58.ティンベルの悩み
話し合いを終わらせた直後、アオノクニを出立したティンベルは馬車に揺れながら、クルシュルージュ伯爵家の本邸へと向かっていた。
ティンベルの護衛を務めているクレハは、彼女の乗車している馬車を秘密裏に追いながら、一緒に目的地へと向かっていた。アオノクニからゼルド王国までは、近すぎず遠すぎずといった距離だが、馬車を利用しても一日はかかってしまう。もちろん、途中休憩も挟むのだが、ティンベルはどうしても、その身一つで馬車を追っているクレハの体力を心配してしまった。
だが、クレハは姿を隠しながら追っている為、彼が今どういう状態なのかティンベルに窺う術など無く、モヤモヤとした思いを抱えたまま、ティンベルはその旅路を進むのだった。
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「お帰りなさいませ、ティンベル様」
一日後――丁度太陽が頂上に上った頃に到着したティンベルを出迎えたのは、数名の使用人たちだった。ティンベルに出迎えの挨拶をしたのは、伯爵家の家令――所謂執事長を務めている高齢の男性だ。
森の豊かなこの領地のほぼ真ん中に位置する本邸は、視界に収まりきらない程広く、頻りに瞬きしたくなる程豪華絢爛で、ティンベルは内心、またこの趣味の悪い家に戻ってきてしまったのかと、ため息をつきたくなった。
「えぇ。ただいま。……お父様はいらっしゃるかしら?」
「はい。自室で公務をなさっているはずです」
「そう。ありがとう」
最初に話を聞くつもりでいた父――ルークスが在宅中であることを聞くと、ティンベルは早速、建物の中へ向かおうとした……が、やはりクレハのことが気掛かりだったのか、彼女はクルリと方向転換し、人気の少ない場所へと向かうことにした。
実家にいた頃は、傍にピタッとついて離れなかった侍女が、ティンベルの後を追おうとしていたが、彼女の目的地を悟った瞬間、その侍女は顔面蒼白になりながらピタリとその足を止めてしまった。
決して振り返らなかったティンベルではあったが、侍女の気配が消えたことには気づいており、思わずグッと唇を噛みしめてしまう。
何故ならティンベルが向かっていたのは、アデルが幼い頃暮らしていた、古びた小さな小屋だったから。
「……こうも露骨に避けられると、流石にショックね……」
もうアデルはこの伯爵家にはいないというのに。過去暮らしていたというだけで、近づきたくも無いのか?どこに向ければいいのかも分からない鬱憤を持て余し、ティンベルは俯いてしまう。
そんなティンベルが辿り着いたのは、今にも崩壊しそうな程ボロボロな、古びた小屋。犬小屋と言われても信じられる程小さなその小屋はかつて、アデルが一人で生活していた住居である。
ティンベルは幼い頃、両親の目を盗んではよくこの小屋を訪れ、アデルと何てことない会話を交わしていた。
懐かしい記憶を思い出しているとふと、ティンベルは小屋のあちこちに埃が目立っていることに気づく。
「しばらく来てなかったから、また掃除しないと……。あっ、そうだ」
入口で掃除の算段をつけていたティンベルだが、唐突にクレハの存在を思い出し、話し声程度の音量でクレハに呼びかける。
「クレハ様?いらっしゃいますか?」
音はしなかった。だが尋ねた瞬間、背中側から妙な空気の揺れを感じ、ティンベルは恐る恐る振り返った。するとそこには、どこから飛び降りたのかも分からないクレハが地面に着地しており、ティンベルは思わずひゅっと息を呑んでしまう。そしてクレハは跪いた状態からスッと立ち上がると、困惑で瞳を揺らすティンベルを見下ろした。
「っ……い、いらっしゃったのですね」
「いる」
「……丸一日の移動だったというのに、よくついて来られましたね」
ぶっきら棒なクレハの返答に内心苦笑を浮かべつつ、ティンベルは感嘆の声を漏らした。一日中馬車を追い続けていたはずなのに、クレハは息も切らさないどころか、終始涼しい相好で、彼女が衝撃を受けるのも無理は無かったのだが、何故かクレハは不機嫌そうに眉を顰めてしまう。
「あまり見縊るな。勇者一族の修行の中には、一か月間不眠不休で狩りをするというものがあった。当然、脱落者がほとんどで、一か月間一度も眠ることなく生き延びたのは、主君とセッコウだけだったがな」
「へぇ……」
「主君が普段、時間が空けば寝てばかりいるのは、緊急時を想定してのことだ。もし、長時間意識を保たなければならない状況に陥った際、動きが鈍くなってはいけないからな」
