60.不穏の足音1
「あら?覚えていらっしゃらないのですか?……私がネオン兄様に殺されかけたことを知ったお父様は、執事に命令したじゃありませんか……〝ネオンを殺せ〟と。
小さな声でしたけど、私、ちゃんとこの耳で聞いていましたよ?それとも、幼い頃の出来事だったから、私が忘れているとでも思っていたのですか?……あまり、脳の能力者の記憶力を舐めない方がよいですよ?」
「…………」
頭が真っ白になってしまい、ルークスは瞬き一つするのも儘ならない。ティンベルが淡々と語る度に、彼女の中でその真実が当たり前のこととして昇華されている現実を突きつけられ、ルークスは生きた心地がしなくなってしまう。
「ネオン兄様を殺したのは、後継者候補である私を害されない為でしょう?……ならもし、私より優秀な、あるいは同等の能力を持った男の後継者が現れれば、今度は私のことも殺すのでしょうか?……お父様の罪を知る私のことを、殺しますか?」
ティンベルは、哀愁の滲んだ笑みを浮かべて尋ねた。ルークスは、わなわなと口を震わせるばかりで、とても答えられる様子ではない。
「お父様、もう一度お聞きしますよ?……お父様にとって、子供とはどういう存在ですか?」
「…………出て行きなさい」
長い沈黙の後、唸るような重苦しい声でルークスは呟いた。自身の問いから逃げた父親を前に、ティンベルは失望を表情に滲ませるが、ルークスは俯いてばかりでその事実に気づいていない。意固地で情けないその姿を前に、ティンベルは思わずため息をついてしまう。
「……そうですか。答えられないようなご認識ということですね。よく分かりました」
「出て行けと言っているだろうっ!!」
キッと鋭い眼光でティンベルを見上げると、ルークスは怒号を上げた。鼓膜が突き破れそうな轟音を浴び、ティンベルは顔を顰めるが、すぐに冷めた瞳で彼の睨みに対抗した。
「……失礼いたします」
無感情に告げると、ティンベルはそのまま踵を返した。終始平静を保っていたティンベルは、とても娘が父に対して見せる態度ではなく、ルークスはギリッと歯噛みしながらその背中を睨みつけた。
パタンっ、と。虚しく閉じた扉の音が、ティンベルの心音を体現しているようである。そのまま扉を背にして凭れかかったティンベルは、徐に空を見上げた。
「――これで……お父様にとって私の死が、大した痛手では無いということが分かりましたね。私が死ねば、また新たな後継者をお母様にでも愛妾にでも産ませればいいのですから」
ルークスの仮面の組織との関与が冤罪である可能性を否定できないのは、彼にティンベルを害するメリットが無いという点だ。ティンベルはクルシュルージュ伯爵家の唯一の後継者であり、伯爵家の存続と繁栄のために日々を過ごしているルークスにとって、ティンベルの存在は必要不可欠……普通に考えれば、彼がティンベルを危険に晒すような行為をするはずがない。
だが、その認識を否定できるのなら、ルークスを容疑者の一人としてカウントすることができるのだ。
その為、ティンベルは見極めようと思った。ルークスのティンベルに対する真の感情は、親が子に向ける愛情なのか。後継者に向ける損得勘定なのか。
答えは、先の反応を見れば明確であった。
『――ティンベル。お前が大きくなったら、何故自分が守られているのか、何故自分が愛されているのか、考える時が来るだろう。そしてもしこの家に違和感を覚えた時は、周りの人間をよく見るのだ。そうして、自分にとって一番大事なものは何か、自分を一番大事に考えてくれているのは誰か、キチンと見極めるのだ。この家から逃げたくなった時は、信頼できる人間の元に逃げるがいい。ティンベル、お前は強く良い子だ。この家に、そう易々と呑み込まれないように用心するのだぞ』
――それは、かつてアデルが幼いティンベルに向けて授けた言葉であった。
アデルがクルシュルージュ家を離れ、エルの元で暮らす旨をティンベルに伝えた、兄妹の別れの日の出来事である。
その日のことを不意に思い出したティンベルは、天井を見つめたままボソッと呟く。
