」
彼女の簡潔な言葉では理解できず、ユウタロウは首を傾げた。
「生徒会の仕事で、他国の学園を訪れる予定が一昨日突然できまして。生徒会長の私が把握していない緊急の業務なんて、怪しさ満点ですからね。副生徒会長の目論見が関係していると考えたのです。その仕事を無視して彼の居所を探していたら、ユウタロウ様たちが何やら揉めている場面に遭遇したというわけです」
「なるほどな。それであの反応ってわけか」
「彼は私が能力者であることを知っていますからね。私が学園にいれば、邪魔されると思ったのでしょう」
副生徒会長の計画通りに事が運ばれていれば、ティンベルがユウタロウの無実を証明することは出来なかっただろう。だが今回は彼の努力虚しく、副生徒会長の恐れていた事態が、実際に起きてしまったということだ。
「それにしても、あの土壇場でよくあんな法螺吹けたな。アイツが止めに入らなかったら、録音が真っ赤な嘘だってバレてただろうに」
「あら。私は彼のプライドの高さをよく知っています。故に、決定的な証拠を皆の前で晒され、自らの完全敗北を認める様な真似、彼であれば絶対に避けるであろうという、私の論理的思考を信じただけですが?」
ティンベルは勝ち誇ったような、挑発じみた笑みを浮かべた。思わずユウタロウは苛立ちを覚えるが、彼女の意見は至極真っ当なので、反論など出来る訳が無かった。
その苛立ちを誤魔化すように、ユウタロウは本題に入る。
「……で?結局アンタがそこまでして俺を助けた理由は?目的は何だ?」
「理由は二つあります。一つは、ユウタロウ様に貸しを作っておきたかったから。もう一つは、冤罪を見過ごしたくなかったから。以上です」
「ならアンタは、俺にどんな形でその貸しを返して欲しいんだ?」
ティンベルがユウタロウに望むもの、その要求を彼は尋ねた。
「話が早くて助かります。では、単刀直入に言わせていただきます。ユウタロウ様には、私と協力して、通り魔事件を解決に導いてもらいたいのです。
拒否権は無いなどと、独裁者の真似事のようなことを言うつもりはありません。ただ私は、あなたが救ってもらった恩を返さないような愚か者では無いと信じているのです。どうか私の純粋無垢な思いを無駄にはしないでいただきたいですね」
ニッコリと、有無を言わさぬ態度でティンベルは破顔する。その笑顔の奥底に感じられるどす黒い圧に、ユウタロウは思い切り顔を顰める。
「……拒否権ねぇって言ってるようなもんだろうが……ったく、どの口が純粋だなんてほざいてやが」「それで、協力するのですか?しないのですか?」
ユウタロウの声に被せる形で、ティンベルは尋ねた。
副生徒会長にかけられた疑いを晴らしてくれたティンベルに、借りを返さないというのはユウタロウの選択肢には無い。つまりは、ティンベルの要求を呑むしかないということ。
全てティンベルの掌の上のようで、ユウタロウは渋い顔でため息をついてしまう。
「……分かったよ。協力すればいいんだろ、すれば」
「申し出を受け入れてくれるのですね!ユウタロウ様の寛大さに御礼申し上げます」
「ただ一つ、確認したいことがある」
ティンベルが頭を下げた矢先、ユウタロウは神妙な面持ちで言った。彼の鋭い眼差しに、ティンベルは不安気に首を傾げる。
「?……何でしょうか?」
「アンタが勇者一族の恥さらしに協力を仰ぐほど、この事件に固執する理由は何だ?何がアンタをそこまで動かす?」
「……」
尋ねられ、ティンベルは目を見開く。そして僅かに俯き、空に視線をやる。
だがその反応は、問いに対する黙秘の意思では無かった。
ただ、何と言葉を紡ぐべきか、ゆっくりと考えに耽っているようで。
答えに対する過去の記憶を、慈しむように思い出しているようで。
しばらくして、ティンベルは徐に口を開いた。
「私……ユウタロウ様と同じ年の、アデルという兄がいるのです」
「兄貴?」
「えぇ……その兄、アデル兄様は…………悪魔の愛し子です」
「「っ!」」
思いがけない告白に、ユウタロウたちは目を見開き、息を呑む。
「悪魔の愛し子として生まれた人間がどのような運命を辿るのか、あなた方には分かるでしょう?」
「……あぁ」
