67.急転2
「……」
顧問から記事の件を聞いた翌日。朝、普段通り登校し、教室に向かったティンベルは、自身の机の前で立ち尽くしていた。
その理由はいくつかある。まず、学園に足を踏み入れた瞬間から聞こえてくる、ティンベルを揶揄する声、嘲笑う声、後ろ指を指してくる者たちの煩わしい罵詈雑言である。……理由は分かっていた。
昨日、ゼルド王国だけでなく、世界中に知れ渡ったクルシュルージュ家の真実――ティンベルと悪魔の愛し子が実の兄妹だと知られたことが原因だろう。加えて、通り魔事件のせいで悪魔の愛し子に対する差別意識が高まっていた際、頻発していた苛めを解決しようと、ティンベルが奔走していたことを生徒は知っている。
傍から見れば、生徒会長が学園の為に努力しているようであった。だが今回の件で、あの努力は全て悪魔の愛し子である兄の為だったのではないかと、生徒たちの間で疑念が生じたのだろう。
悪魔の愛し子の特徴を持つせいで苛めを受けていた生徒たちと、悪魔の愛し子であるアデルを、ティンベルが一切重ねなかったと言えば嘘になる。だが、通り魔事件のせいで感情や思考を惑わされた生徒の為、彼女が孤軍奮闘していたこともまた事実。こんな風に罵られていいはずも無い。
『生徒会長……悪魔の愛し子の妹だったのよね?』
『悪魔の愛し子と血が繋がってるなんて信じられない』
『いっつも偉そうに仕切ってたけど、穢れた血を持つ奴の言うことなんてもう誰も聞かねぇだろ』
『黒髪の子や、赤眼の子を庇ってたのって、私情が理由だったってことでしょう?』
クスクス……ヒソヒソ……。耳障りで不愉快な道に耐え、教室まで辿り着いたティンベルだったが、自身の机の前まで進むと、心底彼らに失望してしまうこととなる。
「幼稚……」
ボソッと呟いた罵倒の声は、小さすぎて周囲の生徒には聞こえていない。机を見下ろすその瞳は、絶対零度かと思える程冷え切っており、その眼差しを向けられれば誰でも竦み上がってしまうだろう。
ティンベルの机には、端から端まで彼女に対する罵詈雑言が落書きされており、一つ一つ読むことすら憚れた。
(……どうして、この世界の人間はこうも阿呆ばかりなのでしょうか?小さな頃から思っていたことではありますが、この世界の人ときたら、アデル兄様を傷つけるしか能の無い愚か者ばかりで……理解なんてしていない癖に、知ったような顔で、小汚い口ばかりペラペラとよく回りますよね……。私は能力者だから、能力を持たない人と比べてはいけないと、自分に言い聞かせてはきたものの。……流石にこれは、やることが幼稚すぎて擁護できませんね。そもそも、一を聞いて百を理解してしまうのに対して、この阿呆共は十も理解できないんですもの。苛つくのはしょうがないと思うんですよ。
はぁ……面倒臭い。……今はこんな下らないことに労力と思考と精神を割いている暇など無いと言うのに……)
理不尽に晒され、ストレスが溜まっていたティンベルは、頭痛を抑えるように頭を抱えた。そして、鬱憤を晴らすように、心の声がどんどん口汚くなってしまう。こんな幼稚な真似をする相手に対する不満を零すと、ドミノのように今までの鬱憤が溢れてきてしまい、暗澹たる感情を制御することができない。
ぐらっと、目の前の視界が歪んでしまい、ティンベルは一瞬倒れそうになってしまう。だが、歪む視界に突如割って入って来た存在が、ティンベルの脚を踏ん張らせる手助けをしてくれた。
「きれーなお嬢さん……そんなに顔を真っ青にしてどうしたの?可愛い顔が台無しだぜ?」
「……え、っと……」
声をかけられた瞬間、ティンベルは目を見開き、その瞳に光を灯した。ティンベルの耳に届いたその声には、彼女の視界を照らしてくれるような温かさがあり、思わずティンベルは呆けてしまう。
突如ティンベルの視界を照らしたその人は、この学園の男子制服に身を包んでいたが、彼女はその生徒に見覚えが無かった。
スラっとした身体に、背丈は百七十センチ強といったところ。艶やかな深緑色の髪は短く切り揃えており、前髪はふんわりと右分けにしている。キリっとした眼差しではあるものの、キャラメル色の瞳は大きめで、吸い込まれるような魅力があった。
呆けた面でその人を見つめていると、ティンベルはある違和感を覚え、更に当惑してしまう。