「……それは流石に、過大評価が過ぎるのでは?」
クレハの憶測に対し、ティンベルは反対だったのか、少々引き攣らせた相好で疑問を呈した。ティンベルの目には、ユウタロウがただダラけている様にしか見えていないらしい。
「そのようなことはない!お前は逆に主君を見縊っている!主君はそれはそれは素晴らしく、尊きお方で……」
「あ、もう大丈夫です」
ここで止めておかなければ長くなる。論理的にも本能的にも察知したティンベルは、即座にクレハのユウタロウ自慢に急ブレーキをかけてやった。
不意に、ティンベルの後ろに弱々しく立っている小屋を一瞥すると、クレハは話を変えるように口を開いた。
「ここは、あのレディバグの長が暮らしていた場所なのか?」
「えぇ。アデル兄様はこの小屋で一人、ひっそりと暮らしていました」
「子供がここに一人か……きついな」
「……はい」
勇者一族の地獄のような修行を乗り越えてきたクレハの称する〝きつい〟は、どんな言葉よりも重みがあり、ティンベルはしみじみと首肯した。
この小屋はキチンと施錠できる箇所が一つも無く、ほぼ外と同じような空間なので、雨風を防ぐことも儘ならない。夏は茹だるように暑く、冬は身体の感覚が消えてしまう程寒い。当然、布団や毛布なんてものがあるわけも無く、アデルは硬い木板の上でいつも寝ていた。
こんな小屋に台所があるわけも無いので、アデルは食べ物に火を通すことすら出来た試しがない。この小屋に住んでいたのは、エルに会う以前のこと。当然、ジルで火を起こす術も知らない。悪魔の愛し子は飢えで死ぬことは無いが、それでもお腹はどうしても空いてしまう。知識も無い子供のアデルにとって、狩りで入手した魚や肉をそのまま食すことなど日常茶飯事だった。無論、普通の人間がそんなことをすれば死の危険すらあるが、生憎アデルの身体は普通とはかけ離れた構造だった為、特に問題は起こらなかったのだが。
「あの……クレハ様」
「なんだ」
「少し、ご相談があるのですが」
「相談?お前が、某に?」
改まって何かと思えば、予期していなかった単語が飛び出た為、クレハは怪訝そうに尋ねてしまった。
「はい。クレハ様は私に興味が無いと思いますので、客観的な意見が聞けるかと」
「あぁ。よく分かっているな」
大分酷いことを言われているのだが、ティンベルは形振り構っていられないのか、気にせず話を続けた。
「それにクレハ様はユウタロウ様を絡めた時以外は寡黙な方……この相談をベラベラと第三者に離すことも無いと思いますし」
「なるほど。お前を護衛する以外暇だからな、聞いてやってもいい」
「ありがとうございます!」
ティンベルが自身に白羽の矢を立てた理由を理解したクレハは、あっさりと了承した。思わずぱぁっと顔を綻ばせたティンベルは、勢い良く頭を下げて礼を言った。
落ち着きを取り戻すようにすぅっと深呼吸すると、ティンベルは小屋の掃除を始め、片手間にその相談を語り始めた。
「――実は……アデル兄様が先代悪魔を殺したという話を聞いてから私、変なんです」
「変?」
「何だか、アデル兄様が、アデル兄様じゃないように見えて……。不安で……レディバグの方々と一緒にいられるところを見ると、モヤモヤしてしまうんです」
「……」
クレハは思わず、徐にパチクリと瞬きし、ティンベルの様子を窺ってしまう。その表情からは「コイツは本気で言っているのか?」という困惑が読み取れた。
ティンベルの話を聞いて数秒で、クレハは彼女を悩ますものの正体に気づいていた。だが、ティンベルはその正体に気づけていないように見え、それが信じられなかったのだ。
「アデル兄様が、悪魔を……人を殺したと聞いて、信じられなくて、信じたく、なくて……。こんなこと、思ってはいけないことなのに……勝手に私、アデル兄様に、手を汚して欲しくないと、思っていたのかもしれません。潔白でいて欲しいなんて、私の身勝手な我が儘で……でも、かと言って、アデル兄様を軽蔑したかと聞かれると、そうでは無くて……私、私のことが、よく分からな」
「嫉妬だろう」
ティンベルの話を遮るように、クレハは早々にその正体を断言した。刹那、ティンベルの周囲に漂う空気だけが停止したような静けさが訪れる。
ティンベルはこれ以上ない程呆けた面を晒しており、ポカンと開いた口からは呼吸だけが漏れている。そんな彼女の表情を見たところで、失望どころか何の感情の変化も起こらないクレハは、黙って彼女の返答を待った。
「……………………しっ、と?」
「何を悩む必要がある。某にはお前が、レディバグの奴らに嫉妬しているようにしか見えん」