問いかけたティンベルの表情はとても悲痛なもので、胸が締め付けられるような感覚を覚える。困ったような、泣きそうなその微笑みは同時に、彼女が愛し子である兄を慕っている証でもあった。
「アデル兄様は家族からも見放され、実家ではまるで奴隷のように冷遇されていました。でも、幼い私はアデル兄様の立場を十分に理解できていなくて。私はよく親の目を盗み、コッソリとアデル兄様に会いに行っていたんです。私の軽率な行動が、アデル兄様を苦しめているとも知らずに……」
伏し目がちな睫毛が目元に影を落とす。力強く握られた拳は小刻みに震えていて、自らに対する憤りが犇々と伝わってくる。
躊躇いながらも、真実を告げる為、ティンベルはその口を開く。
「アデル兄様は、周りから迫害されるだけではなく、父から酷い拷問を受けていたのです」
「っ……」
「両親にとって能力者の私は大事な後継者の一人。そんな私と、悪魔の愛し子である兄が親しくしていることが、父にとっては不愉快だったのでしょう。父はいつも、私に近づいたからという理由で、アデル兄様に虐待を繰り返していました」
「……悪魔の愛し子はほぼ不老不死。傷を負ってもすぐに治る特性のせいで、余計苦しんだんだろうな」
悪魔の愛し子はほぼ不老不死。例え四肢をもがれ、治癒を受けずとも備わった能力で再生してしまう。だが、受ける苦痛は普通の人間と同じ。つまり、耐え難い苦痛を味わっても死ぬことすら出来ず、完全に治癒しても再び新たな傷を作られてしまう。
その艱難辛苦は、想像を絶するものだろう。
「はい……なのに幼い私は無知なばかりに、何度も何度も兄に会いに行って……その度に兄が苦しんでいたとも知らずに。……なのに兄は、いつも優しくて。私のことを、とても可愛がってくれて……」
「いい兄貴だったんだな」
「っ……はい。私は、あの人の妹で本当に良かったと思っています」
ティンベルの涙声が、刹那の内に嬉々としたものに変わる。
悪魔の愛し子は悪魔同様、この世界において嫌悪の対象。にも拘らず、ユウタロウが何でも無い様に兄を称賛してくれたことが、ティンベルにとっては救い以外の何物でも無かったのだ。
「でも……幼い頃の私は、本当に無知で、愚かだったのです」
「どういう意味だ?」
「私にはもう一人兄がいたのです。私と二つしか違わない、ネオンという兄が。
その兄は、親の期待と愛情を一身に受ける私のことが気に入らなかったのか、ある日突然、私を崖から落として殺そうとしたのです」
「っ!」
「でも、私は死にませんでした。既のところでアデル兄様が助けに来てくれて……アデル兄様は、私を庇う形で崖から落ちました。目を覚ました時、そこは実家で、アデル兄様の姿はどこにもありませんでした。でもしばらくして、私の身を案じたアデル兄様がコッソリ戻ってきてくれたのです。アデル兄様は大怪我を負ったはずですが、そこはやはり、悪魔の愛し子ですので……」
「死にはしなかったと」
「はい。兄は重傷を負ったところを、ある人に救ってもらったらしく……その恩人の元で暮らすことになったと、兄は私だけに伝えてくれました。本当は、兄と離れ離れになるのは嫌だったのですが、これ以上実家にいても、兄が苦しむだけだということは、幼い私でも理解できていました。だから私は、最終的には兄を引き止めず、現在に至るまで兄とは再会できていません」
ティンベルは兄――アデルとの全てをユウタロウたちに語った。
幼かった彼女が、信頼し、慕っていた兄との決別を決意するのは、相当な苦悶を孕んでいただろう。それでも大好きな兄の人生の為には、実家から離れることが最善だと考え、ティンベルは兄を引き止めなかった。
彼女の思いが痛いほど伝わり、ユウタロウたちはしみじみと物思いに耽る。
だがこれまでの話と、彼女が今回の通り魔事件解決に躍起になっている理由がどのように繋がるのか?ユウタロウは再度尋ねることにする。
「それで?その兄貴と今回の事件、何か関係があるのか?」
「実は私……レディバグのボスは、アデル兄様なのでは無いかと考えているのです」
「「っ!」」
彼女から告げられた衝撃的な推測に、ユウタロウとチサトは目を見開くのだった。
次は明日投稿予定です。
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