「……本当に、アデル兄様の言っていた通りでした…………何もかも……」
その言葉の意味を、幼いながらに何となく理解していたティンベルだったが、アデルと離れ難かった彼女は、分からないと嘘をついた。それに対して、アデルはこう答えた。――きっと、分かる時が来る、と。
本当にその通りだったと、ティンベルはしみじみと、嫌になる程思い知らされた。
苛々する……。ティンベルは、純粋にそう感じ、グッと奥歯を食いしばった。
何も憂うことは無いというのに、どうして自分はこんなにも疲弊しているのか。分からなくて、分かりたくも無くて。儘ならない感情をどうすればよいのか分からず、ティンベルは自らに向けられた苛立ちを抑えることができない。
「はぁ…………馬鹿馬鹿しい。あんな人たちのことで思い悩む時間があるのなら、もっと調査を進めるべきですね」
そう言って、無理矢理自らを鼓舞したティンベルは、キリッと前を見据えて、執務室を後にするのだった。
********
その少し前、アオノクニにて――。
ヒメ、皓然、ディアンの三人は、国立操志者育成学園に登校しているナオヤを、陰ながら護衛していた。ティンベルは事前に休む旨を学園に知らせていたが、他の生徒にはいつもの学園生活が待っている。それは、つい先日まで騎士団から事情聴取を受けていたナオヤも同じこと。
昨日の今日で学校に通う必要は無いのでは?と、三人はナオヤに提言したのだが、彼がそれを聞き入れることは無かった。ティンベルが休暇を取ったことで、副生徒会長であるナオヤが生徒会を回さなければならないというのも、理由の一つではあるが、正直のところナオヤは、居ても立っても居られなかったのだろう。
自らの犯した行為によって、学園内に歪な差別、苛め、思想が蔓延してしまった現状を、一日でも早く改善したいと。そんな気概がナオヤからは感じられたのだ。
ナオヤが未だに悪魔や愛し子を恨んでいるのか。それとも黒い感情を一掃したのか。そんなことは誰にも分からない。だが、それでもナオヤが、自らが犯した行為の責任は取ろうと奮起していることは、誰の目にも明らかであった。
そんなナオヤの意を汲み、ヒメたち三人は通学する彼の護衛に勤しんでいるのだ。
――眩しい朝陽が彼らの影を伸ばす中、ナオヤの後を追っている三人。不意に、ヒメは正面を向きながら、両隣を歩く皓然とディアンに呼びかける。
「……ディアン、皓然。……気づいてるの?」
「えぇ」
「妙なのが追ってきていますね」
ディアン、皓然の順に、肯定を示した。彼らをつけている存在に会話を気取られないよう、お互いがお互いを一瞥しないまま話している。
ヒメたちが尾行に勘付いている事実を気づかれれば、最悪犯人を逃がしてしまうので、三人は決して後ろを振り返らなかった。
「ナオヤ狙いなの?」
「どうでしょう?仮面をつけていませんから、口封じ目的とは思えませんけど」
「じゃあ誰よ?」
ディアンが疑問の声を上げると、ヒメは一瞬沈黙し、何かを思考しているようだった。するとヒメは唐突に「マスター」と、ここにはいないアデルに呼びかけた。
『ヒメ?どうしたのだ?』
「マスター、結界を張るからジルを借りたいの」
『あぁ、構わぬぞ』
「ありがとうなの。助かるの」
強度の高い結界を張るには、空気中のジルを集めるより、アデルの力を借り、直接生み出したジルで生成する方が効率的である。ヒメはアデルの分身体であり、アデルの意思さえあれば悪魔の愛し子の力――ジルを生み出す力も行使できるのだ。
結界を張る算段をつけると、ヒメは少し先を進むナオヤに呼びかける。
「ナオヤ。ちょっと来るの」
「え?な、何ですか?」
「野暮用なの。すぐに戻るから、先に行っておいてなの。代わりに結界を張るの」
そう言うと、ヒメはナオヤの身体に結界を張り始めた。出来るだけ多くのジルを生み出し、それら全てを込めた結界は、例え大規模な爆発に巻き込まれたとしても、多少ひびが出来る程度の強度である。
結界を張り終えると、ヒメはナオヤを一人行かせ、その少し後、再びナオヤを追うようにして歩き始めた。それを合図に、追手の彼らが歩き始める気配を感じる。