「えっと……それは、どういう……」
「分からないのか?……レディバグの連中と一緒にいる場面を見るとモヤモヤするのだろう?嫉妬以外の何だというのだ」
「ですが」
ティンベルは反論しようと声を上げるが、クレハにはその反論内容すらお見通しらしい。彼は先を読んで、未だ言葉にもなっていないその反論に対する反論を口にする。
「悪魔を殺した件についても同じことだ。兄がそこまで追いつめられていた時、自分は何もしてやれなかったことが悔しいだけだろう。それに、あの愛し子が悪魔を殺したのは、あのエルとか言う師匠を殺された復讐だったそうじゃないか。お前は、兄に人殺しまでさせてしまう程、兄に慕われている師匠に嫉妬しているだけだ。
そして、再会するまでの長い年月の間、兄がどう生きていたのかお前は知らない。だが、レディバグの奴らは、お前の知らない兄を知っている。加えて、兄の悪魔殺しもすんなり受け入れている様子だ。それがお前は我慢ならないんだ。自分の知らない兄を知っている奴らが羨ましくて、兄が、お前の見たことも無い表情を仲間に向けることが不愉快なんだ。……嫉妬以外の何物でもない」
「……嫉妬…………」
クレハの説明が的を射ているせいで、ティンベルはその感情を自覚せざるを得なくなった。その感情の名前を呟き、自らの中に落とし込んだティンベルは、憑き物が落ちたような表情を浮かべている。
「某もあのアバズレに対して同じ感情を抱く。だからすぐに分かった」
「……え。もしかしてクレハ様、そ、そういう意味でユウタロウ様のことを……?」
クレハはチサトに対して嫉妬心を抱いている。その情報だけで妙な想像をしてしまったティンベルは、恐る恐るクレハに尋ねてしまったが、対する彼は思いきり嫌そうな……というよりも、心底ティンベルを蔑んでいるような眼差しを向けている。
「馬鹿なのか貴様」
「……初めて言われました」
馬鹿。それはティンベルにとって、生まれてこの方一度も言われたことの無い言葉だった。頭の切れるティンベルに対して馬鹿と暴言を吐ける人間など一人もいなかったのだが、クレハによってその歴史は塗り替えられてしまった。
ショックよりも衝撃の方が大きすぎるあまり、ティンベルはポカンとした表情で呟く他無かった。
「?……あぁ。そう言えば脳の能力者だったか。……だが、自分のこととなると無能になるようだな」
「はぁ……」
「ちなみに、もし某が、あのアバズレに悋気を抱いていたとすれば、某は早々に奴を殺そうと企て、結果的に主君によって半殺しにされていることだろう…………はっ!それもまた良いかもしれぬ……」
「やめた方がよいかと……」
クレハの場合、ユウタロウに対する信仰心が強すぎるので、本気と冗談のボーダーラインが分かり辛く、ティンベルは念の為忠告を試みた。
「まぁ、冗談はさておき」
「冗談とか言うのですね、クレハ様」
「お前の悩みは解消されたのか?」
「っ!……どうでしょう」
浮かない表情で床を掃く手を止めたティンベルは、未だに自分の感情を完全には理解しきれていないようだった。
「でも……こんなに単純で、下らない理由で悩んでいたんだと分かって、少しホッとしました。私は、アデル兄様を嫌いになってしまうことが、一番怖いので」
「……手を汚して欲しくないと、言っていたな」
「……はい」
「某も、主君の手を汚させるぐらいなら、自らが代わりに、全ての返り血を請け負いたいと思う」
刹那、ティンベルは目を見開く。その瞳にはひとつの光が灯っており、同じ気持ちを抱いていたクレハの共感を素直に喜んでいるようだった。
こんな気持ちを抱えているのは自分だけじゃないのだと、ほんの少し安堵したティンベルは、恐る恐るクレハに尋ねる。
「……私、身勝手な女じゃありませんか?」
「はぁ?何を言っているんだ。人間は皆、余すことなく身勝手な生き物だ。自分を特別だと思うな」
「ふふっ、そうですね……。ありがとうございます。クレハ様」
冷たく突き放すような言葉ではあったが、今の彼女にとってはそれが十分すぎる程の励ましになった。安堵と感謝から湧き出る、綻ぶような自然な笑みを浮かべると、ティンベルはクレハに礼を尽くすのだった。
完全にフラグ回だと思うんですけど、こう思っているのは作者だけなのでしょうか……?あ、フラグと言っても、微笑ましい方のフラグです。
次は明後日投稿予定です。
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