「あの……どちら様」
「ありゃりゃ。こりゃ酷いな。文字ってのは人を傷つける為じゃなく、人の心を救うためにあるっていうのに……」
ティンベルの机を覗き込んだ彼は、彼女の声を遮って嘆いた。状況をイマイチ理解しきれていないティンベルは、そんな彼に困惑の眼差しを向け、クラスメイトたちも遠目から怪訝そうに見つめている。
不躾な視線など気にも留めず、机に刻まれた文字を一つ一つなぞると、その人は悪戯っ子の様に破顔した。そして、口元に細い人差し指を立てると、ウィンクをして見せる。
「可愛いお嬢さん……オイラが素敵な魔法を見せてやるから、そんな顔するなって」
「魔法……?」
「見てろよ……」
そう言うと、彼は文字の上に滑らせていた右手をふっと机から離した。刹那、離れていく指に引っ張られるように、机に刻まれた文字が空を舞い始め、ティンベルたちは目を見開く。
「「っ!?」」
彼の滑らかな指の動きに付き従うように、文字たちはどんどん机から剥がれ、空中で曲線を描いていく。楽譜がそのメロディーに乗って踊っているかのようなその様は、まるで御伽噺の中の出来事のようで、あまりにも現実味がない。誰もが言葉を失い、呆けた様子で空を見上げていた。
彼がそのまま右手を動かすと、浮かんだ文字は一か所にグルグルと渦を巻き、次第に一塊になっていく。その塊を両手で包み込んだかと思うと、彼はふわっとその手を放して、文字の集合体を解き放った。
すると――。
「うわっ……何だよこれっ!?」
「なにっ……?」
「何なのよこれっ、全然取れないんだけどっ」
「……?」
変化は顕著に訪れた。数名の生徒が悲鳴混じりに困惑の声を漏らすが、ティンベルは未だに何が起きているのか理解しきれていない。
この状況を作り上げたと思われる彼は、頻りに自らの身体を気にしている生徒らを一瞥すると、嘲笑うように口を開いた。
「当に因果応報ってやつだな。何せ、自分が書いた文字だけが返ってきてんだから」
「っ!」
その言葉で、ティンベルは漸く彼らの身に何が起きているのかを理解した。原理は分からないが、彼は机に刻まれた文字を操り、それを書いたと思われる人物にそっくりそのまま返してやったのだろう。
その証拠に、困惑の声を上げる生徒の腕や足、首には、彼ら自身が書いた文字が貼りついており、拭っても引っ張っても全く取れる様子がない。ティンベルに向けた誹謗中傷が悪質であればある程、身体に刻まれた言葉も当然見るに堪えない物になるので、自業自得としか言いようがない状況である。
ティンベルは、得意気な表情の彼を見上げると、色々と説明を求めるために声を掛けようとした。だがそんな彼女の第一声は、想定外の人物によって遮られることになる。
「コニアっ……さん。勝手にいなくなられると困りますっ!」
「ア……じゃなくて、ルル様?」
教室の入り口から声を上げたのは、ルルの姿をしたアデルで、ティンベルは目を丸くして尋ねた。そしてそのまま、衝撃に見開いた目で彼――コニアを見上げる。
(この人、アデル兄様のお知り合いなのかしら)
今ティンベルに分かるのは、この謎の人物の名前が〝コニア〟ということと、アデルの知り合いということだけだ。ティンベルの視線に気づいていないのか、コニアは嬉々とした表情でアデルの元へ歩み寄ろうとした。
「あっ、主ぃ!いやぁ、すいません。だって主の妹君が酷い目に……」
「コニアさん」
コニアの声を遮るように、アデルはピシャリとその名を呼んだ。今のアデルはティンベルの兄などではなく、一生徒のルル・アリザカ……ティンベルとの関係を吐露されると面倒なことになるので、彼は敢えて咎めるような声を上げたのだ。
「何を言っているのかよく分かりませんが、他のクラスの方々にご迷惑をかけてはいけませんよ?さぁ、早く戻りましょう」
「あるじ……?ど、どうしちゃったんですかその喋り方……何か変な物でも拾って食べちゃったんですか?そんな物早くペッってしてください!ペッって!」
「……」
このままでは埒が明かないと思ったのか、アデルは無言でコニアを手招きした。対するコニアは首を傾げつつ、アデルの元まで歩み寄る。するとアデルはコニアの耳元で、コソコソと何かを話しており、コニアは「うんうん」と頻りに頷いて見せた。