ナオヤが曲がり角を曲がり十秒ほど経過すると、ヒメたちもその角を曲がる。尾行している彼らはヒメたちを見失わぬよう、小走りでその曲がり地点まで向かった。そして次の瞬間、追手はヒメたちによって吃驚させられることとなる。
「「っ!」」
「――さて。結局あなたたちは、一体どこの誰なのですか?」
曲がり角の先ではヒメたちが待ち構えており、追手である彼らは急ブレーキをかけたように立ち止まり、目を見開いた。
追手は三人。全員四十代から五十代の男性で、少なくともヒメたちの知らない人間であった。
皓然が首を傾げ尋ねると、三人の内の一人――髭面の男は、苦汁を飲むように眉を顰めた。
「喚くな汚らわしい……貴様らに名乗る名など持ち合わせていない」
「この人何言ってるの?皓然は喚いてないの。寧ろ小さい声なの」
「ヒメちゃん、話が進まなくなるからちょっと黙っててくださいね」
皓然がヒメに向けて人差し指を立てて見せる中、対する三人は徐に、腰に帯刀していた剣を抜いた。思わずヒメたちは固唾を飲むが、それでも至って冷静で、ディアンはふとした疑問を口にする。
「あなたたちが何者かは知らないけど、こんな道のど真ん中でやり合ってもいいのかしら?物凄く目立つと思うのだけど」
ヒメたちがいるのは、学園の通学路として重宝されている道。当然人通りはそれなりにある上、今は早朝。通勤、通学する者たちは多くおり、彼らが剣を抜き始めた段階から、ヒメたちは注目を集めてしまっていた。
ヒソヒソと内輪話をされながら、怪訝そうな視線を一身に受ける追手三人であるが、彼ら自身は一切動じていなかった。
「はっ、汚らわしい愛し子が指揮する組織の構成員を粛清するという行為を、わざわざ隠れて行う必要がどこにある?寧ろこの国の者たちの記憶に、我らの尊い正義執行を刻みつけてやるべきだろう」
アデルを侮辱された瞬間、三人は殺気の籠った鋭い眼差しを相手に向けるが、追手の三人は不機嫌そうに顔を顰めるだけで、怯えている様子は見られない。泰然としたその態度だけで、彼らが有象無象と一線を画していることは明らかであった。
追手に敵愾心を抱きつつも、冷静に思考していた皓然は、一つの結論に行きつく。
「……なるほど。勇者一族の方々ですか」
「「っ」」
瞬間、追手の彼らは目を見開く。その反応だけで、皓然の推測が真実であることは明白であった。
「どういうことなの?皓然」
「悪魔や愛し子を忌避する人種は一定数いますが、ここまでぶっ飛んだ思想を持つのは勇者一族か、トモル王国の神殿関係者ぐらいのものです」
皓然が説明してやると、ヒメとディアンは納得したように追手――勇者一族の彼らに視線を戻す。勇者一族は初代勇者を、トモル王国は神を。信仰し、崇める存在は違えど、悪魔を毛嫌いしているという点において、両者は酷似していた。
あっさりと正体を見破られてしまい、勇者一族の彼らは面白くなさそうに顔を顰めた。
「ふん……まぁいい。正体がバレたところで、我々には何の不都合も無いのでな。
――お前たちは、穢れた愛し子に与する悪しき存在……誇り高き勇者一族の一員として、お前たちを排除させてもらうぞっ」
髭面の男のその言葉が、開戦の狼煙を上げた。
彼ら一人ずつに対し、ヒメたち一人ずつが応戦する形で、戦いの幕は切って落とされた。
彼らの剣に対し、ヒメは結界。皓然は袖に隠している防具。ディアンは自らの剣で攻撃を防ぐ。カキンっ、キンっ……と、金属音が轟く中、野次馬の勇者一族に対する視線は、先刻とは大分種類が異なっていた。
恐らくそれは、彼らが勇者一族と名乗ったことが大きな要因であろう。一方で、そんな彼らが敵対するヒメたちの印象は急降下していた。
何故なら、勇者一族が敵対する=悪しき存在という歪んだ認識こそが、このアオノクニに住まう人々の思考だからである。
次は明後日投稿予定です。
この作品を「面白い!」「続きが気になる!」と思ってくださった方は、評価、感想、ブックマーク登録をお願いします。
評価は下の星ボタンからできます。