「あぁ!なるほどぉ……そういうことですか、理解理解。オールオッケーです」
二カッと破顔すると、コニアは親指と人差し指で丸を作って見せた。ヘラっとしたその表情だけでは、信用に値するとは言えないが、アデルは取り敢えずホッと安堵の息をついた。
「ちょいちょい。可憐なお嬢さん。コッチおいで」
「えっと……」
今度はティンベルがコニアに手招きされてしまい、彼女は困惑の声を上げた。そして助けを求めるようにアデルに視線を移すと、彼はコクンと頷いてやった。
「はい」
アデルの反応のおかげで、近寄っても問題無いことを悟ると、ティンベルは徐に歩を進めた。ティンベルが自身の元に到着すると、コニアは唐突に彼女とアデルの肩を抱いて、清々しい声を上げる。
「よっしゃ!取り敢えず逃げよう!」
「えっ!?」
驚きのあまりティンベルが大声を上げてしまったのも束の間、コニアは二人を連れて教室から飛び出してしまう。困惑気味に教室を振り向くと、ティンベルは彼が教室を後にした理由を察する。視線の先にいたのは、コニアを睨み据える数人の生徒。このまま教室に居続ければ、身体に文字を刻みつけられた生徒たちに何をされるか分かったものでは無い。故に彼は、事態が深刻化する前に逃げてしまおうと思ったのだろう。
敵愾心と困惑の視線を痛いぐらいに浴びつつ、ティンベルたちは居心地の最悪なその教室を後にするのだった。
********
「いやぁ、すみませんね主。オイラ、主たちの事情とかぜぇんぜん知らなかったもので」
避難した先の生徒会室の中、後頭部に手をやって陳謝したコニアだが、その顔はデレッと崩れており、心から反省している様子では無かった。
「だからお主はもう少し人の話を最後まで聞けと何度言えば分かるのだ」
「だって主がオイラを頼りにするなんて滅多にないことですから、嬉しくって……」
「はぁ……まぁ、ティンベルを助けてくれたことには感謝するのだ。ありがとう、コニア」
立ち話の最中、アデルはゆったりと微笑むと、キチンとコニアに礼を言った。苦言を呈しながらも、通すべき義理は疎かにしないアデルに、コニアは内心感心してしまう。
「主の妹君の一大事でしたから。当然のことですよ」
「あの、アデル兄様。こちらの方は一体……?」
キチンとコニアの紹介が出来ていなかったので、ティンベルは改めて尋ねた。するとコニアはティンベルに向き合って、自己紹介を始める。
「あぁ。そう言えばまだ名乗ってなかったね。オイラはレディバグ構成員、序列七位……ノン・ジャッカル・コニア・サージェント・ブラウンだよ」
「…………長いですね」
あまりにも長い名前を前に、ティンベルはボソッと本音を零してしまう。
「あハハッ!名乗ると絶対に言われる感想第一位だよそれ……無理して覚えなくていいからね?コニアだけで覚えてくれれば」
「いえ。もう覚えましたよ。ノン・ジャッカル・コニア・サージェント・ブラウン様」
「おー……流石は主の妹君。一発で覚えちまった」
ティンベルの手にかかれば、一度聞いた名前を覚えることなど朝飯前なのだが、これまでの経験という固定観念を持っていたコニアは、思わず感嘆の声を漏らした。
「あの、コニア様。先程は助けていただき、ありがとうございました」
「可憐なお嬢さんを守るのは、男として当然の責務だから。気にしないで?」
「……」
「ティンベル?どうかしたのか?」
普通の女性であれば一瞬で首ったけになってしまう程、艶やかな笑みを向けられたティンベルだが、何故か彼女は何かを考えこんでいるように顔を顰めており、アデルはキョトンと首を傾げた。
「あの……その……私の勘違いなら後でお詫び申し上げたいのですが……」
「どったの?カワイ子ちゃん」
ティンベルは視線を泳がせながら言い淀んでおり、コニアは穏やかな表情で尋ねた。だが次の瞬間、コニアはティンベルの問いによって、目ん玉が飛び出る程度肝を抜かれることとなる。
「コニア様は…………女性の方ですよね?」
「…………へ?」
どうせ次回で分かるので言ってしまいますが、新キャラのコニアちゃんは、ちょっとお馬鹿な男装女子です。
次は明後日投稿予定です。
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